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百合色横恋慕  作者: 芝井流歌
第2章 ビビット編

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76☆無敵のジゴロ

 結局、目論見通りお風呂に誘う訳でもなくプールに行く訳でもなく、あたしたちは竹藪の奥の寝室でただごろごろとだらけていただけだった。初めは呆れ顔をしていた茉莉花も最終的には満更でもない様子で隣に転がっている。


 小さい頃絵本で見たようなビロードのカーテンの向こうから、夏の夕陽が眩しく差し込んでいる。ベッドサイドの時計を見ればもう六時に差し掛かるところ。七月の陽の長さを感じた。


「しおーん、お腹減らない? プールは後にして夕飯食べに行こっか」


「あたしも言おうとしてた。もう六時なのね。プールって何時までやってるんだろ?」


「九時以降はナイトプールになるんだってさ。ご飯食べて、一休みしたら遊びに行こうよ。レストランの帰りにレンタル水着見てさ」


 レストラン! その言葉にあたしの目が輝く。きっときっと、ファミレスなんかよりずっとずっとおいしいはずっ。


 意味不明な長いコック帽を被ったシェフが「お味はいかがですかな?」とかなんとか言いながらワイングラスにぶどうジュースを注いでくれて、「焼き加減はいかがなさいますか?」とかなんとか言いながら黒いベストを着たウェイターさんが前菜とバケットを置きにきてくれて……。


 あぁ、これぞまさに夢にまで見た一流レストランっ!


「行こ行こっ! お腹空きまくって死んじゃいそー。楽しみだなぁ、ステーキっ!」


「ステーキ? ……残念だけど、レストランって言ってもこの建物からするに和食じゃないかな? それこそ、汐音の嫌いなお寿司とか……」


「お寿司かぁ……」


 起き上がろうとした腕の力が一気に抜けてベッドにぽふんと逆戻り。憧れの高級ステーキが丸焦げになって消えていった。あからさまにショックを受けたあたしの顔を見た茉莉花が、あたしの赤毛をかき上げてにっと笑った。


「こないだおいしそうに食べてたじゃん、お寿司。食べず嫌いだったものもあるだろうけど、きっとおいしいお寿司食べたら好きになるよ」


「うーん……。そっかなぁ……」


「残念がるなって。お腹空いてんだろ? ゆっくり食べてゆっくり遊ぼっ」


 わしゃわしゃと撫でてくれた茉莉花の手は冷たかった。エアコンの効き過ぎで冷えてしまったのだろうか。あたしがそっと指を絡ませると、ぐいっと勢いよく引き起こしてくれた。


「千歳に服借りてくる」


「え? 何で? そのままでいいじゃん。もしかして汐音、『こんな服じゃレストラン行かれないもんー』とか思ってる?」


「思ってるわよ。だって……」


 よく、好きな人の服を着ると匂いにドキドキすると言うけど、あたしは別の意味でドキドキが止まらなかった。ブランド物に違いない茉莉花の服なんて羽織っているあたしは着せられていやしないか、と。寮の鏡の前でも違和感があったし、電車の窓に映る自分を見る度に、滑稽な姿が笑われてやしないかと気になって仕方なかったのだ。


 おしゃれな茉莉花はいつも、お気に入りの洋服たちに丁寧にアイロンをかける。そのピシッと効いたノリの感触も着心地悪い。それ以上に、いくらコーディネートしてもらったとはいえ男物みたいなシャツを羽織っている自分が気持ち悪い。


「なんで? かわいいのに。ワイシャツは男物だけど、汐音みたいに中にかわいいキャミ着れば全然男物に見えないよ?」


「そ、それでも嫌なのっ。このまま行くくらいならこのバスローブみたいのに着替えるっ」


 あたしはベッドの足元に置かれていたバスローブを手に取った。柔らかなパイル地で出来たそれを握りしめる。茉莉花は不思議そうにあたしを眺めてから、急にぷっと吹き出した。


「しおーん、そんな恰好で廊下を歩いてる人がいると思うか? それは部屋の中で寛ぐ為のものであって、旅館の浴衣みたいに館内をうろうろしていいものじゃないんだぞ?」


「わ、分かったわよっ。そんなに笑わなくたっていいじゃないっ。どーせあたしは常識もなければセンスもお金もない貧乏人よっ。所詮あんたのブランドシャツなんて似合わないんだわ。こんな物返すわよっ」


 笑われてヤケになったあたしがワイシャツを脱いで突き出すと、茉莉花はあたしの顔色を窺うようにしながらそれを受け取った。心なしか寂しそうにも見える。くるりと背を向けクローゼットを開けけてさっさとハンガーに掛け始めた。


