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距離を置きたい女子たちを助けてしまった結果、正体バレして迫られる  作者: 歩く魚
巻島葉音

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24/30

ゴンドラ

 午後の日差しが傾き始め、夕陽が巻島の髪をほんのり金色に染めている。

 バスが止まったのは都内の遊園地。観覧車の足元だった。

 スタッフ風の男性が無言でドアを開けてくれ、外に降り立った瞬間、潮の香りとともに開けた空が視界に広がる。

 正面には真っ白な骨組みとカラフルなゴンドラ。

 遊園地自体は営業中で、賑わいもあったが、この観覧車の周りだけは不自然に人がいない。

 それがさらに、この空間の神秘性に一役買っているようだ。

 

「観覧車に乗るの、久しぶりなんだ」

「俺もたぶん、小学生ぶりとかだな」


 軽く応えると、巻島は小さく微笑んだ。


「同じだね」


 スタッフに手短な確認をされ、俺たちはゴンドラの前へと誘導される。

 この施設の観覧車はシースルーのタイプらしい。

 足元まで透明なガラス張りだ。


「思ったより、こう……ゾクっとするもんだな」

「そうだね。怖い?」

「いや、ぜんぜん……ちょっとだけな」

「ふふっ、悟くんがそういうの苦手って、なんか意外」


 巻島がからかうように言い、俺は視線を逸らした。

 そして、直後に彼女が少しだけ表情を引き締める。


「……今日は僕が一緒にいるから、大丈夫だよ」


 ゆっくりと動くゴンドラに乗り込む。

 ドアが閉まり、ロックがかけられた。

 密室。透明な床と壁。

 沈黙と、すぐ隣に座る巻島の体温。

 二人きりの空間が、静かに空へと浮かび始める。

 ゴンドラがゆっくりと高さを増していき、見下ろせる範囲が広くなっていく。


「あれ、さっき僕たちがいたところじゃない?」

 

 眼下に広がる街並みや、さっきまでいたモールの屋根。

 高度はさらに上がっていくが、不思議と恐怖はない。


「あそこの大きいところって公園かな? 今度一緒に行きたいな」

 

 巻島が俺の隣で笑っている。


「……悟くん、どうしたの?」

「あ、いや……ごめん」

「もしかして、高すぎて怖くなっちゃった? それなら僕が手繋いでてあげるから、目を閉じて――」

「そうじゃないよ。ただ少し、考え事をな」


 気にしないでくれ。そう言うと、巻島は何か言いたそうにしていたが、頷いてくれた。


「もしかして――」

 

