連絡
月曜の朝。
一昨日のデートが夢だったかのような、いつもの通学路。
ほんの少しだけ足取りが軽かったのは自覚していた。
(――お昼休みには来てね。絶対だよ?)
巻島のあの言葉が、ずっと耳に残っていたからだ。
教室へ向かう階段を上がる。
まだチャイムには時間があったけど、何となく早めに着いた。
そうすれば……自然と、あの席にも目が向いてしまう。
だが、巻島の席は空いていた。
(まぁ、まだ少し早いしな)
着席してプリントを出して、筆箱の中身を整理して。
何かと「普通」に過ごしながらも、気づけば視線は、また巻島の席に向いていた。
始業のチャイムが鳴る。
吉岡先生が入ってきて、出席を取り始める。
「巻島さんはぁ……」
吉岡先生はそれだけ言い、次の生徒の点呼へと移る。
「葉音ちゃん、休みなのか?」
数人がちらりと振り返った。
「風邪とか?」
「いや、昨日のイベントじゃ元気だったぞ」
俺は何も考えずに教科書を開いた。
そのまま午前の授業が終わり、昼休みになっても、巻島の席はそのまま。
一昨日の彼女の声が、また脳内で再生される。
(……絶対だよ?)
帰宅した俺は、制服のままベッドに転がりながら、スマホを手に取る。
未読はゼロ。普段は山のように来る巻島からの通知は一件もなかった。
(……送ってみるか?)
俺はMINEを開いてメッセージを打ち込むも、迷った末、そのまま消した。
急な仕事が入ったとか、体調を崩してしまったとか、連絡をしない理由はいくらでもある。
彼女は芸能人だ。俺とは根本的に生活スタイルが違う。
こちらの都合で振り回すことはしたくなくて、見終わっていないドラマに手をつけることにした。
翌朝、通学路に吹く風が冷たく感じた。
巻島からのメッセージは今日もなく、だからこそ、今日は登校してきているんじゃないかと、どこかで期待してしまっていた。
(……たまたま昨日だけ、ってこともある)
そう思いながら、校舎に足を踏み入れる。
教室の扉を開けた瞬間、無意識に彼女の席を探す。
……やはり、席は空いていた。
昨日と同じようにプリントを広げ、隆輝と雑談をしながらも、ずっと視界の端には巻島の不在があった。
「悟、今日もいないな。巻島さん」
隆輝がこそっと言ってくる。
「……ま、アイドルは忙しいってことだろ」
自分でも、少し無理に口角を上げてるのがわかる。
別に、巻島が俺に欠席の理由を伝える義務なんてない。
それは分かっている。
けど、少し引っかかっていた。
午後の授業が終わっても、巻島の席が埋まることはなかった。
家に帰っても彼女からのメッセージは届かず、俺も送らなかった。
既読無視が怖いわけじゃない。
夕飯を終えて、風呂にも入って、寝る前にいつものようにスマホを手に取った。
通知はゼロ――ではなかった。
『新着メッセージ』という文字に、思わず指が止まる。
『ごめんね、昨日も今日も連絡できなくて』
『ドラマの撮影が急に前倒しになって、台本の読み合わせとレッスンが詰まっちゃって』
『学校にも行けてないし、悟くんにも何も言えなかった』
『本当にごめん……』
『好きだよ』
何度も読み返してしまう。
(前倒しか……)
芸能界ならそういうこともあるだろう。
人間のキャパシティにも限界はある。
予想はとっくにできていたことだ。
でも、メッセージが来たことに安堵している自分がいて、情けない気持ちになる。
俺は返信を打とうとして、途中で止めた。
何を書けばいいのか分からなかった。
結局、その夜は何も返さないまま、スマホの画面を伏せた。
代わりに、さっき届いたメッセージが頭の中をぐるぐるしていた。
週の真ん中。巻島のメッセージが頭に残っていたせいで、昨夜はなかなか寝つけなかった。
教室に入ると――もう分かっているのに――自然と巻島の席へ目が向かう。
そろそろ見慣れてもいいはずなのに。
「……あー、今日もか」
隆輝が隣の席から声をかけてくる。
彼の顔には、どこか呆れたような、それでいて心配も混ざったような表情が浮かんでいた。
「連絡、来てねぇのか?」
「……少しだけ。昨日の夜に」
そう言うと、隆輝はわざとらしくため息をついた。
「まったく。どうせ返事してないんだろ?」
「なんて言えばいいか分からないしな」
「あれだけ分かりやすく好かれてて、アイドルの彼氏なんてポジションにいながら、お前ってやつはさぁ……」
「彼氏じゃないんだよ」
「じゃあ、巻島さんに人生単位でロックオンされてる男、って言えばいいのか?」
隆輝は俺の机に肘をつきながら、真面目な目をした。
「悟、心配してるんだろ?」
「……まぁな」
「だったら連絡しとけよ。たとえ向こうが忙しくても、気にしてるって伝えるのは、悪いことじゃない」
そう言われて黙り込んだ俺に、彼は笑顔を見せる。
「放課後、ゲーセン行こうぜ」
「ゲーセン?」
彼はきっと、俺を励まそうとしてくれているのだ。
「……ありがとな。もちろん行くよ。なにプレイする? 久しぶりに《ヤバアカ》でも――」
「そりゃあお前、もちろん《太Ⅵ》だろ! 今のお前ならボコボコにできそうだから行くんだよ!」
励まそうとしてくれるん……だよな?
もちろん、結果は俺の圧勝だった。
帰宅した俺は、学生の本分を忘れないために勉強を始めた。
だが、机に向かってノートを広げてはみるものの、頭には全く入ってこない。
隣に置いてあるスマホをチラチラと見ながら、ずっと迷っていた。
(……気にしてる、って伝えるだけだ)
自分に言い聞かせるようにして、スマホを手に取る。
MINEのアプリをタップして、巻島とのトーク画面を開く。
「お疲れ様」
「無理するなとは言えないけど、体調には気をつけて」
文面を何度も見返してから、送信ボタンを押した。
たったそれだけのことなのに、心臓がやたらと煩く響いた。
巻島からの返事が来たのは、木曜日の放課後だった。
『ごめんね、返信するのが遅くて……』
『このところあんまり寝れてなくて』
『でも、やっと明日で全部終わるよ』
『だから……明日の放課後、会えないかな?』
『頑張って、少し疲れちゃったから』
『ご褒美がほしいな』
俺は画面を見たまま、そっと息を吐いた。
文面からでも、彼女がハードなスケジュールに拘束されていたことが読み取れる。
明らかに疲れ果てていた。
彼女は自分の仕事に誇りを持っているが、それでも疲れる時はある。
もし、俺が巻島の癒しになることができるなら――。
「わかった」
「明日、楽しみにしてる」
俺は手短に返事をして、スマホを置いた。
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