opening
――opening――
(なんだか、ちょっと不気味かも……)
東京郊外にある学校を借りて、『紗椰』の撮影をスタートする。わたしは、といえばまだ登場シーンは先なんだけれど……ある理由があって、撮影現場に来ていた。
もちろん、自分の登場シーン以外も見ておけるのは嬉しい。誰がどんな演技をするのか、ちゃんと吸収して勉強して自分の撮影に挑みたいから。でも今回は――エマさんも、無茶を言うなぁ、なんて感想が零れてしまう。
(だって……)
ちらりと隣を見上げる。そこには、わたしと同じく自分の撮影シーンでもないのに、緊張した面持ちで現場を見つめる姫芽さんの姿。わたしなんかよりもずっとお忙しいだろうに、今回は特別に許可を貰ってスケジュールを空けたのだとか。
それから、視線を反対側に遣る。姫芽さん、は、悩んでいそうだから力になりたい。でもそうではなくて、わたしの横で撮影風景を見つめるエマさんの姿。彼女はどうしてだか、満面の笑みで演技の様子を見つめていて、それがなんとも不気味だった。
(なにを考えているんだろう)
シーンは、不良グループが気に入らない生徒に暴力を振るう、というものだ。ようは、こんなに悪い奴らですよ、と紹介するシーンである。舞台は成人後の彼らだから、若く見せるメイクが施されているようだ。
この場にいるのは、格闘家のGOUさん演じる金城尚將、声優のタキさんが演じる田処亨介、芸人のロンさんが演じる手田東治。これに今この場にいない見張り役、麻生健を演じる飴屋キョーイチさんを加えると、暴行犯の一味が完成する。
「アイツは家が金持ちだ。ちょっと小突いてやれば小遣いくらいくれるさ」
「へっへっへっ、良いですねぇ、さっすが金城のアニキ!」
悪びれたことを言う金城。金髪を逆立たせた彼は、いかにも、な不良だ。そんな金城に同意するのが、丸坊主にピアスの男、手田。そしてその傍らでつまらなそうに二人を見るのが、髪を真っ赤に染めた入れ墨の男、田処だ。もちろん、入れ墨は本物ではなくシールを貼り付けている。
田処を演じるタキさんは声優ということもあってか、とくに台詞を読み上げる演技がとても上手い。一方で行動を伴うと遣りづらそうなのだけれど……どういった理由か、田処という役どころは無口な登場人物だった。
他の二人は、というと、本読みのときに比べてすごく上手になってはいるけれど、どこか棒読みという感じが否めない。でも、エマさんは終始ニッコニコだ。本当に楽しそうに笑っていて、申し訳ないけれどちょっと不気味な様子だった。
「よぉトイレ君。ちょっとオレたち金に困っててさぁ。わかるだろ?」
「ひっ、か、金城君。ぼ、ぼくはトイレじゃなくて御手洗……」
「あ? んなことどうだっていいんだよ!」
相手のいじめられっ子役の方は、直接の絡みは一度も無かったけれど、『妖精の匣』で共演者だった田中幸吉さんだ。どこかで見たことがある顔立ちだなぁと思っていたけれど、そういえばいつだったか、竜胆大付属の見学に行ったときに虹君とお話ししていたのが、彼の弟さんだそうだ。
絶妙ないじめられっ子の演技を見せる幸吉さんに対して、GOUさんはやっぱりちょっと棒読み気味だった。むしろ、幸吉さんが上手な分だけ、GOUさんの演技が浮いてしまっている。エマさんは、どんな風に思っているんだろう。そう、エマさんに目を遣って。
(えっ)
凄艶な笑みを浮かべる彼女の姿に、頬が引きつる自分を自覚した。
「カット! ――すこぉしだけ、いいかな?」
エマさんはそう言うと、一瞬で表情をにこにことした柔らかいものに戻す。錯覚……じゃないよね、今の。三日月につり上がった頬と弧を描く瞳……うぅ、夢に出そう。
どこか困惑した様子のGOUさんに近づくエマさん。声を潜めて「ちょっとだけアドバイスがしたいんだ」と言う姿は、なんとも悪びれている。わたしはダディとマミィ譲りのスペックのおかげで聞こえるけれど、周囲のスタッフさんたちには聞こえていないだろう。
「もう少しできるはずだよ。それを、何故、遠慮しているんだい?」
「え、遠慮ッスか? そんなつもりは――」
「いいや、遠慮しているさ。だって、君の本質……んんっ、才能はそんなものじゃないからだ」
才能。その言葉に、GOUさんは片眉を上げる。
「誰かを組み伏せたい。誰かを踏みにじりたい。誰かに暴力を振るいたい。ああ、それは秘すべき欲望だ。わかるとも。だから君はこんなにも強いのに、いつだって紳士的に振る舞っている。好感度が高い格闘家と言えば、誰だって君のことを思い浮かべる。ああ、そうだろう。だって君は、そう見られることで己を抑制している」
「ッオレは――」
「――という、演技の才能があるのさ。そう、演技、だよ。その天才的な演技を封印したままなんてそんなこと」
耳元で。
囁くように。
「あまりにももったいないとは、思わないかい?」
悪魔の果実を、彼の胸に落とした。
「もったい、ない。ああ、そう、だよな、もったいない、から――仕方ない」
GOUさんは虚ろな瞳でそう言うと、直ぐに、元の様子に戻る。その一連の流れを正確に把握できたのは、たぶん、わたしだけ。
思わずエマさんを見ると、彼女は人差し指を自分自身の唇に当てて、わたしに「しぃ」と囁いた。き、気がつかれてる。
