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せめて二手先ぐらいはお読みくださらないと。さようなら。

作者: 森田季節
掲載日:2026/02/13

「フェリシア、本日をもって、お前との婚約は破棄させてもらう」



 秋の終わり頃に差しかかった人気のない学園の裏庭。

 そこで婚約者のピエールはまるで判決でも下すように言った。本当に裁判長気取りなのかもしれない。



 私は金色の髪を右手で弄びながら、ピエールの次の言葉を待った。

 自分から話すことはまだない。

 貴族の自分に必要なのは手を打つための情報を得ることだ。



「というわけで、お前の実家の鷲羽しゅうう伯爵家にも迷惑をかけるが諦めてくれ。今更気持ちを変えるつもりはないんでな」

「本音を言えば、信じられませんわ……。あなたの実家の銀鶴ぎんかく伯爵家の方々が婚約破棄を許すとは思えませんから」



 私たちの国では多数の貴族の家そのものに名前がついている。名前だと姓が同じ場合も珍しくないし、領地で区別しようにも当然領地は変わることがあるし、所領が飛び飛びの場合もあるからだ。

 私の家の鷲羽しゅうう伯爵家も、ピエールの銀鶴ぎんかく伯爵家もどちらも家の紋章にちなむ名付けだ。この名づけが一番多い。



 私の実家もピエールの実家も家格は同格で、中級の貴族だ。国政で権力を握ることはないが、当主は地方の州知事を歴任する。地方の利権でふところが潤うことが多いので、中級の貴族の中では恵まれているほうで、『貴族の中の商人』と呼ばれることもある。



 ピエールの実家の銀鶴伯爵家も貴族の性質が近いのか、どちらかといえば堅実なほうで、婚約を一方的に潰すようなことをしてくるとは信じがたい。

 そんなことになれば、私というより、私の実家へケンカを売ることになってしまう。



 逆に言えば――ピエールが暴走するような気はしていた。



 彼が学園の一つ下の金盾(きんじゅん)侯爵家のご令嬢に入れあげているという噂は有名な話だった。

 というか……ご令嬢のカトリーヌ様の前でだけきらきら目を輝かせているのを私も何度も目撃していた。

 来年には私もピエールも学園も最上学年の18歳になるし、いつかタイミングを見て、婚約破棄を言い出すような雰囲気はあった。



 でも、さすがに身分が違いすぎるし、しかも時節柄としてもふさわしくない。



「あの……何もこんな時に婚約破棄の話をしなくてもよいのでなくて? 今、辺境のほうでは大変なことになっているでしょう?」

「もちろん知っている。ジャーケルド将軍が反乱を起こしたことだろう。将軍が臨時辺境政府を発足させて三か月になるな。反乱は夏に起こったのに、もうそろそろ冬の訪れも聞こえてきそうだ」



 そう、この国は現在、内乱状態になっているのだ。

 辺境に駐屯していたジャーケルド将軍が私兵で庁舎を占拠して、軍人出身者の政府のポストを増やせとかいった国政の変革を訴えている。


 将軍は完全な反逆者になる気はないらしく、大規模な略奪などは行わず、侵攻もしていない。王都からかけ離れたところの事件だから、王都の生活に変化はない。

 とはいえ、役人も貴族も心穏やかではないだろう。すぐに鎮圧もできず、中央政府も多少は将軍の要求を飲むことで問題を解決しようとしている。



「自論を述べさせてもらうとするなら、将軍はよくやっていると思うぞ。庁舎を占拠してから先、うかつにどこかに攻め込んだりはしていない。あくまでも自分の目的は中央政府の改革だと主張して、要塞としても堅固な庁舎周辺に籠城している」

「ええ、まあ、そうですわね」

「あの姿を見て、俺も同じだと思ったのだ」

「はぁ?」



 なんで地方で反乱を起こした将軍と同じになるんだ?



