scene3
――3――
地方ロケといっても、イコール宿泊ではないらしい。前世では夜通し撮影したり、宿泊したりと長時間撮影を行っていたのだが、今は就業規則とかなんとかで、大人はともかく子役の撮影時間は限定されているのだとか。
いやでも、言われてみればその方が良いんだよね。成長の妨げにもなるだろうし。前世ではさくらちゃんと一緒の布団で丸まって早朝から撮影したりもしていたけれど、たくさん寝ないと大きくなれないっていうもんなぁ。
大人組は居残りで、子供組は一時帰宅ということになった。けれど、ほかの子役のひとたちと違って、凛ちゃんと珠里阿ちゃんと美海ちゃんの親は、役者だったりアナウンサーだったりカメラマンだったりと、そうそうスケジュールも空けられない。
ということで。
「夜には朝代早月様、夜旗真帆様、夕顔鉄様、それに奥様が到着なされるそうです」
小春さんの説明が、耳に入っているのかいないのか、私も含めて子供組四人は、ぽかんと口を開けて“それ”を見つめていた。
ベージュがかった白い壁と柱のように伸びる装飾。見上げるほどに高い壁には四角い窓が並び、視線をあげていけば青い屋根が視界に飛び込んだ。
「三代前の空星当主が明治三十年頃に見たジャコビアン様式の装飾建築にいたく感銘を受け、外国人建築士に依頼し明治三十五年に竣工した空星所有の邸宅にございます。博物館の品ほどではありませんが、手入れに抜かりはありません。どうぞお気軽にお過ごしくださいますように、と、奥様からの言付けを預からせていただきました」
小春さんはいつものように、表情筋を動かさずに私たちに説明してくれる。けれどごめんね小春さん。これ、落ち着いてすごすのは難しいよ。いや、うちもなかなかの洋館なんだけれど、所々現代的なんだよね。こっちは、博物館っていう感じが強い。こう、入場料が必要な感じだ。
「すっげぇー……」
「つ、つぐみちゃん、おうちまですごいんだね。――けってん、ないよね」
「なにいってんだみみ。つぐみはババくさいぞ」
「りんちゃんそれふーひょーひがいだからね?」
最低限の荷物しかなかった私たちのために、歯ブラシやなんかも、小春さんが用意してくれたらしい。使用人も配置しているので、大概のことはできるのだとか。入浴施設や撞球室(ビリヤード室のこと)なんかもあるということだけれど、入浴はともかくビリヤードは私たちの身長じゃ無理だよ、小春さん……。
小春さんの先導に従って洋館に入る。入り口で靴を脱いでスリッパに履き替える様式にしてあるようだ。海外のお客様だったら、靴の上からスリッパを履くんだよね。
暖炉つきの談話室を抜けて、部屋の場所の把握をしつつ荷物は置く。四人で同じベッドだ。配線は引いてあるらしく、コンセントはある。さっそく凛ちゃんは携帯電話の充電をしておくようだ。私はほら、使わないから減らないんだよねぇ。
「あ、あにもちかくでさつえいだ」
「そうなの? こうくんもよぶ?」
「いや、いい。ホテルにとまるって」
近く、と言いつつ凛ちゃんの携帯電話の画面に表示されているマップでは、山を一つ越える感じだった。ただ、位置的にはここからロケ地までの距離と大差ない。ロケ地、ここ、虹君の撮影場所、とそれぞれ等間隔に直線的な配置になっているようだ。
いざという時にはもちろん寄ってくれても良いのだが、虹君の滞在するホテルはさらに遠い。これは、おいそれとは来られないだろうな、とは思う。
「むぅ、くちがわるいぞ、あに」
「なんてかいてあったの?」
「ほら」
そう凛ちゃんが見せてくれた画面には、レインのチャットでのやりとりが表示されていた。
『兄よ。つぐみが近くにいるが、一緒に泊まるか?』
『泊まるかバカ!』
『解せぬ。つぐみがいるんだぞ?』
『だからどうした。オレは○○ホテルに部屋が取ってある』
『そういえば父も一緒か。つぐみよりも父を選んだのか』
『気色悪い言い方するんじゃねーよバカ!!』
やれやれと首を振る凛ちゃんだけど、うん、これは凛ちゃんが悪いと思うの……。
「ふたりとも、にもつせいりしたのかー?」
二人で画面をのぞき込んでいたら、身の回りのものをテキパキと片付け、なおかつ美海ちゃんの荷物の整理まで手伝っていた珠里阿ちゃんに声をかけられる。活発なイメージだったけれど、けっこう家庭的なんだね。
