scene2
――2――
あれから、とくになにも進展無く時間だけが過ぎていった。というのも、他のシーンの練習が優先されていて、中々アネッサ役の姉川さんと演じることが出来なかったから。アネッサは色んなシーンに登場する人物だから仕方ないのだけれど……自主練ばかりでは、不安になってしまう。
せめて、髪を結えるようにはしておきたい。やれることが増えれば選択肢が増える。鶫だってそうやって、色んな技術を身につけていったのだから、わたしも!
「どうかな? ルル」
SSTプロのメイクルーム。ルルを横に、わたしは髪を結わえる練習をしていた。練習相手は、姉川さんと同じくらいの長さの髪……ということで、髪を下ろせばボブヘアくらいの長さになる、小春さんが練習相手だ。
「この長さを編み込むのは簡単じゃないわ。でも、さすがつぐみね。いいわよ」
「やった。ありがと、ルル」
「このまま次のステップにいくわよ。いいわね?」
「うん! おねがい、ルル!」
ルルの手ほどきは、意外なほどわかりやすかった。モデルになってくれている小春さんが少しも身動きせずに受けてくれているのもあると思うのだけれど、とてもやりやすい。そのうち色々な髪型を覚えると、興に乗ったルルは簡単なメイクや緊張をほぐすマッサージなんかも教えてくれる。
肩こり、なんかは感じたことはないのだけれど、練習台になってくれる小春さんは、なんだか気持ちよさそうにしてくれていた。
「よいしょ、よいしょ……こはるさん、どう?」
「………………至福のひととき、です」
「そう? よかったぁ」
うまくできると嬉しい。うまくできないと、悔しい。だから、もっと頑張ろう、足りないところを補おうって思える。髪が結えるようになったからって、演技課題をクリアできる訳じゃないと思うけれど……前に進んでいるっていう実感は、わたしの胸を熱くした。
あとは、演技、なのだけれど、これが困った。だって客観的にどう“違う”のか、わたし自身がしっかり理解できていないから。自主練には、どうしても限度がある。SSTのトレーナーさんは分野の専門家さんばかりで、誰になにを教えて貰えばいいのかも曖昧だしね。
「はぁ……」
「ため息。もう五回目よ、つぐみ」
「あっ、ご、ごめんね、ルル」
とっさに謝ると、ルルは、「いいえ」と短く告げる。
「謝る必要はないわ。それより、あなたの才能を翳らせる“それ”を解決する方法を探しなさいな」
「ちょっとルル、つぐみ様に対してそんな言い方――」
「つぐみは、口の利き方ひとつで態度を変えるような人間かしら? コハル」
「――むぅ。それは、そうかもしれないけれど」
小春さんとルルの息の合ったやりとりを見ていると、わたしも楽しくなってくる。幼馴染みだという二人は、時折こうして軽妙なやりとりをすることがあった。その距離感が、ときどき羨ましくなってしまう。
……なんだか、凛ちゃんたちに会いたくなってきた。みんな元気かなぁ。鴎雅君と知り合えたのは良かったけれど、なんだか取り残されちゃったみたいで寂しくなる。鶫も、こんな風に思っていたことはあったのかな? え? 生きるのに必死だった? そ、そうだよね。
「で? つぐみ。あなたの敵はナニ?」
「んぁ、て、敵?」
「敵よ。障害なんてものは全部」
ルル、過激だなぁ。いやでも、言いたいことはわかるかも。ルルはこうして、この世界の荒波をくぐり抜けて、一目置かれるようになったんだよね。敵、敵、敵、かぁ。わたしはなんだか慣れないから、全員ライバルだと思うことにしよう。
ライバル、ライバルか。なんだかそう思うと、気持ちが高揚してきた――ような気がする、かも?
「コハル、なにか知らないわけ? ついて行ってるのでしょう? ガッコウ」
「瑠琉菜、あなたはまったく。マネージャー業もあるのよ?」
小春さんの言葉に、思わずわたしも頷いてしまう。日中、わたしが学校に通っている間、スケジュール調整や新しいお仕事の獲得なんかは小春さんにお任せしている。学校の中まで見守ってくれているわけではない。
ただ、まぁ、もちろん最初は両立する気だったみたいだけれど……それじゃあ小春さんが休む時間も無いので、学内は他の手段で納得して貰った。
それが。
「学内は宵煙……つぐみ様専属護衛の、真宵たちに任せてあるわ」
そう。まるで忍者のように、夜に紛れる煙のように、わたしを護衛してくれる彼女――真宵が、わたしを見守ってくれている。
「もっとも、指示系統が完全につぐみ様依存だからね。つぐみ様が命じないと、護衛以外のことはしてくれないのよ。……つぐみ様。学内で困ったことがあれば、真宵たちをお使い下さいね?」
「うん、もちろん!」
真宵に頼らなければならないことといえば、やっぱり命の危機に関わること、だよね。演技のことや、友達ができないことは、自分で解決しなきゃ!
