◆アッシュ③
「見て、アッシュ。鳥が飛んでいるわ」
オルガが指をさした方を見ると、渡り鳥が134羽観測できた。夕日に溶けていくように、渡り鳥が遠ざかる姿は美しく、それを眺めるオルガも温かい微笑みを浮かべている。しかし、私の視線に気付くとその笑顔は曇ってしまった。
「……ごめんなさい。本当はこの景色も、エリスと見たかったのにね」
そう言ってオルガは先を歩き出す。山を削って作られたような道を、どこへというわけでもなく。
研究所が邪教徒の襲撃を受け、マスターを失ってから一年が経つ。唯一の生き残りである私とオルガはニルヴァナ教の保護を受けることもできたが、二人で旅に出た。それは、私がエリスの亡骸の前で「一緒に旅に出たかった」と嘆いた姿を見たオルガが、代わりにはなれないが、と言いながらも付き合ってくれたためだった。
もちろん、最初は断った。あくまで、私とエリスの夢だったのだから、と。しかし、オルガは私の胸に額をあてながら言った。
「……気付いてなかったとは思うけど、ずっと貴方を愛していたの。チーフとして、最後の命令だと思ってもいい。お願い、私の夢を叶えて」
エリスがいなくなったメンテナンスルームに、オルガが訪れる夜が何度もあった。そこにどんな意味があるのか、私はずっと理解できずにいたのだが、まさかこんな形で判明するとは。
「ねぇ、アッシュ。次は海を見に行きましょう」
暗い気持ちを振り切るような笑顔で彼女が提案した。私たちの旅の行き先は、いつも彼女が決めてくれる。人生のほとんどを研究所の中で過ごした彼女は、さまざまなコーラルの景色を目にしたいと、以前から思っていたそうだ。
「本当に綺麗。それとも……ふふっ、貴方と一緒だから美しく見えるだけなのかしら」
景色から私に目を向けながらも、彼女は頬を赤らめて笑う。そんな顔を見せたときは、決まって照れくさそうに顔を背けて立ち上がり、彼女は言うのだ。
「さぁ、アッシュ。次はどこに行く?」
エリスを失ったばかりの私は、メモリの情報が錯乱し、多くのエラーを吐き出す寸前だった。しかし、彼女と一緒に旅を続けるうちに、彼女の笑顔を見るうちに、それは少なくなっている。心が癒える。人であれば、そう表現するのだろう。しかし、オルガはときどきこんなことを言った。
「分かっているわ。貴方が彼女を忘れられないことくらい。どんなに傍にいても、貴方のメモリには彼女の記憶が深く刻まれているものね」
彼女がそう主張するたびに私は否定した。
「確かに私はマスターのことは忘れられない。しかし、オルガを大切に思う気持ちとは……別のモノだ」
しかし、彼女は納得してくれない。
「忘れられないって……ウソもついてくれないのね」
「私はアンドロイドだ。ウソは苦手なんだ」
「……それこそ、ウソじゃない」
彼女の声が、嫌に静かに、冷たいものになる。
「後期型のアンドロイドの中でも貴方は新型でしょ。ウソだって人間以上に上手だし、リアルな表情だって作り出せる。そういうプログラムがあるんだから」
「そんなことは……」
「私は技師で魔女よ? その気になれば、貴方のメモリにアクセスしてログを確認することだってできる。だから、見え透いたウソはやめて」
「…………」
決して荒々しい口調ではないが、そこには感情的な何かがある。そして、彼女は痛みに耐えるように、自らの肩を抱く姿を見せたため、私が酷く傷つけているのだと認識するのだった。私が困惑していると、彼女は行き過ぎた発言に気付いたのか、表情を作り直して言う。
「ごめんなさい。思ってもいないことを言ったわ。ログを見るなんて……最低なことよね」
「君の気持はわかっているつもりだ。すまない」
本当は現代の技術で後期型アンドロイドのメモリを覗くことはできない。彼女だってそれを知っているのはず。それでも、この話題になるとデタラメを口走ってしまうほど、彼女を感情的にしてしまう。それが自分のせいだと思うと、私もつらかった。
そんな風に衝突することはあったが、私は彼女と過ごす日々をかけがえのないものだと思っていた。この日々を続けるために、私は彼女を失ってはならない。あのときのように、何もできず失うなんてことは……絶対にあってはならないのだ。彼女の悲し気な表情を見るたびにそう考えた。
「貴方のせいじゃない。それは分かっている」
しかし、旅を続けて二年が経過したころ、オルガは言った。
「それでも、耐えられないときあがるの。彼女のことを忘れてくれたら……どんなにいいことか」
「……私のメモリ削除は現代の技師には不可能だ」
「……ラストナンバーズならアンドロイドのメモリにアクセスできるって聞いたけど、本当なの?」
私は答えなかった。彼女はそれを繊細に察知する。
「答えないってことは本当なのね? でも……大丈夫。貴方の大事なものを奪いたくはないもの」
「……オルガ、一緒にアキーバへ行こう」
私は初めて旅の行き先を提案した。
「アキーバに……?」
「そこに、ラストナンバーズの一人、ガーネットがそこに眠っている。彼女にお願いすれば、私のメモリからエリスに関する記憶を削除してもらえるはずだ」
「……本気で言っているの?」
「本気だ」
私たちはアキーバへ向かった。その道中、彼女がこれだけ笑顔を見せた日々は、未だかつてなかった。しかし、アキーバに到着して、私たちは知ることになる。
「ガーネットは時計塔の地下施設で眠っています。しかし、それは伝説のようなもので本当に存在しているか分かりませんし、何よりも地下施設に入るための扉は硬くロックされているので、誰も入れませんよ」
アキーバの住人に聞いたところ、そのロックは誰にも解除できないらしい。途方に暮れる私たちだったが、オルガは次の案をすぐに思いついたようだった。
「だったら……祈るしかないわ」
「祈る?」
彼女は真剣な眼差しを虚空に向け、深くうなずいた。
「ノモスに祈るの。私たちの祈りを捧げて、願いを叶えてもらいましょう」
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