「俺はずっと自分の恋心を忍んで隠し続けていた」

(いえ、周囲にも気づかれていましたよ)

「これはいわば反乱の計画のようなものだ。そして、ついに俺は時が来たと判断した。愛するカトリーヌ、入ってきてくれ!」



 ピエールの声とともに、どこかに潜んでいたらしいブロンドの髪の女性が彼の後ろに現れた。

 しかも、すぐにピエールを後ろから抱きしめる。なかなかの熱々カップルじゃないか。



「お前も知っているだろう、金盾(きんじゅん)侯爵家のカトリーヌ様、いやカトリーヌだ」

「ええ、もちろん存じ上げておりますわ」



 金盾侯爵家は宰相侯爵家の分家として10年ほど前に認められたばかりの家だ。名前の由来は紋章になっているどんな剣も跳ね返すという伝説の黄金の盾。

 宰相侯爵家は名前のとおり、国家のかじ取りをする宰相に任じられる大貴族中の大貴族で、その先代当主の三男が別の家と認定された。

 なので、新興の家といっても家格は極めて高い。

 少なくとも中級貴族のほうから結婚を申し込むだけでも無礼千万だ。



「フェリシア様、信じられないという顔をなさっていますね。でも、恋とはそういうものなんです」

「ああ、俺はひざまずいて、カトリーヌに言ったんだ。身分なんて関係ない、一緒になろうと!」



 カトリーヌ様は演劇のヒロインのような顔で、ピエールは勝ち誇った顔をしている。

 バカップルを見ていたら頭が痛くなってきた……。

 だいたい、愛に身分は関係ないというのは、身分が高い側が言う言葉だ。

 しかし頭痛がするので帰りますと言うわけにもいかない。最低限の確認はしておかなければならない。

 そうでないと手が打てないから。



「あの、ピエール、本当に、ご実家の方々は婚約破棄には同意なさったの?」



 私は毅然とした態度でピエールに尋ねる。

 これは個人の問題ではなくて、家同士の問題なのだ。



「ああ、お父様は実にご理解のある方でな。お前の実家の伯爵家に申し開きができないので形式上(・・・)は勘当したという扱いで、金盾(きんじゅん)侯爵家のオルタンス・ド・モンゴメリー様の婿となるなら認めるという許可を得た」

「お父様も認めてくださいました。お恥ずかしい話ですが、私の金盾侯爵家は家格は高くても別家になったばかりで財政基盤が全然ないですから」

「そう、ほとぼりが冷めたら、勘当を解いてもらって、俺の実家から資金援助をしてもらうというわけさ」



 ああ、そういうことか。

 なら、得心がいった。

 銀鶴伯爵家は(・・・・・・)二手先のことをちゃんと読んで動いているようだ。



「フェリシア様、申し訳ございませんが、人の感情は決まりだけでは止められないものなのです。どうかご容赦を」

「カトリーヌ様、容赦どうこうはお互いの家同士が決めることですから。私の実家とピエールの実家の銀鶴伯爵家は家格が同じだし、勘当というケジメがついたなら、そこまで大きな問題にはならないのではと思っていますわ」



 これで私の仕事は終わった。後は両親にてんまつを説明するだけだ。

 私はすぐ動く必要はない。どうせ、政治のほうが必ず動く。



「あの、ピエール、元婚約者として一言だけ忠告しておきますわ。貴族たるもの、せめて二手先は読んで行動するべきですわよ」

「ああ、お前の口癖だな。これまで何度も言われてきたな」



 ピエールの顔がはっきりと不快なものに変わった。



「はっきり言うぞ。お前への愛が冷めたのは、そうやって自分には知性と教養があると自慢するところに嫌気がさしたからだ! お前はずっと俺を政治のわからん愚かな男だと思っていただろう!」

「それは被害妄想ですわ。婚約者を侮辱するメリットなど世界のどこにもありません」

「いいや、そんなことはない。お前も俺の弟も、俺のことをみんなバカだと思っていた! 俺はチェスでもお前に0勝137敗なんだぞ!」



 ピエールは糾弾するように言った。



(そんなに敗戦の数、カウントしてたんだ……)



 それからピエールはすぐにまた勝ち誇った顔になった。



「だから、俺は今回二手先を読んだ。ジャーケルド将軍の臨時辺境政府はもうすぐ新たな宰相の就任を政府に求める。その時、宰相になるのは伝統的な宰相侯爵家の人間ではなく、金盾侯爵家――そうカトリーヌの御父上のオルタンス・ド・モンゴメリー様だ。つまり俺は新宰相の義理の息子になるわけだ。愛も権力も俺は両方手に入れる!」



 私はその長い演説を聞きながら、心の中でツッコミを入れた。



(それ、二手先じゃなくて、一手先なんじゃ……)



