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聖女さまは逃げ出したい  作者: 成瀬 せらる
後:第2聖女と悪神官
10/16

10.コルトロメイと心



「やめてよ」


アンゼリカに部屋に呼ばれて、仕方なく行って暫く話していたら、突然アンゼリカが立ち上がって怒った。俺は理由が分からなくて首を傾げる。和やかに話をしていた、はずだった。


「やめてってば」


アンゼリカは眉を釣り上げてそう言った。ますます分からない。あまりにも理解できなくて、また首を傾げた。


「なに?」


俺がそう訊ねると、アンゼリカは唇を尖らせた。


「この部屋に来るといつもシスタリナのこと考えてるでしょ」

「シスタリナ?なんで?」

「そんなの私が聞きたい!どうしてアンゼリカの部屋にアンゼリカといるのに、いつもシスタリナのことばかり想うの?…アンゼリカには伝わるんだよ。分かっちゃうの。たしかにここはシスタリナの部屋だったけど」

「シスタリナの部屋、だった?」


アンゼリカはしまった、という顔をした。


「…シスタリナの部屋か」


何か思い出しそうで、やはり出てこない。この洗脳はそう簡単には解けないものらしい。ここにシスタリナがいた、とすると、おそらく俺もこうしてここに通っていたのだろう。恋仲だったならば余計に。忘れきれなかった思い出が、胸のどこかでつっかえているのかもしれない。喉元までせり上がった感情が、胸を苦しくさせる。たぶん、苦い思い出だった。苦しい中に甘さの滲むような。思い出したいようで、そうしないほうが良いような。


「もうヤダ!出てって!コルトロメイの、馬鹿!」

「お、おい、アンゼリカ」

「シスタリナのことばっかり!」


アンゼリカが怒って俺を強く押した。仕方なく来た時と同じようにやる気なく扉を開けて、そろりと外に出た。


廊下の向こう側に、シスタリナがいた。

シスタリナは上気した顔に潤んだ瞳で、ふらふらと歩いていた。昔はただの物置きだった小さな、窓も無いような部屋の扉の前まで歩いて、そのまま辛そうに立ち止まる。


「第2聖女様?」


俺が声をかけた瞬間にシスタリナの身体がふらりと傾ぐ。そのまま床にどしんと音を立てて倒れ込んだ。


「し、シスタリナ!」

「コル、トロメ、イ?」


慌てて駆け寄って、倒れた身体を抱き起すと、シスタリナは薄く目を開いた。シスタリナがおぼろげに俺の名を呼んで、ふと目を閉じる。そのままシスタリナは意識を飛ばした。


慌てて部屋に連れ込んで、寝返りも碌に打てないような小さな寝台に寝かせ、薄い毛布をかけた。物凄い熱だ。能力で冷やした水に布を付け、水気を切ってシスタリナの額に当てる。適度に能力で冷やしながら、シスタリナが目を覚ますまで根気よく見守った。


「ん…」

「あ、」


布を変えるタイミングでシスタリナが目を開いた。


「ここは…」


シスタリナは不思議そうに部屋を見回した。


「やっぱりアンゼリカの部屋の方が良かったか?」

「……何故?」


ここはさぞ居心地が悪いだろう。それにもとは、シスタリナの部屋だったのだから。


「広いし、色々あるし…寝台ももっと柔らかくて、毛布の質も」

「それは、アンゼリカのものでしょう」

「そ、そっか」


今ではシスタリナの部屋では無い、ということは、シスタリナはあの部屋から追い出されたのだ。こんな粗末な部屋に押し込められているのには理由がある。それを考えなかった俺の浅慮を恥じた。


「どうしてここにいるのですか」


シスタリナは氷よりも冷たくそう言った。


「俺が居たら駄目なのか」

「…禁じられているのでしょう」

「あ、おい、泣くな」


またシスタリナが泣きそうに顔を歪めたからついそう言った。シスタリナはふいと顔を背ける。…またキスされると、思ったんだろうな。シスタリナが万全の状態ならそれも吝かではないのは事実だけど、もう同意なしにはしない。これ以上嫌われなくない。


