scene:Front side1
――1――
新任教師、水城紗那。その役割を演じて早半年。いよいよ、残す撮影はあと一つ。後日の話は別撮り済みなので、今日は、病院の屋上で黒瀬公彦先生を演じる月城さんと話すシーンのみだ。
カメラがスタンバイし、役を終えた演者たちがモニターの前に集まる。その中には、当然、子役たちの姿もあった。
(つぐみちゃん……彼女の魅せてくれた演技に応えられないようじゃ、先達として顔向けできないわね)
私があのくらいの年の頃は、近所の男の子を泣かせたり、バッタと徒競走していたというのに……本当に、すごい子だ。
「三、二、一――」
監督の合図で切り替える。新人教師として赴任して、たくさんの事件に巻き込まれて、たくさんの痛みを知って。
その一つの大きなうねりが、柊リリィを襲った児童拉致犯、藤巻の逮捕によって収束した。何もかも元通りにはならなかった。けれど、確かに未来を感じさせてくれる光景を見たんだ。柊リリィに手を差し伸ばした、彼女たちの姿から。
「――アクション!」
病院の屋上。フェンスに手を掛け、風景を見る。視線の先には校舎がある、という設定だ。実際はもっと離れたところだけれど、あとで合わせるらしい。
「こんなところにいたんですか。水城先生」
「黒瀬先生……」
黒瀬公彦。ずっと同僚として、水城を支えてきてくれたひと。彼は私を見つけると、歩み寄ってフェンスに手を掛けた。
「……結局、私たちは、彼女たちになにをしてあげられたのでしょうか?」
うつむき、つま先を見ながら問いかける。それは、黒瀬相手と言うよりも、むしろ、自分自身に問いかけるように。
「さて。俺たち教師は、手を引くことしか出来ない。自分の足で歩き始めた子供たちに対しては、無力なものですよ」
自嘲するように紡がれた言葉には、いったい、どんな意図が込められているのか。それはきっと、同じように悩んでいる水城には、我がことのように感じるはずだ。だから私は、曖昧に、無力な自分を認めたくないような、呑み込んでしまっているような、諦めにも似た感情を込めて頷いた。
「そういうもの、ですか」
「そういうもの、ですよ」
黒瀬は懐からたばこを取り出し、何かに悩むように握りつぶして懐に戻す。手持ち無沙汰になった黒瀬に棒付きのキャンディーを差し出すと、彼は戸惑いながらも受け取った。
不器用に包装を剥いで、放り捨てようとした包装を、やっぱり迷ってポケットに押し込む。甘いキャンディーを口にした彼は、ほんの僅かに顔をしかめた。
「最初にここに来たときに、リーリヤが忠告してくれたんです。『ここは魔窟。油断していると食べられてしまうよ』って」
一拍。フェンスに体重を掛けながら、苦笑に唇を持ち上げて。
「あのころはよくわかりませんでしたけれど、今なら少し、わかる気がします」
「魔窟、とかいうのが?」
「いいえ。魔窟といえばそうなのでしょうけれど、もっと、こう」
フェンス越しから校舎の方角に目を眇める。手を伸ばすと、夕日が指先に溶けて翳った。
「きっと、あそこには、誰かの夢や希望や諦めや苦難が、融けて混ざっていると思うんです。まだ、未来のカタチもハッキリしない、未成熟で、非寛容な」
「なるほど。水城先生は、学校が恐ろしいですか?」
怖い、といえばそうなのかもしれない。けれど、たとえどこかに恐怖心を抱いていたとしても、私はそれを乗り越える。勇気を振り絞って踏み出した一歩には、大きな価値があると、あの子たちが、私に教えてくれたから。
私たち教師が、大人になって、折り合いと妥協を覚えてしまってから失ってしまった、尊い希望のカタチを思い出させてくれたから。
「いいえ。怖くはありません。私は教師ですから」
「はは。そう言うと思いました。――さ、そろそろ事情聴取の時間みたいだ。戻りますか」
屋上のドアのところで、刑事さんたちが目礼する。私たちはそれに気がつくと、黒瀬の言葉に頷いた。
歩み始めるその前に、もう一度だけ、フェンス越しに校舎を見つめる。沈みゆく夕日に照らされて、逆光の中に落ちていく古びた校舎。あの場所はきっと、魔窟なんかではない。でも、信じたものが歪み、歪んだものも美しく見えてしまう、閉ざされた箱庭。妖精たちが集う、無垢で歪な理想郷。
