12話
レオナルドが連れてきてくれたのは、劇場だった。
贅を尽くした内装に華やかな衣装を纏う人々。きらびやかな世界は呪いが発動した時以来で、ずいぶんと久しぶりだ。
レオナルドにエスコートされて席についたシャーロットは自然と心が弾むのを感じた。
「上司が突然いけなくなったからと、譲ってくれたんだ。人気の演目らしくて、席がなかなか取れないらしい」
「評判を聞いて、気になってたんです。見れて嬉しいですわ」
これまで呪いのことに精一杯で、とても演劇を見る余裕などなかった。だから、今日は思う存分楽しもうと心に決める。
レオナルドに行き先を告げられ、急いで持ってきたオペラグラスを取り出す。思えばこれを使うのもずいぶんと久しぶりだ。
劇は近年女性の間で評判の恋愛小説を元にしたもので、とある貴族の令嬢が身分も財力も違う貴族令息に恋をする話だった。
『ずっと悩んでいたのです。私のような者はあなたに相応しくないと。だから、身を引くべきだと』
舞台の上で、女優が切々と内心を語る。悲壮に満ちた表情は見る者の胸を打ち、彼女の幸せを願う気持ちにさせる。シャーロットも例にもれず、食い入るように舞台に魅入っていた。
『でも……それでも私はあなたを愛しています。身の程知らずであっても、そんな資格はないとしても、私はあなたの傍にいたいのです』
か細く震えるその声は、シャーロットの心に大きく響いた。目の奥が熱くなり、手を取り合う主役の男女の姿がぼやける。
このまま涙を流すと化粧が崩れてしまうと慌ててハンカチを取り出そうとした時、横からハンカチが差し出された。
「良かったら、使ってくれ」
「ありがとうございます」
レオナルドに礼を言い、受け取ったハンカチでそっと目元を抑えた。
やがて舞台の幕が降り、シャーロットは感嘆のため息をついた。
「とても素敵でしたわ……。評判通り……いえ、それ以上の劇で……」
「……そうか。そこまで喜んでもらえたなら、誘った甲斐があった」
「連れてきてくださってありがとうございます、レオナルド樣。今日、この劇を見れて良かったですわ」
閉塞感に沈んでいた心が軽くなっている。たまには気分転換もいいものだとシャーロットは実感した。
「俺も……今日、ここに君を誘って良かったよ」
レオナルドもどこか晴れやかな顔をしている。
彼も楽しめたのだとわかり、シャーロットは嬉しかった。
馬車に乗る直前、ふいに先程の青い鳥が視界に見えた気がして、シャーロットは一瞬動きを止めて、そちらを見た。
だが、そこには鳥はおらず、ただの見間違いだったのだろう。
「どうした?」
「いいえ。まだ、舞台の余韻が冷めてなくて……」
気分転換もできたことだし、再び呪いの調査に励もうと張り切った。
だが、シャーロットの意気込みは発揮されることはなかった。
「あの、レオナルド樣……」
「なんだ?」
戸惑いがちに口を開いたシャーロットに、レオナルドは穏やかに言葉を返す。
春を間近に感じる暖かな日差しが、植物園を訪れたシャーロット達を照らしていた。辺りには厳しい冬を乗り越えた木々がのびのびと枝葉を広げており、時折鳥たちの軽やかな声が聞こえる。
今日ここに足を運んだのはレオナルドが誘ったからだ。大聖堂へ行く予定を当日に突然変更して、シャーロットとふたりで行きたいのだと彼は希望した。
どこか切実な彼の様子に、シャーロットはもしや呪いの手がかりが見つかったのかと期待したのだ。
だが、蓋を開けてみれば、呪いのことは一切話題にならず、通常のデートをしている。大好きなレオナルドと一緒に過ごせることはシャーロットにとって幸せなことだ。
だが、気分転換に劇場に行ってからここ数ヶ月、ずっとこうして普通のデートばかりで、調査は全く行っていない。
シャーロットもレオナルドもそれぞれ単独では調べてはいるし、手紙で報告もし合っている。だが、顔を合わせると、呪いのことなど何もなかったかのように過ごすのだ。
