scene8
――8――
帰りの会は、いつもつつがなく終わる。みんな熱血教師の逆鱗に触れたくなくて、大人しくしているからだ。私も、役者になるという夢が着実に舗装されていく中、勉強の時間が減ると困るので、今日も大人しくしていた。とはいえ、君恵と幸子と美有紀――私と鞠子以外の三人は、私たちが少しいつもと違うことに気が付いているのか、ちらちらと私たちに視線を向けていたのだけれど。
(あとで質問されるかな。ま、いいか。今日は久々にお見舞いだし、さっさと行こう)
君恵たちが気にするのは、浮き足だった鞠子と、約束を胸になんだか落ち着かない私の姿だ。なにせ、夢に一歩近づいたのだから、にやけるくらいは許して欲しい、なんて。そんな訳で、私と鞠子の心は晴れ模様だったのだけれど、天候は私たちに合わせてくれない。空は灰色の雲に覆われていて、今にも落ちてきてしまいそうだ。
天気予報を見るまでもなく、じめっとした空気は雨を予感させる。吐いた息が曇り空のように重くて、放課後を迎えるのが憂鬱だった。なにせ、傘なんて上等なモノは持っていないので。
(お見舞いで濡れ鼠はいやだな……走って行こう)
チャイムが鳴る。同時に、鞠子の号令に合わせて起立、気をつけ、礼。先生が教室から出て行ったことを見計らって、素早くランドセルを背負う。すると同時に、君恵が駆け寄ってきた。
「ねぇ、鶫ちゃん! 今日、鞠子ちゃんとなにか――」
「ごめん、今日予定がある。鞠子に聞いて!」
「――って、わ、鶫ちゃん、速っ」
君恵と、それからついでに、教室の端で目を丸くする鞠子に謝る。苦笑する美有紀とほわほわした幸子の姿も見えたけれど、それはまた今度ということで。
教室を飛び出して、下駄箱でぺらぺらのスニーカーに履き替えて、学校を出る。ここからは、道なりに歩いて、小さな商店街を抜ければ直ぐに病院だ。父に最後に出会ったのは、泣かせてしまったあの公園だ。やっぱりちゃんと、なんで泣いてしまったのか聞いて来たい。場合によっては、ちゃんと、うん、仲直りだってしたい。そう、決意を胸に小走りで歩いて。
(ん? あれは……?)
商店街の手前で、なんだかあんまり見ていたくないモノを見つけた。アーケードの手前、自動販売機の前で尻餅をつく、小太りの少年。その少年を取り囲む、同じ年頃の四人の少年たち。せっかく人が気まずいことを解決しようと決意したのに、こんな光景、あまりに縁起が悪い。
「やーい白豚! ぶひぶひ鳴いてみろよ!」
「ひっ、や、やめてくれよ、なんなんだよ」
「白豚のくせに人間の言葉喋んなよ」
「痛いっ」
「そこは、“ぶー”だろ!」
「し、しらないよ」
「『しらないよぉ~』じゃねぇんだよ白豚!」
「う、うっ、うぅ」
……だいいち、イジメというものは好きじゃない。なにせ、まるっきり家での私を見ているようだから。だから、そう、これはきっと善行なんかじゃない。他ならぬ私自身が気に入らないから、こうするんだ。私は自分にそう言い聞かせて、少年たちに向けて一歩を踏み出した。
さて、じゃあ、どんな風に声をかける?
普通に声をかけて、気に入らないという?
怒鳴りながら入っていって、喧嘩でもする?
大人の人に駆け寄って、泣いて助けを求める?
(そうじゃない。私はいずれ、銀幕の悪霊になるんだ。せっかくなら、恐ろしく助けよう)
なにせ、そんな義理もないのに助けようというのだ。これくらいは許容して欲しい。そんな風に自分に言い訳をしながらも、上がる口角は誤魔化せない。だってこれは、予行練習だ。いつか両親を恐怖の渦にたたき落とすための、リハーサルだ。
(どんな感じで行こうかな。そうだ、せっかくだから、酔ったときの父さんをイメージしよう。理不尽で、こわいように)
台本も脚本も監督も共演者もいない。なんだったら、今から演じる人物は架空の人だ。私が今この場で、即興で作り出す人間だ。だからこれはきっと、私の初めての創作演技。イジメなんて格好悪いことをする彼らには、私の演技練習の実験台になって貰おう。
こんなところ、こんな場面に介入してくるなんて、いったいどんな人だろう。どんな、“こわい”人だろう。
正義感溢れる人。
――“悪”にとっての怖い人。
八つ当たりのような暴力を振るう人。
――“正義”にとっての怖い人。
わけのわからないことを言ってくる人。
――“未知”であり、“万人”にとっての怖い人。
一番怖いのは、きっと最後だ。理不尽に怒鳴り散らかされたりしたら、きっとなにより怖いだろう。でもそれをこんな学校と病院に近いところでやって、鞠子や父に知られるのもなんか嫌だ。
なので、ここは正々堂々かつ、いじめっ子の撃退に都合が良さそうな、正義感に溢れる人でやってみよう。ドラマの中、物語の中、悪に立ち向かう果敢な人。守られる側は頼もしいのかも知れないけれど、斬って払って捨てられる“悪党”にとってはきっと、お化けのように恐ろしい存在に違いない。
「ねぇ」
