11 樹木のなす色
アリシアがブルーナとのお茶会をした翌日、アリシアに二通の手紙が届いた。
一通はブルーナからで、昨日のお茶会がとても楽しかった事が書かれていた。そしてもう一通はルドヴィーグ伯爵からだ。
アリシアはブルーナの手紙を読んだ後に、伯爵からの手紙を開けた。そこにはこの王都に留まる間に数日ルドヴィーグ家に宿泊しないかという提案が書いてある。その提案にアリシアは喜んだが、手紙の最後には自分の提案をブルーナには知らせないで欲しいとあった。
やはりあの親子はうまく行っていないのかもしれない。夕食事のブルーナの様子や出迎える邸の玄関にブルーナの姿がなかった事からもわかる事だ。
アリシアは机に向かい、二人へ返事を書いた。
その日の午後、ブルーナの元にアリシアからの返事が来た。中を開いて読んだブルーナは喜びの声を上げる。
「エルダ! エルダ! アリシアがうちに泊まりたいと言って来たわ! エルダ、これを実行するにはどうすれば良いの? まず父上に相談をして、それからアリシアに手紙を書いて……それとも 手紙を書いてからの方が良いのかしら? ねぇ、エルダ。どうすれば良い?」
ブルーナはアリシアの提案が嬉しくて仕方がないのだ。エルダはブルーナの様子に満面の笑みを浮かべた。
「本当ですか? アリシア様がこちらに泊まりたいと? あぁ……では先ず、ルドヴィーグ伯爵様に許可を頂いて、それからお部屋の準備をしなくてはなりませんね」
「そうよね、先ずは父上に話さなくてはね……すぐに面会の段取りをお願いしても良いかしら?」
「はい、承知いたしました」
エルダは直ぐに行動した。
ブルーナはアリシアが帰った後、火が消えたように静かだった。アリシアと半日思う存分に話せた事は良かった。でも帰った後に寂しさが込み上げたのだ。
エルダではアリシアの代わりにはなれない。ブルーナは対等に話せる相手を欲している。昨日の出来事だけで、それがよく分かった。
アリシアの宿泊に対する許可はすぐに下りた。ブルーナは意気揚々と部屋に戻り、笑い声までも立てている。
「アリシアに手紙を書くわ」
部屋に戻るとブルーナはアリシアに滞在の招待状を書いた。アリシアが宿泊すれば、一日中一緒にいられる。一緒に本を読み、お茶をし、食事も取る。ずっと一緒なのだ。嬉しくて仕方がない。
次の日にアリシアは伯爵家へ数多くの荷物と一緒にやって来た。ブルーナの部屋は一階だが、さすがに客人であるアリシアの部屋を一階に作るわけにはいかず、部屋は二階に作られた。
それでもアリシアは、宿泊した日からブルーナの部屋と書庫に入り浸っていた。
「私の部屋は寝るためのものよ。ブルーナの部屋の方がいろんな物があって面白いもの」
アリシアはそう言って眠る時以外は自分の部屋へは行かないのだ。ブルーナもそれを良しとした。
ブルーナは二階へは上がらない。体調の問題ではなく気持ちの問題なのだが……アリシアは不思議と何を言わなくてもそれを感じ取ってくれているようだった。
「ブルーナの部屋は広いし陽が入るからとても明るいわ。窓の外には綺麗な中庭が見えるし……最高ね」
ブルーナはその一言がとても嬉しかった。今まで友と呼べる人がいなかったから、そんな事を言ってくれる人は居ない。
この家では自分についてのものには何も言わない事、それが当たり前なのだと思っていた。でもアリシアは違う。良いものは素直に良いと言い、疑問を持てば素直に問う。ブルーナはそれが心地良く、素直になれた。
「ねぇアリシア、そろそろお茶にしない? 今日はお菓子担当の料理人のフィアが美味しいお菓子を用意したらしいの。歓迎のお茶会よ」
「勿論いただくわ」
エルダがお茶の用意をする最中も、二人の話は止まらない。テーブルの上にハーブのお茶と美味しい焼き菓子が並べられた。ハーブは優しい香りを漂わせ、焼き菓子は香ばしい香りを放っている。それでも二人は話し続けていた。
「そろそろ、お茶を頂いてはどうです? せっかくのハーブティーが冷めてしまいますよ」
とうとう気を揉んだルティアが二人に声を掛けた。そこで漸く二人は目の前のテーブルにお茶の準備がされた事に気付く始末だ。
「夢中になり過ぎたわね……」
「本当、気付いたら目の前にあるんだもの。一瞬魔法かと思ってしまったわ」
「魔法ではありませんよ。ほら、頂いてくださいな」