「閉ざされた子供たちの世界。あの場所はもしかしたら――妖精の匣なのかも、しれないわね」
黒瀬に訝しげに視線を寄越され、なんでもないと首を振る。もう一度振り返った校舎は、沈みきった太陽に押し出され、真っ暗な闇に融けていた。
「――カット! オッケーだ。みんな、ありがとう!」
拍手が満ちる。キャストが、スタッフが、監督が、みんなが大きく手を叩いていた。
「お疲れ様です、相川さん」
「はい、月城さんもお疲れ様です」
「相川さんはこのあと直ぐに、アレですよね?」
「ええ、はい」
このあと、子供たちにはゆっくりと休んで貰う。十五歳以下の子役の就業時間は、確か、法律で週四十時間の一日七時間と決められている。今日の撮影はメインシーンのみで、子供たちは準備や用意含めて三時間ほどの撮影だ。
残り四時間。時間いっぱいまで撮影するつもりはないようだし、きっちり一休みして貰うのだけれど……そのあとは、本人には知らせていない、バラエティ番組への出演だ。
「相川さん、月城さん」
スタッフさんが、子供たちの様子を横目で確認しながら、私たちに小声で告げる。
「では、スタジオに移動しましょう」
「はい」
頷いて、こっそり移動を始める。主要の子役たち三人には既に伝えてあって、彼女たちは仕掛け人だ。さすが子役というべきか、もしかしたら忘れているのか、怪しいそぶりは見られない。
妖精の匣からゲスト出演をするのは、私と、月城さんと、柿沼さんの三人。柿沼さんは一足先にスタジオに向かっている。
(だから、えーと、うん……ごめんね? つぐみちゃん)
私はそう念じながら、そっと、その場をあとにした。
『秋のドッキリエンターテイメント! ~びっくりもあるよ~』
そんなタイトルのバラエティ番組は、毎年春と秋の年二回放映される大規模なドッキリ番組だ。今日は、妖精の匣のDVDBOX販売と最終回告知のため、私たちは出演している。今は夏だけれど、放映日にはちょうど秋も深まっているころだろう。
実は私も、先取りでドッキリを仕掛けられていたのだけれど……だって、控え室にカエルを仕込まれても驚けないよ。わぁかわいいなんて手のひらに乗せたところで、引きつった顔の芸人さんがドッキリの看板を持ち出してきた。うぅ、恥ずかしい。
「では続いてのゲストはこちら! ドラマ『妖精の匣』からなんと三人も! 水城紗那役、相川瑞穂さん。黒瀬公彦役、月城東吾さん。絹片幸造役、柿沼宗像さんです!」
「今日はよろしくお願いします」
司会を務めるのは、お笑い芸人だけれど数々のドラマの主演や映画監督も経験なさっているベテランタレントの、外村さんだ。夕方の番組でMCを務める西原さんの相方で、私も良くして貰っている。
「それじゃあ、瑞穂ちゃん! せっかくだから、番宣、してくれるかな?」
「はい! 任せて下さい! 『妖精の匣』とは――」
貴重な機会だ。しっかり番宣させて貰おう。そう思ってあらすじと最終回の見所を告げていく。
私は、その、思ったよりも撮れ高を稼ぐことが出来なかった。ほんっとうに申し訳ないのだけれど、その撮れ高はつぐみちゃんに稼いで貰うことになる。私が幼少期、野猿だったせいで、ごめんね……。
「――というわけで、見所いっぱいな最終回スペシャルなんですよ!」
「なるほどねぇ。やっぱり瑞穂ちゃんは解説が上手いなぁ!」
「あはは、ありがとうございます!」
妖精の匣は、最終回は二時間スペシャルだ。今日まで高視聴率で展開されてきたドラマだけれど、物語の終結のために二期は考えていない、と、監督はおっしゃっていた。現状はどうなるかわからないけれど、ここまでならそれはそれで、しっかりと、みんなに見て貰う努力はしたいよね。
「では最初は恒例の――」
外村さんのMCで、軽快に番組が進行していく。私たち妖精の匣のキャストはその様子を、固唾を呑んで見守った。私たちの出番が来たら――そのときから、祈り始めなければならないのだから。




