scene:Back side1
――1――
病室でのシーンを終えた頃には、空は茜色に染まっていた。わたしは、役が抜けても泣き止まない凛ちゃんの手を握りながら、みんなで、ラストシーンを見守った。
病室のシーンのあと。水城先生を演じる相川さんと、黒瀬先生を演じる月城さんが病院の屋上で対話をするシーン。
『閉ざされた子供たちの世界。あの場所はもしかしたら――妖精の匣なのかも、しれないわね』
ラストシーンを終え、クランクアップの合図。そして、拍手に包まれる現場。わたしは、わたしとして初めて、最初から最後までドラマの撮影を演じきることが出来たんだ。そう思うと、胸の奥がぽかぽかと暖かくなるような、どきどきと高鳴るような、そんな感覚に満たされた。
(これってなんだか、恋みたいだ。……したことないけど)
さて、それじゃあ……凛ちゃんを慰めようかな。
演技の上であったとしても、わたしを案じてくれる愛しい親友と。
「うぇぇ、ずびっ」
「だいじょうぶ? りんちゃん」
「ごめん、つぐみ。つぐみが本当にわすれちゃったら、どうしようって、おもって」
「……もしもわすれちゃったら、もういちど、友達になってくれる?」
「なる! ぜったいなる!」
よしよし、と背を撫でる。珠里阿ちゃんはスタッフさんからぬれタオルを貰ってきて、凛ちゃんの目元に当てていたし、美海ちゃんもハンカチで拭って上げたり、頭を撫でたりしてくれる。
わたしが三人の友達になる前は、こんな光景が多かったのかも知れない。そう思うと、なんだか見てみたいような、寂しいような、不思議な感情を覚えた。
「つぐみ様」
「こはるさん?」
四人で固まっていると、不意に、小春さんに声をかけられる。
「このあと、簡単な番宣のためにテレビ局に移動します。よろしいでしょうか?」
「あ、はい!」
そういえばスケジュールではそうなっていた。小春さんの言葉に頷いて、四人で固まって移動する。ロケバス……ではなく、撮影の疲れを癒やしながら移動できるように、今回は眞壁さんの運転するリムジンでの移動なようだ。
リムジンで送迎したことがあるのは、凛ちゃんだけだった。だからか、美海ちゃんも珠里阿ちゃんも、初めて乗るリムジンに興味津々だ。
「じゅ、じゅりあちゃん、ざせきがソファーだよ……」
「え? これ、れいぞうこ? くるまの中なのに?」
「ふふん。じゅりあ、みみ、その中にはシュワシュワのジュースが入っているんだぞ」
「なんでりんがドヤってんだよ……」
苦笑しながら小春さんに目配せをすると、小春さんは意図を察してみんなにジュースを配ってくれた。今日のジュースは温州ミカンソーダだ。濃厚でおいしい。
「つぐみ」
「なに? じゅりあちゃん」
「つぐみってさ、ホントに金もちだったんだな……」
「どーゆーいみ……?」
思わず目を細めて見れば、珠里阿ちゃんはすっと目を逸らした。お金持ちっぽくない自覚はあるんだけれどね。鶫に引っ張られているのかも。そう思って胸の奥に意識を向ければ、鶫はお椀で白湯を飲んでいた。どういう状況なのやら。
「皆様、そろそろ到着です。手筈どおり、控え室で休んでいてください」
「はーい!」
「は、はい」
「はい!」
「(てはず?)……うん。わかりました、こはるさん」
手筈、とはまた変な言葉を使うなぁ。番宣までの空き時間を休憩に当てる、というよりも、なにかの段取りがあるような口ぶりだ。念のため、スマートフォンのスケジュール帳アプリを起動して確認……ええっと、紙のスケジュール帳も持ち歩いていたよね。うん。決して機能がよくわかんないとかじゃなくて、こう、紙の方が趣あるし。
ポーチから取り出してめくってみると、控え室で休憩のあと、スタジオで番宣と書いてある。時間も問題なさそうだし、失念している予定なんかはなさそうかな。
「つぐみ、つぐみ」
確認を終えて顔を上げると、凛ちゃんがわたしの耳元で何かを呟く。
「ソファーがふかふかで、ねごこちが良いんだって」
「そう、なの?」
「そうなの」
えーと、どこの誰からの情報なんだろう?
