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エピローグ①祈りと彼の居場所について

事件を終えた翌日、瑠璃はアナトと一緒に汚染の状態を調べていた。向かったのは、二人が出会った、あの廃墟エリアだ。



「うん。少し腐敗が残っているけど、回復の兆しがある。祈りが成就されなかった証拠ね」



何度も土を踏み付けながら、腐敗の調子を確かめたが、問題はなさそうだ。時刻は早朝。昇る日を浴びて、彼方にそびえるノモスを眺めながら、アナトが疑問を口にした。



「今まで少しも考えたことなかったけど……ノモスってなんだ?」


「なんだ、って……どういうこと?」


「皆、どうしてノモスを大事にしているんだろう。ノモスは、なぜ人の祈りを叶えようとするんだ?」


「……」



聞かれてみると、考えたこともなかったことに気付き、顔をしかめて黙り込んでしまう。



「分からないのか?」


「だ、だって……私たちが生まれたころには、既にノモスは存在していて、当たり前にそこにあるものだったし。翡翠ですら、人間にとって信仰の対象としか知らないみたいよ」


「ニルヴァナっていう神様が奥にいるんだろ? どうして、コーラルの大地を腐らせるんだろう。そもそも、本当に願いを叶えてくれるのか?」


「それは……私も考えたことがある」



瑠璃も遠くのノモスを眺めながら、かつての自分に想いを馳せた。祈りについて、何度も繰り返し考えた日々を。そして、ノモスの内部で出会った少女の姿を。



「私ね、ノモスが願いを叶えてくれるなんて、ウソだと思っている。だって、そんな都合のいいものがあるわけがないじゃない」


「……じゃあ、どうして人はノモスに祈るんだ?」


「祈るって行為は……最初は自分を律するためのものだったと思うの」


「自分を律する?」



「そう。心を静めて自分の願いについて考える。そして、それを叶えるためには、どんな行動を取るべきか、ということも考えるの。でも、自分一人で考えてもぼんやりしたままだったり、混乱したりするでしょ。それをニルヴァナと対話するつもりで考えれば、しっかりと考えを心の中で言語化して、まとめられたんじゃないかな。私は、それが祈りの機能だと思ってる」


「まとめて……どうするんだ?」


「やりたいこと、やるべきことが決まったのなら、あとは行動するのみよ。それで、上手く行かないときは、ニルヴァナと対話したことを思い出す。もし、分からなくなったら、また祈ればいい。そうして、神様を通して自分との約束を重ねて行けば、少しずつ祈りの成就に近くづと思わない?」