「……その、この前のことは本当に済まなかった」

「…はい」


シスタリナは無感情にそう言った。

シスタリナは俺に対して、一切の感情がない、とおもう。きっと昔の俺のことは好きだったのだろう。今の俺はまるで別人だから、好きにはなれないのかもしれない。


「どうして私に構うの」

「…どうして、って、そんなの俺が聞きたい」

「…また忘れさせれば良いの?もっと強く洗脳したら、いいの?もう分かんないよ…」


シスタリナはぽたりと涙を零した。シーツに涙が吸い込まれていく。


「嫌だ」


思わずそう答えていた。


「また奪われるのは耐えられない」


自分で言っておいて、また、の意味がわからなかった。完全に計算していない、想定外の答えが口から滑り降りていた。きっとこれは、素直な俺の気持ちなのだろう。


「あんたを大切にしたいのは…山々なんだ。もう泣いてほしくないし、寂しい時は側に居たい。思い出せないけれど、あんたのことがとても大切だったのは…理解してる。もしも嫌ではないならば、側にいさせてほしい。駄目、かな」


これは今の俺の本音だった。シスタリナから目が離せないのも、どうしても惹かれるのも、昔の記憶が薄っすらあるから、というのも勿論あるだろうけれど、どう足掻いても側にいたいのは変わらない。


「他の神官たちや、教皇に見つからないなら」

「分かった」


シスタリナは薄く微笑んで、そのまままた眠った。眠ったシスタリナの額に口付けして、また冷たくした布を乗せた。





熱が下がると、シスタリナと少しずつ打ち明け話をしていった。シスタリナが能力開発をしていることを聞いて、なんだか嬉しくなった。俺もそうだと言うと、シスタリナは不思議そうな顔をした。


「誰かを守るのに強くならなきゃならないと思ってた。たぶん、あんたのことなんだろうな」


ずっと、強くならねばならないと、そればかり考えていた。何があっても動じず、守れる程に強く。


「何かあったんだよな。それで、守れなかったんだろ、俺。確かに意識的に能力開発するまでは制御できていない程に弱かったし、祈ってばかりで身体の力もほとんどなかった」


祈ることしか知らなかった時とは、身体を鍛え始めた今では別人だ。きっと3年前はシスタリナを抱き上げることもできなかったことだろう。体の厚みは今と昔では全く違う。

ずっと守りきれなかった、という負い目があった。きっとそれはシスタリナのことで、シスタリナを守るために強くなりたいのだと思ったのだろう。シスタリナが法衣をじっと見ていたので好きで着崩しているわけではないと簡単に伝えた。シスタリナは楽しそうに笑った。


見たかったものがやっと見れたような気がした。


「あとは…腕っ節の強い人になりたい、ってずっと思ってた」

「ずっと?」

「といってもここ3年くらい、かな。筋肉つけないといけないって」


例えば拘束を振り払うとか。例えば、蔓草を引きちぎれるほど、とか。


「祈ってもどうにもならないことっていうのが、分かったんだよな」

「意外と…洗脳しきれてなかったのね」


シスタリナはため息を吐き出しながら言った。


「洗脳し直すなよ!」

「キスしなかったら洗脳しないよ」

「…もうしないし」


そう言うとシスタリナはほっとしたように息を吐き出した。少なからず、それにはショックを覚えた。


「ほっとするなよ…確かに昔とは違うかもしれないけど、今の俺は嫌いかよ」

「嫌いじゃないけど、強引すぎてどうしたらいいのかわかんないの」


シスタリナは楽しそうに笑いながらそう言った。気楽に話すシスタリナは可愛らしくて、楽しくて、思わず触れてしまいそうになる。キスしない、と自分で言ったけれど、同意の上でならまた別だ。


