scene1
――1――
「――カット。……うーん、少し休もうか?」
「……………………はい」
監督の声で場面が切られる。妖精の匣のワンシーンで、美海ちゃん演じる美奈帆が、わたしの演じる柊リリィに抵抗するシーンだ。
「うーん、ちょっとキレがないんだよねぇ。わかるかな?」
「はい、ご、ごめんなさい」
「ま、大丈夫大丈夫。幸い頼りになる大人も大勢いる。少し、気持ちを切り替えよう」
「あ、りがとう、ございます。ひらがかんとく」
流れとしては、いじめに耐えきれなくなった恵鈴ちゃん演じる奈々が逃げようとして、それをリリィが見とがめる。奈々を突き飛ばそうとするリリィだったが、奈々のせいでいじめられるようになったはずの美奈帆が庇うのだ。あまり自分から前に出ることがない美奈帆が見せる二度目の勇気に、少しずつ、クラス全体がリリィから離れていく。ドラマの主人公、相川瑞穂さん演じる水城紗那が、本格的に子供たちのいじめに踏み込めるようになる、最初の転機ともいえる大事なシーンだ。
「みみのやつ、どうしたんだ?」
「しらん。でも、しんぱい」
「そうだね……どうしちゃったんだろう」
美海ちゃんに駆け寄ろうとするが、その前に、監督がわたしたちの方を見るのが先だった。
「先に、リーリヤと楓と明里のシーンから撮影しようか」
「ぁ、はい」
同じ教室のシーンだから、準備をそのままに移行できる。凛ちゃん演じる楓と珠里阿ちゃん演じる明里が、教室で対峙する。その喧噪を聞きつけた謎の人物、リーリヤが、二人の仲裁と警告を行うのだ。
リーリヤはこのとき、なにを考えているのだろう。なにか問題があったり、危険な物があると警告してくれるリーリヤ。彼女は、なにを考えているのだろう。
「準備は良いな?」
監督の声がする。だからわたしは眠るように、意識を一度真っ白にした。
「シーン――」
スタッフさんも、セットも、見守る小春さんの姿さえ、まどろむような光の中に消えていくような感覚。
やがて、ただ一人残った監督の姿さえ、薄靄の光に、消えていった。
「――アクション!」
カチン、と、スイッチが切り替わるような音が聞こえる。
教室の中で言い争う、明里と楓の声。どうしようかな。介入すべきだろうか? いいや、まだだ。ひとまず様子を見よう。
廊下の向こうで身を隠し、扉の隙間から二人を眺める。ここにいたのがぼくでよかった。あの子でなくて、良かった。
「かえで、きいてくれ。このままだと、みんなきずつくんだ」
「……だから、リリィをきずつける? いちがうごくだけだよ。なにもかわらない」
「いいや、かわるよ」
堂々と言い放つ明里の声。まっすぐに楓を見るその表情は、前までの純粋なだけの明里じゃない。迷って戸惑って苦しんで、それでも自分で選んできた人間の顔だ。
だから、人の気持ちがわかる。だから、選び取る覚悟を持っている。すごく、強い子だ。ぼくなんかとは比べものにもならないほど、強くて優しい子だ。
「だれかが苦しんでるって、アイツもわからなきゃだめだ」
「だから! ……だから、なぜ?」
激昂。楓は叫び声をあげようとした自分を、慰めるように押さえ込む。それでも、明里の目は揺れない。
「苦しいってさ」
「……?」
伏せられた目。
込められる悲哀。
揺れる眼差しの向こう。
「じぶんが、苦しくならないと、わかんないんだ」
楓が怯む。天真爛漫でリーダー気質。悩みなんてなさそうな、正義感の強い女の子。そんな彼女のこれまでを一新させるような雰囲気に、楓は息を呑んだ。
「でも! それが、それで、リリィが苦しんでいいりゆうには、ならない!」
「かえで……」
ああ、もうだめだ。飛びだそう。今、ここで、二人があの子のために争っていちゃだめだ。でもこのままだと平行線なのは目に見えている。だったらぼくが、引っかき回そう。
誰かがあの子を止めてくれるその日まで、ぼくはぼくの成すべきことをするために。
「おもしろそうな話をしているね?」
彼女が、彼女たちでいられるために。
――/――
「二カメ、引きで」
「二カメ引きます」
指示を出しながら三人の演技を見る。美海は今日は調子が悪いのか、いつもの実力を発揮できていないように見えた。今はマネージャーの下田さんが体調のヒアリングを行っている。