「ふん。まぁいいわ。で、つぐみ。結局、ナニが問題なワケ?」
「演技がね、うまくいかないの」
「そ。なにがダメなの?」
短い肯定。事実のみを追求してくれるルルの姿勢は、かえって話しやすかった。
「せりふのない役なんだけどね、目立ちすぎるか、目立たなすぎるって」
「なら、得意なのに教われば良いじゃない。コハル、そーゆーの得意なの、探し出しなさいな」
「いつもながら急ね、瑠琉菜。……いえ、でもそういうことでしたら、直ぐに」
ルルの強引な舵取りは、とても“合って”いるのだろう。小春さんは慣れた様子で頷くと、わたしに断って立ち上がった。
「つぐみ、見てみなさいな、綺麗に結えているでしょ? コハルの髪」
「え? ぁ、う、うん」
「やればできるのよ、あなた。だったらやればいいのよ、蹴散らしてやれば、ね」
過激、だけど、今は飾らない言葉が嬉しい。
「つぐみ様」
わたしがルルの話を聞いていると、小春さんが優しく声をかけてくれる。膝を折って、目線を合わせて、あんまり得意ではない微笑みを浮かべて、わたしを気遣ってくれる。
「もっと、望んでください。頼って下さい。わがままを、言ってください。私はあなたの望みを叶えたい。叶えられるよう、尽力したい。それが、私の願いなのです。ですからどうか、あなたの気持ちを教えて下さい、つぐみ様」
重ねられた手。ゆっくりと紡がれた言葉に、胸がじんわりと温かくなる。甘えて良いのかな、なんていう問いは持たない。だって小春さんはずっと、わたしにそう伝え続けてきてくれたから。小春さんも、ダディもマミィも。
だからわたしは、零れそうになる涙をぐっと拭って、精一杯の笑顔を返す。小春さんに、わたしの“信頼”が伝わるように、願いを込めて。
「ありがとう、こはるさん」
「ふふ――私はまだ、なにもやっていませんよ」
「これからやって貰うから、いいの」
「それはそれは……楽しみです。さぁ、なんでも仰って下さい。つぐみ様」
誰かに頼ることは、誰かの迷惑になる訳ではない。誰かが支えてくれることは、その人の重荷になるわけではない。頼られて嬉しいと言ってくれる小春さんの笑顔が、胸に響いてむずがゆかった。
……頼み事はもう決まってる。意識の奥を覗き込めば、鶫も、微笑みを浮かべてわたしの言葉を待っていてくれている。
「“わきやく”の先生がほしい」
主人公でもなく。
好敵手でもなく。
宿命の敵でもなく。
守るべき姫でもなく。
主人公を支える友でもなく。
敵対者に付き従う忠臣でもなく。
道ばたに落ちた林檎を拾ってくれる、それだけのひと。
雑踏の中に消えていくだけの、ただ、背中だけのひと。
「こはるさん」
「はい、つぐみ様」
頼るのって、難しいね。そう胸の奥に問いかければ、鶫もまた、苦く笑った。
「おねがい」
「はい――承知いたしました、我が主」
「……それはちょっと恥ずかしい、かも」
跪いて手を取ってくれる小春さんの姿に、なんだか照れてしまう。小春さんは本当に、物語の騎士様みたいだ。そうすると、わたしがお姫様? うーん、ガラじゃないなぁ。
「――で? フタリの世界は終わりかしら?」
「あ」
「ん、ぁ、る、瑠琉菜……もっと早く声をかけてくれても良かったのよ?」
目を細めてじとーっとわたしたちを見ていたルルに、びくりと肩を震わせる。どうしよう、顔が熱い。耳も熱い。
「話がまとまったのなら、さっさと次のステップにいくわよ。つぐみ、あなたの役どころは?」
「え、えっと、ライバル役の子の、メイドさん」
「そ。で、目立ちすぎず地味目で印象は浅く――いいわ、やってあげる。座って」
ルルに促され、鏡の前に腰掛ける。ルルは櫛と片手にわたしの髪周りをよく見て、流れるような手さばきでセットを始めてくれた。
「コハルはコハルの仕事をなさい。アタシはアタシの仕事をするわ」
「はぁ、もう。いいわ、つぐみ様のこと、任せたわよ」
そう言い残して立ち消える小春さん。後ろ姿を追うことすらできないうちに、鏡の向こうのルルが唇を湿らせた。
「イイ? アナタのようなスターはそのハートが目に宿るの。前髪で目を隠せば、つぐみのキュートさは隠すことなく、パワーだけを鎮められるわ。髪は結んで垂らせばそれだけで清潔感のある控え目なメイドのできあがり。どう?」
前髪で目元を隠して飾り気のないカチューシャで固定する。本番ではこれをプリム(メイド服の頭のフリフリ)に替えればそのまま使えるのだと思う。
髪は三つ編みにして肩口から胸元へ垂らしている。丁寧に編み込まれているから、雑さは感じないまま控え目に仕上げられていた。
「すごい……すごいよ、ルル」
「この程度じゃ、まだまだよ。ええ、でもそうね、コハルがセンセイとやらを見つけたら、そのレッスン内容も取り入れてブラッシュアップするわよ。いいわね? つぐみ」
「うん!」
鏡の前には、初めて見る雰囲気の女の子の姿。これなら、もしかしたら。そんな思いがわき上がり、思わず、胸の前で拳を作った。
まだ、なにかが解決したわけではない。それでも、一歩一歩進んでいるという実感がなにより嬉しくて、ほっと吐いた息が、わたしの緊張にこわばった頬を緩めてくれるようだった。