「じゃ、じゃあ、優しくしたら、…優しくお願いしたら、していいのか?」

「さっきもうしないって言わなかった?」

「例えばの話だ!」


シスタリナはこてんと首を曲げて、曖昧に笑った。賭けのつもりで俺はシスタリナに近付く。


「き、キスして、いい?」

「だめ」


シスタリナは笑顔で拒否した。


「…どうして?」

「洗脳したくなるから」

「どう洗脳するかによる」

「思い出して欲しくなるの」

「…思い出したいのだが」

「今はだめ」


いつかは思い出させてくれるつもりがあるらしい。俺は期待を持って、今回は素直に引くことにした。シスタリナはしたり顔で話始める。


「コルトロメイだって、私のこと薄っすら思い出したみたいだけど、それって別に好きとは違うでしょう?」

「……」

「懐かしいとか、あの頃好きだったって感情に振り回されているだけに見えるの」


なんだそれ。

確かに昔好きだった、っていう感情が先行しているのは否定できない。でも、今はそれ以上に。


「…やっぱり我慢するのやめた」

「え、なに、」


近づいて、シスタリナの小さな身体を抱きしめた。シスタリナは息を吐き出して戸惑う。


「話してて思ったけど、俺あんたのこと好きだよ。暗示なんか忘れるくらい、話していたら普通に惹かれた。思い出したとかそういうの関係なく、ただ1人の男として惹かれた。それもだめ?」


言うならば、改めてシスタリナに惚れた。シスタリナのことが好きだ。昔のか弱いコルトロメイとして、ではなく、今の俺として。シスタリナにはどうしても惹かれる。それは抗いようのないこと。


「わ、悪くは、ないけど」

「今すぐには無理だろうけれど、いつか今の俺のことも好きになって」

「…は、はい」


シスタリナは顔を真っ赤にして頷いた。今はそれでいい。これから、シスタリナに好かれるように努力するから。昔の俺なんかよりずっと良いと思うか…それとも、シスタリナが根負けして洗脳を解くのが早いか。


「でも泣いたら問答無用でキスするからな」

「えっ」


シスタリナが涙目になったから、そう言った。シスタリナは慌てて目を擦る。


「…他に泣き止ませ方知らないから」


女の扱いは今でも分からない、から。

シスタリナはくすっと晴れやかに笑った。








その数日後、シスタリナの面会に立ち会っていた父が珍しく苛立った様子で面会室から1人きりで出てきた。たまたまその前を通った俺は、父のただならぬ様子に首を傾げる。


「ギャングの若造め、舐めおって」

「ギャングの若造?」

「シスタリナに熱を上げている若造だ。ほら、お前がこの前神罰を下した街を縄張りにしているギャングのボスだよ。ワシのことを部屋から追い出して何をしているのか」

「部屋には第2聖女様と、ギャングのボスが、2人きり…ということですか?」


嫌な響き。

俺がそう訊ねると、父はニタリと笑った。


「シスタリナがあの若造を誑し込んで大金稼ぐなら、まあそれは悪くはないな」

「…左様ですか」

「ほら、お前はアンゼリカの補佐だろうが。早く行け」


そういうと父は去って行った。

胸をかき乱されたようだった。シスタリナにその気がなくとも、父はそう見ている。ギャング潰しに本気になっている教団は、俺の能力を使ってギャングに圧力をかけ続け、神罰を止めたければ法外な寄付をするように求めている。

だからこそギャングのボスが自ら聖女たるシスタリナに会いに来て、シスタリナに洗脳されている。だがギャングのボスがそう簡単に洗脳されるはずがない。だからシスタリナの女としての魅力を持って、ギャングのボスの手綱を握るのが教団の意向だ。


(シスタリナはそんなこと、しない)


