唯一の誓い
「切りますよ」
礁太の声は少し震えていた。髪は女のステータスなのだから、当然のことだろう。
ナイフが髪を切るにつれて、徐々に頭が開放されるのを感じた。
体が自由になると、わたしはまず髪に手を伸ばした。耳の少し上に指を差し入れ、そのまま下へ降ろしていく。
「え?」
わたしの髪は、思った以上に短くなっていた。
腰ほどまでの長さだったのが、今は肩甲骨の下までしかない。しかも、左側が少し長くなっているようだった。
長さを揃えるためにも、美容室に行って切ってもらわなければいけないだろう。元の長さまで伸びるのはいつの日になることやら……。
わたしが思考を巡らせていると、礁太が声を掛けてきた。
「短すぎましたか?」
「……うん。さすがにこれは」
わたしは髪に指を通しながら、苦笑いで答えた。
短い方が手入れは楽だが、物足りないような、寂しいような気分になる。そんなわたしを気遣ってか、ショウは笑みを浮かべた。
「僕はもっと短い方が好みなんですけどね」
悪びれない礁太の物言いは、前に会った時と変わっていない。
――だからといって、気を抜いちゃ駄目だ。
わたしは自分に言い聞かせる。
「それで、礁太さんは何をしに来たの?」
できるだけ関心のない風を装って、わたしは問いかけた。すると、それを聞いた礁太が眉間に小さくしわを寄せた。
「こーやは酷いですよ。せっかく会いに来たのに」
「他に女がいるんでしょ?」
酷いのはあなたの方でしょ? 切り返したくなるのを堪えてわたしが問い詰めると、礁太は驚きで目を丸くした。
予感的中だ。そう思って睨み付けると、笑顔の礁太と目が合った。
わたしは虚を突かれて、視線を外した。
「僕にはこーやしかいませんよ」
「嘘はいらないの。連絡ひとつないってことは他に誰かいるんでしょ」
「嬉しいなぁ」
礁太の言うことが全く理解できなかった。
何が嬉しいのだろう。前に怒った顔が見たいとか言っていたけれど、それのせいだろうか。
「こーやが妬いてくれてるんですもん。こんなに嬉しいことはないですよ」
満面の笑みを浮かべる礁太の頬を、ひっぱたきたい衝動にかられた。
「残念ながら仕事です。旅費を稼がなければいけませんでしたからね。連絡できなかったのは本当に申し訳ない」
「あぁ、仕事……ね」
これが父様や母様の言ったことだったら、信じられなかったはずだ。
遠くに住む礁太が、わざわざ言いに来る必要があるほどのことだろうか。そう考えれば、礁太の言うことも抵抗なく受け入れられた。
「……変な勘違いして、ごめん」
「いいえ。勘違いされるようなことをした僕も悪いんです」
ですが、と礁太は続けた。
「僕からこーやにひとつだけ命令していいですか?」
「命令?」
「僕を疑った罰です」
礁太は無垢な笑顔をわたしに向ける。その表情からは、何を考えているのかが全く汲み取れなかった。
礁太のことを、これほどまでに恐ろしいと思ったことはなかった。けれど、それ相応のことをしてしまったのだから、と自分に言い聞かせた。
「いいよ」
「僕のことを“礁太さん”と呼ぶな。以上です」
表情は冷たく、口調は厳しかった。礁太がそんな風に話すのを聞いたのは、初めてだ。
心臓がきゅっと縮こまり、呼吸が苦しくなる。わたしは、無意識のうちに頷いていた。
「そんな簡単なことでいいの?」
動揺していることに気付かれるのは嫌だったから、極力普段と同じように答えようとした。けれど、わたしの声は自分でもわかるほどに上ずっていた。
「何があったか知りませんが、急に距離を置かれたみたいでつらいんですよ。わかりますか? 光弥サン?」
冗談っぽく言っているが、本音であることに間違いない。わたしはショウの命令を聞き入れることにした。
久し振りのショウとのデート。
男と女が二人きりで遊ぶことを“デート”というのだと教えてくれたのもショウだった。
いつもお世話になっているショウのために、今日はサプライズを用意した。
「ショウ!」
やはり先に来ていたショウの元へ、急いで泳ぐ。急ぎ過ぎたせいで、母様から借りた帽子が外れてしまった。
「あっ……」
わたしとショウが同時に声を上げた。
わたしは急いで帽子を回収すると、ショウの前で乱れた髪を整えた。
「こーやったら、僕の冗談を真に受けてくれたんですね」
ショウの視線は、わたしの髪にくぎ付けになっていた。
髪を切った日の母様の驚きようは酷かった。
髪の長さと美しさが全ての世界で生きてきたのだから、これも仕方のない反応なのだろう。
わたしは髪を肩上で切り揃えてしまったのだから。
母様は、わたしが“デート”に行くと話すと、髪型に対する小言は言わなかった。
“デート”というのは魔法の言葉なのかもしれない。