「強い想いを持って、祈りを重ねれば、願いは叶うってことか」


「そう。ノモスはあくまで話を聞いてくれるだけ。あとは自分の行動次第。ノモスが祈りを叶えてくれるんじゃない。自分で叶えるのよ」



納得してくれたのか、何度も頷くアナトだが、まだ疑問があるようだ。



「でも、なぜ正しくない祈りは察知して、大地を腐らせるんだ?」


「それは……神様だもの。人が悪いことをしていたら、叱ってくれるんでしょ?」


「もっと直接的に叱ってくれた方が分かりやすい気がするけど……」



アナトの指摘について、瑠璃は考えを巡らせるが、結論は出なかった。誤魔化すように咳払いを一つ。



「ことわざにもあるでしょ? ニルヴァナを疑わず、試さず、ただ正しく祈れって。真面目に生きてればいいのよ!」



アナトがことわざを知っているとは思えないが、なるほどと言って頷く。二人は数秒黙ってノモスを眺め続けたが、瑠璃が小さく溜め息を吐き、笑顔を見せた。



「さて、事件は解決して、私たちの協力関係は終わったわ。アナトくんも、汚染に気を付けて、これからも真面目に生きなさいよ」


「そうする。正しくない祈りを捧げて、一条と翡翠に追いかけられたくないからな」


「結構」



それ以上は会話が続かなかった。だとしたら、交わすべき言葉は一つ。別れだった。



「それじゃあ、私はクシェトラに帰るから。もしこの辺りで何か困ったことがあれば、助けてあげないでもないから……訪ねてきたら」


「それは頼りになるな」



踵を返し、立ち去ろうとする瑠璃だったが、アナトが「一条」と呼びかけて引き止める。振り返ると、彼が笑顔を浮かべていた。



「ありがとう、一条」



そう言って手を差し伸べられ、妙に動揺してしまう。もちろん、彼が何を求めているのか、どういう気持ちなのか、理解はしている。だけど、こんなこと……。


しかし、きっとこれで最後だ。想い出と言うわけではないが、もったいぶっていては、後悔するかもしれない。思い残すことがないよう、やれることはやる。それが自分の主義なのだから。



「こっちこそ、ありがとうね」



微笑みと握手を交わすと、今度こそ何もなくなってしまった。



「それじゃあね」


「うん。さよならだ」



瑠璃はクシェトラの方へ歩き出す。



(あー、変なやつだったな)



歳の近い男、というだけで珍しかったが、それに重ねて変わった男だったと思う。妙にものを知らず、頼りなく感じたが、変なところで度胸があって、何度か助けられたような……。いやいや、圧倒的にこっちの方が助けてやった回数は多いわけだけど。まぁ、どっちでもいいじゃないか。もう二度と会うこともないのだから。



(はぁー。最後の最後に、顔くらい見ておいてやるか)



自分の感情に踏ん切りをつけるような気持ちで、振り返ってみる。あいつはどんな顔をしているだろうか。またノモスを眺めながら、祈りについて考えているかもしれない。もしくは……もしくは、名残惜しそうに自分の背中を眺め、振り返る瞬間を待っているかも。しかし、瑠璃が見た光景は、まったくと言っていいほど想像と違うものだった。



「な、な、な……何してるの!?」



アナトは地面に寝っ転がっていた。ここ数日を経て、あの男も成長したばかりだと思っていたが、出会ったときとまったく同じではないか。瑠璃はすぐに来た道を戻って問いただす。



「ちょっと、あんた! どうして、こんなところで寝ているの?」


「ん? ああ、早々に女神が迎えに来たと思ったら、一条か」



あれ? この会話、あのときと同じじゃない?

しかも、この男……寝ぼけているみたいだけど、別れた瞬間に眠りについていたのだろうか。自分のモヤモヤした気持ちはなんだったのだろう。



「一条か、じゃないわよ。さっき、爽やかなに別れたのに、普通すぐ寝るか??」


「そんなこと言われても……知っての通り、僕は無職だし、やることもない。まだ疲れているから、少し眠ろうと思っただけだ」


「……」



こいつ、黙っていて思慮深いように見えるけど、やっぱり本当の馬鹿なんだ! 救いようのない馬鹿。だから……面倒を見てやる人が必要なのではないか。



「分かった。アナトくん……クシェトラに住む?」


「……いいのか?」



驚いたのか、アナトは体を起こす。



「それは正直、助かる。住む場所があれば仕事だって見つけられるかもしれない」


「ただし!」



なんだ、こんなに簡単なことだったのか……と思いながらも、瑠璃は立てた人差し指をアナトに見せる。



「クシェトラは私だけのものじゃない。翡翠と先生、佐枝さんや屋島さん、それから子どもたちが許してくれないとダメだから。それが条件よ」


「ああ、お願いしてみるよ!」



アナトは立ち上がると、再び手を差し出してきた。



「一条、ありがとう!」


「…………」



差し出された手を見つめ、なぜか頬が熱くなる。自分は怒っているのだろうか。たぶん、そうだ。瑠璃はアナトの手を思いっきり叩いてやる。いたっ、と顔を歪めるアナトに瑠璃は言うのだった。



「もう! 易々とそういうの、やめなさいよ」



そして、先を歩き出すが、いつまでもアナトが立ち止まっているので、もう一度振り返らなければならなかった。


「何しているの? 早く行くわよ!」


アナトは笑顔で頷いた。

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