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隣で「おはよう」と笑う君を見たいから  作者: 山田 太郎丸
第二章 今はまだ遠くても誰よりも近いから

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35.本当の気持ち

 


 綾乃は買い物を終えて、思ったよりも早く帰宅することができた。

 寝室を覗くと、安らかに寝息を立てて寝ている想い人の姿があった。


(ふふっ、優心の寝顔可愛い。風邪を引いてるとは思えないほど安らかな寝顔ね)


 ちゃんと口に出したのはこの間が初めてだったけど、やっぱり私は優心が好き。だって他の人の寝顔を見てもこんなにドキドキはしない。


 思えば、好きになるのは結構早かった気がする。出会ったのは1年以上前だけど、その頃の私は誰も寄せ付けないようなオーラを出していたから、雛以外の人はあまり近寄ってこなかった。雛はどれだけ冷たくしても付き纏ってきたから諦めた。


 たまに男子から告白されることもあったけど、どれもこれも冷たくあしらってきた。優心と出会うまでは色恋に興味なんか無かったし、私なんかが恋愛なんてしていいはずが無かったから。



(でも、そういうのと関係なく近づいてきたのは貴方が初めてだったのよ?)



 貴方は初めて出会った時から、毎朝会う度にしつこく挨拶してきた。それにうんざりして登校時間をずらしたこともあった。

 それでも貴方は諦めなかった。懲りずに会う度に挨拶をして、時には無神経なことを言ってしまったり。



 一年が経って、また同じクラスになって。そんな折にあの出来事があった。

 雛は優心のことを王子様だなんて少し大袈裟に表していたけど、私にとっては本当に王子様みたいだった。

 護身術は学んでいたから、いざという時でも大丈夫だと思っていた。でも実際に襲われると習ったことなんか何の役にも立たない。大人相手では足がすくんで動かなくなる。


 そんな時、貴方が目の前に立ち塞がった。決して怯まずに一瞬で解決してしまった。その上、見返りに求めたのが挨拶だけ。私の心は一気に優心に傾いた。


 それでもすぐに好きになった訳じゃない………と思う。

 決定的だったのは私のために動いてくれていた時。屋上での話を聞いてしまった後、こんなに私に尽くしてくれる人なんてこの先の人生で見つかるだろうか、そう思った。

 今まで私に愛情を向けてくれたのはお手伝いさんだけ。お父様は私に愛情どころか親子としての情すら持っていなかったし、妹とも仲があまり良くなかった。お手伝いさんだって仕事だから、ああいう接し方だっただけかもしれない。


 こんな私のために何も聞かずに一緒にいてくれる。わがままだって聞いてくれる。自分のことを顧みないところは少し心配だけど、私が見ていなきゃって気持ちになる。

 この人が私に愛情を向けてくれるならどんなに幸せだろうか。想像するだけで胸がいっぱいになる。



「……んぅ……ん………綾乃……?」



 どうやら優心が目を覚ましたみたい。いつものように、感情を悟られないよう表情を消………いえ、もういらないわね。

 だって優心は私のことを信頼してるって言ってくれた。だったらもう、笑顔を見せない理由はない。


 望む形と少し違うかもしれないけど、どうせなら最高の笑顔で優心の願いを叶えてあげよう。



























「おはよう、優心」























 そう言って彼女は薄く笑った。決して満面の笑みではなかった。でも、今まで見た表情の中で一番笑っていて、一番柔らかい表情だった。


 そして優心は気づいてしまった。綾乃の笑顔の『おはよう』を聞いても満たされないことに。




 シチュエーションの問題ではない。この、抑えられない胸の高鳴りは、きっと。










 そうか、俺は綾乃のことが好きなんだ。










 もう、自分の気持ちから逃げるのはやめよう。俺は綾乃と過ごす時間が何よりも大切になっている。綾乃さえいてくれれば、他の全てを失ったとしても、世界を敵に回したとしても構わない。それだけの覚悟は出来てる。