前世のある人間としてだらだらしていたことへの恥ずかしさで、耳が熱くなるのを感じる。うぅ、ごめんね珠里阿ちゃん……。
「おわったら、えんぎのれんしゅーてつだってほしいんだけど?」
「あ、そ、それだったらじゅりあちゃん、わ、わたし――」
「うん、わかった、すぐおわらせるね!」
「――ぁ」
凛ちゃんの手を引いてぱっぱっと片付けていく。そうすると、珠里阿ちゃんに演技練習のお願いをされたから答えた訳なんだけど、言葉が美海ちゃんと被ってしまった。同時に喋られても十人までだったら聞き取れるハイスペックボディなのです。
「みみちゃんもいっしょにやる?」
「え、ぁ、わ、わた、し、は」
「いや、いつもみみにつきあわせてばっかりだから、きょうはつぐみでいいよ」
「で、ってなにかなじゅりあちゃん?」
「べっつにー」
いつものようにおどおどと仲裁しようとしてくれる美海ちゃんと、ぶっきらぼうな珠里阿ちゃん。まぁ確かに、美海ちゃんには迷惑かけづらいけれど、私にはかけやすいことでしょう。なんていったってわたくし、ライバルですからね。珠里阿ちゃんの。
いやいや片付けをしていた凛ちゃんも、演技練習と聞いて目を輝かせる。それから、とてもとても雑な手つきで投げるように荷物を整理すると、機敏な動きで携帯電話を構えた。
「ふりかえりがひつよう」
「スマフォようのさんきゃくあるからいらない」
「えっ……えっ……?」
「わかったわかった。みみとふたりでけんがくな」
「しょうがないな。いこう、みみ」
「う、うん」
扉を開けると、そこには純正のメイド服に身を包んだ小春さんが控えていてくれた。護衛も兼任しているようなことを父が言っていたし、扉の前で警戒していてくれたのだろう。頭が下がる。
小春さんに演技練習がしたいことを告げると、小春さんはいつものように耳元の通信機でさっとどこかに連絡を取る。その手際を、珠里阿ちゃんたちはぽかんと見上げていた。うんうん、そうだよね。わかるよ。ドラマっぽいよね。
「――では、サンルームにご案内いたします」
「はい」
サンルームは、洋館の中のこう、日光を浴びながらのんびりする部屋だ。当然のように私の家にもあって、時々、母が本を読んでくれていた。記憶が戻る前だから、けっこう前のことだ。
上品なソファーと白くて大きな机。花瓶には真新しい薔薇が美しく飾ってある。私たちはサンルーム中央においてあった長机を片付けてもらい、そこで、演技の練習をする。
「だいほんのここなんだけどさ」
「うんうん」
けっこう先のシーンだ。美奈帆がいじめの中心となってしばらくしたころ、柊リリィと敵対関係にある明里が、いじめる側に立つことで苦しむ楓を助けようとする。
リリィは楓を助けることができずに苦しむ明里に、「仲間になったら楓はいじめず解放する」と持ちかける。この、解放する相手に美奈帆は含まれていない。当然、明里は気がつくんだけど、それでも、楓を助けるための手段がほかに思い浮かばなくて悩むんだよね。
で、このシーンは、悪になることを悩んで、それでもリリィの言葉を突っぱねるシーンだ。劇中で、明里が成長を見せるシーンであり、柊リリィとしては初めての敗北を喫するシーンでもある。
「ここが?」
「うん。どうしてなやむんだろう? って、よくわかんなくて。リリィはわるい子なんだから、おまえとのやくそくなんかしらない! ってやればいいだろ?」
「うーん。それだと、あかりはせいぎのみかたなのに、うそついちゃうよ?」
「そっかぁ。でも、わるい子、わるい子かぁ」
これはひょっとして、“わるい子”な自分が想像できないのだろうか? それなら、やりようはあると思う。
「りんはわかるか?」
「しらん!」
「ま、りんはそうだよな。みみは?」
「っぁ、えっと、えと、その」
「うん、むりいってわるかった。じゃ、つぐみ」
「わるい子だったばあいを、やってみようか?」
「は?」
手段はいろいろあると思うけれど、まず「この提案を断ったら、もしくは受けたらどうなるか?」という想像を巡らせることで、「こうなりたくない」という気持ちが働く。
これは断る流れで、成長と言うだけ合ってパワーのあるシーンだ。それくらいの反発心があっても良いのではないだろうか?