では、他の子供たちはどうなのか。四人は仲が良いように見える。引きずられて、調子を崩していないか。様々な心配を抱えながらいざ始めて見ると、最初に、珠里阿の演技に息を呑むことになった。
「おまえ、だれだ」
凛を庇うように一歩前に出る珠里阿。大人たちにばかり接触していたリーリヤが、初めて、子供たちに接触するシーンだ。当然、珠里阿は友達を守るために行動する。
だが……彼女はこんなに、落ち着いた演技をする子だっただろうか? 警戒心をむき出しにして、真っ直ぐ睨む演技は堂々としていて貫禄がある。まるで、彼女の母親を見ているかのように。
「ぼくは誰でもないよ」
「は?」
「誰でもあり、誰でもない。ただ君たちに、一つだけ忠告にきたんだ」
対するつぐみは、やはり何度見ても一線を画する演技力だ。トーンの落ちた声は少年じみている。同時に、歩み寄る姿はどこか女性的に感じられる。
「なるほど、動きを中心に寄せているのか」
「わかりますか? 浦辺さん」
オレの隣で唸るように零したのは、演出家の浦辺敏郎さんだ。御年六十歳でありながら現役バリバリの演出家で、演出力もそうだがなによりも柔軟な姿勢が好印象であり、現場の余計な摩擦が起きず重宝している。
その浦辺さんが言うには、男性は体の中心より外側の行動が多い。手を振る動作一つでも、体に寄せて小さく手を振れば女性的だし、体の外側から体格を大きく見せるように手を振れば男性的だ。
「おそらく、リーリヤは一人称や口調で中性的に演じながらも、所作が女性的になることには気がついていないだろう。いや、つぐみちゃんはすごいね。大人顔負けだね。面白い」
浦辺さんという男性は、長いこと各地を回って技術を身につけたという。その貪欲さには敵わないと、倉本Pが酒の席で話していた。当時はどういうことかよく理解できなかったが、今ならわかる。
この人は、相当なくせ者だ。なにせこの瞬間まで、まったく自然に、己の本性を出さなかったのだから。
「今は、君たちで争っているときではないよ」
「なに、を」
「あの子が暴走したとき、相手にする人数は多い方が良い」
「なんだよそれ。おまえは、なにを知っているんだ!」
つかみかかる珠里阿。それを避け……ん? 今どうやって避けた? まるで、宙でも浮いているように、体を動かさずに後ろに動いたぞ?
「浦辺さん」
「最初から膝を曲げていたんだろうね。武道家が袴の中でやるのと同じだよ」
そうか、最初のシーンでもちょっとずつ見せていた移動方法か。気になる、気になるがそれは後ほどの映像チェックで確認だ。
「仲直りするのなら、早めにね。――なにもかも、手遅れになる前に」
深く低められた声。口元だけしか見えないのに、苦痛に歪む表情が思い浮かぶような仕草。
横で解説してくれる浦辺さんがいなければ、貪欲で知識を求めるが故に呑み込まれない彼がいなければ、オレも他のスタッフたち同様に、身を乗り出して息を呑んでいたことだろう。
「あ、ちょっと……」
「ぼくからはそれだけだから。ばいばい」
「……なんだったんだよ。あいつ」
「さぁ。――ほんとうに、なんなの。わかんないよ……」
身を翻して教室から消えてゆくリーリヤ。慌てて二人が飛び出したときにはもう、その姿はなかった。
「よし――カット! いや、良かったよ」
オレの声で、みんな、口々に息をつく。緊張から解放されたのだろう。汗を拭うスタッフの姿も見られた。そんな中、つぐみはやはり異様に早い切り替えで、オレに走り寄ってくる。
「おつかれさまでした!」
「はい、お疲れ。今回もいい演技だったよ」
オレがいたわると、彼女はいつもの落ち着いた表情で――
「えへへ、ほんとですか? ありがとうございます!」
――花開くような、可憐な笑顔でそう応えた。彼女は、こんなにも、いや、あれ、オレはなにを考えているんだ? リーリヤに引っ張られたか?
「じゃ、映像チェックしようか?」
「はい! あと、かんとくさん。みみちゃん、しりませんか?」
「美海なら、今はマネージャーと控え室だ。邪魔をしてはいけないよ?」
「そうですか……はい。わかりました。チェック、おねがいします!」
頭を下げる彼女に笑いかけて、子役のみんなと浦辺さんと映像チェックをする。やはり、オレの予感は正しかった。このメンバーならきっと、すごいものが撮影できるはずだ。そう、確信を得た。




