表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
百合色横恋慕  作者: 芝井流歌
第1章 パステル編

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

27/105

27☆週末はブラッディレッド? 後編

「だぁー……。汐音、ティッシュおかわりぃ……」


「またぁ? まったく、万年発情期だけに血の巡りがいいのね。どんだけ出るのよ、鼻血」


「しょーがないだろ……誰のせいだよぉ」


 あたしが箱ティッシュから二組取り出して渡すと、茉莉花は半ば奪い取るように急いで鼻下にあてがった。


 結局、あたしの計画は茉莉花の出血大サービスによって失敗に終わった。パーカーを脱ぎ捨てようと手を放したすきに突き飛ばされ、逃げようと起き上がった茉莉花の真っ赤な顔から真っ赤な鼻血が出ていたので諦めたのだった。


 さすがに情けなすぎて萎えたという方が当てはまるかもしれないけど……。


「鼻血止まるまで上向いちゃダメよ?」


「向かないよっ。それより、早くパーカー着ろよなー。汐音が着ない限りぼくは永遠に鼻血を止めるつもりはないっ」


「いいかげん見慣れなさいよ。あんただって同じような体型でしょ? 半裸くらいどうでもいいじゃない」


「どうでもいくないー。お、女同士とはいえ、よく裸でいられるな……」


 血に染まったティッシュを丸めてこちらに投げようとしているので、すかさず取り上げてゴミ箱へ放り込んだ。反抗が小学生並み。女体に関しては小学生以下のリアクション。いや、幼児でもこんなリアクションしないか。


 しぶしぶパーカーを拾い上げると背中越しに視線を感じたので振り返る。上目使いの茉莉花と一瞬目が合ったものの、すぐにぷいっと顔を逸らされた。見たいのか見たくないのかどっちなのよ、と思いつつ胸元までチャックを上げた。


「それにしても変な体質ね。女の子とは誰でもべたべたチュッチュするくせに、裸となるとめっきり弱いなんて。荒療治にお風呂連れて行こうと思った事もあったけど、いちいち鼻血出すんなら周りに迷惑だもんねー」


「迷惑って言うなー。それ以前に混んでる時にお風呂行かないって言ってるだろ。それに、こんな不意打ちじゃなければ出ないよ、鼻血なんて」


「あっそ。じゃあおもしろいからまた不意打ちで出させてあげるね、鼻血」


「……おもしろいから? どういう事?」


 にこにこするあたしをじろりと睨み上げて問い質す。押さえてたティッシュに新しい血がついてない事を確認した茉莉花は、すくっと立ち上がって今度はウェットティッシュで鼻周りをごしごしと拭いた。


「冗談だっつーの。マジになんないでよ。バッカじゃない」


「……冗談? さっきのも? 全部?」


「そう、全部。なに、本気にしてたの? あははははっ」


「……はい?」


 擬音語で表すなら、これが『ぷちっ』というあれかもしれない。冷やかな目をした茉莉花の表情からは殺意さえ感じ取れた。


「からかってたの? ぼくの事。『して欲しい』って思ってたって事も……好きって言ってくれた事も、全部嘘だったって訳?」


「嘘に決まってるじゃない。ちょっとからかっただけでしょ」


「……」


「なによ。あんたなんていっつも女の子とっかえひっかえして遊んでるじゃない。どういうつもりだろうが、傍から見たらそれだってからかってるように見えるわよ? 人の気持ち弄んでるじゃない」


「……」


 茉莉花はじっと黙ってあたしを見下ろしていた。ぴくりともせず、ただ黙って見下ろしていた。


 なに、この嵐の前の静けさみたいな不気味な空気……。


「汐音」


 数分の沈黙を破ったのは茉莉花の方だった。なんとなく悪態つく言葉も思いつかず黙っていたあたしは、その低く鋭い呼び声にびくっと肩が震えた。


「な、何よ……」


「そんなにぼくの事が嫌い?」


「き、嫌い。鈴芽ちゃんの件で辱められた時も、デートだって誘っときながら他の女の子ナンパした時も、その前だっていっぱいあんたに振り回されてきたんだからね! 好きになれる訳がないじゃない!」


