33.落ち着いたひととき
翌日。想いを確固たるものにした綾乃だが、別に今すぐに何かをしようという訳ではないので、昨日と同じように勉強会に取り組んでいた。
一方の優心は、勉強が思ったより進んだため休憩がてら、外の空気を吸いに行くことにした。
う〜ん、まだ6月だけど少し暑くなってきた。もう長袖は着れそうにないな。帰ったらクローゼットの奥から夏服を引っ張り出さなきゃ。
ん?あそこに誰かいるな。こんなに暑いのに執事服なんて………よく見たら木野さんじゃん。
「おや、戸張様。如何されましたかな?」
「いえ、少し外の空気でも吸おうかと」
「ほほほ、それはいい。ここは自然にもこだわっていましてな、なかなか見る目がお有りのようで」
「ありがとうございます。とても空気が澄んでいて、もう夏に入るというのにここは涼しく感じますね」
ここは勉強会の家から少し歩いたところで、周りに植えられた木のおかげで陽が当たらないようになっている場所だ。ここではさっき感じたような暑さはあまり感じないし、むしろ風が吹くと少し涼しく感じるくらいだ。
聞けばここは木野さんの休憩場所でもあるらしい。屋敷の中で休憩していても仕事モードが抜けずあまり休めないため、外に出て涼しいところに行くのが定番になっているらしい。その中でもここはお気に入りの場所だそうだ。
「ええ、ここは奥様………昏人様の母君がお造りになられたのですよ」
「そうなんですか?」
「彼女は自然をとても好む方でしてな。この屋敷を建てる、となった時は絶対に緑の濃い場所を造ってほしいと要望されるほどでした」
「そうだったんですか。でも朝人さんや雛はそういう感じには見えないんですけど」
あの二人はどう考えても自然大好きって感じじゃないしな。久夜さんならありえそうだけど………いやあの人にそんな時間無さそうだな。相当朝人さんに苦労させられてそうだし。
「そうでしょうな。坊っちゃんやお嬢様は奥様の性格や容姿をまるで継いでおられませんから」
その後も二人で世間話をして過ごす。やっぱり自然は落ち着くな、田舎を思い出すようだ。
あ、これヤバい、だんだん眠くなってきた。ベンチに座っているだけなのに、気が緩んで少しずつ瞼が落ちていく。もう眠ってしまおうか。そう考えたその時、
「優心、こんなとこにいたのか」
「春馬か………」
「休憩は終わりだぞー。そんなに時間も無いし、そろそろ最後のテストをやろうって話なんだが」
「……分かった……すぐ戻る……」
「おう。早く戻ってこいよー」
もうそんな時間か。少し眠気も覚めたし、この勉強会の総仕上げだからな。さすがに戻るか。
その前に木野さんにお礼を言わなきゃな。
「木野さん、色々話してくれてありがとうございました。面白い話ばかりだったので、機会があったらまた聞かせて下さい」
「そう言われると爺も鼻が高いですぞ。伊達に長く生きておりませんからなあ。ああ、それと私のことは是非ともキノじいと呼んで下さい」
「いや俺は雛や春馬ほど距離感は近くないですし」
「遠慮せずとも良いですよ。爺のささやかな願いだと思って聞いてはくれませんか」
そう言われたら断れないな。
「………分かりました、キノじい。俺のことも優心と呼んで下さい。それではまた」
「ほっほっほ、優心様、いずれまた」
優心は別れを告げてその場を離れる。
老執事は、一人嬉しそうな顔を………していなかった。
そこに残っていたのは、山﨑財閥の元幹部としての顔だった。
(ふむ、戸張に氷川………これは注意しておく必要がありそうですな。もし余計な邪魔が入れば、我々も無関係ではいられないでしょうからなあ)
不穏なことを考えたのも束の間、すぐに好々爺然とした雰囲気を纏い直して本邸へと戻っていった。
そして時は過ぎ、優心と綾乃はいつものようにゆっくりしていた。
優心が部屋に戻った後すぐにテストを行い、全員が確実に赤点回避出来るラインに到達したため、そこで今回の勉強会はお開きとなった。
帰り際、疲れ切った表情の雛は「また来てねー!今度は勉強会とか関係なく!」と言っていた。安心しろ、たぶん勉強会以外で来ることはないから。
帰りも当然リムジンでの送迎となった。降りる際には周りから物凄く注目を集めていて、あの綾乃でさえ若干萎縮していた。
「ふう、落ち着いたらなんかドッと疲れが出てきたな」
「普段とは違う環境で勉強すれば誰だってそうなるわよ。……そう言われたらなんか疲れてきたわね」
「夕飯は出前でも取るか」
「そうね、今から料理する気力はさすがに無いわ」
出前なんていつ振りだろうか。こっちに来て最初の方はよく出前を取っていたが、結局食費がかさむのですぐにコンビニ飯に切り替えた。まあそのおかげで綾乃を助けられたからよかったかな。
