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37 ブルーナの見解

十字軍については様々な考え方があります。

これはあくまでファンタジーなので、ブルーナの住む小国ならではの考え方としてお読みください。


 次の日、遅い朝にラディウスの従者がブルーナ宛の資料を持ってきた。ブルーナはそれを受け取り書庫に籠もって資料を読んだ。


 そこには西のローマ教皇と東ローマ皇帝の驚くべきことが記されていた。


 東ローマは度重なる他国からの侵略と遠征をどうにか阻止していたが、同時に街の構築にも力を入れているという。資金は湯水のように使われ、ここ三十年は皇帝の入れ替わりが激しいことが記されていた。


——なんてこと……。


 その資料にはブルーナの知識では知り得なかった事実が書かれてあった。


 東ローマの金貨の価値が下がった事、未だに建築を進めている事、北の国と東の異教徒が頻繁に攻めて来ている事、だが首都であるコンスタンティノープルには、今も四〇万人にもなる人々が暮らし続けているのだ。度重なる戦いにも恐れることなくと言えば聞こえは良いが、決してそうではないことも(うかが)えた。


 ——このままにしていると恐らく目も当てられない事態になる……。


 金貨についてはアラブの国々の貨幣の方が価値が高いと書かれている。


 ブルーナは一度資料から目を逸らせた。強大な力を持ち、西と東のローマは拮抗しているというのはもはや嘘なのだ。


——……だからウルバヌス二世は十字軍遠征を考えた……つまり、東ローマの皇帝に自分の力を見せ付けるためなのね。


 ブルーナはしばらく(くう)を見た。


 金貨の価値が下がるという事は、国の力が落ちて来ているのを表している。

 歴史の中でもたびたび起こる事ではあるが、金貨に不純物を混ぜ同じ価値として世に排出する。人々はそれを知らずに使う内、不純物が混ざるため劣化が早くなる。量り売りで金貨を取引している場合は、もはや重さで一目瞭然となる。その価値は確実に下がる。


 貨幣の製造は皇帝の権限だ。つまり東ローマ帝国の皇帝が支持したのだろう。


——なぜ国の価値を下げることになると気づかなかったのかしら……いいえ、必要だったのかもしれない……それが一時凌ぎだとしても……。


 ブルーナは心の中で呟いた。

 力のない国に属するより力のある国に属していた方が良い。だが同時に思う。あれだけの栄華を誇った東ローマ帝国がこんな事になっていたとは計算違いだった。


 国の繁栄は続くものではない。それは歴史書を紐解いてもわかる。という事は西に属した所でいつかはまた大きな波に巻き込まれる。

 できるなら、その波を極力避けるか小さな影響に留めるのが良い。


 資料はさらに続いていた。


 今度は西のローマ教皇についての事だ。

 こちらは辺境との戦いが落ち着いていた。だがそこで問題が起こっているようだ。戦いに駆り出された兵士たちの帰還と共に街の治安が悪くなっているのだという。つまり、無法者達が街に溢れ返り仕事もない有様なのだ。


 ブルーナは眉を顰めた。だから十字軍なのだ。彼等をまた戦いに行かせ、その戦いの後の治安を守るとの名の下で辺境に送り込む。手っ取り早い厄介払いができる。


——……やはり、エルサレムの奪還だけが目的ではないのね。


 だから取ってつけたような印象があったのだ。

 ブルーナは無性に腹が立って来た。だからと言って自分にはどうする事もできないのだが……。

 そして、この戦いに駆り出される小さな国の者たちは十字軍の遠征を尊いものだと思っている。教皇がそう仕向けたのだから。


 大きな溜息がでた。


 この十字軍遠征は東ローマからの要請で始まった。これは東にとっても西にとっても十字軍遠征は都合の良い出来事なのだ。

 だが、人員の少ない小国にとっては人の命がかかっている。人一人の命は貴重で国力にも繋がるのだから。


 このまま大国に翻弄されていいわけがない。


——どうすればいいのかしら……。

 

