60 ルドヴィーグ伯爵の想い
今回は少しだけ短めです。
夏が過ぎいつの間にか秋が訪れていた。
あの書庫での抱擁の後からもラディウスは変わらずルドヴィーグ伯爵家を訪れている。
ブルーナとラディウスの仲は以前と変わらなく見えていたが、視線を絡ませる機会が多くなり、冗談を言い合う回数も増えた。親密さを見せる場面もあり、決して頻繁ではないが、ラディウスが思わずブルーナの髪や頬に手を触れる事もあった。
その度にブルーナは困ったように笑う。だがその手を払う事はなかった。
* * * * *
ルドヴィーグ伯爵は執務室の机に座り、考え込んでいた。
ラディウスは変わらずにここへ来ている。そしていつものように書庫へ向かい、その書庫にはブルーナが居る。
ルドヴィーグ伯爵は深い溜息をついた。
ブルーナは今もたまに発作を起こす。だが確実に発作の回数が前より減っていた。それもこれもラディウスが来るようになってからの変化だと思える。
しかし、このまま二人を会わせていて良いものか……何度目の溜息だろう。また伯爵は薄く息を吐いた。
何度考えてもどう考えても明確な答えは出せず、彼の悩みは尽きない。
一週間ほど前、リリアナが浮かない顔をして執務室を訪れた。彼女は思い悩んだ末に執務室を訪れたようだった。最近、ずっと彼女の様子がおかしかった。何かあったのかと問いかけても何も言わない。だが確実に何かを悩んでいるのだけは分かっていた。
そこまで思い悩む程の問題に思い当たる事はないが、とうとう本人が打ち明ける覚悟をしたようだ。
「何があったのだ?」
ルドヴィーグ伯爵の声に、一度は意を決して来ているにも関わらず、なかなかリリアナはその先を話そうとはしなかった。
「覚悟を決めてここへきたのだろう?」
優しく話す夫の顔をリリアナは不安げに見た後、小さくコクリと頷いた。ルドヴィーグ伯爵は軽く溜息をついて、ハンスに視線を向ける。ハンスは何も言わず礼をすると部屋を出て行った。
執務室には伯爵と妻のリリアナだけとなった。
「話してみなさい」
出来るだけ優しい声でルドヴィーグ伯爵は話すように促した。
「こんな事を言うべきではないと思うのですが……」
リリアナは眉間に皺を寄せルドヴィーグ伯爵の瞳を見つめる。
それから語り出した彼女の話は、ルドヴィーグ伯爵を驚かせた。
だが、自分はどこかわかっていたようにも思う。
『ラディウス殿下とブルーナが、必要以上に仲睦まじいのでは無いか?』
そう、そんな事はとうの昔にわかっていた。従者たちから聞こえてくる噂も、ラディウス自身の態度も、ブルーナの視線も、何もかもが互いに慕い始めている二人の仲を物語っていた。
——ではなぜ自分は二人に注意をしなかったのか……。
伯爵は自分に問いかけ、窓の外に視線を彷徨わせた。伯爵家の整えられた美しい庭が視界に入る。だがそれも彼には見えていないも同じだった。
彼は自分への問いかけの答えをもう前から知っていた。何よりもブルーナの変化が嬉しかったのだ。あれ程に人と接するのを避けていた娘が、少しづつ変化を見せている。そのきっかけを作ったのは、隣国へ嫁いだアリシア王太子妃だ。だが、ラディウスとの接触がなければここまで大きく変わることはなかっただろう。
ブルーナは昔に比べるとよく話すようになった。そしてよく笑うようになった。これまでの間、伯爵自身がこれほどの変化をもたらす事はなかった。
リリアナは書庫での出来事を従者から聞いたようだ。その従者はエレーヌ付きの侍女ソフィーの身を案じて告白したという。まずルドヴィーグ伯爵はその事に腹が立った。
ラディウスが館を訪れた時には、書庫には近づくなと言っていたにも関わらず、彼は書庫へ入ったのだ。昔から勤める者達は、この家のルールを破る事は殆どない。破ったとしてもそっと胸に秘めているだろう。
リリアナに告白した従者は半年前からルドヴィーグ家に勤め始めた者だった。新しくこの家に入る従者は、まず教育をしなければならない。新参者は、どうしてもルールを守るという基本的な縛りが薄い。