「何か食べたいものある?」
「………特に無いわね。優心は?」
逆に問われ考えてみるが、正直食べたいものは思い浮かばない。せっかくだし、普段食べないものにするか。
「俺も無いけど、強いて言うならピザかな」
「なるほど、いいわね。家じゃ作れないし」
俺が選択したのはピザという無難なもの。だがピザは家で作るのは難しいし、普段から食べるようなものでもないから、今日に限ってはこれが正解だろう。
俺はスマホの出前アプリでピザ屋のメニューを開き、綾乃にも見せる。
「食べたいのがあったら言ってくれ」
「私、出前って頼むの初めてだから少しワクワクするわね。あっ、これ美味しそう」
「どれどれ………本当にこれでいいのか?」
「何事もチャレンジだって言うじゃない。私はアリだと思うけど」
まあ綾乃が良いなら俺に文句はないんだけど。そう思い、そのピザを注文する。
30分後。
ピンポーン。
「早いな、もう届いたのか」
綾乃と雑談しながらダラダラしているうちに注文したピザが届いた。綾乃の元へ持っていき、早速箱を開ける。
「………出前ってすごいのね、まだ熱々じゃない。美味しそうな匂いね」
「俺もこれは初めて食べるな……… これ注文するのは若干勇気がいるからなあ」
綾乃が選んだのは、パイナップルが乗っているあのピザだった。名前だけだとなかなか手が出ないんだが、こうして匂いを嗅ぐとそんな偏見はどうでも良くなってくるな。
「「いただきます」」
目の前の出来立ての食事を前に我慢出来るわけもなく、8等分されたピザを早速一口。
「…!意外と合うな。これが好きな人の気持ち、分かる気がするよ」
「生地も分厚くて食べ応えがあるわね。具も一個一個が大きいし」
久々に頼んだけど、最近の出前ピザはクオリティが高いんだな。出来立てで届けてくれるし、味も店で出てくるものと遜色ない。
綾乃も喜んでくれてるみたいだし、忙しいときはまた頼んでもいいかもな。
「「ご馳走様でした」」
そこそこ量があったはずなんだが、二人で食べると一瞬だったな。それでもしっかりお腹は満たせたから2枚頼まなくて正解だったのだろう。
もう夜も遅いし、今日は疲れた。綾乃を玄関まで見送ったらさっさと寝よう。
「綾乃、改めてありがとな。俺達のために色々やってもらって」
「気にしないで。私は貴方達が赤点取るところなんか見たくないもの。優心は心配いらないどころか、上位を狙えるくらいにまでなってしまったけれど」
「さすがに大袈裟だよ。そこまでは伸びてないだろうし、運が良かっただけじゃないか?」
「貴方のその自己肯定感の低さはいつになったら治るのかしらね………」
そう言われましても。俺は自分のことを過大評価してるつもりは無いが、だからと言って過小評価しているというわけでも無い。
強いて言うなら過大評価は最悪の毒になることがある。そのことを俺は身に染みて理解しているからな。もしかするとそのせいもあるんだろう。
「まあ、こればかりは長い目で見てくれ。俺もなるべく頑張るからさ」
「貴方はすごい人なのだからもっと胸を張って堂々としてていいのよ?」
「肝に銘じておくよ。それじゃあ、おやすみ綾乃」
返事を待っていると、
「ん」
「何ですかその構えは」
綾乃は両手を広げた状態で、その場から動こうとしなかった。
「決まってるでしょう?この間の約束、忘れたとは言わせないわよ」
「あれ本気だったのかよ………」
「まさか疑ってたの?私があんなに恥ずかしい思いをしたっていうのに」
いや、そりゃ誰だって疑うだろう。あの氷川綾乃が、『氷の女王』があんな顔してデレるとかありえないってなるし。
あれこれ考えていると綾乃が急かしてくる。
「ほら、早く」
「分かったから待ってくれ。俺にも心の準備ってやつが」
「貴方にそんな時間があるとでも?」
ガバッ。
我慢出来なくなった綾乃は俺の胸に飛び込んでくる。受け止めるため、俺も思わず抱き締め返してしまう。
柔らか…… 意外と身体小さい…… あっ、めっちゃいい匂いする………。
………………ハッ!?俺は一体何を考えていたんだ……… これじゃまるで変態みたいじゃないか。
「ふふ……… 優心すごくドキドキしてる……… やっぱり優心に抱き締められると落ち着く………」
「そりゃ光栄だ。さて、そろそろ離れてくれると助かるんだが………」
「もう少し…もう少しだけ………」
これは解放されるまでまだまだかかりそうだな………
結局、優心が解放されたのは15分後のことであった。
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