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ハーモニカ 中編

 放送室を不法占拠している自覚はあった。だが、まさか二週間に一度も集まれないとは。夏休みに学校に忍び込むのは、もはや不可能らしい。

 目をつけられているのだろうなぁ、とか。校内で起きた出来事の責任を果たす力が無い、とか。理由は幾らでも思いつくし、納得もあるのだが。出し抜けないかと思案する自分がいる。


「収録は出来なくても、せめて音合わせくらいさ……」


 のめり込んでるな、と自分の思考に珍しさを覚えつつも、街を散策する。メロディは響弥が作る事が多いが、歌詞は那凪だ。今回の曲も、イメージは浮かんでいるが歌詞は未定。Ah、と発音しているに過ぎない。

 こういう時は、那凪は放浪するのだ。慣れた街、行かない道、未知の駅。全てインスピレーションを与えてくれる。


「ん? 彼女……もしかして転校生?」


 顔と名前を覚えるのはコミュニケーションの基本。同じ学年の生徒のそれは全て覚えている筈だ。

 しかし、休みだというのに制服に身を包んだ少女は覚えが無い。襟の色とあのデザインは、同じ学年の筈なのに、だ。


「あれ……完全に迷ってるよね。」


 スマホと周囲を、視線が行ったり来たり。帰りなら納得出来るが、学校へ行くのなら反対方向だ。というか、ここは町内ですらない。

 そろそろ帰ろうかと思っていたのだ、もののついでだと声をかける。自宅は学校にほど近いし、帰りだとしてもこっちでは無いだろう。というか、行ったなら帰ってくるのに迷うとも思えなかった。