「……へー?」


 意味深な相槌を打ちながら、茉莉花はゆっくりとあたしの前まできた。そして冷たい目のまま薄ら笑いを浮かべて口を開いた。


「汐音は好きでもない人にそうやって裸見せるんだ? 嫌いでも触らせるんだ? それはぼくが女の子だから? それとも相手が男でも?」


「……違う」


「違う? 違わないだろ。男嫌いっていうのも実は嘘で、男に餓えて欲求不満だからぼくで遊んでたんじゃないの? 実は『軽い奴は嫌い』ってのは同族嫌悪なんじゃ……」


「違うっ!」


 分かってる、仕返しとはいえやりすぎたあたしが悪いって分かってる。からかって、嘘ついて、怒らせたんだからしょうがないって分かってる。疑われて、幻滅されてもしょうがないって分かってる。


 でも、そんな言い方……。


 あたしは次から次へと溢れ出す涙も拭えずに、ただ滲む視界の向こうの茉莉花を見つめていた。ぽろぽろと流れ落ちていく涙、嗚咽の度に震える肩、がくがくとすくむ足。身体はこんなに反応しているのに、なぜ泣いているのかの答えには名前を付けられなかった。


「汐音、泣くなよ……。そりゃぼくの言い方も悪かったかもしれないけどさ、泣かれたらぼくが一方的に悪いみたいじゃんか……。もうどうしたらいいか分かんないんだよ。汐音にどう接したらいいか、何を信じればいいのか……。汐音の言う事、全部嘘だなんて思いたくないけどさぁ……」


 きっといつもなら髪を撫でてくれる。にっと笑ってみせてくれる。でも今は違った。現実からも、あたしからも目を逸らしている。


 もう失ってしまうかもしれない。信頼も、茉莉花の優しさも……。


「証拠……見せたら、信じて……くれる……?」


「……証拠? 何の?」


「あたしが、どうして男が嫌いかって証拠……見せてあげる」


 再びパーカーのチャックを下ろす。だけど今度は胸を見せないように、すっと右肩だけ引き抜いた。


 どこか訝しげにしている茉莉花の前に引き抜いた腕を突き出し、一つ深呼吸してから口を開いた。


「この傷は、去年の夏にレイプされた時に付けられた痕よ。三人組の男子高生に回されたの。逃げようとしたら乱暴されて、倒れたところのささくれた金網に引っ掛けた痕。痛かったわ。心も身体も痛かった。だけど親にも友達にもこんな事言えないじゃない……」


「……」


「だから病院にも行けなかったし手当てもしなかった。顔と手足についた泥と一緒に公園のトイレで洗っただけ。……もちろんあそこも拭いたわ。何度も何度も……。これで全部よ。あたしが男を嫌う理由はたったこれだけ」


 茉莉花は目を見開いたまま傷跡に釘付けになっていた。時が止まったように硬直している。無理もない。両親にもお姉ちゃんにも打ち明けられなかった真実なのだから。初めて告白したので上手く口に出来ていたかどうかも分からない。


 でも、この事実さえ伝われば、あたしの男嫌いの原因を知ってもらえれば、あるいは信頼を取り戻せると思った。過去を打ち明ける事でもう一度あたしを信じてくれると思った。


 どれくらい経っただろう。突き出した右腕ガ疲れてきた。もうさっきまでの涙は乾いていた。小さく息を吐いて肩を下ろすと、茉莉花の止まっていた時間が動き出す。


「……どうしてそんな事ぼくに言うの?」


「どうしてって……知ったら……話したら信じてもらえるかもしれないって思って……」


「信じるって……そんな話、出来れば信じたくないよ。事実であって欲しくない。気に障った事を言ったぼくに当てつけで暴露した訳? 男嫌いの理由とぼくへの冒涜は同等な訳?」


「暴露したから許して欲しいとは言ってないわ。あたしはただ……知って欲しかっただけ。軽いって言われたくない理由も、なんで男がダメなのかも」


「知ったところでぼくにした事実だって変わらないじゃないか。男がダメ? でも女のぼくなら……ぼくじゃなくても、女なら誰に何をしてもいいのかよ。身体を傷つけなきゃ心は傷つけてもいいのかよ」