いじめっ子たちは、私に背を向ける形で、左から坊主、短髪、カリアゲ、ツンツン。カリアゲがたぶんリーダーかな。私が声をかけると、カリアゲが振り向く。彼が身体を傾けたことで、いじめられっ子の姿もよく見えた。前髪で目元は見えないけれど、金髪に白い肌の少年。日本語を喋れているし、ハーフってやつかな。初めて見た。
「なんだよおまえ」
「なにしてるの? イジメ?」
「チッ、女がでしゃばんなよ!」
カリアゲが代表して文句を言う。で、他の三人は主にはヤジを言う係。今も、「そうだぞ」とか「だれだよ」とか言っているけれど、雑音と切り捨てて良いかな。
話ながら少しずつ、演技のための自分に切り替えていく。最初はゆっくり、会話の中で深く強く切り替えていく。
「オレたち、いまこいつ“で”遊んでんの、わかる?」
「わかるよ。見ていたらわかる。どうしてそんなことをするの?」
目を伏せがちに。最初は小さく出た方が良い。小から大への出力が、大きなパワーを呼ぶ。だから、そう、最初は美有紀をイメージして。
「どうして? おまえに関係ないだろ!」
「で、でも」
気弱な反応を見せると、カリアゲは一歩前に出る。にやにやと笑い、新しい獲物を見つけたような顔。一歩下がると、彼は私を突き飛ばそうと、手を伸ばした。
(父さんもそう。誰かを叩こうとする一瞬、伸ばした自分の手で相手の顔が見えなくなる)
伸ばした手。
見えなくなる顔。
影になったその一瞬に。
深く。
創作された自分に、潜り込む。
「引っ込んでろよ」
「いやだ」
「は?」
伸ばされた手を避ける。足を一歩引いて身体を傾け、伸びた手を空振りさせて、相手が体勢を崩したところに一歩踏み込む。こんなにうまくいくとは思わなかったけれど、都合が良い。
「誰かを虐めるのがそんなに楽しい?」
「っ」
声を大きく。確か、えっと、目の前よりももっと遠くへ声を届けるようなイメージ。叫ぶのではなく、よく声が通るように。
「弱い者イジメをして、あなたが強くなれるとでも思ったの?」
――声を張る。
「鏡で自分の顔を見てみなさいな! 歪んだ顔に見覚えはない?」
――彼が口を開きかけたところに、声をねじ込む。
「ドラマやマンガの中の悪党にそっくり! わからない?」
――身近なモノに例えて、想像させる。自分が、なんであるのかを。
「……あなた、自分で、正義の味方に倒される、悪の怪人に成り下がっているのよ」
――事実を大きくして。それから、哀れむように、悲しむように。
(自分の立ち位置を、マンガやドラマの“悪役”だとわからせる――!)
いじめっ子は、口をパクパクとさせて、二の句を告げることが出来ないでいた。いじめられっ子がどうの、虐めることがどうの。そんな目の前のことなら、彼はいくらでも反論してきたことだろう。でも、今彼に提示されているのは、自分が“身近で目にする悪役か、ヒーローか”という大きな二択。本来なら、こんな場面で選択肢にすら上がらないような、そんな二者択一だ。
カリアゲの彼は、泳ぐ目で仲間を見つめる。けれど所詮、カリアゲの彼についてきただけの舎弟なのだろう。リーダーの動揺は容易く伝播して、舎弟は不安そうに俯いていた。カリアゲの彼がリーダーとして発破を掛ければ、きっと動揺しながらも立ち上がるだろう。でも、彼はそれを選ばない。家族や友人――“誰が見ても格好悪い悪役”に、なりたくないから。
(悪役、面白そうなのにね)
無言を貫く私に、カリアゲの彼は舌打ちをする。それから、くるりと踵を返した。
「いくぞッ! 付き合ってられっかよ!」
リーダーの判断は、舎弟の彼らの意志に沿ったモノだったのだろう。震えながら、けれど足早に去る。その場に残されたのは、私と、それから虐められていた金髪の少年だけだ。
私は、彼に手を伸ばすべきなのだろう。それから優しい言葉をかけて、怪我がないかみてあげるべきなんだろう。わかっているのに、でも、我慢できなくって走り出す。
「え、ちょっと、君、ま、待って!」
少年の声を振り払い、ただひたすらに走った。
(なに、今の、何今の、なにいまの!?)
高鳴る心臓。
早鐘を打つそれを誤魔化すように、走る。
いてもたってもいられなかった。
(演技、してた。自分の考えたとおりの人物で、自分の考えたとおりの設定で!)
小さな商店の軒先に身を隠し、震える身体を自分で抱きしめる。脳裏に描くのは、先ほどまでの光景だ。私が、他ならぬ演技の力でいじめっ子を撃退したときの風景だ。
(そっか、そういうことなんだ……!)
指先が、足が、胸が、強く震えている。カチカチと噛み合わない歯、息切れに動悸。さっきの子たちに報復される恐怖? それとも、私が逆に責められるかも知れないという怯え?
いいや、違う。これは熱だ。私の中で、ごうごうと燃え上がる炎だ。私でも、演技で人に影響を与えられる。演技で、人を恐怖させられる。あの映画のように、演技で!
(父さん――私は、“今”、父さんに会いたい)
深呼吸。息切れも収まらないまま、また、走り出す。曇り空からは、ほんの少しだけ雨水が落ち始めたけれど、この程度なら病院に間に合うだろう。私は上がった口角をむにむにと手で押さえ込んで、逸る気持ちを踏み込みに変え、走り出した。
ただ、一分一秒でも早く、この気持ちを父さんに告げるために。