 綾乃の全てを知りたい。綾乃と生きていきたい。ずっとそばにいてほしい。そんな想いが身体の奥底から溢れ出していく。


 でもこの想いを知られるわけにはいかない。何よりも彼女の幸せが一番だから。彼女が幸せであるならば、その隣にいるのは俺じゃなくてもいい。




「綾乃、今の………」


「あら、ずっとこうしてほしかったんじゃないの?あんまり嬉しくなさそうね」


「いや嬉しいよ。嬉しいんだけど、熱のせいかな。そう見えてないだけだよ」


「ならこれからは毎日言ってあげる」


 それは勘弁してほしい。いくらなんでも俺の心臓が持たない。


「色々買ってきたけど、まずは水分補給よね。それから薬を飲んで」


「分かった」


 最初に開けたスポーツドリンクはとっくに飲み切ってしまったので、綾乃が新しいものを買ってきてくれたようだ。おかゆを食べたからだろうか、先ほどよりも力が入る気がする。綾乃が見ているから下手なことは出来ないので、言う通りにしてもう一度寝ることにした。


「お腹は空いてない?」


「当分は大丈夫かな」


「じゃあ夕飯の頃になったら起こしに来るわね」


「いや俺はもう大丈夫だから帰ってもらっていいぞ?」


 これ以上俺のそばにいたら本当に感染してしまいそうだ。心配しすぎかもしれないが、せっかくの夏休みだしもっと自分のために時間を使ってほしい。


「それで貴方に万が一のことがあったら私は一生悔やむわ。お願いだからもっと自分を大事にして。何度も言っているでしょう?」


「うっ、すいません………」


 綾乃ははぁ、とため息を吐いて部屋から出ていった。


 俺は綾乃に怒られてばっかだなぁ。俺のことを心配してくれるのは嬉しいけど、まだまだ自分のことは好きになれそうにないな。

 色々考えているうちに優心の瞼は閉じていた。





 気づけば時刻は18時。真夏とはいえ日が沈んでくる時間帯。


 起き上がった優心はキッチンの方から良い匂いがしていることに気づく。


(良い匂いがする… 身体はだいぶ軽くなったし、これならもう大丈夫だろう)


 優心はベッドから降りてキッチンの方に向かう。



「あら、もう起きたの?もう少し寝てても良かったのに」


「薬を飲んだらだいぶ楽になったよ。もう看病は大丈夫」


「そう?それならいいけど。あ、もう少しでご飯出来るから待っててね」


 いつものエプロンに身を包んだ綾乃は、テキパキと料理を作っていた。なんというか、こう、いつもと違う柔らかい表情で接されるとドキドキしてしまう。俺だけが知っている優しい顔。誰にも知られたくないと、そう思ってしまう。




「はい、お待たせ」


「これは………」


 綾乃が作っていたのは、うどんだった。もちろん、ただのうどんならこんなに時間はかからない。なんかオシャレなソースが添えられていた。


「「いただきます」」


 まずはソースをかけずに。………うん、柔らかすぎない少し硬めの麺。俺が一番好きなやつだ。前にもうどんを作ってもらったことがあるが、その時俺が話した好みのことを覚えていたらしい。ちなみに綾乃の好みも同じだそうだ。


「俺の好み、覚えててくれたんだ」


「当たり前よ。私の好みでもあるのだし、そうそう忘れないわ」


「そりゃそうか。それでこのソースは?」


「ゆずとかつお節の和風みぞれよ」


 何それめっちゃオシャレなんですけど。これは上からかけるタイプのやつか。

 さらば素うどん。ようこそみぞれうどん。………これも美味い。正直、雛の家で食べて料理にも引けを取らないぞ。いやこう言うと芦澤さんに失礼か。芦澤さんは洋が得意で、綾乃は和が得意みたいだからな。


 こう考えると、俺ってすごく恵まれてるな。毎日好きな人の手料理を食べれて、同じ空間で過ごせるなんて。友人達もみんな一緒にいて楽しい人ばかりだ。


「どうしたの?突然感慨深そうな顔して」


「いや何でもないよ。ただ、俺って恵まれてるなぁって」



 すると綾乃はおもむろに立ち上がって、俺の隣に座った。



「そんなの当然じゃない。貴方は今まで沢山苦しい思いをしてきたんだから。少しくらい恵まれてたって罰は当たらないわよ」


 俺の手を握りしめてそう言う。


「そう、だな……… でも、俺も頑張らないとな………」


「貴方は頑張らなくていいのよ。その分私達が頑張るから。貴方は十分すぎるほど頑張ったわ。きっとその疲れが今になって押し寄せてきたのよ。だから今はゆっくり休んで、元気になったら私と夏休みを満喫するの。これは決定事項よ、いいわね?」


「仰せのままに、女王様」



 恋心を自覚したからこそ、今まで以上に綾乃を大切にしなければいけない。そう心に誓った優心であった。



お読みいただきありがとうございます!

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