scene5
――5――
「この事件は僕が解決するって言ったんですよ、刑事さん」
夕暮れの校舎。屋上のフェンスに寄りかかった探偵、遠藤弘樹は、年嵩の刑事、勅使河原尚通にそう言い放つ。勅使河原は遠藤の若い言葉に、小さく「そうか」と呟くと、たばこを吹かした。
「ふぅ……そいつは楽で良い」
低く放たれる言葉は、声を張っていないはずなのに、不思議とよく響く。たばこから燻る紫煙の奥で、勅使河原の双眸が鈍く光ったような、そんな気がした。
そんな勅使河原の様子に、遠藤は僅かに怯む。舐められたと思ったのか、侮られていると感づいたのか、歯をむき出しにして唸る姿は狼のようだ。
「警部、そんな人ごとみたいに……いいですか、あなた。警察の捜査の邪魔をするようであれば、公務執行妨害とみなしますよ」
「はっ、助手ちゃんはずいぶん真面目なようだな。……アンタと違って」
ふてぶてしい態度の遠藤を窘めるのは、勅使河原の助手である阿笠律子だ。律子は勅使河原の態度には慣れているのか、一瞥しただけで何も言わない。その代わり、私立探偵という立場でありながらこの事件に介入する遠藤に、強く叱責を投げかけていた。
もう既に、今回の事件は一人の尊い命が奪われている。朝方の大学構内で、身体をねじ切られて死んでいた、安藤美穂のことだ。安藤美穂は金城が咲惠を襲いやすいように手引きをしていた。それを、紗椰に知られたのだろう。
「この学校にはなにかある。僕はそれを見つけ出すだけだ」
「はっ、ずいぶんと大口を叩くが……なら、ここじゃぁない。旧校舎をあたれ」
「……なに?」
勅使河原の声に、遠藤は、小さく眉を上げる。
「警部?!」
「はっはっはっ、良いかい律子ちゃん、こういうよく回る犬は、バテるまで走らせた方が良いのさ」
「犬だぁ? その余裕な態度も今のうちだ!」
驚く律子。快活にたばこを吹かす勅使河原。そんな勅使河原の様子に、舌打ちを一つ残して立ち去る遠藤。その後ろ姿に、勅使河原は小さく、小さく、苦笑を滲ませる。
「志嶋咲惠、安藤美穂。きっと、この事件は繋がっている」
「でも、証拠は……」
「ああ、ないさ。でもなぁ律子ちゃん。俺の勘がそう言ってるのさ」
律子に、勅使河原はそう、笑いかける。
その顔は――探偵、遠藤弘樹にもよく似た、獰猛な笑みだった。
「カット! うんうん、いいねぇ、さすがだよ。んふふふふふふふ」
楽しげなエマさんの声で、我に返る。夕方からの現場に入ったわたしを迎えてくれたのは、屋上で撮影していた三人だった。
渋みのある歴戦の老刑事、勅使河原尚通を演じるのが、柿沼さん。そんな勅使河原を支える若き女刑事、阿笠律子を演じるのが、蘭さん。そして、かつて柿沼さんが演じた遠藤弘樹を、海さんが演じている。
「腕が上がったんじゃないか? 海」
「宗像さんこそ。……まだ上がるか? 普通」
「くく、まだまだ耄碌していられないからね」
わたしに気がつかずに話す二人の会話は、なんだか「男の子」という感じがした。二人ともすごくオトナな方なのに、こうして揃うと空気が違う。親戚だから、ということなのかな?
少しだけ意識の底に目を向ければ、鶫はなんでかおばあちゃんみたいな達観した様子で、「うんうん」と頷いていた。どういう心境なんだろう?
「つぐみちゃん、こんばんは」
「っぁ、蘭さん! こんばんは!」
蘭さんがわたしに声をかけてくれたことで、柿沼さんと海さんも気がついてくれる。
「ん、つぐみか。調子はどうだ?」
「ばんぜんです! かいさん」
「あまり、無理をしないようにね、つぐみ君」
「はい! かきぬまさん!」
二人してかまってくれるものだから、これから幽霊役をやるというのに、どこかほっこりしてしまう。けれど、そんなわたしのほわほわとした心を遮るように、ぽん、と、わたしの頭に手が置かれる。
「さ、つぐみ。そろそろ君の出番だ。く、ふふふふ」
「エ、エマさん……たのしそうですね」
「ああ、楽しいとも! 君の演技を待ち望んでいたんだ」
「……ごきたいに沿えるように、がんばります」
エマさんはわたしの言葉に目を細めると、そのまま、わたしに手招きをして移動し始める。
「では、かいさん、かきぬまさん、らんさん、また後ほど!」
三人に挨拶をして、校舎の中を進んでいく。安藤美穂は既に紗椰に殺されていて、次は、紗椰が作り出した咲惠の幻に誘われた手田と麻生。そして、そんな麻生を追いかけてきてしまった彼の妹、凛ちゃん演じる麻生沙希だ。
わたしがエマさんに連れられて現場に行くと、既に凛ちゃんが待っていた。凛ちゃんは今、麻生を追いかけて校舎に入る、というカットまで撮影し終えたところだ。
「つぐみ! ぎゅー!」
「りんちゃん!? あわわわ」
抱きついてきた凛ちゃんを受け止める。その向こう側では、これから紗椰に殺される予定の手田役、ロンさんと、麻生健役の飴屋さんが、わたしたちを微笑ましそうに見ている。
凛ちゃんを抱き留めたまま、ぐるりと周囲を見回してみたけれど、桜架さんの姿は見えない。どうしたんだろう――
「こんばんは、つぐみちゃん」
――っ。
「おうかさん?!」
音もなく後ろに立っていた桜架さんに、思わず飛び上がる。いやでも待って、最近、小春さんの気配も把握できてきたのに……まったく、わからなかった。
「鶫さんの技術なのよ、これ。空気と同化するの。鶫さんなら触れても気がつかないくらいの精度が出せるでしょうに……私もまだまだだわ」
「おししょー、これでわたしのことも驚かしてきたの。ひどいよね?! つぐみ!」
「な、なるほど、それで」
それで、とはいったけれど、凛ちゃんはとくに震えていたりもしない。ぎゅーってしたかっただけじゃないのかな?