 ブルーナはじっと考えた。


 先ず出兵に関しては十字軍遠征の兵は出すべきだろう。

 もし十字軍の兵士達が無法者である場合、嫌がらせとして兵士を出さなかった国をわざわざ通っていく可能性がある。その場合、彼らは参加していないことを盾に好き勝手に国を荒らしていく事が考えられる。


——出兵はするとして……。


 先を考えると兵の人数は極力抑えた方がいい。リンデルシュ侯爵が言っていたように参加人数は最高五百人で抑えるべきだと思う。もしも十字軍がこの国を通る事になった場合、街に残る騎士は多い方が賢明だ。


 ブルーナはまた資料に目を向けた。


 少しだけ心の中に虚しさが生まれていた。東ローマ帝国が力を持っていたのはもう昔の事である。

 権力が長く続く事はないのだ。自分は今まさに歴史の中にいるのだ。


 ブルーナは身を震わせた。今後この国はどうなって行くのだろう……確実に渦に飲まれる事になる。




            * * * * *




 そして次の日、午前中の早い時間にラディウスがやって来た。ルドヴィーグ家の者たちはもう慣れっこになっており、そのまま書庫へ向かうラディウスを見送った。


 ラディウスは真っ直ぐに書庫へと急ぎ、そこにはいつものようにブルーナが居た。


「ブルーナ、早く会いたくて訪問がこの時間になってしまった。すまぬ」


 ラディウスの言葉にブルーナは苦笑した。


「殿下、その言葉だけ取れば聞いた人は驚きます」

「……何がだ?」

「誤解を招く言い方は避けた方がいいです」

「私は何か言っただろうか?……」


 ラディウスはきょとんとしている。その表情を見てブルーナは少し呆れた。

 

「この場合、『早く会いたくて』ではなく、『早く意見が聞きたくて』が正しいでしょう?」

「……あぁ、これはすまない。事実だが誤解を招くな……いや、すまぬ」


 ラディウスの言った『早く会いたくて』という言葉、それは事実であり思わず本音が出たのだが、ブルーナにとっては引っ掛かりを覚えるものだったのだろう。


 ラディウスは下唇を気付かれぬように少し噛んだ。こんなところでブルーナに対する気持ちを吐露する必要はないのだ。


「……それでだ、昨日の君の考察を読んだよ。実に明確にまとめ上げられていた。あれ以上の書類は私に付いている文官でも作成できないだろうな」


 それを聞いたブルーナは顔を綻ばせた。


「素直に嬉しいです」

「それで? 君は昨日私が持たせた資料は読んだか?」

「えぇ、もちろん。これだけの事をよく調べていたと驚きました」


 ラディウスはブルーナの賞賛を素直に受けた。


「小国なりの知恵だ。人を派遣し何かと情報を伝えてもらっている。その中で有効な物をこうしてまとめているのだ」


 ブルーナは納得していた。そうでなければあれだけのものを知る事はできない。


「東ローマについて君はどう思った?」

「驚きました。衰退がこのように始まっていたとは……金貨の価値を下げるのはその国の価値を下げるという事です。一時的に金貨の価値を下げたとしても、 市井にはその金貨が広まるのですから。商人が日々品物の取引をしていることを考えれば、この時期の取引は良くはありません」

「そうだな……だからアラブの貨幣の価値が上がってしまった……」

「金貨の状態に気付いた商人なら、利益を得ようと今まで以上にアラブとの取引を盛んにするでしょう」

「アラブの貨幣を多く取り込むということだな」

「えぇ、そうです。そしてアラブ側としては東ローマの貨幣で取引はしたくない筈です」

「うむ……ここでも摩擦が起きてしまうな」

「東ローマの皇帝は自分で国力を下げてしまった責任をどう取るつもりでしょう。ここへ来て戦うための兵を集める事もできないで、西に助けを求めている事を恥ずかしくは思っていないのでしょうか?」

「東ローマの状況を聞く限り、皇帝は責任を感じていると思えないが……現状打破のために西に助けを求めただけに思えるが……。そして、これを機に西としては東に対し(かし)を作ろうと考えた。それが西の力を見せつけることにも繋がり、国土も広がるとすれば一石二鳥だ」