「わるい子のえんぎをやって、“こうなりたくない”っておもえば、いい子のえんぎもできるんじゃない?」
「うーん、でも、わるい子、わるい子かぁ」
「れんしゅうだよ?」
「なるほどなぁ。うん、れんしゅうなら、いいよな。うん、さすがあたしのライバルだな!」
どうやらわかってくれたみたいだ。そうしたら、あとはアドリブで流してみよう。ベースは台本のように。凛ちゃんのことだ、良いタイミングでカットしてくれることだろう。もしも悪に転じたら苦しむことになる美奈帆が視界にいるのも、今はとても大きなプラスだ。
じゃあ、今回もスイッチは軽めに。完全勝利の柊リリィは、本編には登場しない。つまり、ここだけのファンフィクションだ。
「じゃ、シーン――アクション!」
凛ちゃんのかけ声、緩く染み渡る柊リリィという悪意の水。そのおぞましくも無垢な悪意に促されるように、私は明里の頬に手を寄せる。
「かえでをたすけたいのなら、わたしのオトモダチになりましょう?」
膝をわずかに曲げて、傅くように、明里を見上げる。瞳孔が淡く開き、動揺が視点を揺らすと、毒にかかり始めたことがうれしくなった。
「なに、いってんだよ。あたしがみなほをうらぎるとでも、おもってんのか?!」
「でもそうすれば、かえではかいほうしてあげる。いじめたりもしないわ」
「くちやくそくだろ」
うつむいて、私の視線から逃れようとする。かわいい子。だけれど、いつまでそうやって気丈に振る舞える? 楽になれば良い。優しい声、優しい笑顔。優しさなんて、貼り付けただけでできる簡単なコトバ。
そんな薄っぺらい感情で、刃のように鋭くて残酷で美しいコトバに勝てるとでも思う?
「そうね。でも、ウソだったらあなたがとめればいいじゃない」
「それ、は」
「ほんとうだったら、かえでがかいほうされるだけよ。シンプルでしょう?」
本来なら、ここで明里は気丈に突っぱねる。リスクが多くて愚かだとも言われかねない。けれど、ここで柊リリィを敗北させることが、なにより彼女の力になる。
――でも、それは今は、関係のない話だ。
「ほんとう、に、かえでをたすけてくれるのか?」
「ええ、もちろん」
「わか、った。おまえの、トモダチに、なる」
「っふふ、ふふふふふ、あは――なら、しょうめいしないとね?」
「なに、を?」
窓辺に近づいて、薔薇を一輪選びとる。アクセントに飾られている白い薔薇だ。子供が触っても怪我がしないよう配慮された、棘のない薔薇だ。美しい、薔薇。
「ばらのハナコトバって、しっているかしら?」
「? いや。しらない」
「アカは“じょうねつ”、“びぼう”、“あい”」
「しろ、は?」
口元に当てる。それの意味を、刻みつけるように。
「“じゅんけつ”」
汚れない白。穢れのない純白。清純、あるいは純潔。薔薇の向こうから見た明里は、月明かりに照らされた水面のように、白く揺らいでいた。
「ふみにじりなさい」
「っ」
「あくいで、ぼうりょくで、いたみで、ちからで、にくしみで――かいらくで、ふみつぶしなさい」
差し出された薔薇を、明里は震える手で受け取る。薔薇の持つ手を振り上げて、ぎゅっと目をつむり、唇で声も出さずに紡いだコトバは――堕落の証。
「ごめん」
叩きつけられた薔薇が、地面に当たって花弁を散らす。私の言葉が刻みつけられたのだろう。踏みつけ、踏みにじり、真っ白の花弁が薄汚くくすんで砕けるたびに、彼女の顔は快楽に歪んでいく。
楽しい。楽しい。楽しい。楽しい。
愉しい。愉しい。愉しい。愉しい。
「ああ、どうして」
どうしてこんなにも、白かったものが黒く染まることが、愉しいのだろうか?