しかし、鶫なら、か。そうなの? と、意識の奥に目を向けると、鶫はすごい勢いで首を横に振っていた。そ、そっか。
「やぁやぁ君たち! 仲が良いのは良いことだけれど、そろそろ撮影だよ。つぐみ、次のシーンは覚えているかな?」
相変わらず上機嫌のエマさんが、手をパンパンと叩いて割って入る。次のシーンは、手田が襲われて、そのまま麻生健と、一緒に居た沙希も襲われてしまう。そこへ、紗椰の良心であるわたしが割って入って、沙希(とついでに健)を逃がすのだ。健は敵だけれど、幼い沙希を巻き込むわけにはいかなかったから。
ここで初めてわたしという存在が沙希に見られ、少しずつ、紗椰と咲惠のような関係を築いていく。このシーンでわたしは手田を見捨てるのだ。
「台本には、手田を救わず、沙希を優先する、とあるが……見捨てるのか救おうとするのか、その選択は君に任せよう。必ず、期待に応えてくれることだろうからね。君のオリジナリティを見たいのさ。良いだろう? つぐみ」
「エマさん……」
饒舌に語るエマさんの言葉を、小さく反芻する。オリジナリティ? わたしが、できるのかな? 鶫だったら、どうするのかな? 意識の奥に潜り込めば、鶫は小さく首を横に振っていた。
その唇の動きを、わたしの目は見逃したりはしない。しない、から、だから、わたしは、鶫のその――『つぐみが、やるんだよ』という言葉を、わたしは……。
「ふふっ」
わたしは、わたしの心が動いていることを自覚する。だって、エマさんがこんなにも期待してくれている。凛ちゃんも、桜架さんも、疑っていないのがわかる。気配を消して控えていてくれる小春さんも、わたしに期待してくれている。
なによりも、鶫が、わたしならやれると思っていてくれている。二人で歩こうと誓ったわたしの半身が、そう言ってくれるのなら――なんだ、わたしは、なにもこわくない。
「つぐみ?」
「見ていてください、エマさん。わたし、がんばりますね」
「――ああ、期待していよう」
ぐるぐる、がちがち。
どこかずれていた歯車が、かちん、かちん、と噛み合っていく。鶫ならきっと、“ああ”演じると思う。鶫ならそうだ、という確信にも近い予想。だからこそ、“それ”は選ばない、ということができる。
ふふ……なんだかとても、楽しくなってきた!
――/――
パイプ椅子に腰掛けて、演者たちの様子を見る。誰も彼も私の直感と想定に従うように、本質的な演技をしてくれた。撮影開始まで、監督としてキャストを探した苦労が報われるというものだよ。ふ、くくく、ひひ……と、危ない危ない。漏れるところだった。
視線の先には、やる気をみなぎらせたつぐみがスタンバイしている。ああなったつぐみの強さは、あの“破滅願望”の即興劇でよく把握している。
(きっと、つぐみは“怒り”の演技をするだろう)
いったい、あの年でどんな経験を積めばあんな演技が出来るのか、到底わからない。彼女の天才性を比べて、アメリカのイザベラやアメリアの名前を出す者もいるが……私からしたら、見当違いも甚だしいといったところだ。彼女らと夜旗凛を比べるのならわかるけれど……空星つぐみという少女の才能は、全く異質なものだ。
まるで、天稟の肉体に、老練の魂を注ぎ込んだかのような演技。深みと味わい、苦みすら感じる演技。だからきっと、万人なら、“葛藤して見捨てる”か、“助けようとして失敗する”という程度であろうあのシーンを、きっと、つぐみは“怒り”で表現するだろう。
「さ、位置について。つぐみも、準備はいいかい?」
「はい、いつでも」
「ふ、くく、そうか。なら始めよう――シーン、アクション!」
カチンコの音を鳴らす。まずは、悲鳴を上げながら走る三人の姿。健が沙希を発見して付いてきたことを咎めたところに、紗椰が現れたのだ。紗椰は地を滑るように移動しながら、ゆっくり、ゆっくり、追い詰めていく。
ラップ音。電気の明滅と同時に動くことで、瞬間移動かのように見せかける手法。桐王鶫から継承したというその歩法は、演者の心を真に迫らせる。
(さすがは霧谷桜架、といったところかな。初めての悪霊役とは思えない)
その恐怖の演技に釣られるかのように、手田東治が足をもつれさせる。
「ひ、ひぃっ、た、助けて!」
「手田?! くっ、ご、ごめん!」
「お兄ちゃん?!」
逡巡は一瞬。沙希の手を引いて逃げる健。だが、沙希はとっさに手田を助けようとして、躓いてしまう。
「さ、沙希!」
『オォオオオオォ■■■!!!』
「ひ、ひぃっ」
ぎゅっと目を瞑る健。ここはあとからCGを重ねるが……紗椰の髪に捕まった、という演技をして、座り込む沙希。そこに、紗代が現れる。
『にげて』
「あな、た、は?」
『にげて』
「う、うん、ありが、とう……!」
なにが起こったかわからない様子の健の手を引き、逃げる沙希。さぁ、ここからだ。果たして君は、どんな“怒り”を、手田に向ける?
