36.心のままに
特に大事に至ることも無く、翌朝目覚めた時にはすっかり健康になっていた。
そして、優心の枕元にはここにいるはずの無い人物。
(な、なんで俺の寝室に綾乃が…………)
そこには優心のベッドに寄りかかって、すぅすぅと寝息を立てている綾乃の姿があった。
昨晩は、確か夕食後に帰ったはず。俺はそのまま寝てしまったから家を出たところは見ていないが、だからといって帰ってないことは無いだろう。
気持ちよさそうに眠っているところ悪いが、そろそろ起きてもらわなければ。
「綾乃、もう朝だぞ」
「……んぅ………うみゅう……?」
うみゅうって。うみゅうって!なんだよそれ、可愛すぎるだろ!朝から心臓に悪いな………
普段なら早起きしているため絶対に見られない寝ぼけ眼に蕩けきった声。ここまで無防備な姿は見たことがない。
「…優心?………なんで優心が私の部屋に………はっ!?まさか夜ば」
「待て待て待て!?そんなことするわけないだろ!?ここは俺の部屋だ!」
「優心の………あ。えーっと、確か昨日は忘れ物を取りに戻って、優心がちゃんと寝てるかどうか見に来たのよね。それで優心の寝顔を見てたらなんだか私まで眠くなってきて………」
なんて言い草だ。あろうことか夜這い疑惑までかけられて。俺がそんなことしないって分かってくれてると思ってたんだけどなぁ………
それはそれとして、何度も寝顔を見られてとても恥ずかしい。俺の寝顔なんか見るに耐えないだろうし、寝言とか言ってたら最悪だ。
「ごめんなさい、完全に私の責任なのに優心のせいにして………」
「いや気にしないでくれ。それよりも体調は大丈夫か?こんなとこで寝てたのもそうだし、俺の看病までしてくれてたんだから」
「自分の体調より他人の心配が先って……… 本当に貴方って人は」
分かってくれ綾乃。自分の好きな人が、自分のせいで苦しんでる姿は見たくないんだよ。でも今は分からないでほしいかな。
「はぁ…まあいいけど。もう今更だから気にしないわ」
「なんかごめん。俺はもう何ともないからさ。だから綾乃の方が気になっちゃったんだよ」
適当に理由づけして誤魔化す。実際俺は元気だし、昨日の怠さは嘘のように消えている。これも綾乃の看病のおかげだな。
少し怪訝そうな表情だが、一旦は納得してくれたみたいだ。そのまま綾乃は時計に目を向けると、
「あら、もうこんな時間。急いで朝ごはん作るわね」
「あー、いや。急がなくてもいいよ。もう夏休みなんだし、朝から用事も無いしね」
たまにはゆっくりしたっていいじゃないか。毎日朝早くに登校して、いざ夏休みとなったら俺のせいでドタバタしちゃったし、俺にしてみればむしろ綾乃こそゆっくり休んでほしいんだが。
「でも夏休みだからといって生活リズムを崩すのは嫌なのよ」
「寝起きで料理する気か?」
「大丈夫よ、優心と話してたら目が覚めたから。ちょっと待ってて」
「怪我しないようにな」
綾乃がそう言うなら信じるけど、心配なものは心配なのだ。俺もさっさと起きて寝ぼけてないか見ておこう。
まあ特に何事も無く。綾乃が作った朝食は手が込んでいるわけでは無いがとても美味しかった。やっぱり俺は貰いすぎてる気がするなあ。またお返ししなきゃだな。
「さて、私は1回自分の部屋に戻るわね。昨日は家事とか出来てないし、その…シャワーも浴びたいし…」
「分かった。あ、こっちに来る時はその合鍵を使ってくれていいから」
「いえ、これは返すわ。そもそも借りている物だし、もう必要ないから」
借りている?これは綾乃のものだって言って………なかった気がする。あの時は急いでて細かい話とかはしてなかったな。そもそも俺の家に定期的に来る人なんかほぼいないから合鍵なんて作る必要無いんだよな。
「あー……… 説明するの忘れてたんだけど、それ綾乃のために新しく作ったやつだから。毎日俺が帰ってくるまで待ってるの大変でしょ?そもそも俺の家に来る人なんか限られてるから返されても困るんだよね」
「………そういうことならありがたく受け取っておくわ。ふふ、なんだか私達新婚さんみたいね?」
………いい加減天然で言ってるのか疑わしくなってきたぞ。今日は朝から心臓がバクバクしっぱなしだ。そろそろ落ち着かせてほしいんだが………
「………大丈夫だと思うけど、あんまり他の人にそういうこと言うなよ?」
「私が貴方達以外と話してるところ見たことある?」
無いですね………これ以上考えたらやぶ蛇になりそうだからやめておこう。段々綾乃の顔がしぼんでいってる。
綾乃はいじけたように、
「ええそうよ、どうせ私はコミュ症よ………」
「別に無理して周りと関わる必要は無いだろ。綾乃は自分の生きたいように生きればいいんだから」
………なんて、少しクサいことを言ったかな。本心からの言葉だけど、やっぱり綾乃には幸せになってほしいし、もっと報われるべきだとも思う。以前のような表情は二度とさせたくない。
でも俺の理想を押し付けるわけにもいかない。他の誰よりも近いけど、俺達は恋人同士じゃないし、まだまだ綾乃は俺の手の届かない場所にいる。
もっと綾乃の隣に立つのに相応しい男にならなければ。
今はとりあえず女王様のご機嫌取りに勤しむとしよう。
「あんまりいじけないでくれ……… そうだ、看病してくれたお礼に何かしてほしいこととか無いか?欲しい物とかでもいいぞ」
「………何でも?」
「ああ、何でも…いや待て何させるつもりだ」
急に不穏な空気になってきたぞ。これでブランド物のバッグとか買ってくれって言われたらどうしよう………
「そんな大変なことでもないわよ。もう少し後の予定だから今は気にしなくていいわ」
そんなこと言われたらめっちゃ気になるんですけど。
綾乃のお願いならどんなことでも全力で応えるつもりだけど。
「それちゃんと俺に出来ることだよな?」
「大丈夫、むしろ優心にしか出来ないことだから」
俺にしか出来ないこと?そんなの無いだろ、俺は人並み以上のことは出来ないぞ。あ、荒事だけは多少心得があるけど。
とりあえず合鍵を渡せただけでもよしとしようか。
夏休みはまだまだ始まったばかり。
だが、これが激動の夏休みになることを優心は知る由も無かった。
これにて二章は終了となります!三章は少し気合いを入れて書く予定ですので、しばしお時間を頂きます。
再開は1週間後を予定してますがその間に番外編を投げるかもしれません。