「まぁ、ルティアったら……そんな事を言われると焦ってしまうじゃないの。お茶は焦って飲む物ではないでしょう」
ブルーナとアリシアは笑いながらハーブティーを飲む。レモンバームの香りが爽やかでほんのり桃色付いた液体は甘く感じた。
「美味しいわ……」
アリシアは一口飲んで思わず笑顔になった。
「良かった。私のお気に入りのお茶なの」
「この甘味は何? 木苺かしら?」
「そうよ。前に木苺の砂糖漬けを間違ってカップの中に落としてしまったの。それが余にも美味しくて……それから、こうして飲む様になったのよ」
「不幸中の幸いってわけね」
「その通りよ」
二人はまた笑い合った。
二人のお喋りはありとあらゆる事に及んだ。お互いに知っている事を教え合い、広がる見聞はさる事ながら夢中になって話をする。
これではいくら時間があっても足りないとエルダとルティアは笑った。
お茶を飲んだ後、中庭に出た二人はベンチに座って話をした。まだ話し足りないのだ。
「ねぇブルーナ、樹木には色がある事を知ってる?」
アリシアがブルーナに言った。樹木の色と聞いて、ブルーナは不思議そうに首を傾ける。
「それはどう言う事なのかしら? 見たままを言うと、樹木の幹は茶色で、葉は緑だわ……」
アリシアは微笑んだ。
「花の色はどう?」
「それは……様々よ。白に黄色にピンクに赤、それから青もあるし紫だってある……」
「そう、様々よね」
アリシアは空を見上げた。ブルーナも釣られて上を見ると、カツラの樹木の下に陣取った二人の視界には柔らかな緑と青い空と白い雲が見えていた。
「父の領地はここから随分と東にあるでしょう?」
「えぇ」
「だから、東の他国の様々な商人が文字通り様々な物を持ち込むの」
ブルーナは想像しながら頷いた。
「ある時にね。とても美しい布を持った商人が来たの。その布は桃色で不思議な光沢があって、薄くてとても軽いの。本当に美しい布で……家の女性達がみんな欲しがったわ」
「光沢があるのは何故かしら?」
「それは虫が造った糸を丁寧に縒って糸を作り、それを更に丁寧に織り上げて造った物だったのよ」
「虫? 虫がそのような物を作る事が出来るの?」
「蚕といって蛾の一種らしいの。青虫も蝶になる前に蛹を作るでしょう? それと同じよ。蚕は自分の細い糸で寝床になる繭を作るのよ」
「まぁ……」
「その繭が長細い丸っこい物で、白くてフワフワしていて軽いの。糸にする前からその様子がとても可愛らしいのよ」
アリシアは蛾の寝床が可愛らしいと言う。そう言う物だろうか? 庭で見かける蝶の蛹は決して可愛いとは思えない。蝶になって羽根を広げたら綺麗だとは思うが……。そう思うものの初めて聞く事にブルーナは興味を持った。
「それでね」
アリシアは話を続けた。
「その布の桃色の色がまた素晴らしくて、見方によっては優しい色合いで、華やかなのよ。その色味はどのように色を付けたのか不思議で……その商人に聞いてみたの」
「えぇ、それで?」
「そうしたら驚いたわ。樹木の皮で染めたらしいと言うのよ」
「……嘘でしょう? 花ではなく樹皮で? だって樹皮は茶色いわ」
「そう、私も驚いたの。だってあり得ないもの」
樹皮で桃色に染まるとは一体どう言う事だろう? 書庫にある本をブルーナはかたっぱしから読んでいる。でもそんな事を書いてある本は無かった。テオプラテスの『植物誌』にもそんな事は書いていない。
「さくらんぼの木があるでしょう? その桜の樹皮を使ったと言うことは分かっているらしいの。でも、その商人も何度か試してみたけれど、染める事は出来なかったって……きっと何か秘密があるのよ。知りたいけど、きっとその国の人達は、国の利益であるその染め方を教えてはくれないわね」
「桜の木なの? うちの庭にもあるわ」
「桃色の花をつける?」
「いいえ、うちのは白だわ」
「うちは桃色だったの。そして、その国の桜の花も綺麗な桃色らしいわ。でも、それで布を染めても綺麗な桃色にはならなかった……」
そこでブルーナはハッとした。
「花の色なの? 樹木の持つ色は花の色だと言う事?」
「えぇ、花を使うより樹皮を使う方が美しく染まると聞いたわ。つまり、樹木の想いが花の色となって、木の表面に現れているのよ。幹の想いは強くて、花はその一部でしかないの」
ブルーナはアリシアの言葉を噛みしめた。何という驚くべき話だろう。樹木は茶色の幹に花の色を隠し持っているのだ。見えない所に想いを込めている。まるで人間のようだ。秘めた想いが何かに繋がるのだ。