首を傾げながらも車は進む。そろそろ到着ということだし、なんとなく、気をつけておこうかな。
(ぁ)
意識が浮上する。えーと、そう。確か控え室に着いたらみんながわたしにソファーを勧めて、オススメされるまま寝転がって、なんでか美海ちゃんに子守歌を唄われて……気がつけば、すっかり眠っていた。
薄目を開けて状況を確認。小春さんの気配は部屋にないけれど、珠里阿ちゃんの気配はある。けど、こう、ちょっと空気が違う?
「んん~」
ぐぅーと伸びをして、寝ぼけたような演技をして周囲を見回す。巧妙に取り付けられた隠しカメラが四つ。疚しい位置にはないし、番組側が取り付けたのかな?
そのまま気がつかなかったふりをして、外部からのアクションを待つことにした。こういうときは、まずは受け流せる心構えをして、相手を油断させた方が良いって鶫も言ってたし。
「おはよう、つぐみ」
「んー……おはよう、じゅりあちゃん。みんなは?」
にこやかに話しかけてくれていた珠里阿ちゃんが、急に、真剣な顔になる。何を言われるかと身構えていたら、彼女の口から飛び出してきたのは予想外の言葉だった。
「みんなは――じつは、妖精さんとあそびにいっちゃったんだ」
「ええー!?」
小春さんの言っていた「手筈」という言葉。
打ち上げもなく速やかに解散した現場。
妙にソファーを勧めてきたみんな。
美海ちゃんの子守歌。
すべてのピースが、緩やかに組み立てられ、嵌まっていく。
「なんでも、妖精さんはあそびあいてがほしいらしい。だからあそんでほしくてみんなを連れていっちゃったんだ」
「そんな……」
頭を回転させ、最適解を導き出せ。
もしここでわたしが“でも監視カメラがあるよ?”なんて言っても、助かる人なんてどこにもいない。
「……どうすれば、みんなをたすけられるの?」
ほんの一瞬、珠里阿ちゃんの口元が緩む。これだ。この流れで間違いない。
「妖精さんに、ゲームでかつんだ。そしたらみんなを返してくれるし、ぜんいんにかてば、ごほーびもくれる、らしい」
「そうなんだ……」
つまり、これは、ちょっと変則的ではあるけれど、ドッキリなんだ。なら、わたしにできることはただ一つ。
「……わかった。わたし、妖精さんにかって、みんなをかえしてもらうよ!」
「つぐみなら、そう言ってくれるってしんじてた。わたしがいっしょに行くから、力を合わせてみんなを取り返そう!」
「おー!」
ドッキリに気がついたと悟らせないように、番組のニーズを察して撮れ高を確保する!
みんなが今日まで準備をしておいてくれたであろうこの企画、絶対に、成功させないと!
「じゃあまず、さいしょの妖精さんのところに行こう!」
「うん!」
控え室を出て、まず最初に見えるのは「こっち」とひらがなで案内が書かれた矢印だった。思わず呆然とそれを見ていたら、珠里阿ちゃんはまるで矢印なんか見えていないかのようにわたしを誘導する。
「さ、こっちだ」
「う、うん」
挫けるな、空星つぐみ。大丈夫、大丈夫。珠里阿ちゃんのリボンに小型カメラが仕込まれていることになんか気がついていない。問題ない。
珠里阿ちゃんに導かれるまま、テレビ局の通路を通っていく。道中には色んなポスターが貼ってあって、ちょっと面白い。
「こうして、つぐみと二人であるくのって、なんか、ひさしぶりだな」
「……うん、そうだね。いつもみんながいるもんね」
ほんのりと耳を赤くして、珠里阿ちゃんはそう零した。それに、思わず同意すると、珠里阿ちゃんから照れ笑いが聞こえてくる。
「えへへ、今だけは、あたしのライバルをひとりじめだ。りんにジマンしなきゃ」
「じゃあ、わたしはじゅりあちゃんをひとりじめしたこと、みみちゃんにジマンしようかな」
凛ちゃんはむくれてしまうかも。美海ちゃんはどうかな? きっと、羨ましがってくれるだろうな。
「あはは、それ、いいかも――あ、つぐみ! あれがさいしょの試練だ!」
試練、という言葉に気を取り直す。顔を上げてみてみれば、そこには、雑なセットに佇む早月さんの姿。とくに衣装ということでもなさそうなスーツに、「ようせい」と書かれたワッペン。頭にはヘアバンドを着けていて、そこから、スプリングみたいな触覚が、うにょんうにょんと揺れている。