しないとは分かっていても、いい気分ではなかった。


シスタリナと俺の関係は、友達以上恋人未満のままだ。シスタリナが好きだったのは昔の俺で、今の俺は果たして恋愛対象に入っているのかすら曖昧。そこにギャングのボスがどう作用するか、俺には到底想像できなかった。もしギャングのボスがシスタリナの好みど真ん中で、シスタリナがうっかりギャングのボスを好きになってしまったら…


父や教皇に命じられてギャングのボスの妻になってしまったら。


(胸、痛いな)


つきん、と痛みが走って、胸を押さえた。

ばさり、と背後で何かが落ちる音がした。振り返ると、アンゼリカが手に持っていたと思われる聖書を足元に落としていた。

アンゼリカは手で口元を押さえて、目を潤ませる。


「コルトロメイ…」

「どうした、アンゼリカ」


アンゼリカは今にも泣き出しそうだった。


「苦しむなら、諦めて。アンゼリカにして」

「は?」


何を言っているのか分からなくて、首を傾げた。アンゼリカは俺に詰め寄って、目に溜めた涙をぼろりと零す。


「アンゼリカならコルトロメイにそんな想いはさせない!」


アンゼリカは大きな声でそう言って、俺に抱き付いた。


ああそうか、アンゼリカは俺の心を感じ取ったのだ。

アンゼリカは俺の心に干渉して、感応して勝手に傷付いたらしい。俺の想いは、つまるところシスタリナへの憧れや好意だ。アンゼリカを選べば、確かに楽だろう。教団も俺とアンゼリカがくっ付くのは諸手を挙げて歓迎する、と思う。だがシスタリナと俺は最早相容れない存在だ。だから、俺が自分で感じている以上に複雑かつ悲しい想いが渦巻いているのかもしれない。アンゼリカは隠された感情も読み取ってしまうから、わかってしまう。



くすくす笑う声が聞こえて、シスタリナと件のギャングのボスが2人揃って面会室から出て来た。シスタリナはギャングのボスを見送り、ギャングのボスはシスタリナの頬にさよならの口付けをして帰っていく。シスタリナは嬉しそうに微笑んで、振り返った。アンゼリカに抱き着かれている俺と目が合う。一瞬時が止まった、が。


シスタリナは何でもない風に目を逸らして、固い表情で面会室に戻って行った。


ずき、と心が痛み、目の前が真っ白になるほど頭が痛んだ。アンゼリカはぎゅ、と強く抱き着く。


「ね」

「どういう意味?」

「シスタリナにはあの人がいるよ。お互いに好意がある。シスタリナはまだ疑っているけど、ギャングのボスのほうはシスタリナに本気だよ。本気で口説いてる。絶対にシスタリナを自分のものにしたいと思ってる」


アンゼリカは嘘をつかない。それに俺の目から見ても、2人はそういう風に、見えた。


「アンゼリカのこと、好きになってよ」

「アンゼリカ…」

「…でも、シスタリナなんだね」


アンゼリカはそう言って、俺からそっと離れた。アンゼリカが何を読み取ったのか、俺には分からない。でも、俺がどうしてもアンゼリカを選べないことを感じ取ったのだと、そう思った。俺がシスタリナを想いすぎているのだろう。シスタリナ以外が選択肢にない。


「…神官さま達には言わないでいてくれるか」

「言ったらコルトロメイに嫌われちゃう」

「アンゼリカ。俺はアンゼリカのことがとても大切だよ。妹みたいな存在だから」

「ばか、コルトロメイの、ばか」


よしよしとアンゼリカの頭を撫でると、アンゼリカはぼろりと泣いた。シスタリナと俺の関係が他所にバレることだけは避けたかった。アンゼリカは、分かっている。でも黙っていてくれる。少し安心して、でもアンゼリカが苦しんでいることに悲しくなった。

これがどれほど残酷なお願いかもちゃんと分かっていた。


「いつかアンゼリカでいっぱいにしてみせるから」


アンゼリカは儚く微笑った。





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