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距離を置きたい女子たちを助けてしまった結果、正体バレして迫られる  作者: 歩く魚
巻島葉音

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14/30

さようなら、日常 その3

 扉が閉まる音が耳に届いた時、ようやく正気に戻る事ができた。


『――これ以上は、僕も怒るよ』

『たとえ誰であっても、この恋は邪魔させない。誰であっても――絶対に』


 自分に向けられた言葉だということは理解している。

 でも、今まで葉音が私に対して……いや、誰に対しても、あんなに冷酷な声を出したことはなかった。

 私はそれだけのことを言ってしまったのだ。

 というよりも、葉音から七里ヶ浜悟への想いが大きすぎるのかもしれない。

 それほどまでに大きな愛。

 彼女が多くの男性から言い寄られていることは知っているが、異性に興味を持ってこなかったことも知っている。

 彼は、一体どんな魔法を使ったのだろう。


 ――自分にも、想いを寄せる相手がいる。


 私だって、葉音と同じだ。恋することは初めてなのだ。

 だから、自分の向けているものが葉音のものと同じなのか、どちらが大きくて、どちらが小さいのか、世間と比べてどうなのか、分からない。

 比べることでもないのは理解しているが、気になりはする。


『――君は頑張ってるよ』


 もう、言葉しか覚えていない。

 人の記憶は風化してしまう。

 良い出来事はそのまま、悪い思い出は美化される。

 それは人間の良い機能だ。

 たとえ現実逃避に似た作用が働いていたとしても、望ましいものだと私は思う。

 自分の持つほとんどの記憶が、いつか輝くのだから。

 しかし、声は覚えていられない。

 まだ半年も経っていないのに、私に声をかけてくれた彼の声は、日に日に思い出せなくなっていく。

 私にはそれが、たまらなく怖い。

 このまま彼のことを忘れてしまうのではないか。

 私のことを助けてくれた、血だらけの彼のことを――。


「……ふぅ」


 心を落ち着かせる。

 彼のことは毎日のように考えているが、今はダメだ。

 伝えたいことは、再会できた時に。

 

 葉音が七里ヶ浜悟の事を好きなのは分かった。

 納得はしていないけれど、分かった。

 だとしても、私には彼女を守る義務がある。

 彼女が人を愛する事を邪魔する権利はないが、不幸の道を進まないように手を引くのは友達の仕事。


「彼が葉音に相応しいか――私が判断してみせる。私、頑張るから。見ていてね……」


 どこかにいる彼に向けて、私は覚悟を決める。

 手が届かなくなる前に手を伸ばす。彼が教えてくれたように。


 ・


 屋上での一件を終えた後、俺たちは無言のまま階段を下りた。

 東堂先輩のあの視線が、まだ背中に張り付いている気がしてならない。

 とはいえ、巻島の様子も気になって、俺は自然と彼女の背中を追っていた。

 だが、途中で気づいた。

 巻島の向かっている先が――教室じゃない。


(……こっちは校舎の裏側……)


