Extra scene1031
――†――
――平成十年・秋
「はろうぃん……?」
首を傾げる私に、髪を二つ結びにした女の子、珠美ちゃんが「はい」と頷いた。
「鶫さん、好きそうかなって思ったんです」
「うーん。ひとまず、詳しく」
ハロウィンといえば、去年、川崎か川口かあの辺りでやった海外のお祭り、だったように思える。知っている情報はそれくらいなもので、詳しいことはまったく知らない。パレードをしていたようだけれど……。
もっとも、映画ハロウィンならば当然わかる。分厚い男の顔のマスク。肉切り包丁。作業着。独特な威圧感を持つ彼の扮装は、まさしく恐ろしい殺人鬼といったところだ。
「お化けの扮装をして、カボチャ料理やお菓子を持って立ち寄るんです。子供はお菓子をくれないと悪戯をしちゃうぞー! といって、お菓子をねだるんですって」
がおー、と言いたげなポーズをとる珠美ちゃんがとても可愛いのだけれど、こういうことを面と向かって言うと怒られるので、また次の機会にとっておこう。
でも確かに、お化けの扮装をしてパーティ、というのは面白そうだ。お化けや悪霊を演じる場面というのは、負の側面が大きく見出される。それを明るいお祭りにしよう、なんていうのは新しい。
「さくらちゃんも楽しめるだろうし……うん、良いわね。やろうかしら」
「鶫さんならそう言うと思っていました。招待状は誰に書きますか?」
「私とさくらちゃんと閏宇と珠美ちゃんの四人でやりましょう。招待状は、任せても良い?」
私が指を折って数えていると、珠美ちゃんは不意に首を傾げる。
「私も、参加して良いんですか?」
「もちろん」
むしろ、参加してくれた方が盛り上がるというものだ。珠美ちゃんは毎年、クリスマスやお正月は家族の方の集まりに参加しているから、誘えないしね。それに、珠美ちゃんはこの“所属役者が私だけ”という小さな事務所を懸命に切り盛りしてくれている。そのためか、事務経理の仕事なんかだけではなくて、料理なんかもたくみだ。
まだ二十歳なのに、とても頑張り屋さんなのである。……五歳で知り合った珠美ちゃんがもう二十歳……私はそろそろ三十……いや、年齢のことは考えない方が良いかな!
「ありがとうございます! ふふ、では、招待状を用意しておきますね!」
「ええ、ありがとう」
さて、そうなると次の課題はどんなお化けの扮装をするか、だ。フランケンシュタイン、吸血鬼、魔女――西洋に寄せた方が良いだろう。
いやそうだ、せっかくだから“アレ”にしようかな。今から、辻口さんにも協力して貰って集めれば間に合うかも。
(いや、それならせっかくだから……)
ちょっとだけ、びっくりさせちゃおうかな。
――/――
黒部芸能事務所は、黒部珠美ちゃんのご両親が経営する小さな事務所だ。一階が駐車場、二階が事務所、三階から家屋という造りになっている。今回は三階部分を借りてパーティーをすることになったのだけれど、この階、黒部所長の趣味で床下にお酒やぬか漬けを収納するためのまぁまぁ大きなスペースがあるのだ。
(ふぅ、ふぅ、思ったより息苦しいわね)
今回は所長夫妻にお願いし、珠美ちゃんたちには内緒でこの床下に潜ませて貰った。このあと、閏宇とさくらちゃんが一緒に来て、お菓子のやりとりをする。三人が席に着いたら、床下から出てきてちょっとだけ驚かす、という作戦だ。
せっかくお化けの扮装をしてパーティをするのだから、ちょっとだけサプライズがあっても面白いよね? なんて思うのだけれど……やり過ぎないように気をつけよう。
『鶫さんはあとから、と。料理はこんな感じでいいかな』
珠美ちゃんの声が聞こえる。確認は声出しで、なんて、几帳面な珠美ちゃんの性格が伝わってくるようだ。
それから直ぐに、チャイムの音が響く。懐中時計で確認すれば、約束の時間の十分前。閏宇とさくらちゃんで間違いないだろう。二人らしいなぁ。