「やぁ、こんにちは。雨夜(あまよ)さん……で良いんだよね。」

「はぁ? アンタ誰?」


 わぁ、態度悪ぅ……と喉元まで登った言葉を飲み下して、笑みを貼り付ける。コミユニケーションで大事なのは印象。表情と声音、身嗜み。それを取り繕う術は心得ている。


「クラスメート、ってところかな。一学期にはまだ、顔合わせして無かったよね。」

「行ってねぇからな。」

「だから、初めましてって挨拶かな?」

「はぁ? 九月でいーじゃん。」

「今なら道案内役も着いてお得です、って言う感じで。どう? 自己紹介的な。」

「うざ。」


 嫌がる素振りは見せるが、去れとは言わないらしい。察して去れという事なのか、助けろという事なのか。まだ彼女の事を掴みきれていない。

 もう少し、他愛のない話でも続けて見よう。無視されていないということは、続ける意思はあるのだろう。


「もしかして、自己紹介とかは苦手?」

「見て分かんない?」

「それなら、僕から聞いてもいいかい?」

「……はぁ、好きにすれば。」


 成功。とりあえず拒絶されない距離らしい。もう少し踏み込んで見る。


「さっきも言ったけど、僕は君のクラスメート。天野 那凪って言うんだ。よろしくね、雨夜ちゃん。」

「ちゃんとか呼ぶな。」

「ん、どう呼んで欲しいとかある?」

「さんで良いだろ、さんで。」

「りょーかい。奏葉(そうは)さん、でいいのかな?」

「おちょくってんのか?」

「ごめん、雨夜さん。」


 踏み込みすぎたらしい。友人はご所望では無い、と。心にメモを取り、会話を続けていく。


「学校の帰り?」

「早ぇだろ、まだ朝だぞ。」

「えっと、行き先?」

「だったら何だよ。」

「ん〜、その〜……逆かなぁ、って。」

「…………うっせぇ!!」


 痛い。照れ隠しなのか怒ったのか、頬に炸裂した平手打ちの鋭いこと。歯が飛んだかと思った。

 ヤベ、と小さく聞こえた事と、少し距離を保ったまま此方を伺っているので、警戒か罪悪感はあるようだ。どっちも緩和するなら、とヘラリとして立ち上がる。


「ごめんごめん。」

「いや、今のは……その、アタシが悪かった。ごめん。」

「へ?」

「んだよ!」

「なんでもないです!」


 まさか謝られるとは。意外だと思ったのが態度に出てしまった。とはいえ、自覚はあったのだろう、それでへそを曲げる事は無さそうだ。

 単純に素直じゃないタイプかな、と結論を出した那凪は、少し強めに出てみる事にした。


「とりあえず、用事とかなら学校に連絡とかした?」

「今日中とか言ってたし、必要ねぇだろ。」

「道とか教えてくれたかも?」

「迷って━━ねぇ、とは、言えねぇ、けど……」


 期限ギリギリに提出するタイプか〜と親近感を覚えつつ、尻すぼみになる言葉を何とか拾う。迷ってることを認めてくれたなら話は早いだろう。

 乗りかかったなんとやら、である。道案内は最後までする。ただ、早く終わらせて帰りたかった。ひっぱたいて来るような女の子とは、あまり一緒に居たくない。


「なら、一緒に来る? 方角一緒だけど。」

「はぁ? なんでアンタと。」

「来ないなら僕、帰るけど。まぁ、学校の隣の通りなんだけどね。」

「……偶然。行き先が同じだけで、着いてくとかじゃねぇから。」

「そりゃ残念。あ、話しかけていい?」

「黙れ。」

「あ、はい。」


 面倒なプライド持ち、と。新学期も近寄らないようにしようと心に決めて、那凪は駅に入る。後ろから驚いたような声が聞こえて振り返ると、何でもねぇ! と怒鳴られる。

 改札を潜るが、背後に着いてくる様子が無い。怪訝に思って振り返るが、彼女は改札の前で辺りを見回してまごついていた。


「……すいません、ちょっと戻っていいですか? 買い忘れた物があって。」

「えぇ、どうぞ。」


 戻った先で彼女が見ていたのは、通り過ぎていく人の手元。なるほど、歩いて来たらしい。


「電車、初めて?」

「だったらなんだよ。」

「このカードで通るのは知ってる?」

「知ってんだよ。」


 今知ったんだろうなぁ、というのは心に留めておき、券売機を探す。目の前にあった、探すまでも無い。漢字も読めるお年頃だろうし、これは財布を持っていない可能性も考えられる。


「あ〜……うん、そっか。」

「そーだよ……行けば?」


 少し泣きそうだが。流石にここで置いていくのは……というか周囲の目が痛い。これは僕が制服の女の子を泣かしているように見えるんだろうな、と予想がつく。

 ツリ目だが童顔の彼女と、洒落こんで大人びた自分。うん、不味い。


「いやぁ、実は僕の残高を確認して無くてさ、持ってないかなぁって戻ってきたんだけど。今日は無かったのかな。」

「はぁ? アタシに払わせる気かよ。」

「ごめんって。仕方ないから、僕は歩いてくよ。」

「そーかよ……アリガト。」


 背中じゃ無くて顔を見て言えば良いのに、とは言わないでおく。というか、流石に苦しい言い訳だったのか……だが持ってないとは思わなかったのだ、今度から良い選択肢を用意しておこう。

 そんな事を考えて誤魔化そうにも、心のゲンナリは収まらない。五駅は離れている、この距離を歩くな、というか歩いた後でこの態度か元気良いな。

 胸中の文句の嵐はあるが、まぁ散策は当初の目的だ。体力作りと思って頑張ればいい。健康促進という奴である。

 しかし、すぐに着く距離でも無く。元々朝も遅かったのだ、昼前になれば日がしっかりとし、真夏日に近い猛暑が容赦なく体力を奪う。薄手の上着の自分も辛いのに、夏服とはいえ制服の彼女はもっとだろう。


「はぁ……新しい靴買おうと思ってたんだけどな。」


 財布を覗いた那凪が、奏葉へと振り向く。案の定というべきか、彼女の顔色は少し悪い。

 無言で喫茶店に入る那凪に、恨めしい目を向ける彼女の前で、那凪は指を二本立てた。


「あ、二名で。」

「かしこまりました。奥の席へどうぞ。」

「だってさ?」

「は? あぁ!?」


 半ば強引に引きずっていく那凪に、疑いの目が刺さる。心が痛い。というか、腫れた右の頬がそれを強めている気もする。首を突っ込まなければ良かった、と後悔するのも、少し遅かったか。


「何考えてんだ、テメェ。」

「疲れたから。あと、どうせならこれを君に確認して貰おうかなって。」

「はぁ? ……何これ、詩?」

「ま、そんなとこ。テキトーに感想でもちょうだいよ。あ、コーヒーで良い? カフェインとか大丈夫?」

「アタシのもかよ?」

「一人で飲むのヤだし。経験はできる限り共有したいんだよ。」


 内心、救急車を呼ぶのは御免だしね、と舌を出してメニューを渡す。どうも彼女、人を頼るより我慢の方が好きらしい。自分の体力を考えられないのはバカの所業だな、と段々見下す想いを強めているが、媚びへつらうよりは好感は持てる。

 とりあえず、放っておこうとならない程度には。どうせ暇な一日が潰れるだけなのだから。


「……みz」

「こういう時、注文してくれない人ってお店からしたらヤだよね〜。」

「…………メロンソーダ。」

「はいはいっと。すいません、注文良いですか〜?」


 先程より適当に対応されているのが分かったのか、不機嫌な顔をする目の前の少女からは顔を背け、窓の外を眺める。

 メモをしていたスマホは彼女の手元、歌詞の続きは頭の中で練るしかない。何度も聞いた今回の曲のメロディーを、頭の中で思い浮かべる。四拍、四拍、続いて三拍、伸ばして再び四拍。