「あれって……さ」
早月さん、と言いかけた言葉をとっさに呑み込む。
「美海ちゃん?」
思わず、流ちょうなしゃべり方になってしまった。演技だとバレる。バレてない? だ、大丈夫そうかな。
美海ちゃんは大きな鳥かごみたいな檻に閉じ込められていて、檻にはゴテゴテとした大きな南京錠が嵌められていた。鍵は見当たらないけれど……たぶん、鍵を開けなくても外れるんだろうなぁ。
「つぐみ、あれが妖精さんだ!」
「う、うん。そうだよね。よし――妖精さん、妖精さん、みみちゃんを、かえしてください」
「イヤよ」
取り付く島もない。
「そこをなんとか」
「仕方ないわね……私とゲームをして勝ったら、この小娘を返して上げる」
「ほんとうですか!?」
「ええ本当――」
頷こうとした早月さんが、一瞬、戸惑ったように言葉を止める。ほんの一瞬だけわたしたちの後ろを見たから、潜んでいたスタッフさんがカンペを出したのかも。
早月さんは、なにか、とても大きなものを呑み込むような仕草をして、マイクも拾わないような小さな声で「覚えていなさいよ、あの鶫バカめ」と呟いた。
「本当よ。ヨウセイ、ウソ、ツカナイ」
「おかあさ……妖精さん、かわいい!」
「うぎぎ」
ピースサインを顔の横に置き、キリッとした顔立ちのままポーズを決める早月さん。この微妙にセンスのない感じ……その“鶫バカ”というのはもしかして、という気持ちを呑み込んだ。
それにしても珠里阿ちゃん。早月さんに、たぶん、その“かわいい”は結構ダメージがあると思うのだけれどどうなんだろう。良いのかなぁ。
「ごほん……ルールは簡単。この六枚のカードから正解の組み合わせを作れたら、ミッションクリアよ。せいぜい頑張りなさい」
「はい! えーとまず……」
カードの種類は三枚+三枚で六枚。三種類の漢字で書かれた『ようせい』と『はこ』によって作られている。とりあえず『妖精』のカードを手に取って――内心で「しまった」と呻いてしまった。
だってここですんなり終わったら、早月さんが恥を忍んで用意してくれたこのコーナーはどうなるの?
(妖精、は、もういい。でももう一枚は慎重に)
顎に手を当てて悩む。三種類の『はこ』はそれぞれ『箱』と『函』と正解の『匣』だ。とりあえず、『箱』のカードがわかりやすく違うので、これは除外。続いて残り二枚を、どうやって正解に導くか。な、難問だ。
二枚のカードを前に唸っていると、不意に、声が聞こえた。顔を上げてみれば、囚われの美海ちゃんが小声でなにかを言っていた。
「むむむ」
「つぐみちゃん、つぐみちゃん、ほら」
「ほら? ぁ」
美海ちゃんが示したのは、早月さんの顔だ。正解のカードに手を伸ばせば、口をへの字に曲げて悲しそうな目をする。間違いのカードに手を伸ばせば、口を三日月に歪めて悪そうに笑う。思わず呆れた視線を送ってみても、早月さんは動じなかった。
えーと、『函』のカードに手を置いて、早月さんにニッコリして貰う。今度は『匣』のカードに手を伸ばして、早月さんにガッカリして貰う。間違いのカードに手を伸ばすと見せかけて素早く正解のカードに手を移すと見せかけて間違いに――とやると、早月さんは表情をぐねぐねと変えながらついてきてくれた。すごい。
「せいかいのカードはこれとこれ! 『妖精』の『匣』!」
「な、なんですって!? 悔しいけれど正解よ。小娘は持って行きなさい」
早月さんはどこからか取り出したハンカチを噛みながら、美海ちゃんを解放してくれた。早月さんって朝ドラの女王とか呼ばれているんだよね? よ、良かったのかなぁ。
「よし。つぐみ、あたしは妖精さんがわるさをしないか見張っておく。みみをつれて先に行くんだ!」
「う、うん。わかった。ありがとう、じゅりあちゃん! 行こう、みみちゃん!」
気を取り直して、美海ちゃんの手を引く。順路はこっちであっているとは思うのだけれど――うん。なんとなく、企画の全容を把握できたかも。次は凛ちゃんが捕まっているとして、刺客は柿沼さんかな?
みんなを楽しませつつ撮れ高を確保できるように、全力で頑張ろう。