『お、おかしをくれないと、悪戯しちゃうぞ!』
『ふふ、可愛い黒猫さんね。はい、お菓子』
『わぁ……ありがとうございます、珠美さん!』
可愛らしいやりとりと、重なるような忍び笑い。この場に居る第三者が、閏宇で間違いない。のぞき穴がないからわかりづらいわね……。驚かすときは、声の方向に注意しよう。
三人分の足音が移動する。テーブル席について、椅子に座った。もう少しだけ三人が空気に馴染んで落ち着いたら、サプライズ開始だ。
(ふぅ、ふぅ、それにしてもこのマスク、苦しいなぁ)
なんとか音が漏れないように注意しつつ、私はそっと聞き耳を立てた。
『今日は、ありがとうございます。ハロウィンパーティー、嬉しいです』
最初に聞こえてきたのは、さくらちゃんの声だ。さくらちゃんは喜色と照れを滲ませた声色でそう告げた。
『ま、細かいことは気にせずに楽しむと良いわ。珠美ちゃんのご飯は絶品だからね』
『そうなんですか? 楽しみです!』
『う、閏宇さん! 期待させすぎです! ……がっかりしたらごめんね? さくらちゃん』
閏宇のからかうような声。一九八三年に黒部芸能事務所に所属してから、直ぐに、閏宇と出会った。だから、閏宇と珠美ちゃんも私を通して知り合って、十数年経つ。気心も知れた物なのだろう。
私が居ないところでの二人の会話を聞くのは初めての経験だ。なんだか、私、とても恥ずかしいことをしているのではないだろうか。むむむ。
『がっかりだなんて! 鶫さんも、すっごく褒めてましたよ?』
『鶫さんが? そ、そっか。なんだか嬉しいな』
『鶫、食べられればいいものね。食用の花だって食べてたし』
なんだか気恥ずかしい。そんな風に思っていたら、閏宇から、思わぬ爆弾が落とされた。
『しょ、食用の花なら良いんじゃないですか?』
『食用です、って聞いた瞬間にぱくっていく? ふつう』
『それは……えっと……』
さくらちゃんの懸命なフォローは、閏宇の追撃に萎んでしまう。引きつったように笑う声は珠美ちゃんのものだろうか。
イヤでも待って欲しい。飢えてたとかそう言うのじゃなくて、こう、どうしても気になって!
『だから玲貴のやつが、「鶫はどんな花が好きか、知っているか?」なーんて聞いて来たから、「食べられる花」って教えてあげたわ』
閏宇!?
確かに、えっと、どんな花が好きかって言われてぱっとは思い浮かばないけれど、えっとほら、えっと、赤い花とか好きだよ? こう、血痕みたいな!
『ナイスです、閏宇さん』
『さすが閏宇さん。わかってます』
何故か絶賛するさくらちゃんと珠美ちゃん。一人床下に潜む私は、顔から火が出そうだった。
『……でも、玲貴さんの気持ちもわかる気がします』
『珠美ちゃん?』
『追いかけたくなってしまうんです。ときどき、とても眩しくて、遠くに行ってしまいそうで、だから、繋ぎ止めたくなってしまうのかなって』
なんだろう。とてもこう、大げさじゃないかな。私はそんな大それた人間ではないし、むしろ、みんなに置いて行かれそうでヒヤヒヤしたことなんて数え切れないほど。
『珠美さんの言うこと、わかります。行かないでって言ったら、止まってくれるのかなって』
『止まらないでしょ。だから、時々ふん縛って転がしておいた方が良いのよ。ほんっと、暴走機関車なんだから』
閏宇の言葉に、うぐ、と詰まる。そんなに向こう見ずだったかな? 私。
『ふふふ、閏宇さん、優しい顔してます』
『ちょっ、さくら! 言うようになったわね……あんた……』
『あははは。さくらちゃんの度胸も、鶫さんの影響、なんだろうね』
うぅ、恥ずかしくなってきた。もう出よう。驚かせて、うやむやにしてしまおう。
ぬん、と気合いを入れ直す。せっかく扮装までしてきたのだから、盛大にやった方が良いよね。だってほら、花を食べるような野蛮人ですし!
