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【完結】いつかわたしを攫ってくれると言った怪盗の正体は、冷徹嫌味な宰相閣下でした  作者: 藤原ライラ
番外編

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とある政務官の屈託:4.小さな変化

 そこからギルベルトは少しずつ、人と関わることを覚えていった。それは赤子が歩くのを覚えるように、ほんの少しずつだったけれども。


「アーノルド補佐官。こちらの書類についてですが」

「はい」


 話しかけられたアーノルドがはっと顔を上げる。


「何をどうやったらここまで計算を間違えられるのか理解しがたいですが、訂正しておきました。ご確認のほどお願いします」


 言い方には問題があったと言わざるを得ない。けれど、文官は文官で実力社会だ。正しい指摘には、皆ある程度目をつぶる。


「あと、次回の会議での発表をお願いします」

 それを聞いてその場にいた全員が目を見開いた。無論、ランドルフも含めて。


「ギルベルト政務官。それはどういったお考えで」

「内容はこちらにまとめてあります。疑問点があれば事前に聞いていただければ」


「ああ、そういうことではなくて、どうしてご自身で発表されないのですか? ということです」

 アーノルドの言葉に、ギルベルトは少し目を逸らした。


「俺は、人に説明をするのがあまり得意ではありません。その点、アーノルド補佐官の説明は端的でわかりやすいと判断しました。もちろん、必要なフォローはします。いやですか?」


 ギルベルトが誰かに仕事を頼むのは初めてだった。


「いえ、尽力させていただきます」

 任されたアーノルドも満更では無い顔をしていた。


「なあ、今夜ついでに異性交遊会(合コン)があるんだが……来ないよな?」


 就業時間間際、アーノルドはギルベルトに尋ねた。この度胸も賞賛に値する。こないだは仮面舞踏会に誘って断られていたのに。


 誰もが行くわけがないと思っていた。


「座っているだけでいいなら」

 ぼそりとギルベルトは言った。


「俺は女性と話すのが苦手なので、本当に座っているだけでいいなら、参加させていただきます」

「お、おう」


 ちなみに本当に彫像のごとく座ったまま一言も口にしなかったというのは、文官の間で語り継がれる伝説となっている。


 チェスの勝負も三十戦目になった時に、ギルベルトが言った。


「閣下」

 今日も今日とてギルベルトは政務官として働いているので、彼はランドルフに二十九連敗していることになる。


 もっとも、腕は格段に上がっている。

 元々筋はよかったが、ギルベルトは吸収が早い。ランドルフが使った戦略を一発で覚えてしまう。時折、自分と打ち合っているような不思議な感覚になるほどだ。


「もしも閣下に勝ってしまったら、俺は政務官を辞めなければならない、ですよね」


 物言いの割に攻め手には容赦がない。ディスカバードアタックとはなかなか見事だ。

 ランドルフは次の手を思案しつつ、こう返した。


「私が君にはじめて会った時、なんと言ったか覚えているかな」

 ただ、こちらについては最初から織り込み済みなのである。


「『一つ条件を決めよう、ギルベルト』

 『私にチェスで一度でも勝てたら、なんでも君が思う職に就くことを許そう』

 『ただし、私が勝っている間は政務官として邁進すること、いいね?』」


 ギルベルトは静かな声で、執務室での会話を全て再現してみせた。やはりそうだ。彼は人が一度言ったことを忘れない。


「その通りだ」

「でしたら」


 そして、同時にこちらの手も見つかった。なんてことはない。


 ギルベルトは心のどこかで政務官を辞めたくないと思い始めている。だから、最後まで攻め切れていないし、何より守りが甘い。


「私は『なんでも君が思う職に就くことを許そう』と言った。それはそのままの意味だよ、ギルベルト」


 才能を持て余しているこの野良犬のような子が、何か自分を活かす方法が見つかればそれが一番いいと思っていた。


 ただ確証はなかった。そうなればいいなと思っていた程度だ。だからひとつ種を蒔いてみた。

 それは無事、ランドルフの思惑通り花を咲かせつつあるようだ。


「政務官を続けたければ、続ければいい。研究官に戻りたければそれでもいい。他にやりたい仕事ができたのなら、それに就いてもいい」


 ランドルフは、女王の駒を手に取り動かした。


「あ」


 ギルベルトは切れ長の目を見開く。形勢逆転だ。


「ただし、それは私に勝ってからだ。いいね」


 これでランドルフの三十連勝だ。


「承知、仕りました」

 負けたというのにギルベルトはその緑の瞳はきらきらと、隠しきれない喜びで輝いていた。



 *



「結局私は、一度も勝てませんでした」

 そう、ランドルフが後を譲るまでの間、ギルベルトは一度も勝てなかった。


「いつもいいところまでは行くんだけれどね」


 そう返すランドルフの前には、今もチェス盤がある。酒も煙草も嗜まないランドルフにとって、これが一番の楽しみと言える。


「しかし君が結婚とは驚いた。以前は『結婚したからといって幸せになれるとは限らないでしょう。それなのに他人を自分の人生に巻き込むなんてどうかしている』と言って憚らなかったじゃないか」


 これはいつかの文官の忘年会でのギルベルトの言葉である。アーノルドが少々酒を飲ませた結果、彼はそんなことを言った。


 ギルベルトはほんの少し顔を顰めた。

「それ自体は今も思っておりますが」


 右手で歩兵を動かしてから続ける。位置取りは悪くない。


「人間、結婚せざるを得ない時もあると学びました」

 せざるを得ない、の言い方がランドルフがよく知るギルベルトそのままだった。


「結婚したい」でも「結婚すべき」でもなく、「結婚せざるを得ない」。


「では君は、陛下と結婚したくなかったのかな」

 ランドルフは(ルーク)を動かして応戦する。


「そうとは申しておりません」

 昔から表情の乏しい怜悧な顔つきだ。けれど、見ていれば分かる。ギルベルトは心の底からこの結婚を喜んでいるのだ。


「そういえば」

 ランドルフは駒のひとつを動かしながら尋ねた。


「ずっと気になっていたんだ。君はどうしてあの時、書類を直したんだい?」


 ギルベルトは人と関わらずに、目立たず生きていくことを望んでいたはずだ。だから政治から一番遠い研究官になって静かに暮らそうとしていた。わざわざ試験の答案を間違えるようなことまでして。


 あの訂正がなければ、ランドルフとてこの天才に気づかなかったかもしれないのに。


「ああ、あれは」

 ギルベルトは思案した後、駒をひとつ動かして答えた。


「『頭を使え』と言ってしまった後だったので」


 それは、一体どういうことだろう。


「ある人に対して、私は『世の中には魔法も奇跡もない。その代わりに頭を使え』と、随分と偉そうに格好つけたことを言いました。その実、自分と言えば対して頭も使わずに、まあせいぜい半分ぐらいの力で仕事をしていて。そういうのがひどく狡く思えてきたんです。そんな時にあの書類を見て、何かしなければならないような、そんな気に駆られました」


 文字通りあの部屋に引きこもっていたギルベルトを引きずり出したもの。

 ギルベルトは恥じたように、少しだけ眉を下げた。


「言ってみれば、ただの気まぐれのようなものです」

 終始理詰めで生きている彼は、そんなことをのたもうた。


「そうかい」


 けれど、それが気まぐれであれなんであれ、ギルベルト自身が起こした行動であることには変わりない。


 そして、ギルベルトはそれを誰に対して言ったのかは明確にしなかったが、ランドルフには察しがついた。


 この男が格好つけたい相手なんて、この世界に一人ぐらいだろう。


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