 ラディウスは椅子を引いてブルーナの前に腰を据えた。


「えぇ、その通りです。そして西のウルバヌス二世は辺境の地の争いが落ち着き、街に溢れている兵士をいくらでも集める事ができる。神の悪戯にしては双方にとっての利点と時期がピタリと重なります」


 ブルーナとラディウスは互いの顔を見つめた。


「では、我が国はどう動く?」

「先ずは、兵を出すべきでしょう。ただし、最高人数を五百に押さえます。形だけ参加した事を示せば良いと思います」

「何故だ? 後でローマ教皇からしっぺ返しが来るとも限らぬぞ」

「いいえ、ウルバヌス二世にとっては荒くれ者達を街から追い出すのに都合の良い出来事なだけです。恐らく、勝ったとしたら神の思し召しだといい、負ければ皆の神への忠誠心が低いというでしょう。教皇にとっては無法者達を排し運良く配下となる国土が広がれば、どちらでも良い事なのです」

「……そこまで言い切っても良いのか?」

「殿下以外、誰も聞いてはいませんもの」


 ブルーナは大胆に微笑んだ。ラディウスは心の疼きと共にそれを頼もしく感じていた。


「後は二分している重鎮達をどう説得するかだが……」

「えぇ、オルガード侯爵に関しては……どなたかお身内の方が西へ行かれてはいませんか? あの西を立てるようなものの言い方では、すでに西と何かを約束しているのかもしれません。慎重に調べるのが良いと思いますが……」


 ラディウスは驚いてブルーナを見た。


「彼の甥がローマへ留学しているはずだ。まだ戻ったという知らせは受けていない」

「あぁ、成程……それが言葉の端端に焦りとして出ておりました。では、もう一人エストル卿なのですが……少し正義を信用し過ぎる傾向にあるかもしれません。のめり込む傾向がある場合、注意が必要だと思います」

「のめり込む?」

「はい、思い込みで、ありもしない妄想を抱く場合のことを言っています。彼は聖書に忠実にあろうと考え過ぎているように見受けられました。何かのきっかけでとんでもない事をしでかすかもしれません」

「……何故それが分かる?」

「……」


 ラディウスの視線にブルーナは彼の瞳をしばし見つめた。


「『ギリシャ神話』ですわ……あの禁書の……」

「……あぁ」


 ブルーナとこうして書庫で話すきっかけになったのは『ギリシャ神話』だ。


「あの中には思い込みの激しい神の話もありますもの。エストル卿はその神に行動が……あぁ、この場合は言動ですが、その神に似ています……」


 ラディウスはまたもや驚愕した。あの禁書の『ギリシャ神話』から人の行動を見ていたとは……。口元に手をやりラディウスは気持ちを落ち着けた。そうしながら熱を込めた目でブルーナを見る。


「……殿下?」

「いや、やはり君が欲しいな……」


 途端にブルーナは真っ赤になった。


「殿下は、そういう誤解を招く物言いを改めた方が良いと思います」


 ラディウスも言葉の意味だけを思い顔を赤くした。


「……君が私の申し出を聞いてくれたら、二度と言わぬがな」


 ブルーナはそっぽを向いたが、どちらかともなく笑い出した。


「君の意見は参考になった。会議の資料もオルファ王が感心していた」

「お見せになったのですか?」

「勿論、君の素性は隠している。安心しろ」


 ブルーナはホッとした。これ以上王宮へ行くのもあまり好ましくない。


「実は、私もあの会議の中にいたのだ」

「……そうだったのですか? でも発言はされませんでしたね」

「うむ、まずは彼らの意見を聞こうと思っていたからな。だから尚更君のまとめた会議書はありがたかった。感謝する」

「いいえ、お役に立てて良かったです」


 ラディウスは椅子に深く座った。


「そこでだ、この東ローマと西ローマの状況を彼らに話すべきかどうかをオルファ王は悩んでいる。王は信頼して良いと思われる者にのみ話すのが良いと言うのだが、私は話さぬ方が良いと思っている。話すとすれば兵を率いる者にのみだと思うのだが……」