 何も言い返せなかった。茉莉花の言う通りだったから。


 あたしはいつもこうだ。心だけでなく、あたしは茉莉花のプライドを傷つけると、いつもこういう冷たい視線を浴びている。今はそのプライドだけでなく優しさを逆手に取って心まで傷つけた……。


 嫌われても……しょうがない……。


「……許して……くれないよね……」


 喉の奥に何かが詰まっているような気がする。心臓の鼓動が激しすぎて吐きそう。かすれる声を絞り出すけどそれ以上言葉が思いつかない。


 何も発さなくなったあたしを見下ろしていた茉莉花は次の言葉を待っているようだった。でもこれ以上待っても会話にならないと思ったのか、そっぽを向いて深いため息をついた。


「許せないでしょ。悲惨な過去には同情するけど、だからって話をすり替えるのは間違ってる。ぼくは今、汐音に弄ばれて傷ついたばっかなんだぞ?同情したら許すとでも?」


 そんなつもりじゃ……ないのに……。


「分かった。ごめん、変な話して……。知っといて欲しかったけど、忘れていいから。ごめん、ごめんね、茉莉花……」


 もうダメだ。この人になら話してもいい、そう思える人だったのに、あたしは取り返しのつかない事をしてしまったんだ。


 今までなんだったんだろう。勝手に泣いて勝手に怒って。ただ目に入った茉莉花の言動にいちいち感情を乱して。思えばあたしだけが泣いたり怒ったりしてた。そうさせられてた訳じゃなかった。あたしが一人で空回りしてるだけだったんだ。


 ただそれを、いつも茉莉花のせいにしてただけだった。


「謝ったって許さないから。ちゃんと責任取ってもらうからな?」


 泣き崩れるあたしから声が遠ざかっていく。背後の、扉の方から聞こえる。出て行け、そういう事だ……。


 今更あがいてもしょうがない、あたしは現実を受け入れる為に溢れてくる涙を袖口で雑に拭いた。のろのろと立ち上がると、扉にもたれてこちらを見ている茉莉花と目が合った。あたしはもう一度袖口で涙を拭って真っ直ぐ向き合った。


「ごめん。帰るね」


「なんだよ、責任取ってくんないの? せめて約束してから帰ってよ」


「責任って……どうすれば……」


「嘘でも冗談でもなくて、ちゃんと好きになって責任取ってよね」


「……好きに……?」


 もたれてた扉からこちらへすたすた歩いてきたかと思うと、あたしの目の前でいきなり手を振りかぶった。


 ぶたれるっ、そう思ってギュッと目を瞑ると「いいよね?」とドスの利いた声で尋ねられ、あたしは躊躇なく頷いた。こっちは何発もお見舞いしてきたんだ、最後に一発くらい……そう覚悟して肩を竦めた。


 だけど、お見舞いされたのはビンタではなく……。


「四回目、だね」


 柔らかい、キスだった。


 驚いて目を開けると、茉莉花は満足そうにいたずらな笑みを浮かべた。呆然とするあたしに「許可得たでしょ?」と反応を求めている。


 それはそうだけど、頷いたけど、そうじゃなくて……。


 動揺している間にあたしの頭をなでなでしたり、手をにぎにぎしたり、頬をむにむにしたり。動けないのをいい事に好き勝手いじくっていた。


「そんなに驚く事? ぼくが殴るとでも思った?」


「……思った」


「ははっ、汐音じゃあるまいし。ぼくはいつだって優しいだろ?」


「酷い」


 あたしがむくれると「怖っ」とにやにやしながら手を引いた。そして背後に回って、微動だにしないあたしを後ろからそっと抱きしめた。細くて白い腕。柔らかくて温かい胸。いつしかあたしは肩の力が抜け、茉莉花の鼓動を背中に感じながら身を預けていた。


「今度は心から『好き』って言ってもらうからな。じゃないとぼくの傷は癒えない。その代りぼくも汐音の心の傷癒やせるようがんばるから」


「そんなの……約束出来ない。信頼関係なんてそう簡単に取り戻せる訳じゃないし、あたしの過去なんてあんたに消せやしないもの。あたしは一生誰も好きになれない気がする。男の人も、自分も」


