scene4
――4――
――銃声が響く。打ち込まれた弾丸は男の腹を食い破り、うずくまるように倒れた。だんだんと足下を濡らしていく赤い水が、思い慕った兄貴分の血だと気がついたとき、辰は、震える手で硝煙のあとを見つめる。
『辰、テメェ、狂ったか!?』
『アニキ! アニキ! おい、救急車だ、早く――ぐぁっ!?』
『なっ、テメェッ――ガッ!!?』
三発の銃声が、昨日まで同じ釜の飯を食っていた仲間を撃ち殺したとき、辰は初めて、それが己の凶行だと気がつく。
拳銃を守り刀のように握りしめ、転びながら走り去る辰。その背について歩くように、裸足の女の血の跡が、ぺたりぺたりと土を穢した。
画面に表示される、“竜の墓”という血文字。テロップで冒頭よりも過去に遡ったことを知らせ、今日までの回想が語られる。
未だ先代組長の病死から、跡継ぎが決まっていない頃。若頭、蕪総三郎の妻であった伊都子の死をきっかけに起こるようになった怪奇現象。蛇口から髪の毛が流れ、総三郎の愛人、美乃利は夢の中で悲鳴を聞き続け衰弱し、ついにはその娘、瑠美子もまた、その魔の手が近づいていた。
かつて伊都子が相手の年齢を知らぬまま、タイプライターで打たれた手紙で文通をしていた少女、愛。彼女をいじめていた瑠美子は、ある日、階段を登ってきた愛を見つけた。
『だれかと思えば、ゴミ子ちゃんじゃない』
『っ……わたし、そんな名前じゃない』
『口答え? 偉くなったわねぇ』
瑠美子は愛を見下しながら、嘲笑とともに近づく。せいぜい高慢ちきな少女といったところだろう。だが、愛がおびえることなくにらみ返していると、瑠美子は、目に見えて態度を豹変させた。
『あんたなんかがどうして村岡君に近づいているのよもしかして自分が特別だとでもかん違いしたのかしら笑えるわねあんたなんか誰にも相手にされないゴミ箱女のくせにどうして調子に乗ってられるの泣け泣け泣け泣け泣け泣け泣け泣けッッ!!』
狂気。日常からにじみ出る悪意の顔。彼女の魅せた、強烈な演技。それに愛はおびえ、すくみ、歪んだ笑みの瑠美子にそれを見られた。
『そうだ。あんたなんか、生まれてこなければよかったのよ』
『え?』
階段から宙を舞う愛。階段の下で、赤い水たまりを作る愛。それを見て瑠美子は指を差して笑うと、飽きたように踵を返して歩き去った。
――階段の下。水たまりの中で、愛はぴくりと動く。腕を持ち上げ、ハンカチで頭の止血をすると、うつろな瞳のまま歩き出して教員の前で倒れた。騒ぎになって愛が病院に連れて行かれる中、愛の血でできた水たまりから、ぺたり、ぺたりと足跡が離れていく。
『■■■ゥ■』
『■ァ■ア■■』
『ィ■ゥゥゥ■』
かすれた声。ぎゃりぎゃり、ぐちゅぐちゅ、ごりごり。何かを挽きつぶして、こねくり回して、砕く音。
画面が切り替わる。蕪総三郎の放免祝いに出かける辰と仲間たち。辰は兄貴分の出所を喜ぶようにぐいっと親指で涙を拭うと、蕪の愛人であるはずの美乃利にだけわかるよう笑みを浮かべる。すると美乃利は秋波を滲ませて、辰を見送った。がらがらと扉を閉める直前に、ぺたりと血の足跡がつく。家の中にそれが侵入したことに、美乃利は気がつかない。
『瑠美子、帰っているのかしら?』
長い廊下の奥。明かりが消え、付き、明滅して瞬く。その奥にたたずむ人影に声をかけた美乃利は、そのときになってようやく、人影の正体に思い至った。
『■■■ィ』
『い、伊都子? な、なんで』
明かりが消える。/明滅/一歩近づく。足など動かしていないのに。
明かりが消える。/明滅/白い着物。毒で吐いた血糊が、べったりと裾を汚している。
明かりが消える。/明滅/ざんばらの髪。青白い肌。かすれた声は、もはや判別がつかない。
明かりが消える。