「つぶれろ、つぶれろ、つぶれろ、つぶれろ!!」
「ふ、ふふ、あは、アハハハハ――」
「くふ、ははは、つぶれろ、つぶれろ、つぶれろッ!!」
「っひ、は、ははは、アハハハハハハハハハッ!!」
うつろな目で笑い声を上げる明里の足下から、砕けて折れた花弁を一枚拾い上げる。
「さ、これからもずぅっといっしょよ。わたしのオトモダチ」
薄汚れた花弁に口づければ――痺れるような快楽の、味がした。
「――カット!」
――と、凛ちゃんの言葉で戻る。珠里阿ちゃんがものすごく良い演技をするものだから、思わず深めにスイッチが入ってしまった。
珠里阿ちゃんもまだ役が抜けきっていないようで、呆然と散った薔薇を見ている。役に入り込んだせいでためらいなく薔薇を踏み潰してしまったわけだけれど……あとで、両親と小春さんたちに謝っておこう。花にも悪いことをしてしまった。
「じゅりあちゃん、どう?」
「――あた、し……ぁ、れ……?」
「じゅりあちゃん?」
「っああ、うん。なんか、わかったかも」
珠里阿ちゃんはかぶりを振ると、なるほど、なるほど、と、かみしめるように何度も頷く。
「ああ、バラ!」
「うん、バラは、かたづけておくね?」
「いや、うぅ、ごめん。たしかにこれは――わるい子だ」
神妙に頷く珠里阿ちゃんに、うん、と相槌を打つ。
「なるほど、こうならないようにしたらいいんだな」
「そうそう」
「それで、いい子になるんだ」
珠里阿ちゃんは反芻するように呟いている。声に出すことで、イメージを明確にしているのだろう。私も前世ではよくそうしていたが、「憎悪……復讐……恐怖……イヒヒヒヒヒッ」とやってるところを共演者に聞かれて怯えられてからは、脳内で済ませられるようになった。
「す、すごい、ほんとにかいけつしちゃった」
「うん、そうだぞ。わたしのつぐみはすごいんだ」
凛ちゃん、私はいつから君のものになったのかな?
「ほんと、かいけつしたな! ありがとう、つぐみ!」
「わたしは、たいしたことはしていないよ」
「そんなことないぞ? それになんだか、つぐみとやる“わるい子”のえんぎ、けっこうたのしかっ――」
――最初は、重いものでも落ちたのかと思った。ばん、と大きな音がして肩が跳ねる。振り向けば、扉を開けてこちらを睨み付ける女性……珠里阿ちゃんのおかあさん、早月さんだ。
私は思わず、笠羽サラちゃんの面影をなぞるように、彼女の姿を見る。メイクで薄まったほうれい線、つり上がった目尻に載る皺。年月を重ねた跡はしっかりと刻まれているが、そのまっすぐな姿勢と緊張に張り詰めた顔つきは、間違いなくサラちゃんのものだった。
「――おかあさん?」
「あれほど言ったのに。どういうつもり? 珠里阿!」
「っ、ち、ちがうんだ。れんしゅうで」
「練習? 悪い子の練習でもしていたの?! そんなこと、いつ、お母さんが許したの!?」
「あ、あたし、は」
剣幕。怒号。庇おうと前に出た美海ちゃんが、落ちた花弁を散らす勢いの怒声に驚き竦んでいた。怯える美海ちゃんに気がついて、けれど珠里阿ちゃんを怒る姿勢を崩さない。
――だから私は、一瞬生じた意識の隙間を縫うようにして、前に出る。
「あの、ごめんなさい! わたしがつきあわせたんです!」
「そう。悪い友達ができたのね?」
「ち、ちがう、つぐみはライバルで、わるい子じゃ――」
「それなら、あなたが悪い子になったのかしら? 答えて、珠里阿ッ」
己の母の言葉に、呆然と目を瞠る珠里阿ちゃん。珠里阿ちゃんは苦しむように胸をかき抱くと、強く下唇を噛みしめ――涙を一滴落として走り出す。
「っ!!」
「まって、じゅりあちゃ――きゃっ」
「わぁっ!? こ、子供!?」
走り出した私にぶつかる影。見知らぬ男の人の声。隙間を縫って走り去り、あっという間に見えなくなる珠里阿ちゃん。私の足なら追いつける、か、わからないけれど、追いかけるしかない!
「まって、おねがい、じゅりあちゃん!」
踏み出して、けれど、力の目測を見誤る。足が絡まって転んで、視界が絨毯でいっぱいになった。
(ぶつかる……!)
「おっと、危ない! 君、無事か!?」
あともう少しでぶつかる、というところで、私の体が宙に浮く。さっきの見知らぬ声の主が、私の腰を掴んで助けてくれていた。ひげ面の男性。顔は四角く厳ついが、小さくて丸い目は優しげな、大きな男の人だ。
「いったいどうしたんだ?」
「お、おとうさん!?」
「美海! なにが起こったんだ??」
体を起こして、もう、足音の聞こえない廊下を呆然と見つめる。もっと何かできることがあったのではないか。まだやれることがあるのではないか。先行する思考は、衝撃に麻痺した体を動かしてくれない。
「つぐみ様」
「……こはるさん」
「外には出られないよう手配してあります。使用人が捜索に出ましたので、今は中へ」
「は、い」
たんたん、と、地を打つ音が耳に入る。雨が降り出した。でも、雨音は、私の失意を流してはくれない。なにもできなかった私をあざ笑うように、窓に映った私の頬をなぞるように、雨水が流れ落ちた。