「ふーん。んなら尚更ぼくの側にいればいいじゃん。ぼくなら汐音の身体に手ぇ出さないし、男でもないし、浮気もしない。寂しい時にはいつでも隣の部屋にいるから会えるよ?」


「……三番目のやつはダウト」


「う、嘘じゃないって。こう見えても真面目なんだぞ? 軽いだのちゃらちゃらだの言うけどさ、ふ……ふ、フレンチキスしかした事ないからな? べ、べろちゅーなんてした事ないからな?」


 弛んだ腕の隙間からするりと抜け出し、まじまじと茉莉花の顔を見上げる。ウブな暴露に恥ずかしくなったのか、茉莉花は慌ててそっぽを向いた。思わず吹き出したあたしを「な、なんだよ」と照れながら睨みつける。


 やっと分かった気がする。やっと一つになれた気がする……。


「ねぇ」


「だ、だからなんだよ」


「べろちゅー、しよっか」


 たじろぐ姿が見たいだけじゃないの。試したい訳でもないの。きっとあたしは、今を逃したら素直になれない気がするから。


「はいー? ななな、何言い出すんだよっ。そ、そーゆーのは宣言とか承諾とかじゃなくてさ、なんつーか……雰囲気でするもんでしょ」


「なーんだ、偉そうに告白してきた割りに覚悟はないのねー。せっかく嬉しい事言ってくれたのにがっかりだなー……」


「またそうやって煽るぅ……。ぼくは純心なんだよ」


 知ってる知ってる。ほんとは真面目で純粋なおバカさんだって事。でも、そこがかわいいんじゃない。


「煽ってない」


「煽ってるー。……じゃあ分かった、さっきの約束、守ってくれるならするよ」


「……」


「約束、してくんないの?」


「する。だから、して?」


「ムードもへったくれもないな……。ほら、おいで」


 五回目にしてこれが初めてのキスだと思った。毎回不意打ちで合意も許可もなければ思いもなかったあたしたちのキス。


 今だって電気は煌々と点けっぱなしだし、合意の上とはいえ強引にたどり着いた結果だし、ちっともロマンチックなんかじゃないけど、それがあたしたちらしくて心地いい。


「……汐音、もしかしてずっと目ぇ開けてたんじゃないだろうな」


「今開けた。どんな顔してんのかなって思って」


「お、思うなよ、そんな事ー。もう絶対しないからなっ」


「違う違う。上手いなって思ってたの。ほんとにべろちゅーした事ないのかなって」


「嘘だ。絶対そんな事思ってないくせに」


「思ってる。だから、もう一回して?」


 上手いとか下手とか、ほんとはそんなものは別にどうでもいいの。あなたがあたしを受け入れてくれるから、あたしもあなたをもっと欲しくなる。身体で繋がれない女の子同士だけど、絡み合う舌が隔たりを溶かしてくれるから。


 だから、ずっとこうして求められたい、求めたい。


「……もうっ、また目ぇ開けてただろー。もうやだからな。もうしないからなー」


「んー、べろちゅーってアゴ疲れるのね。真剣な顔もいいなーって思ってただけよ。見ちゃダメなの?」


「普通は見ないのっ。そーゆー汐音こそ、目ぇとろとろだぞ」


「み、見ないでよっ、バカっ」


「……じゃあ、電気消す?」


「……じゃあ、ベッド行く?」


 あたしたちはきっと、似た物同士なんだと思う。バカで、不器用で、その上素直じゃなくて。


 だけど、全く違うところだってある。


「浮気したらぶっ殺すから」


「しないよ。ほら、この目を見て?」


「真っ暗で見えないっつーの。フレンチキスもナンパも極刑だからね」


「え? フレンチもダメなの? それにナンパは浮気じゃないだろ」


「どうしてもやりたいんならあたしの目の届かないところでやってよね。こそこそしないで墓場まで持ってって。その代り、バレたら……」


「たら?」


 似ているところもそうじゃないところも、全部ひっくるめてあなたが好きだから。


「どんな死刑にするか、その時考えよっかなー」


「怖っ」


 似ているところもそうじゃないところも、全部ひっくるめて好きでいてね。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