 不穏な予感が背筋を撫でる。

 俺の知っている限り、この先には特別な教室もなければ、生徒が使う施設もない。

 けれど巻島はためらいなく歩き続けていた。

 やがて、目の前に現れたのは――体育倉庫。


「……巻島? そこ、体育倉庫だけど……」


 俺の中ではもはやトラウマの場所だ。

 声をかけると、彼女はふと足を止め、くるりと振り返った。


「うん、知ってるよ」


 巻島はポケットから小さな鍵を取り出して見せた。

 銀色に光るその鍵は、見覚えのある形をしていた。


「鍵……まさか、それ……」

「今日、ちゃんと借りてきたんだ。先生には荷物の整理って言ってある」


 そう言って、巻島は扉の錠に鍵を差し込む。

 カチリ、という音が妙に大きく響いた。


「……ちょっと待て。何するつもりだよ」


 俺が言うと、巻島は静かに笑って、こう答えた。


「七里ヶ浜くん、逃げないでね」


 巻島は体育倉庫の扉をゆっくりと引いた。

 中に入ると、ちょうど二十四時間前に閉じ込められたときと同じ、埃と木の匂いがする。


「……何のつもりだ?」

「……密会? 逢瀬? なんて言えばいいかな。僕たちだけの言葉、作っちゃう?」


 巻島は振り向きながら囁くと、俺の腕を軽く引っ張った。

 中に引き込むようにして、扉を閉める。鍵がかけられる。


「お、おい!? 鍵まで……」

「だって、邪魔されたくないでしょ?」


 そう言って、巻島は俺のすぐ目の前に立つ。

 距離が近い。鼻先がかすりそうな距離。


「……な、なぁ巻島。落ち着け。まず、これは――」

「ねぇ。七里ヶ浜くんってさ、こういうの、慣れてないよね?」


 小首をかしげ、わざとらしく瞳を揺らす。

 くすぐるような声。触れそうで触れない、巻島の指先。


「……お前、何がしたいんだよ……」

「え? 分からないの?」


 彼女は俺の胸に手を置いて、ぐいっと寄ってくる。

 鼓動がバレていないか心配になる。

 自制心のHPがガリガリ削られていく。


「昨日は、なんかいろいろ中断されたから……ね。続き、しよ?」

「いや、昨日の続きって……」

「――キス、しよ」


 耳元で、吐息まじりでそう言われた瞬間、俺の心拍数は限界を迎えた。

 巻島の指が、俺の制服の第二ボタンをつまむ。


「……昨日みたいな雰囲気、すごく良かったなぁって思って」

「お、俺はさっき、巻島と付き合う気はないって、言ったはずだ」

「それって、涼を心配させないように言ったんでしょ?」


 まっっっったく違います。


「七里ヶ浜くん……悟くんは優しいからさ、きっと僕と一緒にいると、芸能生活に支障が出るって思ってるよね」


 理解を超える展開ばかりで考えてすらいなかったが、確かにそうだ。

 つまり、これを理由に巻島から離れることが――。


「――だから、見つかりにくい体育倉庫が、しばらくは僕たちの特別な場所。安心してね。悟くんを養っていけるだけのお金が貯まったら、仕事をやめて二人の家を買うから」


 攻撃を出す前に潰されていた。

 これは相当にマズい。完全にペースを握られている。


「ま、待ってくれ。落ち着いて考えるべきじゃないか?」

「ふふ。落ち着けるわけないでしょ。好きな人と二人きりなんだよ?」


 何か、どこかに付け入る隙はないのか。

 

「巻島……! お前、本当に俺のことが好きなのか?」


 恥ずかしすぎる俺の問いに、巻島はにっこりと笑った。


「うん。大好きだよ? これまでの人生でも、これからの人生でも、一番。二番なんていないけど、それくらい好きなの。僕の全部をもらってほしいと思うくらい、大好きなの」


 その笑顔があまりに真っ直ぐすぎて、嘘ひとつないことが伝わってくる。


「それに、悟くんだって、僕のことを好きになると思うよ」

「……どうして?」

「だって、言ってたじゃん。『巻島に追われる恋愛なんて、相手が羨ましいもんだな』って」

「い、いや……! それは言葉の綾というか、全男子の夢をだな――」

「全男子ってことは悟くんも入ってるよね?」

「ぐっ……」


 もしかして俺って、口喧嘩弱いのか。

 

「あとは『なんにせよ俺は応援するよ。俺に手伝えることがあったら言ってくれ』って、言ってくれたよね? じゃあ手伝って。僕と付き合って、結婚して、毎日一緒にいて。僕に幸せにされて」


 そう言って、巻島は自分の唇を俺のに重ねてくる。

 視覚でも嗅覚でも聴覚でも触覚でも、全てで心が揺らされてしまう。


「――で、でも!」


 後ろに壁がない事を確認して、彼女から距離を取る。


「巻島は――」

「葉音」

「ま、巻島は――」

「葉音」

「……葉音は」


 んふ、と彼女が口の端を吊り上げる。

 これが格闘技なら、全員が巻島の判定勝ちにしているところだろうが、少し待ってほしい。

 俺にはとっておきの切り札がある。


「まき……葉音は言ったはずだ。『七里ヶ浜くんとなら、友達になれる気がする』……ってな! だから俺達は――」

「――あ、それは無理だったね。もう友達には戻れないよ」


 悲報。俺の人生初の女友達、一日で消え去る。

 勝てるビジョンが微塵も浮かばない。


「……さ、もう不安はないよね?」

「不安しかないん――」

「じゃあ、しよっか」


 一歩。


「嬉しいなぁ。あのね、今まで僕たちの曲にキスって言葉が出てきても、なんか実感なかったんだ。でも、今ならよく分かるよ。……すっごく幸せなことなんだって」


 一歩。


「あ、心配しなくても、もちろん初めてだよ。もう言ったっけ? 悟くんも初めてだと嬉しいなぁ。でも、経験済みでもいいよ。その人は死――嫌いだけど、その人と比べて僕の方が全然良いって、思ってもらえるもん」


 一歩。


「悟くんはどんな子が好み? 見た目でも中身でも、好みがあるなら、僕が全部その通りにする。だからほら、触っていいんだよ?」

 

 制服で覆われた豊かな胸が、俺の身体に触れそうになった、その瞬間――。


「――――」


 扉越しに、誰かが動いていたような気がした。


「……え?」


 巻島が、俺との距離を保ったまま、首だけを傾ける。

 まるで「何の音?」とでも言いたげな、無垢な反応だった。

 それに続くように――昼休みの終わりを告げるチャイムが聞こえてくる。


(助かった……!)


 人生で一番感謝したチャイムだった。


「さ、さすがに戻らないとマズいよな? 授業始まるし、遅れて変な噂立てられたら困るだろ?」

「……今はダメかぁ。でも、もう少しだけなら――」

「ダメです!」


 俺は半ば叫ぶようにそう言って、そっと巻島の肩に手を置いた。


「また、今度な。落ち着いた時に、ちゃんと話そう」


 巻島は少し唇を尖らせたけれど、それ以上は何も言わなかった。

 そのかわりに鍵を取り出し、名残惜しそうに扉を開けた。

 俺の勝ちだ。また「今度」なんてない。

 なぜなら俺は今日から、徹底的に巻島から逃げるのだから。


「次はいつにする?」

「んー? そうだなぁ。次の東京オリンピックの――」

「僕、悟くんが大好き。あなたはそんなことしないと思うけど、逃げられたりしたら――」

「今日は隆輝とラーメンだから! あと、部活がない日で!」

「わかった! 僕のために時間を作ってくれてありがとう!」


 言葉の先を聞くまでもない。

 最初から、俺じゃ勝てない相手だったのだ。

 せめてもの抵抗として、隆輝との時間を確保させてもらう。


 かくして、俺の平穏な学生生活は終わりを迎えようとしていた。

 体育倉庫の外には誰の姿もなく、風だけが、ひんやりと俺たちの間を通り抜けていった。

書いていて楽しくなってきました。

葉音頑張れという方、少しでも面白いと思ってくださった方はブクマ、評価等お願いいたします。

どれも感謝ですが、評価、ブクマ、いいねの順で嬉しいです。

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