 そう前置きしてから、巻島は少しだけ身を乗り出してきた。

 ゴンドラの揺れがほとんどないのが逆に恐ろしい。


「……考えごと、ってさ。もしかして、さっきまでの時間が楽しすぎて、帰るのが惜しいな……とか思ってくれてた?」

「いや、そんな都合のいい――」

「――だとしたら、すごく嬉しいな」


 遮られた。言葉じゃなく、巻島の指先によって。

 彼女の瞳が、真っ直ぐにこちらを捉えている。


「ねぇ悟くん。……ちょっとだけ、顔、近付けてくれる?」

「なんで?」

「なんでだと思う?」

「……知らないよ」


 口をつぐんだ俺に、巻島が静かに笑った。

 観覧車の揺れよりも、彼女の手のひらの方が、ずっと俺の動揺を誘う。


「じゃあ、僕から近づくね」


 巻島はそっと手を伸ばして、俺の首元に触れる。

 その顔が、ゆっくりと近づいてくる。

 まつ毛の長さ、吐息の温度、唇の柔らかさ。

 体育倉庫とは違って、穏やかで、深かった。

 しばらくして唇が離れる。

 巻島はそのまま立ち上がり、抱きしめるように自分の胸に俺の顔を埋めさせ、耳元で囁く。


「……好き」


 その一言が、音が霧散してからも、ずっと耳元で残っているように感じられる。


「こうやって観覧車の頂上で伝えるのって、ロマンチックじゃない?」

「そ、そうかもな」


 正確には、俺は彼女の服に阻まれてモゴモゴ言っているだけだ。

 しかし、巻島には俺の言いたいことが伝わっているようだった。


「言葉でも行動でも、たくさん伝えてるつもりだけど……どれだけ言っても足りない気がするの。悟くんの事を考える度に溢れ出してきて、止まらないの」


 俺を抱える腕に、ぎゅっと力が込められる。

 もはや呼吸すら怪しくなってきたが、俺に向けられる声は依然として甘いまま。


「これからも、いっぱい伝えるね。……何回でも、飽きるまで」


 その「飽きるまで」は、永遠を意味しているような響きだった。

 東京の街並みを見下ろす高さで、俺はただ、巻島の存在を感じていた。


 観覧車を降りたあと、俺と巻島は何気ない会話を続けながら、駅へ向かって歩いていた。

 ロケバスで帰れば良いと思ったが、彼女は俺と二人きりで歩きたいと言い出して聞かず、芸能人御用達の変装セットに着替えることで周囲の目を誤魔化している。

 少し前まではぎこちなかったのに、いまは自然に隣を歩いている。

 それが、なんだか不思議だった。


「今日はありがとう、悟くん。すごく楽しかったよ」

「こっちこそ、いっぱい笑わせてもらったよ」

「良かった。悟くんの笑顔があれば、ご飯何杯だって食べれるよ」


 そんなふうに笑いながら、駅が見えてきた時だった。

 ――控えめなシャッター音。

 はっとして周囲を見渡すと、数メートル先の植え込みの影から、フードを深くかぶった男がスマホを構えていた。


「……今の音、まさか……」


 俺の隣で、巻島がピタリと足を止める。

 男は慌てたようにもう何枚か撮ったあと、スマホを抱えて走り出した。


「やばい、逃げたッ!」

「悟くん……! 追いかけ――」

「俺が行く!」


 巻島をその場に残し、俺はすぐさま追いかける。

 だが、相手は地理を把握しているのか、人の流れをすり抜けてどんどん距離を開けていく。

 足が速い。このままじゃ……!


 ――だが。男が曲がった先の道を、人影がふさいでいた。


 黒いロングコート。

 腕を組み、男に立ちはだかっているのは――。


「……東堂先輩……?」

「あなた、何をやってるのかしら?」


 冷ややかな声が響く。

 男が進路を変えようとするが、東堂はわずかに身をずらすだけで行く手を阻む。

 その細身からは想像できない威圧感に、男は観念したように立ち止まり、スマホを握りしめたまま小さく唇を噛んだ。


「その端末、渡しなさい。――今すぐ」

「な、なんでだよ。何も悪いことは――」

「今なら写真を無断で撮っただけ。ここで折れないのなら――あなた、いくつ? 二十歳過ぎてるでしょ。未成年のストーカーとして全国に晒されたいって、解釈してしまうけど」


 静かな口調のまま、東堂先輩の言葉には一切の揺れがなかった。


「人生を棒に振るかどうか、選ばせてあげる」

「……っ!」


 男は顔を引きつらせながら、スマホを差し出す。

 それを受け取った東堂先輩が画面を操作し、写真を確認。

 数秒後には全て削除したようだ。


「いい子ね。二度とこんな真似はしないこと」


 そのまま男は、腰を低くして小走りで逃げていった。

 俺は彼女に追いつき、頭を下げる。


「……助かりました」

「本気で言ってるのなら、次からは気をつけなさい」


 まっすぐな視線で俺を見据える東堂先輩。

 俺の何もかもを見透かしているようだった。


「……やっぱり、あなたに葉音は渡せない。今のうちに距離を置きなさい」


 声を荒らげるでもなかったが、重くのしかかってくる。

 本気で巻島のことを想っているからこその言葉だ。

 彼女は小さく息を吐き、髪を整えるように一度首筋に触れ、すっと姿勢を正す。


「……ふぅ。それじゃあ、私は先に戻るから。これ以上の失態は――ないわよね?」


 先ほどまでの威圧的な態度が嘘だったかのように、涼しい顔で背を向ける。

 パリッと音がしそうなくらいに整った歩き姿。

 東堂先輩は、完全に人混みの向こうへと消えていった。

 俺はその場に取り残されたまま、しばらくぼうっと立ち尽くしていたが、やがて聞き慣れた声が風に混じって響いてきた。


「悟くん!」

 

 巻島が駆け寄ってくる。


「……ごめん、ちょっと迷子になっちゃって。怪我してない!?」


 不安そうに、でも笑顔を崩さずに見上げてくる。


「……ああ、大丈夫。東堂先輩が助けてくれたんだ」

「涼が……?」


 巻島は目を丸くしていたが、すぐに柔らかな笑みを浮かべた。


「……やっぱり涼は、すごいな」

「そうだな。頼りになるよ」

「悟くんだって頼りになるよ? さっきも、すぐに走り出してくれたし」

 

 巻島は少し笑いながら、俺の袖をそっとつまんだ。


「なんか、二人って似てるよね」

「……それは喜んでいいのか?」

「二人とも、僕の大事な人ってこと!」


 彼女が自分の腕を、俺の腕に絡める。


「……帰ろっか。本当はもっと一緒にいたいけど、涼に迷惑かけたくないし」


 俺は黙って頷いた。

 駅までの道を、二人でゆっくり歩く。

 人は少なくないのに、隣にいる彼女の存在だけが、やけに大きく感じられる。


「ねぇ、今日……すごく楽しかったよ。ほんとに、ほんとに」


 改札の前で立ち止まり、巻島は俺の方を向く。名残惜しそうな目だ。


「俺も楽しかった」

「……えへへ。嬉しいな」


 言葉が尽きたように、しばし沈黙が落ちる。

 それでも、手は繋いだまま。


「また来週……学校でね?」

「ああ。教室では……ほっといてくれよな」

「それはどうしよっかなぁ?」


 思わず苦笑すると、巻島は満足そうに微笑んだ。


「お昼休みには来てね。絶対だよ?」


 手を離し、巻島は改札を通っていく。

 何度も振り返って、小さく手を振るその姿に――。

 

「……ああ、また明日」


 俺も同じように手を上げ、背中を見送った。

 次の週、巻島が学校に来ることは一度もなかった。

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