「かわいかったのに……」


 ぽつりと呟いた言葉に胸がぎゅっとなる。あたしの為を思って貸してくれたとはいえ、不釣り合いなブランド物を着ているくらいなら傷痕が見えてたってキャミだけの方がましだもの……。


「汐音が寒くないならそれでもいいよ。半袖の上着もカーデも持ってないって言うから貸したのにさ」


「ごめん。寒くないからこれでいい。傷痕見せたくなかっただけだから……」


 あたしが傷痕を手で覆うと、茉莉花は小さく「あ……」ともらした。あの日の告白をした時にも見せたんだし、見られたくない訳じゃない。でも、服を着ているのに見えてしまう事にはやっぱり少し抵抗が残っている。


 だけど、今日は茉莉花を変えるんだもの。あたしだって、あたしを曝け出さなきゃ……。


 ゆっくり手をどかす。露わになった傷跡を茉莉花がじっと見ている。思い出したくもないあの事件から、もうすぐ一年が経とうとしている。忘れなきゃ。変わらなきゃ。乗り越えなきゃ……。


「ぼくこそごめん、配慮が足りなかったね。今度かわいい半袖カーデを買いに行こっか」


「……いい。気にしてないから。どうせ水着になったら丸見えなんだし、寮のお風呂でもこそこそ隠してる訳じゃないし。ただ電車乗るしなーって思って……。誰もあたしなんか見ちゃいないって分かってるけど、あんま曝したくなかっただけ」


「うん。でもさ……」


 言いかけた茉莉花は、傷痕にすっと口付けした。突然の事に思わず肩を引いたあたしを不思議そうに見上げてくる。


「どうして嫌がるの? ぼくは汐音の全部が好きだよ? ちゃんと見せてくれた事はなかったけど、この傷だって愛しい汐音の一部じゃん」


 そう言って、茉莉花はもう一度傷痕に唇を寄せた。柔らかい感触がくすぐったい。嬉しい事を言われているはずなのに、なぜだか素直に喜べず切なさが込み上げてきた。


「ぼくはこの傷を最初に見せられた時に言ったはずだけどな、例え傷跡が消えなかったとしても汐音の心の傷は癒せるよってさ。その時の汐音は何て言ったか覚えてる?」


「……覚えてない」


「『あたしは一生誰も好きになれない気がする』って言ったんだ。でも、そうじゃなかったっしょ? あの日の約束通り、ちゃんとぼくの事好きになってくれた。だからぼくも約束を守る。傷跡は消えなくても、あんな事思い出せないくらいたくさん愛してあげるよ?」


 さらっと言われて顔が熱くなる。発言した本人は照れるどころか爽やかに笑っている。目に掛かりそうな前髪を手ぐしで直す余裕さえある天然ジゴロが恨めしい。


 この人のウブな時とジゴロな時の温度差についていけない……。


「は、恥ずかしい事けろっと言わないでっ。分かった、分かったわよ。あんたの好意、素直に受け取ればいいんでしょ?」


「かわいくない言い方だなぁ……。まっ、いいや。元気な方が汐音らしいしね」


 そう言って茉莉花はハンガーに掛けたばかりのワイシャツをあたしに羽織らせた。それはすでに茉莉花の匂いなんかではなく、しっかりあたしの汗の匂いを発している。一度脱いだ汗臭い服を着るのは抵抗があるけど、これも満足げに微笑む茉莉花の為。そう言いきかせて襟を正した。


「テーブルの上に館内図があったよ。レストランは二階、懐石料理のレストランとビュッフェのレストランがあるみたい。どっちがいい?」


「ぶ、ぶっへ……って何? それも和食なの?」


 茉莉花は館内図から目をよこすや否や、顔を叛けて口に手を当てた。どうやら笑いを堪えているらしい。だけどさっきの一件で学んだのか、必死に堪えているつもりのだろう。


「び、ビュッフェだよ、ビュッフェ。バイキングみたいなのって言えば分かる?」


「びゅっへ……? バイキングの事、びゅっへって言うの? ならそっちがいい。食べれそうなものだけ選んで食べたいっ」


「はぁー……。ダメだよ。言ったっしょ? 獅子太郎ホテルの料理は保証するって。食べれないと思ったものも食べれるようになるかもしんないんだから、この際食べず嫌い克服の為にも色々食べてもらうからな?」


「えぇー、だってあたし……」


「さっ、そうと決まったら急ぐぞ。ぼくもぺこぺこだから片っ端から食べよーっとっ」


 返事も待たずにそそくさと鍵を手に玄関へと急ぐ茉莉花。あたしも慌てて髪を整え鏡を見る。そこには、さっきと同じ服装なのに満更でもなく嬉しそうにはにかむ相葉汐音の姿があった。


「待ってよ、茉莉花ぁ」


 やっぱり、こいつには(かな)わないや……。


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