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隣で「おはよう」と笑う君を見たいから  作者: 山田 太郎丸
第三章 愛の炎は夜空の星より煌めいて

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54.迎えに来たぞ

 



 道の先に薄い光が見えてきた。それはつまり、姉妹の短い逃避行が終わりを迎えたということ。10分にも満たない時間だったが、二人にとっては何事にも代え難いものであった。

 琴乃が懐中電灯代わりに使っていたスマホを少し操作して、行きましょう、と綾乃を促す。


 だが、誰も知らないはずのその部屋には1つの人影。

 それは、この場に一番あってはならないものだった。


「家の中にこんなものまで作って………かくれんぼは楽しかったか、二人とも?」


「………な、なんで………。どうしてここに………」


「………やはり、見つかってしまいましたか………」


 そこには氷川(しげる)、彼女たちの父親が待っていた。感情の籠っていない眼と、少し痩せこけた頬が特徴であり、綾乃のそれとは似て非なる、人間らしい心というものを全く感じないような人物だ。


「どうして、か。自分の家の構造くらい把握していて当然だろう。…さあ、戻りなさい。今ならまだ不問にしてやれるが」


「………あと、少しだったのに………。………ごめんなさい、私がもう少し慎重に動けていれば」


「…仕方ないわ。琴乃はよく頑張ってくれたし、私が少し我慢すれば丸く収まる話だもの」


 本当はお見合いを適当に流して、すぐに帰るつもりだった。でも花火大会は今日の夜だから、確実に間に合わないだろう。

 こんなことになると分かっていたら、浴衣を着ようなんて絶対に考えなかったのに。


 後悔してももう遅いと分かっている。でも優心のことを思い出して、どうしても悔いが残る。


 ………ああ、本当に好きだったんだなぁ。彼の笑顔を思い浮かべるだけで、心が安らいでいく。彼と一緒にいた時間を思い出すだけで、胸が暖かくなる。




 それでももう、彼と会えないって考えてしまって………………涙が、止まらなくなる………。




「そう、我慢すれば………………うっ、うぅ……………うあああぁぁぁぁ……………」


 綾乃はその場で嗚咽をあげて、崩れ落ちる。頭では分かっていても、心は簡単に割り切れない。

 それは優心のことを深く愛していたという何よりの証拠。

 しかし同時に、優心のことを諦めた、ということでもある。




 だが、諦めるにはまだ早かったのかもしれない。

 最後まで足掻き続けた者が、まだいたのだ。


「………………!姉様、もう、大丈夫ですよ」


「それって、どういう………」


 どういうことだと綾乃が尋ねようとしたその時、唐突に扉が開く。


 その扉を開けたのはもちろん、心のどこかでずっと待ち望んでいた、想い人。







「遅くなって悪かった、綾乃。迎えに来たぞ」


「………………ひぐっ………ゆゔ、しん………!」


 優心が、手を差し伸べていた。




 ——— ——— ——— ——— ——— ——— ——— ——— ———




 遡ること20分前。


 一行は氷川家に到着したものの、面会の約束が無いという理由で門前払いを食らっていた。




「はてさて、困りましたなぁ………」


「キノじい、どうにかならないの?」


「出来ないことはないのですが、少々手荒になってしまうのですよ」


 見たところ、この使用人の男はまだまだ若造でしょう。少し可哀想ですが…優心様たちのためです。こんな爺の話に付き合ってくれたのですから、少しくらい報いなければ。


「怪我させない?」


「ほほ、こんな老人にはそんな力ありませぬよ」


「じゃあどうやって?」


「待っていて下さい、すぐ終わりますので」




 ーーーさて、久々に気合を入れますかな。










 5分後。そこにあったのは、すっかり怯えきった涙目の門番の姿だった。




「さて、皆様、参りましょうか」


「怖っ、何したんだよ」


「ハル、多分聞かない方がいいやつだよこれ」


「そうだぞ春馬。今はそれどころじゃないだろ?」


 何をしたのかは分からないけど、キノじいが近づくだけで「ヒッ!?」って言ってる辺り、知らない方がいいであろうことをしたのだろう。


「案内、して下さいますね?」


「はっ、はい!こちらです!」


「うわぁ、なんか可哀想になってくるよ………」


 雛は終始ドン引きしていた。







 そうして案内されたのは、綾乃が元々いた部屋。

 その時には既に綾乃はおらず、部屋はもぬけの殻。

 門番の人も知らない様子で、顔を青ざめさせていた。


 なんにせよ、これで振り出しに戻ったと思われたその時。雛のスマホに一件のメッセージが届いた。




「………なるほど、そういうことかぁ。ねえ門番さん、この屋敷に全く使われてない部屋ってある?」


「あるにはありますが………そこに行ってどうするというのです?」