「さぁ、再開しよう! 用意は良いね? シーン――アクション」
シーンが再開される。GOUさんはエマさんの声を聞くと、獰猛に、笑った。まるでこれから獲物を狩りにいく、肉食獣のような表情で。
「なぁ、金が欲しいよなぁ」
「え? あ、そ、そうっすね、金城さん」
「そうだよなぁ、東治。ああそういえば、トイレのやつ、金持ちのお坊ちゃんなんだってなぁ」
「はいっす。確か、ええーと、なんたら財閥の」
――エマさんはわたしたちに、「必ずしも台本に忠実な台詞ではなくてもいい」と言っている。もちろん内容を変えられたら困るんだけど、そうではなくて、言い換えや同じ流れになる台詞なら良い、ということ。
さっきのGOUさんは、台本に忠実な演技だった。それが今は、言い方が変化している。胸の内側からこぼれ落ちたような台詞を、発信している。
生きた、演技。
「――と、居ましたよ、金城さん。アイツっす」
それに合わせる芸人のロンさんもすごい。彼は確か相方のツモさんを支えるツッコミ役で、縦横無尽なボケを振りまくツモさんに完璧なツッコミを入れることで有名、というのは、小春さんに調べて貰った情報だったり。
「よぅトイレ君。オレたちちょっと金コマでさぁ」
「か、金城君……」
「だからさ、ちょっとで良いから金、貸してくれねぇか?」
それは、最初から高圧的だったときとはぜんぜん違う。むしろ、下手に出ている、と表現してもいい。
「こ、困るよ。だって君に貸したって、返ってこない――」
ああ、そっか。
思わず納得の息を吐くと、隣で見守っていた姫芽さんが首を傾げた。
「だから、だ」
「つぐみちゃん? だからって、何が?」
「ひめさん……見ていてください。GOUさんの、ひょうじょう」
「表情? 表情が――ッ」
そして、わたしに言われるがままGOUさんの様子を見て、息を呑む。
「へぇ?」
ほんの僅かな間だけ、GOUさんは笑った。心底楽しそうに。嬉しそうに。だって、そうだよね。彼が断ってくれたから――暴力を振るう理由が出来たのだから。
一瞬、何かが破裂したのかと思った。耳朶を打つ振動。その正体が、壁を打ち付けたGOUさんの拳だと認識するのに、さほど時間は必要ない。たやすく捉えられない速度で、ノーモーションから放たれた拳。あまりの勢いに恐怖して、田中さんは尻餅をついた。
「なぁ、もう一度、聞かせてくれねぇか?」
興奮でうわずった声。怒りではない。期待だ。暴力を振るわせてくれと、ねだっているんだ。その猛獣のような迫力に、煽るはずのロンさんが、一歩、下がった。
「わ、わかった、貸すよ」
「――……最初から素直に貸してくれよ。なぁ、東治」
「そっ、そうっすね、金城さん」
田中さんが震える手で差し出したお札を、GOUさんはどこか残念そうに受け取った。
「カット! いやいいね、素晴らしいよ! やはり君には演技の才能がある!」
「は、はは? そうです、かね。うまく出来たんなら、良かった、です」
賞賛の声を上げるエマさんに対して、GOUさんの声は僅かに震えていた。
人の才能を暴く才能。人の感情を鮮烈に映し出す指示。どうして、『紗椰』のリメイクにエマさんが選ばれたのか、その本当の理由を垣間見た気がした。
だってエマさんの監督としての方向性は、鶫の記憶で見た“洞木監督”のやり方によく似ていたから。もっとも、悪辣さというか、手段を選ばない感じは、エマさんの方が上なんだけどね。……今日はマミィと一緒に寝よう。
「さて、どうかな? 姫芽」
「あ……監督」
「コレの側で演技を見るのは、良い刺激になるだろう?」
朗らかに姫芽さんに語りかけるエマさんは、わたしを指差しながらそう告げる。
「コレ……って、ひどいですよ、エマさん」
「ははは、すまないね、つぐみ」
「むぅ……ぜんぜん“すまない”なんて思ってないですよね?」
「はっはっはっ」
エマさんはそうやって上機嫌に笑うばかりで、全然、わたしの訴えなんか聞いていなかった。ひどい。
「刺激、といえば、その、はい」
「くくく……いいさ、ゆっくりで。そのためにコレ――つぐみの時間も貰ったんだ」
「それはー……その、ごめんね、つぐみちゃん」
「い、いえ! お気になさらず!」
心底申し訳なさそうに謝る姫芽さんに、首を振って答える。
「桜架ではなくつぐみの方が君には良い刺激になるだろう。なにせ桜架は理外の天才だ。同じ天才でないとアレの理解はできまいよ。その点、コレは同じ天才でもまだまだ子供だから視野が広い。良い刺激になると思うのだよ――君の、歌詞の、ね」
エマさんの言葉は、蜜のようだ。甘く流れ込んで侵す、蜜蜂の毒。怪しく笑うエマさんの言葉に、姫芽さんは取り繕うことも忘れて顔を引きつらせた。
「は、い」
「く、くくく、ひ、ははは――じゃあ、つぐみ、あとは頼んだよ」
「ええ、えっと、はい」
エマさんは額に手を当てながら空を仰ぐと、楽しげに笑いながら去って行った。
(どうして、こうなったんだろう……はぁ)
姫芽さんが任された“歌詞を書く”ということ。
進捗が良くないそれに対してエマさんが提示したのが、「空星つぐみに一日密着すること」だった。
エマさんが何を考えているのか、なんて、わたしにはちっともわからない。でも、わたしと一緒にいることで姫芽さんが悩みから解放されるなら、全力で協力しよう!