 ラディウスは言葉を飲んだ。


「何故そう思うのですか?」

「恐らく、兵を率いるのは私のすぐ下の弟になるだろう」

「……エリウス様ですか?」

「あぁ、教皇にルガリアードの王族も十字軍遠征を支持していると示すためだ」

「……」


 ブルーナは小さく溜息をついた。王族にも色々な役割があるのだ。戦いに向かうエリウスの顔は知らないが、多くの女性が舞踏会で追いかけていたのを見ている。


「複雑ですね。ですが、私も殿下と同じ考えです。色々な方々が知る事で様々な噂が立つでしょう。それが遠征中の皆様に影響するかもしれません。ここは殿下の考えの方が波風を立てずに済むと思います」

「そうか?」

「はい」


 ようやくラディウスはホッとした表情になった。


「ちゃんと父には進言しようと思う。ありがとう、ブルーナ」

「いいえ……」


 それからラディウスはもう一度椅子に座り直した。


「まだ話したいのだが良いか?」

「えぇ、大丈夫です」


 ラディウスはテーブルに肘をつけブルーナの瞳を見つめた。


「この前の私の側近の態度の事だ。すまなかった」


 ブルーナは少し驚いた。


「何故殿下が謝るのですか? あれはあの方がやった事なのでは?」

「うむ、そうなのだが……彼を使っているのは私だ。彼はきっと君が重要な任務についていると思い嫉妬したのだろう。重要であるのは事実だが、許して欲しい。カミルは普段は陽気な気の良いやつなのだ。まぁ、女性のことでは私も色々あってな……君のことをあまり知らぬ彼は、その……私を守ろうと思ったのかもしれぬ。私はそう思っている」

「女性……」


 ブルーナの一言には戸惑いが現れていた。途端にことを察したラディウスが慌てた。


「あぁ! 違う! その……女性との夜のこととかそういう話ではない! あっと、つまり……そうではなく……」


 言葉を繋げれば繋げるほど、沼に足を取られる状況になる。ブルーナの表情に尚も戸惑いが現れた。

 ラディウスは大きな溜息をついた。このままではあらぬ誤解を生みそうだ。男女の機微(きび)を知らないであろうブルーナには刺激が強い。


「……いや、分からぬならそれで良い、この話は終わりだ」

「……はい……でも、あの……」


 ラディウスが目をやると、少し顔を赤くしながら意を結したブルーナが目の前にいた。


「せ……性の処理はちゃんとした方が良いと思います。医学書にはそう書いてありましたから……」

「……………………」


 ブルーナのその言葉に、ラディウスは立ち上がれないほどの衝撃を受けた。そうだった。ブルーナは察しの良い女性だった。


「そういう話ではないのですか?」

「あ……いや……もう良い……」

「はい……」


 ブルーナは書物から様々な知識を得ているという事を、ラディウスは幅広い意味で深く知ることとなった。それこそ今まで付き合った女性達とは全く違う彼女は、これから先もラディウスにとってはなくてはならない人になって行くのである。


ブルーナは結構書物からいろんな知識を身につけています。

それを忘れると、ラディウスのように気恥ずかしい状況になります……。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 教皇さまも王様も参謀術も陰謀よりも。ブルーナは耳年増ですわ!(≧▽≦)遠征への見解もさることながら!またも持って行かれました!これぞ小説の醍醐味!男女の閨房にも似て(黙れ)時間が経つのも忘…
[一言] この時代、女性でありながら男性と対等に話し合いを出来るなんてカッコいいなぁ( ´ ▽ ` ) 知性がある女性は良い!!そして最後の2人の会話がかわいい。
[一言] ラディウスは結構誤解を与えてしまうタイプですかねえ。「早く君に会いたい」とか「君が欲しい」とか……まあ、ぬまちゃん的には、ラディウスさん、本当は、本音を言っているでしょう?という思いですけど…
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