(よし、ここで……ん? あれ? あれ?)
床下から出るために収納扉を開けようとするも、開かない。持ち上げて開くタイプだから、えーと、突っかかってるとか? けっこう大きい扮装だし……ええ、手探りでわかるかなぁ?
『それにしても遅いわね、鶫のやつ』
物音を立てないように慎重に、どこが引っかかっているのか調べる。引いて、押して、少し持ち上がりそうになって……ん?
違う。引っかかっているんじゃない。誰かが上に乗ってるんだ……!
(ま、まさか、椅子を引いたら扉の上になる形になる、とか?)
どどどどど、どうしよう!
『案外、窓の外に居たりとか?』
『さくら……ここ三階よ? 居るんだったら天井か――』
外を見に行ってくれる?
それはチャンスだ。天は私に味方した! 全員が窓に集中している間に、がばっと出てきて驚かせば、セーフ! 天井でも、上を向いてくれるのなら問題ないし!
『――床下よ。さくら、そこの収納を開けてみなさい』
『ええー、閏宇さんまさかそんな――』
唐突に、光が差し込む。上に乗っていたのはさくらちゃんだったのだろう。扉が軽くなったかどうかが判明するよりも幾分か早く、収納扉は開かれた。
目の前には、黒猫の耳をつけた可愛らしい扮装のさくらちゃんの姿。半信半疑の苦笑い、を、崩すこともなく、ぴしりと固まっている。
「……」
『シュコォォ、シュコォォ』
「……」
『シュコォォォ、シュコォォォ』
「……ぃ」
ん?
えっと、今なんて――
『シュコォォォ、シュコォォォ……?』
「ぃやあああああああああああああ!?」
『シュコフォォォォォ!?』
息苦しい、分厚い男のマスク。映画ハロウィンのブギーマンの扮装だ。
ひっくり返ってしまったさくらちゃんを守るように、一歩踏み出す珠美ちゃん。そんな二人を尻目に、閏宇は――とてつもなく冷たい目で、私を見下ろした。
「う、閏宇さん? 危ないですよ!」
「はわっ、はわわわっ、はわわっ、はわわわっ、はわっ」
閏宇を心配する珠美ちゃんの声。もはや言葉もおぼつかないさくらちゃん。そして。
「なにか、言い訳はあるかしら?」
『シュ、シュコォォォ……』
「そう。ところであなた、お菓子は持ってる?」
『シュ、シュコ?』
「さくら、こっちに来なさい」
さくらちゃんは、その、閏宇の言葉でなにかに思い至ったのだろう。
妙に据わった目で、私のことを覗き込んだ。
「えい」
「ひゃっ……ちょっ、閏宇、私のマスク」
「ああん?」
「っ、えーと……」
その、こんなはずではなかったと言いますか。
「鶫さん」
「あのえっと、あはは、ごめんね? さくらちゃん」
「トリックオアトリート、というそうですよ」
「へ?」
す、と差し出された手。光を映さない瞳で、にっこりと笑うさくらちゃんの表情に、思わず、頬が引きつった。
「お菓子をくれないとイタズラします。その格好でお菓子、持っているんですか?」
「あ」
に、肉切り包丁(樹脂製)ではだめ? だめ?
「お菓子、ないんですね?」
「あのえっとさくらちゃん……お手柔らかに……」
ず、ず、と近づいてくるさくらちゃん。
さっさと食事の準備を進める閏宇と珠美ちゃん。
そのあとのことは、その、あまり覚えていないということにして欲しい。
ただその日、さくらちゃんはとても楽しそうにしていたし、珠美ちゃんも閏宇も、それから私も、結局、夜遅くまでパーティーを楽しんだ。
さくらちゃんの、年相応の楽しそうな笑顔だけは、どんなに時が経とうとも色あせることのない思い出になったな、とも思う。それだけはきっと、これから先、なにがあっても忘れはしない。
だから、その――……あんな可愛らしい服装、私には似合わないのに……写真まで……いや、なにもなかった。なにもなかったのです!
――Let's Move on to the Next Theater――