そこにはもう、伊都子の姿はなかった。
『ゆ、め……?』
『縺、縺九∪縺医◆』
『ひっ』
明かりが消える。/美乃利の顔をつかむ着物の女。
明かりが消える。/足をばたつかせ、もがき、声を上げることも叶わず。
明かりが消える。/骨張ったツメが美乃利の頬に食い込み、血が滲み、涙のように溢れ。
明かりが消える。/明滅/天井に飛び散る血/挽きつぶす音/飲み干す音。
明かりが消える。/ずりずり。
明かりが消える。/ぐちゅぐちゅ。
明かりが消える。/ぎゃりぎゃり。
明かりが消える。/明滅/裸電球がひび割れ、消えた。
『■■■』/ぺたり。
『■■■』/ぺたり、ぺたり。
『■■■』/ぺたり、ぺたり、ずりずり、ぺたり。
『■■■』/ぺたり、ぺた、ぺた、ずりゅ、たったったっ。
部屋で膝を抱える瑠美子にカメラが切り替わる。瑠美子は救急車の到着を見ていた。てっきり死んだと思ったのに、助かってしまうかもしれない。そう思うと、そう考えると、叱責を受けるかもしれない。瑠美子はそれが、なによりも嫌だった。
『――』/ぎぃ、ぎぃ、ぎぃ。
すると、不意に、木の扉が開く。
『お母さん? 辰? お父さんが帰ってきたの?』
返事はない。
ただ、扉が軋む音だけが、むなしく響く。
『お母さん? なによ、返事くらいしてくれたっていいじゃない』
『――』
『お母さん? もしかして、怒ってる?』
『――』
『もう! だからなんなの――ヒッ』
ドアノブを掴んで勢いよく開いた瑠美子は、大きな血だまりに怯えの声をこぼす。壁、天井、床。血糊がべっとりとついていて、どこにも逃げ場はない。思わず後ずさった瑠美子は、背中が“壁”にぶつかる感触を覚える。慌ててドアノブを探そうとして、未だ、己がドアノブをつかんで開いたままだということに気がついた。
『え……なら、これ、は?』
見上げ。
『あ』
にたりと笑う、白濁した眼孔と、目が合った。
『いやぁあああああああああああああああぁぁぁぁッッッッ――ぎッ!?』
カメラは、瑠美子の首から下へ移る。ゆっくりと持ち上げられていく瑠美子の体。くぐもった声。滝のような血が、足下から廊下へと流れていく。
『莠コ繧貞す縺、縺代k縺ョ縺ッ讌ス縺励°縺」縺滂シ』
『隱ー縺九r繧ゅ※縺ゅ◎縺カ縺ョ縺ッ讌ス縺励°縺」縺滂シ』
『谺。縺ッ縲√♀縺セ縺医?逡ェ縺?』
音にならない声。
音声加工では引き出せない、人間の喉から出る不協和音。
やがて、もがいていた瑠美子の足は力なく垂れ下がり、時折、びくんと痙攣した。
暗転。
場面は辰に戻される。
『許してくれ、許してくれ、伊都子ぉ』
伊都子の墓にすがりつく辰。辰は、伊都子と恋人関係にありながら伊都子を捨て、美乃利に乗り換え、兄貴分の目を盗んで逢瀬を行っていたことが回想として流れる。そうして今になって呪いを恐れ、伊都子の墓にすがりついているのだ。
そんな、辰の前に、不意に、伊都子が現れる。なんの前触れもなく、なんの音もなく、なんの感情もなく、たたずむ伊都子。
『ひ、ひぃぃっ』
おびえた辰が銃を撃つと、そこには胸を打ち抜かれた美乃利が横たわっていた。
『っ、あああああ!!』
慌てて振り向いて今度こそ伊都子を打ち抜くと、そこには額を打ち抜かれた瑠美子が横たわっていた。
『なんで、なんで、なんでなんでなんでッ!!』
伊都子が現れる。伊都子が自身の手で銃の形を作り口腔に咥え込むと、辰もまた、同じ仕草で銃を咥えた。
『うぅー、うーッ!! ゆ、ゆる、ひ――ッ』
銃声。
伊都子の墓に降り注いだ血が、うぞうぞとうごめき、辰の字に変わる。そして、伊都子の歪んだ笑い声が響き、暗転した。
「っ、っ、っ」
「あわ、あわわ、あわわわ、あわわわわ、あわわわわわ」