「俺はこのタイミングをじっと待っていた。ジャーケルド将軍のように、籠城して勝利した者だけが味わえる美酒を俺は味わっているんだ」

「そうですわね、二手先ですわね。さようなら」



 私はそれだけ言って、その場から去った。












 2か月後の真冬の日、たしかに金盾侯爵家のオルタンス・ド・モンゴメリー侯爵はジャーケルド将軍の後押しで宰相の地位についた。

 私の元婚約者ピエールは自分を新宰相の婿候補だと世間に吹聴した。まあ、たしかに形式上、実家を勘当されたということになっているから婿候補というのは間違いではない。



 一手目に関してはピエールは完璧だった。



 そして、その3か月後。すっかり春になった頃。

 ジャーケルド将軍の臨時辺境政府は準備を整えた国軍によって鎮圧された。

 将軍も逮捕されるのを潔しとせず、庁舎の堀としても使用している川に身を投げた。その身の処し方は軍人としては美しいものだと国軍の側からも称賛された。

 まあ、それはいいとして――



 宰相はその地位を解任され、反乱軍にくみしたという理由で逮捕された。

 さすがに家格が高い侯爵ということですぐに釈放はされたが、不名誉にもほどがある。当面、復権は不可能だろう。



 で、その宰相の婿候補の価値は激減どころか、完全に消滅した。

 まだ正式に結婚していなかったからか、カトリーヌ様は婚約を解消したという。

 ボロボロの金盾侯爵家を盛り立てるために、経済力のある貴族を探しているのだとか。

 それはいいとして、あの大恋愛はどこへ行ったのだろう? どうやら貧乏でもいいから愛するピエールと結婚するとはならなかったようだ。



 ピエールが銀鶴伯爵家の長子なら、家の豊富な財力での援助も見込めたかもしれない。しかし、ピエールは勘当の身だから当然のように銀鶴伯爵家は我関せずの立場だ。すでに跡継ぎもピエールの次弟だと正式に発表していた。



 つまり、今のピエールは「伯爵家から勘当された人」という肩書だけが残ったことになる。法的には伯爵家から勘当された平民でしかない。収入も存在しないはずだから、どうやって暮らしていくんだろう。

 別に貴族から平民になったからといって学園を除籍されるわけではないが、近頃は学園でも見なくなった。このまま退学するつもりだろうか。



 だから貴族は二手先ぐらいは読めないとやっていけないと言ったのに。

 ジャーケルド将軍の臨時辺境政府がいつまでも続く保証などどこにもなかった。事実、一年続かずに消滅してしまった。そんないつ沈むかわからない船に乗ったらどうなるか、もっと警戒しなければ。

 そもそも、なぜ将軍は金盾侯爵家の当主を宰相にしろと圧力をかけたのか、そこを考えるべきだった。



 金盾侯爵家は新興の家で、自分の都合よく操作がしやすいからだ。

 だったらどのみち宰相は傀儡なのだから、権力を行使することなどできない。



 上手い話だから飛びつくというのは、どう考えても一手目だ。

 飛びついた後に自分がどうなるかを考えるのが二手目だと思うのだけど、なぜかピエールの中では上手い話に飛びつくことが二手目になっていた。おそらくだけど、ピエールの中では婚約破棄の好機を待つ期間が一手目になっていたんだろう。



 ちなみに銀鶴伯爵家は「バカな長子が勝手なことをしたので追い出した」というスタンスを徹底して続けていたおかげで、とくに一家が没落することもなさそうだった。

 銀鶴伯爵家は長子が危ない船に乗ると言い出して聞かないので、「一方的な婚約破棄など婚約者だったフェリシア様の実家、鷲羽伯爵家に顔向けができない。なので、勘当するという形ならばピエールの好きにしていい」と伝えたのだろう。



 もちろん、もしも将軍が完全に国家の権力を奪取して安定した立場となって、宰相も十分に権力を振るえるようになれば、婚約破棄と新たな婚約を後押しした恩を着せつつ、勘当を解くぐらいのことはしただろう。

 つまり、どっちに転んでも銀鶴伯爵家に大きなダメージはなかった。場合によっては宰相の婿の実家として大きな顔ができる。もしダメでも、バカな長子が消えて、後継者がもっとまともな男になるだけだ。家全体で見れば損はしていない。

 二手先を読むというのはこういうことだ。



 というか、銀鶴伯爵家の長子でありながら、そのあたりの深謀遠慮ができないあたり、やっぱりピエールは愚か者だったということだろう。











 さて、私のほうはどうかというと将軍の反乱が収束し、王都も政界も完全に通常に戻ったタイミングで、お父様にこう言われた。お母様も横にいたので、同じ意見だったのだろう。