シャーロットが呪いのことを話題にすれば返答はしてくれるのだが、あまり長く離したくはないようだった。彼から話をふることもない。
当初、シャーロットはもしかしたら呪いが緩和したのかもしれないと推測したのだが、レオナルドの表情や声音には未だに彼女への嫌悪が混じっている。シャーロットに触れられている彼の腕にも、きっと鳥肌が立っているのだろう。
なのに、何故彼は調べることを放棄しているのか。
察しの良い彼のことだ、シャーロットの困惑はわかっているだろう。にも関わらず、素知らぬ顔をして彼女をエスコートしている。
ひとつの答えがシャーロットの脳裏に浮かんだ。胸が痛んだが、顔には一切出さず、シャーロットはレオナルドに笑顔を見せる。
「いえ……なんでもありませんわ」
「そうか。……ああ、そろそろだな」
声を明るくしたレオナルドの視線を辿って、シャーロットは目を見開いた。
そこは色の洪水だった。道中に広がっていた冬の静かな色彩とは正反対の、鮮やかな花が咲き誇っていた。
「綺麗……。不思議ですね、この時期にこんなに咲いているなんて」
「東国原産の花で、今年取り寄せたらしい」
「まあ。どうりで見たことない品種だと思いました。……ふふ、東の国の花も、とても素敵ですね」
「……ああ。同僚からこの花の話を聞いて、是非君と見に行きたいと思ったんだ」
ふいに懐かしさがシャーロットの胸にこみ上げる。
レオナルドと婚約してから、時間が合えばこうして植物園で花を愛でたり、美術品を鑑賞したりするのがふたりの日常だった。
おそらく、レオナルドは当たり前だった日々を再現しようとしているのだろう。
解決の糸口が見えない呪いに翻弄されて疲弊するよりも、限りある時間を有意義に過ごすことに決めたのだろう。呪いが解けないのなら、少しでも思い出を作った方がいいとレオナルドは判断したのだ。
シャーロットも同意見だった。無論、最後まで解呪を諦めるつもりはない。単独で調査は続けるが、レオナルドとの時間は楽しんで過ごせるのなら過ごしたい。
たとえそれがあと数ヶ月で終わる関係だとしても、シャーロットは最後まで大事にしたいと思った。
それから、シャーロットは積極的にレオナルドとの外出を楽しむようになった。相変わらず彼にかけられた呪いは少しも弱まってはいなかったが、シャーロットは今味わえる幸せを、レオナルドと共に過ごせる時間を大切に噛み締めた。
そんな折、オルコット伯爵夫人からお茶会の招待状が届いた。親しくなってからは時々お茶会に呼ばれていたのだが、今回のお茶会はいつもとはおおきく異なっていた。
「他のご令嬢もお呼びするのね……」
オルコット伯爵夫人が招くのはシャーロットとのふたりきりのお茶会だけだった。それは夫人が誰の目も気にせずに趣味の話を楽しみたいからというのもあったが、生粋の貴族たちに冷遇されやすいシャーロットを慮ってのことでもあった。シャーロットのお茶会への強い苦手意識を少しでも払拭しようとしてくれているのだ。
シャーロットは夫人とのお茶会が大好きだった。他のお茶会でつらい目にあっても、夫人とのおしゃべりで癒やされていた。
「お嬢様、どうなさいますか……?」
夫人は無理に出席しなくとも良いと一言添えてくれている。シャーロットが断ったとしても、さほど問題はないだろう。
「そうね……せっかくご招待していただいたんだもの、出席するわ。手紙とペンを持ってきて」
「……かしこまりました」
メアリーは心配そうに顔を曇らせながらも、主人の命に従った。
正直なところ、断れるのなら断りたかった。だが、シャーロットは今年社交界デビューを控えている身だ。貴族にとって重要な社交を苦手だからと避けるわけにもいかないし、夫人の招待を断るのも嫌だった。
「頑張らないとね、いろいろと」
レオナルドの呪いに、貴族社会での己の立場。解決の目処がつきそうもない問題を前に、シャーロットはため息をついた。




