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ケーキ 中編

「そういう事か、それならそうと言っておくれよ。えっと……三成さんだったね、すまなかった。」

「いえ、誤解が解けたようで何より……」


 釈然としない、そうまざまざと顔に表している三成に、やっと意趣返しが出来たと八千代はほくそ笑む。

 個人劇団のメンバー、十も年下のお嫁さんに尻に敷かれた私立探偵、そんな説明をされてはこんな顔にもなるだろう。私立探偵、以外はデタラメである。


「一応、訂正させて貰えば。私と弥勒君はそういった仲では無いからね?」

「いつまで逃げ切れるかしらね? 一途な子は凄いわよ、貴方の心配は的外れなくらい。」

「彼女の知り合いだったのかな?」

「見たら分かるわ。女の勘よ。」

「あ〜……そうかい。」


 ヒソヒソとした相談を打ち切った彼が、兄を観察しているのを横目に珈琲を一口含む。

 独特の苦味と共に、口内を満たす香り。子供の頃は何が良いのかよく分からなかったが、今では落ち着くいい香りだ。

 そんな彼女の横から、悩ましいという感情を押し出した声が漏れ出てくる。


「しかし、君とは何処かで……」

「似た顔が多いでしょうから。」

「そんな事はないと思うけどね。私はあまり、西洋風な顔は見ない場所で暮らしているから。」

「クォーターなんですよ、ほとんど変わらない。職業柄、人体に詳しい故にそう思うだけでしょう。」

「君はかなり私のことを知っているようだね? この業界でだって、知らないと言われても珍しく無いのに。」

「性分でして。」


 のらりくらりと、互いに追求を交わしあっている二人の横で、八千代は別のことを考えていた。あの日についての追求である。

 しかし、それを兄の前で出せば、この過保護な兄が卒倒しかねないのは理解していた。どうにか役立ちそうなこの探偵を、引っ張って行けないものか……もしくは、隠れている彼の巣穴を見つけるのでもいい。


「っと、失礼。この後に約束がありましてね。」

「奥様ですか?」

「……まぁ、そんなところです。」


 少し恨めしそうに八千代へと視線を送る三成だが、彼女は何処吹く風とばかりに珈琲を飲み干した。


「それで? 私の質問には答えてくれないのかしら。」

「と、言うと?」

「何故、隠れているのか、よ。」

「元からこんなものさ。」

「あら、少なくともホームページとチラシくらいはあったのだけれど? なんで消えちゃったのかしらね。」

「……実に用意周到な事で。」


 八千代の差し出したスクリーンショットに、溜息を零した彼がメモ用紙を一枚取り出した。サラサラとそこに書き留めたのは、どこかの住所。アパートの一室の様だ。

 見上げた彼女に、彼は荷物をまとめながら立ち上がる。


「私が所有している部屋の一つだ、空き部屋だから郵便受けにでもメッセージを入れておいてくれたまえ。その場所なら一週間以内には巡っているから、比較的早く把握出来るだろう。」

「……何個、部屋を持っているのか聞いても?」

「十を超えてからは数えて無いよ。それより、気をつけた方がいい。君は艶やかでありながら逞しく、非常に強かだが……好奇心が些か強すぎる。」

「前に進むのに、大事に荷物を背負い込んだって重りになるだけよ?」


 挑発的に笑う八千代に、目を細めた三成から笑みが消える。珍しい顔に全員が驚く中、彼は一言だけ零した。


「お兄さんが手の届く範囲にするんだね。それでは、私はお暇しよう。蝎宮殿も、より一層のご活躍を。」


 顔にいつものアルカイックスマイルを貼り戻し、兄へと頭を下げた彼は、マスターにお代を置いて店を出ていった。チリン、となったベルが彼の居なくなった空間を再始動させる。


「あ、また多い。伝票通りに払ってくれた試しが無いんだよな……」

「届けに行きましょうか?」

「いや、次回の支払いに回しておくよ。こうして何回かに一回、無料にしていくんだよな、彼……」


 また来るって言う合図みたいなものだ、と朗らかに笑うマスターは少し楽しそうだ。来た時もお土産を尋ねていたし、なんだかんだ、こういった客の来訪も楽しみにしているのだろう。

 楽しみ。そう、楽しみだ。興味と言い換えてもいい。自分には無いもの。

 女優であることに誇りも満足も持っている。だが、そもそも「模範となり発言力を強め、自分の信念を受け入れさせる」事が目標であり、きっかけ。情熱が入りきっていないのだろうか。

 今の焦り、これはもしかしたら、そういった眩しいものを見た反動なのかもしれない。


(あの七日間は、誰もが自分の欲に素直な日々だったものね……あぁ、でも。彼女はそうでも無かったかしら?)