「新しい婚約者はお前の好きな殿方を選べばいいぞ。ただし、なぜその方を選ぶのか理由は説明しろ。恋だからとか運命だからとかいった抒情詩みたいな理由は認めん」



 つまり、明確な根拠を話せるような相手ならお前が決めろ、それぐらいにはお前の判断を信頼している――ということだ。

 私の自由を最大限尊重しつつ、この鷲羽伯爵家が傾いたり振り回されすぎることは防ぐ――いい按配だ。




 出会いの場は割合早くやってきた。

 数日後の園遊会で、落ち着いたたたずまいの金髪碧眼の貴公子が庭の隅の東屋に一人たたずんでいた。

 その東屋はわずかな高台になっていて、池のほとりで雑談に興じている貴族や小さなボートを漕いで笑っている貴族の様子がよく眺められた。まるで慎重に政界を値踏みしているようだった。



「こちら、空いておりますでしょうか?」



 私は貴族の礼をとって、東屋に入った。



「ええ、もちろん。こんな離れたところにまでご令嬢がいらっしゃるとは意外でした。僕は秋桜しゅうおう公爵家のリシャールです。父親の代に王家から公爵家を立てることを認められたばかりでご存じでないかもしれませんが」

「まさか、公爵家を知らないわけがありませんわ。庭のコスモスの花がたいそう見事だということから名前をとった家ですわね。私は鷲羽伯爵家のフェリシアです。騒がしいのはお嫌いでしょうか?」

「騒がしいところにいると、身の振り方を間違えやすくなりますからね。誰からも離れるのが最も安全だと僕は思っています」



 その少しのやりとりだけで十分だった。この人となら上手くやっていけると確信した。

 もちろん、ひとめぼれとかいった抽象的なものではない。

 価値観があまりに似ているからだ。



 その日の夜、両親に私はこう説明した。



「秋桜公爵家に縁談の話をお願いできないでしょうか? 理由はあの家が王位継承の争いから徹底して距離を取りつつ、大量の荘園を継承してはいるからです。つまり、嵐のように転変する政治に翻弄されるリスクも小さく、経済的にも豊か――娘の嫁ぎ先としてはとても優秀でしょう?」



 お父様は私の説明を合格だと褒めてくれたうえで、こう注釈をつけることも忘れなかった。



「あくまでも、先方が受け入れてくれればの話だがな。もっと大貴族の家でないと家格が釣り合わないと言われればそれまでだ。公式に話を持っていくと家格の差で無礼になるから、さりげなく伝えるとするよ」

「ええ、もちろん。ですが、おそらく大丈夫ですよ。政界の波の中にいる家とは距離をとるのがあの家のスタンスのようですから」



 お父様は不思議そうな顔をした。



「お前がそこまで乗り気なこともあるのだな。もっとクールな性格だと思っていたが。運命の人だと確信しているのか?」

「どうでしょう。ただ、惹かれたことは否定いたしませんわ」



 問題はなかった。

 私たちは正式に婚約した。少し会話の内容が小難しいというか、婚約者同士らしくないと周囲の人たちは思ったらしかったが、だからこそ私たちは幸せだった。



 ある時、お茶会でリシャール様からこんな話題を振られた。



「フェリシア、ジャーケルド将軍はなぜ敗北してしまったと思う? 彼が拠点にした庁舎は籠城場所としてはなかなか堅固だったという話だけれど」

「私は、それは籠城が裏目に出たからだと考えますわ」



 僭越ながらと断ってから私は自分の説を話した。



「籠城というのは後詰(ごづ)めの兵、つまり援軍が来てくださることで初めて勝てる戦略なのです。応援がなければ、ジリ貧になって負けるしかありません。将軍も庁舎に居座るうちに同じように政府に不満を持つ方たちが次々と挙兵したり、結集したりしてくれることを願っていたでしょう。ですが、そうはならなかった」

「つまりチェスの二手先が上手くいかなかったということだね」



 リシャール様が笑って言った。



「ですね。もちろん、二手先がまったく見通せないことも多いのですが、それでもできるだけ読む努力はしたいものです」

「僕らはよく似ている気がする」

「ええ。私もそう思います」



 私と新しい婚約者の一手先も二手先も幸せでありますように。




◆終わり◆


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登場人物みな貴族らしい価値観。ピエールだけが異質でしたね。婚約破棄する婚約者にペラペラ思惑を喋る時点でアウトでは?
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