「素敵じゃない? 樹木の想いが花になるのよ」
アリシアの言葉を聞きながらブルーナはもう一度空を見上げた。『想いが花となる』なんと言う素敵なフレーズだろう。
「まるで人と同じね」
「そうなの! 私もそう思ったの!」
二人は笑った。ブルーナは心の底から思った。何と楽しい時間だろう。自分と似た感覚を持つ者が別に居るとは不思議な感じだ。的外れな感覚ではない事が、こんなに心地良いものだとは思わなかった。
ブルーナはアリシアの横顔を見つめた。大事な友達が出来た事が、色々な話が出来る事が何より嬉しい。
もしも、自分を樹木に例えるなら、どんな色の花を咲かせるのだろう。ふとそんな事を思う。自分に花は咲くのだろうか? アリシアに会う前はただ日々を過ごすだけだった。何の期待もせず、ただ生きていた。
でもどうだろう。アリシアと出会い、今のブルーナは劇的に変わったように思う。人生が楽しく感じる。このまま変化し続ける事はあるのか。
親友を得た。その事実はブルーナの視界を広く深く変化させた。
アリシアがルドヴィーグ家に滞在して三日が過ぎた。二人は朝食の時から寝るまで、いつも何かと話していた。
その日朝食を共に摂ったアリシアが一つの提案をした。
「ねぇブルーナ、今度は近くの湖に行かない? お弁当を持ってピクニックをするの」
「実はね……一度やってみたいと思ってたの」
「した事はなかったの? お医者様に止められているとか?」
「そう言う訳ではないけれど……本ばかり読んでいたから」
「では行きましょうよ。寒くない様に着込んで行けば風邪は引かないわ。もし心配なら壺に熱いお湯を入れて布に包んで持っていれば良いわ。きっと今の時期は色々な花が咲き始めていると思うの」
どうかしらと問われブルーナは笑った。こちらが答える前に行く事が前提になっている。でも、アリシアと一緒なら絶対に楽しいのはわかる。
「良いわ、行きましょう」
『スズラン祭り』の舞踏会に参加してから既に一週間が経過していた。参加するのは面倒で舞踏会の最中もどうやって早く帰ろうかとばかり思っていた。
でも、参加して良かった。舞踏会に参加していなければ、アリシアと出会う事もなかった。気の合う友人の大切さをこの高々一週間で思い知るとは思わなかった。
エルダとルティアにその事を伝えると二人共たいそう喜んだ。
早速二人の侍女は湖畔に行く準備を始めた。
「軽食をお持ちするので、移動には馬車を用意しますね」
エルダは前回のピクニックの計画が流れた事で、今回は必ずやり遂げようと張り切った。食事はフィアにお願いし、食べ物や飲み物以外に本と傘と敷物と小さな台、それから膝掛けとクッションをいくつも用意した。
「今日は暖かいですが、風に吹き曝されたままでは寒くなる事もありますから。膝掛けとクッションは必ず持ちましょう。それから湖畔では暖かい物を頂けるようにフィアも一緒に来てくれるようです」
「そう、それは嬉しいですね。本当にあなたはよく気がきく事」
エルダの準備する後ろ姿にルティアはそう言うと、アリシアの分の膝掛けも木箱に詰めた。湖畔へ向かうのには屋根の無い荷馬車を用意する。その方が周りの景色が見えるから楽しいのだ。荷台に敷物を敷き、クッションを乗せると多少揺れても程良い感じの、心地よい空間が出来た。
軽食はバスケットに入れ、隅に薪を少し積み、ブルーナとアリシア、それから二人の侍女と御者台に御者とフィアが乗る。
晴れ渡る春の日差しの中、馬車は出発した。
石畳が無くなると砂利道は話も出来ない程によく揺れる。それでもアリシアとブルーナは花を見つけては喜び、小動物を見つけてははしゃぎ、始終楽しそうに過ごしていた。
エルダも心が浮かれている。こんな風にブルーナに付き添って外に出るのは、先日の舞踏会と今日のピクニックのだけだ。その他では一人でお使いに行く事はあってもどこも寄り道はせず帰るのが常だった。
今日の様に自由な気持ちで外に出るのは、エルダは初めてだと言っても良いだろう。
「あ……お嬢様、あそこに鳥が居ます」
エルダは木の枝に止まる小さな鳥を見つけ指差した。
「どこ?」
「あそこです。木の枝にいますよ。お腹のところがオレンジと白で、羽が……グレーっぽい色をしてます」