“憤怒”か? わかるとも。手田はそれだけのことをした。“侮蔑”か? なるほど、それもあるだろう。では、“嘲笑”か? はは、それは期待を超える。
「ひ、ひぃ、いい、いやだ、こんなところで死にたくない。あ、謝る、だから、助けて、助けてくれよォォォォッ!!!!!」
さぁ、見せてくれ、つぐみ!
今、君の足下で這いつくばって無様に助けを求める男は、君の親友の仇だぞ、つぐみ!!
「うぅ、ああ、いてぇ、いてぇよぉ、あ、あああ、ぁ」
沙希が無事に去ったことを見届けると、紗代はゆっくりと手田に振り返る。手足の動きはとても落ち着いていて、静けさすら感じた。そして、紗代は――。
『――』
紗代、は。
紗代は、なにも言わない。ただなにも言わずに、じっと手田を見下ろしている。何も言われないことに疑問を覚えたのか、手田は間の抜けた表情で紗代を見上げて。
「ひっ」
息を、呑んだ。
「三カメ、寄り」
「さ、三カメ寄ります」
その、つぐみの表情は。
(なんて、顔で、人を見るんだ)
なにも、何一つとして宿らない――“空虚”なものだった。
(ああ、そうか)
紗代は紗椰の一部として彼らのことを見ていた。けれど、憎悪は全て紗椰が持ち出して、残ったのは善性だけだ。善意から来る怒りがあるように、感情の変化はあることだろう。怒りはするはずだ。私は、紗代というキャラクターが、他の演者の悪性を引き出す切っ掛けになればいいと思っていた。
けれど、そうじゃなかった。つぐみは紗代を私以上に理解していた!
「な、なぁ、おい、やめろ行くな行かないで行くないくないくなァァァァァッ!!」
一瞥だけして歩き去る紗代。その背に未練のようなものはない。当たり前だ。紗代はいわば、紗椰による『咲惠を苦しませないための』装置ともいえる。彼女にとって大事なのは、無関係の人間が死んでしまわないように手助けをすることだけだ。それなのに、どうして路傍の石に意識を向けようか。
そうだ。憎悪なき紗代にとって、他はすべからく石でしかない。だから、そう、だから、どことなく咲惠の面影を持つ沙希だけは気に掛けるが、それもそういうように作られているからに過ぎない。
いったい、誰が予想できるというのだろうか。救世主だと思っていた少女の霊が、どこまでも空っぽな人形であったなんて。
そして観客は、紗椰から生まれた少女の霊が、優しく咲惠を見つめていた彼女が、こんなにも理解できない存在だとわかったとき、どう思うだろうか?
――失望? 怒り? 納得? いいや、違う。脳裏に刻み込まれるのは、“理不尽”に遭遇したことによる、一つの恐怖だ……!
「カット! ああ、ふぅ、ふっ、は、はははは! いいぞ、つぐみ、やはり君は素晴らしい!」
空星つぐみ。
私の想定を超えるのではなく、ひっくり返してきた少女。ほぼ完璧に近いであろう、経験則から来る私の予測を。
(不思議な少女だ。まるで、まるで、そう)
駆け出しとは言え、天才と呼べる役者。経歴以上の経験を持つ少女。
だというのに、もう何度も見てきているというのに。
まるで――生まれたばかりの役者のような。
「さて、忙しくなる。それならもう少し手も加えたい。ああ、沙希とのシーンも演出を練り直そう。ふっ、くくく、はははははハハハッ!! ――ああ、心躍るよ、本当に」
他者の視線などどうでもいい。
ただこの映画を大衆に見せつけ、魅了し、その魂を映画の深淵に引き摺り込もう。