「案内して下さい」


「ヒィッ!?はいっ、今すぐに!」


 すっかり従順になっている………キノじい恐るべし。




 ——— ——— ——— ——— ——— ——— ——— ——— ———




 話は現在に戻る。


 優心は、ぐちゃぐちゃに泣き腫らした綾乃の顔を見て、2つの怒りが湧き上がっていた。


 一つは、もっと早く助けに来られなかった自分への怒り。


 もう一つは、涙を流す綾乃を無表情で見下ろす、綾乃の父親であろう男への怒りだ。




「ごめんな綾乃、もっと早く来れなくて」


「………ううん、いいの。助けにっ、来てくれただけで、嬉しいから」


「助けに………そうか。ーーーーあなた、綾乃に何をしたんですか」


 何もされてなければ、助けに来る、なんて言い方はしない。綾乃がこうまでなってしまった理由が必ずあるということだ。


「………別に私は何もしていないさ。ただ家出した娘を連れ戻しただけだ」


「そこに綾乃の意思はあるんですか」


「綾乃は、あくまでも自分の意思で帰ってきたはずだ。………違うかね?」


 男は未だしゃがみ込んだままの綾乃に感情の籠っていない目線を向ける。ーーーそれは、とても親が娘を見る視線だとは思えなかった。


「最初は、そうだったかもしれません。でも今は確実に違うと言えます。こうなると分かっていたら、私は絶対、ここには来ませんでした」


「ふむ、そうか………ならば」




 男が綾乃に手を突き出したその時、




「お待ち下さい、繁様」


「貴方は………木野さん、なぜ貴方のような方がここに」


 部屋の外で待機していたキノじいが割って入った。


「いえいえ、貴方宛に伝言を預かっているものでして」


「伝言………?失礼、お聞かせ願えますか」


 キノじいは小さく頷き、伝言を読み上げる。




『繁、残念だがお前の目論みは失敗に終わりそうだぞ。………いや、ある意味では成功と言えるかもしれないな』


「………昏人か………続けて下さい」


『まだ幸一との約束を律儀に守ってるんだろ。でも本人たちがそれを望むかは別問題じゃないのか?』


「父さんとの約束………?」


「そうか、この子が………」


 父さんと友人だったのは分かったが、約束ってなんだ?当然そんな話は聞かされてないし、ましてやそれが綾乃と関係があるような感じだが………


『僕たちの時代とは違うんだ。古くさい考えを、子供たちに押し付けるべきではないんじゃないかなぁ』


「誠治までも………そんなことは百も承知だ。だが、私はあいつの遺志を………」


『君は馬鹿真面目だからこそ、こんな強引な手段を採ったのかもしれないけどねぇ。果たして兄さんはそれを望むかな?』


『幸一ならまず、本人たちの意思を尊重すると思うけどね。あれを軽い気持ちで言ったとは思わないけど、そろそろ私たちも幸一の死から卒業する時が来たのだと思うよ』


「………以上でございます。それでは私はこれで」


「木野さん、ありがとうございます。………私は一体どこで間違えたのでしょうか」


「ほほ、それはご自分で考えるのが宜しいかと。ただ…そうですね。強いて申し上げるなら、少し幸一様に囚われすぎていたのではと」


 そのままキノじいは部屋を後にした。氷川さんの父親………繁さんは、何かを考え込んでいるようだった。


 考えがまとまったのか、俯きかかっていた顔をこちらへ向け、口を開く。




「………君が優心くんだね」


「…はい。初めまして、戸張 優心と申します」


「氷川 繁だ。挨拶が遅くなって申し訳ない。本来ならあの事故の直後に行くべきだったのだが、丁度色々と立て込んでしまっている時期だったのだよ」


 繁さんはそれに、と付け加え、


「君もあの事故で意識を失っていただろう。一度お見舞いに行かせてもらったよ。まだ目覚めてはいなかったがね」


「そうだったんですか、ありがとうございます。でもそれとこれとは話が別です。なぜこんなことをしたんですか?」


 そんな話を聞いたところで俺の怒りは収まらない。綾乃にしたことは許せないし、しかもそこに綾乃の意思はないときた。

 ああ、ダメだ。怒りが収まるどころか、むしろ溢れ出てくるようだ。


 そんな俺を見かねてか、春馬と雛が近づいてくる。


「優心、落ち着け。手ぇ出したら負けだって分かってんだろ?」


「トバっち、あーちゃんの顔見てよ。そしたら気持ちも抑えられるでしょ?」


 そう言われて綾乃の顔を見る。涙は止まっていて、代わりに心配そうな顔でこちらを見つめていた。

 少しずつ熱が引いていくのを感じる。冷静になって振り返ってみると、少しムキになってた部分はあったかもな。


 うん、今なら落ち着いて話を聞ける気がする。


「改めて聞きますが、なぜこんなことを?“約束”ってなんですか?」


「………その話をする前に、少しばかり昔話をする必要があるな」




 そうして繁は、ここに至るまでに何があったのかを語りだす。



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