画面の向こうでは、後日の様子が語られている。愛がクラスメートの男子と、タイプライターで打った手紙を、いつもの文通相手に送るシーンだ。ポストに投函して、家に帰る。
明日からの日常をわずかな痛みを抱えて過ごす愛。そうして深夜、彼女の家のポストに、虚空から手紙の返事が投函されたところで、物語は幕を閉じた。
「どう?」
「ななな、なんでつぐみは、かおいろかわってないの?????」
「むり……むり……」
私の右手をぎゅーっと掴んで離さない凛ちゃん。
私の左手にぎゅーっとしがみついて離れない美海ちゃん。
うんうん、ホラー映画を見たらこうじゃないと。
「久々に見たけど、これが初めての悪霊役だとは思えないよねぇ、桐王鶫」
「つ、つぐみ? ちちよ、これにつぐみは出ていないぞ」
「ああ、違う違う。昔のホラー女優だよ。凛の年齢で見られる映画、なかったからね」
「??」
そうなんだよね。十五禁指定とは盲点だった。それなら、知らないのは無理もない。ああ、でもあのシーンはもっと怖くできたな。今なら関節が死後硬直しているような動きだってできるのに。それから声だってもっとくぐもらせればよかった。映像加工したくないシーンでも臨場感が出せるのに。
サラちゃんだって、きっともっと、怖がってくれたことだろう――そう、瑠美子役の、笠羽サラちゃん。ああして、映像で見ればよくわかる。年をとって、お化粧で表情がわかりにくくなっていたけれど、あれは、確かにサラちゃんだ。朝代早月さんが、サラちゃんなんだ。
「うぅ、あ、あの声は、かこう?」
「ううん。ちがう――らしいよ」
「お、つぐみちゃん詳しいねぇ。なんでも、ただの発声技術らしいよ」
そうそう。一九八三年に電気屋のテレビで初めてボイスパーカッションを見たときは、これだ! って思ったのよ。演技の幅が広がる! って。だから大道芸人さんの口の動かし方とか見て、口腔かみ切ってリアル血反吐を拭いながら練習したんだよね。喉痛めなくてよかったよ。
そのおかげで、自然と発声技術に幅ができた。後の声の出し方は我ながらなかなか恐ろしく、私が生前最後に出演した映画、“心音”では結構な完成度に仕上がっていたと思う。
「さて。つぐみ、みみ」
「?」
「な、なに?」
「きょうは、とまって」
震える指。
滲んだ目元。
血の気の引いた、唇。
「えーと、りんちゃんのおとうさん」
「はは、ぼくは構わないよ」
スマートフォンを取り出して、顔認証でオープン。オープン、で、ええっと。
「つぐみ、ここをフリック」
ふりっくして、たっぷして、おお、出た。
「もしもし、マミィ?」
『あら、どうしたの? つぐみ』
「きょう、りんちゃんの家に、とまってもいい?」
『まぁ。ふふふ、ええ、いいわよ。夜旗さんに代わってくださる?』
「ありがとう、マミィ! あの、ははが」
そう言って万真さんにスマートフォンを渡すと、万真さんは快く受け取ってくれた。腰に手を当てて軽快に会話をする万真さんは格好いい。というか、凛ちゃん含め、機械ができる人って格好いい。
「ええ、はい。はは、大丈夫ですよ」
『――』
「はい。はい、もちろん」
『――』
「はい。では、明日の朝にご連絡いたします」
『――』
母と大人同士のやりとりをした万真さんが、スマートフォンを返してくれる。そのまましがみついたままの凛ちゃんと美海ちゃんに笑いかけると、二人は花開くように笑ってくれた。
たまにはこういうのも、うん、新鮮でいいかもしれないなぁ。
どうしてサラちゃんが役者を嫌いになってしまったのか。
空白の二十年の間に、いったいなにが起こったのか。
疑問はつきないけれど、そう、今だけは。
「つぐみ、そこにいる?」
「あわわわ、あわわわわ」
この小さな友人たちのために、私の腕を貸しておこうかな。