ブルーナはエルダの指差す方を見た。そこに鳥を見つける。
「あれはこまどりだわ」
同じ様にエルダの示す方を見たアリシアが教えてくれた。
「こまどり?」
「そう、綺麗な可愛らしい声で鳴くのよ」
こまどりは枝に止まったまま動かなかった。荷馬車は先へ進み、ブルーナはこまどりから目線を前へ向ける。荷馬車の揺れは酷い物だったが、ブルーナはそれを楽しんだ。風を感じながら移動出来るなど考えた事もない。
「気持ち良いわね」
アリシアがブルーナの気持ちを代弁するかのように口にし、ブルーナはその声に頷くと大きく息を吸った。太陽の光が木下を通る度にキラキラと光って見える。
「木漏れ日を見ていると気持ちが華やぐわ」
「その気持ち分かるわ……キラキラしているものね」
ブルーナとアリシアは顔を見合わせ笑った。
木々の間から湖が見えてくると馬車は道から外れ草地を進んだ。前方の湖に徐々に近付いていく。それから日の当たる広い場所で馬車は止まった。
「さあ着きましたよ」
荷台にいたエルダがまず降り、ルティアとアリシアが降りた。最後に恐々ブルーナが降りると、御者と侍女達は荷物を下ろし始めた。
「お嬢様達は少し離れていて下さいね」
エルダはそう言って中に敷いていた敷物を剥ぎ、馬車から離れた所に敷物を敷きなおした。そうして木箱からもう一枚の敷物を取り出しその上に被せる。御者が台を持って来て真ん中に置くとフィアが敷物から少し離れた場所に薪を積んだ。
ブルーナとアリシアは離れた場所からその様子を見ていた。その様子は見ているだけで面白く感じる。何も言わなくても彼らはやるべき事が分かっているようで、協力してピクニックの空間を作っている。
「ねぇブルーナ、ずっと向こうに小屋があるわ」
不意に隣に立つアリシアが声を掛けた。ブルーナがアリシアの指差す方を見ると、確かに小屋がある。そして桟橋らしき物が見え、小さなボートが置かれていた。
「ボート遊びも出来るのね……乗った事ある?」
アリシアがブルーナに聞いて来た。
「ないわ。ボート遊びは禁止だったもの……」
「そう……自分でやってはいけないのでしょう? でも漕ぐ者と一緒ならどうかしら? それでも駄目かしら?」
「……分からないわ」
「少しなら良いと思うの。貴女は乗るだけ、私が漕ぐから後で少し乗らない?」
「少しなら、良いわ」
ブルーナは喜んで頷いた。ボートに乗るのは駄目だと言われてから医師に聞く事はなかったが、漕ぐ人と一緒であれば許してくれるのではないだろうか。
そうこうしている内にピクニックの準備は出来上がっていた。敷物の上にクロスを掛けた台が置かれ、その周りにクッションが置かれ角に木箱が置いてある。木箱からは食材が出されており、台の上の皿に並べられている。
フィアが離れた場所で薪に火を付け、お茶に使う水を沸かし始めた。そのフィアの近くにも木箱が置かれ火を入れなければならない物が置かれている。
「さぁお二人共、準備は出来ましたよ。こちらにお座り下さい」
エルダの呼びかけに、二人は敷物を広げた場所へ向かった。草原の中のピクニックは心地よい風と笑顔と美味しそうな食べ物の匂いでとても気持ちの良い空間になった。
フィアがソーセージや肉を焼いている。その香りが芳しく食欲をそそる。肉を皿に乗せると、次にフィアは卵と小麦粉とミルクを混ぜ、薄い皮のようなシートを沢山焼き始めた。それもまた美味しそうな匂いをしている。それらも皿に乗せるとフィアはクロスを掛けた台の上に置いた。
「さあ、お熱いうちにこのシートでソーセージや野菜を巻いてお食べ下さい」
並べられた肉や野菜を薄いシートに巻いて食べる軽食は絶品で、ブルーナは思いの外良く食べた。フィアの入れてくれたお茶もケーキも美味しい。外で飲むお茶や軽食はなぜこうも美味しいのか? ブルーナは思わず口を開いた。
「毎日ここで食べたいわ……」
心の呟きが思わず漏れ出たようで、聞こえた者は朗らかに笑う。
「毎日は無理ですけれど、時間がある時にはこうして外で頂くのも良いですね」
エルダが賛同し、アリシアが頷いた。
「私がここに居る間に、何度もやりましょうよ。私も外で食べるのは好きよ」
アリシアが来てからというもの、楽しいと思える物が増えた。ブルーナは特にそれを感じている。自分の出来る事や行動が増えていく。それはエルダも同じで、このままブルーナが健康に過ごしていけるような気がしていた。