それに侍女のソフィーを心配してとは言っているが、半年そこらで入って来た者に何がわかると言うのか。
ルドヴィーグ伯爵はリリアナの告白を聞きながら、余計なことをしてくれたと思っていた。
リリアナは初めこそ不安げに見えていたが、話しながら次第に自分の意思をはっきりと表に出すようになった。
「わたくしはこのままではいけないと思うのです。エレーヌは勿論ですが、ブルーナも同じです。どうか貴方、決断をして下さいませ。このままでは誰も幸せにはなれません」
リリアナのいう事はもっともだ。
「少し、時間をくれないか? 私もしっかりと考えたい……」
「えぇ……勿論ですわ」
リリアナの意思の強さはその瞳に現れていた。彼女の薄い茶色の瞳が光を灯している。彼女はルドヴィーグ伯爵を残し、部屋を出て行った。
それから数日が過ぎていた。堂々巡りのまま答えを出せていない。
伯爵はそっと執務室の机の引き出しを開けた。書類の下に隠すように置かれた封筒がある。その中から小さな紙を取り出して広げ、書かれた文字を愛おしく見つめた。
それは先妻レティシアの書いた手紙だった。彼女の繊細な文字が綺麗に並んでいる。そこに書かれた文字を何度も読み、伯爵はその文字にキスをした。
『私は貴方の事が好きなのです。誰に反対されても、私は貴方の元へ参ります。だからお願い、待っていてください……レティシア』
それは初めてのレティシアからのメッセージだった。手紙と言うには簡単なメモ書きではあるが、伯爵はそれを誰にも触れさせた事はない。恐らくリリアナも知らないだろう。
レティシアはエマ王妃の遠い親戚にあたる令嬢だった。
爵位は公爵で、現ルガリアードの国王であるオルファ王の妃候補の一人だった。とてもでは無いが伯爵家に嫁ぐような女性ではなかったのだ。
だが、ルドヴィーグ伯爵がリングレントの留学から戻った年、すずらん祭りの舞踏会で二人は出会ってしまった。かなりの反対や、嫌がらせを受け、諦めかけた時にレティシアからこの手紙を届いたのだ。
これを手にした時、どれだけ嬉しかった事か。今でも目を閉じると彼女の笑顔が浮かぶ。それと同時に愛しさが心に籠った。彼女と自分は数々の困難を乗り越え、彼女は身体が弱くても自分の元へ嫁いで来た。それからの幸せな日々を忘れる事はできない。
ブルーナはあのレティシアの面影を宿している。今まであの娘が幸せな顔をするのなら何でもしてやりたいと思って来た。身体が悪く、幼いうちに死んでしまうと思われたあの娘がここまで生きてきた。それだけでも奇跡なのだ。
——だが……エレーヌとの事もある。
ルドヴィーグ伯爵はまた大きな溜息をついた。
ラディウスとブルーナを引き離すか、エレーヌとの婚約を取り消すか……どちらにしても一悶着起こるだろう。
自分はレティシアと思いを遂げる事ができた。愛する彼女を手に入れる事ができた。だが、ブルーナはあの身体ではラディウスの妃になるなど無理だ。
あの時、ラディウスがブルーナを見つけたあの日、もっと何か対処をすれば良かったのだ。だが一方で、ブルーナが人と交流する姿を見たかったという己がいる。
これは全て自分の責任だ。互いに思い合う二人の間を裂くように、エレーヌを嫁がせるのも不便で仕方がない。
「どうすれば良いのかな……レティシア……」
冬はもうすぐ訪れるのだ。決断は早いに越した事はない。
ルドヴィーグ伯爵は、手にした手紙をジッと見つめ、頭を抱えるように机に伏した。
秋の風は紅葉樹の葉を巻き上げた。マロニエの大木も大きな葉を落としている。リスは巣穴で冬に備えて木の実を蓄えているだろう。
物寂しい音の風が吹いた。
もう直ぐ冬が訪れる。
読んでくださっている皆様。
本当に感謝します。
この話は好きな人には刺さると思うのですが、ラノベと言う括りにすると少し違うかもしれません。
ですが、皆様の応援メッセージを読ませていただいて、涙が出るほど嬉しく思っています。
何度でも言います。
ありがとうございます!心から皆様に感謝しています。
森嶋 あまみ