 展望台で過ごした一夜を思い出し、すぐにそれを振り払って立ち上がる。まだ今日は長い、過去を思い起こすなら、夢へ訪れる前で事足りる。

 今日くらいは羽を伸ばそうかと兄へと視線をやった時だった。彼の荷物が、静かな店内へと振動音を伝える。着信のようだ。


「お仕事かしら?」

「まさか、私以外にも優秀な医師は多い。休みに呼び出されるようなことは早々無いと思うけど……」


 画面をチラと確認し、首を傾げた彼が一言断ってから電話に出る。職場からでは無いようだった。


「もしもし……あぁ、そうだが。なんともならないだろう? そこをなんとかって……え? なんでそうなるんだ? あぁもう、分かったよ。」


 言いくるめられたらしい兄から電話を変われば、懐かしい声が電話口から聞こえてくる。確か、学生の頃に兄の職場に行けば、たまに顔を合わせていた看護師の声だ。今は遠方に居ると聞いたが、何かあったのだろうか。


『あ、八千代ちゃん? ちょっとそこのシスコンを説得するの、手伝って貰えない?』

「どうされたんですか? いきなり。」

『あ、御立腹? ごめんごめん、でも此方も急用でね。少しお兄さん借りられない? 緊急手術。連絡してすぐに動けそうな凄いお医者さん、お兄さんくらいしか思いつかなくて。』

「其方の医師は居られないんですか?」

『まさに、そのお医者さんが患者なのよ。小さな町だから他所の病院も人が足りないし。患者は魔羯さん五十四歳、車で山に落っこちて枝やらガラスやら……とにかく生きてるのが不思議なの。手術室の準備と延命くらいなら私もできるから、ダメ元でも何とかならない?』


 なるほど、話を聞けば助かりそうもない患者だ。大概の人は渋るだろうし、そもそもクリスマスのこの時期、浮かれて怪我をする人も多い現状で必ず休みを取っている兄は貴重な光明だったのだろう。

 しかし、魔羯……何処かで聞いた気もする。いや、今はそんな事を考えている場合ではないか。


「だって、兄さん。助けられそう?」

「診てみない事には、何も言えないさ。」

「私が助けて上げて欲しいって言ったら?」

「止まっている心臓にも動いて貰おう。でも、良いのかい?」

「あのね、私も子供や新婚夫婦って訳でもないんだし、これくらいでへそ曲げたりしないわよ。あの人にもお世話になったんだし。」


 サバサバとした性格で非常に人懐こい彼女は、八千代の練習を見てくれたり色々な所へ連れて行って経験を積ませてくれたりしたものだ。

 頼みを無下にはしたくない相手だ。同僚の妹というだけでここまで良くしてくれたのだし、兄も世話になった相手ではあるだろう。


「分かったよ。私も救える命があるなら、可能性を捨てたくは無い。そうなると時間が惜しいね、車を出そう。高速に乗れば鉄道より早いはずだ、乗り換えも無いしね。」

「あら、それならうってつけの運転手が居るわ?」

「あ〜……あんまりオススメしないぞ。乗った事があるから分かるが、酔い止めと遺書が欲しくなる。」


 空になったコーヒーカップを下げながら、マスターが渋い顔をする。どんな敬意で乗ることになったのかは気になるが、それよりも彼が遠くに行ってしまう前に捕まえないといけない。


「もしかして、さっきの彼かい?」

「えぇ、多分あの子と合流するなら……あのお店かしらね。」


 この辺りのカフェは覚えている。その中から出会った彼女が好みそうな場所を探せばいい。あの男は自分の好みを語らないだろうし、そうなれば自然と慣れた場所へ向かうのが人情だ。

 彼が珍しくケーキを買ってきたのも、それを好む人と会う予定があって意識していたから目に付いたと考えられる。彼女と会う予定だというのは、分のいい賭けだろう。


「お邪魔じゃないのかな。」

「私も彼女に用があるの。人命が関わるなら、優先しても良いんじゃない?」

「後で埋め合わせをしないとね。」

「それは考えてるわ、大丈夫。」

「それなら早く行った方が良い、今日は僕の奢りだ。」


 ヒラヒラと手を振るマスターに会釈をし、店を出て目的地を目指す……必要は無かった。店の前で捕まっている三成が立っていたからだ。


「遅れる時は連絡くださいって言ったじゃ無いですか。」

「すまなかったよ。スマホが無い事に気づいた時には、戻るより向かった方が早かったんだ。」

「その割には寄り道してたようですけど。」

「目に入るとつい、ね。」

「また失踪されたのかと思いましたけど。」

「それは……本当にすまない。」


 彼を引き止めた事に少しばかり後ろめたい想いが湧いたものの、急ぎの要件である以上眺めている訳にも行かない。三成の愛車がどこに停められているかも分からないのだ。

 八千代が声をかけようとすると、一足先に兄が前へでる。


「取り込み中すまない。火急の用事があり、協力願いたい。」

「……? この方は?」

「すまない、奥方。せっかくの日だが、彼をお借りしても良いだろうか。」

「奥……!?」


 あぁ、後ろで天を仰ぐ彼は非常に見物だ。もう少し楽しみたいところだが、この場で求められる役割は彼女への説明だろう。


「彼女の方は私が話すから、兄さんをお願いするわね?」

「お願いも何も、私は何も……」

「お医者の魔羯さん、五十四歳。現在、事故で危篤……兄の経歴は知ってるわよね?」

「……なるほど、それなら無下には出来ないね。蝎宮殿、私の車庫は四駅先だ。必要な物は?」

「助かる。身一つで十分だ、残りは向こうに揃っているだろう。燃料と高速代は支払おう。」

「いや、構わないとも。どうも患者は、死んでもらっては困る相手らしくてね。最善を尽くして貰えればいい……そうだ、酔い止めとマウスピースを渡しておく。」


 渡されたものを眺めて固まり、此方に視線を向ける兄に心でガッツポーズを送り、再起動してくれない女性を連れていく事にする。

 楽しい説明の時間になりそうだ、と内心笑みを深めながら。

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