「なぁ。」

「ん? どうかした?」

「ここ、「遥か先まで」より「遠く目指し」とかのがリズム合ってんじゃねぇの? 終わりが伸ばし易い音だしよ。」

「なるほど、確かに。ありが……え?」

「んだよ、お前の鼻歌のメロディの歌詞だろ?」

「あ、歌ってた?」


 油断してた……では無い。それはいい。

 どこから出ていたのか知らないが、数節しか考えていなかった。全て出ていたとしても曲の全貌は分からない筈だ。


「えっと、なんで分かって……」

「文字数が同じで韻踏んでんだし、ここは同じメロディだろ?」

「そうだけど……一回聞いただけで全部に当てはめたの?」

「あん? 聞くような事かよ。お前が感想くれっつったんじゃん。」

「いや、まぁ……こんなしっかりくれるとは思わなくて。笑ったりしないんだね。」

「はぁ? 何ページも書くぐらいやりこんでんならマジなんだろ、笑う訳ねぇじゃん。そこまで性格悪く見えっかよ。」


 見える、というのは黙っておいて。一言謝った那凪は、届いたアイスコーヒーを一口飲む。暑さで茹だっていた口内と思考が、サッと解されていく。

 彼女の事は、上方修正した方が良いかもしれない。少し掴みにくい性格だが、人間不信のおバカ、と片付けるには惜しい気もしてきた。それに……もしかしたら必要な逸材かもしれない。


「ねぇ、この後、僕に付き合って貰えない?」

「……はぁ?」

「道案内のお礼、的な。」

「何すんだよ。」

「音楽。」

「ヤダ。」


 素っ気ない。そっか、とだけ返して飲み物を飲みながらメモに続きを書いていた。ただの可能性だ、躍起になる程じゃない。

 その後は、他愛ない話題を振ってはあしらわれるままに歩くこと数時間。学校に送り届けた彼女を先生に任せ、さっさと家に帰っていった。




 新学期。結局一度も集まることは出来ず、推薦の決まった那凪と響弥がのんびりしている図書館である。


「なんでお前らがアリで俺ダメなんだよ〜!」

「だって、ゴウはバカじゃん?」

「くっそ〜、でもバンドは続けっからな。」

「それなら、僕らで勉強を見れば良いよ。同じ高校に行かないとさ、続けるのも大変だろ? 僕は轟斗くんともっと続けたいよ、音楽。」

「ま、まぁ? それは俺もだけどよ。っぱ俺が必要っちゅーか?」


 チョロい。だが狙っていた訳では無いらしく、響弥は子供のような笑顔で励ましている。


「んで、那凪んは歌詞出来たん?」

「とりあえずは。というか送ったでしょ?」

「いや、俺スマホ壊れたんだって。」

「初耳だけど?」


 さも当たり前のように言われても、と文句を返す那凪だが、その声は扉が勢いよく開く音にかき消される。

 何事かと三人が振り向いた先には、ツリ目の少女が此方を見て仁王立ち。轟斗が口笛を吹いて髪を気にしだしたが、そんな事はお構い無しとばかりに近づいてきた彼女……奏葉が那凪の前に立つ。


「え、なに? 那凪んの知り合い?」

「浮かれまくってる君のクラスメイトだよ。」

「あ、転校生! えっと、確か……」

「勝手に探って分かったような態度取るんじゃねぇよ、ボケ。」


 少し大きな制服をピシッと着て、後ろで一纏めにした黒髪を肩に流す彼女は、どちらかと言えば可愛いと呼べる容姿。そこから溢れてくるハスキーな罵倒。

 ビシりと固まった友人に共感を覚えながら、どうしたものかと思案する。とはいえ、真正面に立たれている以上、とりあえず聞くことは決まったか。


「それで、何か用事かな?」

「あぁ、ちょっとツラ貸せよ。」

「えぇ……せめて要件くらい教えてくれても良くないかな。」

「那凪んが食い下がってら、珍しぃの。」

「外野は黙ってろよ。」


 睨まれた轟斗が肩を竦めて引き下がる。その態度に一歩を踏み出した彼女を諌めるように立ち上がり、図書室から退散する。後で一缶奢りだと内心で毒づきながら、連れてきた彼女を解放する。


「アンタ、連む奴ら選んだら?」

「お節介で軽率だけど、根はいい奴だよ。それで、どんな御用かな?」

「ほら、先月に一緒に学校行ったろ。」

「案内した時だよね。」

「ちょうどいいとか抜かして、お前に校内の案内とか放り投げられてんぞ。アタシの面倒見ろってよ。」

「……え?」


 事前説明くらいしろよクソ教師、と吐かなかった自分を褒めたい。その時の那凪はそんな気分だった。

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