opening
――opening――
――八月二十日・ウィンターバード俳優育成学校。
うだるような夏の日。わたしたちは『紗椰』の出演者顔合わせのために、ウィンターバードに来ていた。エマさんが監督の映画と言うこともあって、ウィンターバード俳優育成学校の出資者である閏宇さんからの口添えもあって、ウィンターバードが施設協力なんかを申し出てくれたのだとか。
わたしは早々に凛ちゃんと合流。まだまだ時間的には早かったんだけど、凛ちゃんは桜架さんの弟子と言うだけあって慣れたもの。勝手知りたるなんとやら、で、迷うことなくすいすいと校舎内を歩いて、目的の会議室に連れてきてくれた。
「お、いちばんのりだよ、つぐみ!」
「ほんと? ちょっとのんびりできるね、りんちゃん」
どこかに潜んでくれている小春さんたちは目には見えないので、わたしたちは二人きりのように見えると思う、けど、とくに誰にも咎められることなく到着。
空いている席に二人で並んで座ると直ぐに、凛ちゃんはスマートフォンを取り出したので、わたしもそれに倣う。
「しゅつげんりつ二倍ガチャ、どうだった?」
凛ちゃんはそう、鋭い目線でわたしに告げる。開口一番がそれなんだね、凛ちゃん。
「えーとね、日ぞくせいURのまほー少女ミラクル☆ラピ・オリジンと」
「ッッッ…………と?」
なんだろう。凛ちゃんから、その、圧を感じる。確か無料ガチャ期間だったんだよね。ポチポチ進めている程度だけど、召喚できる英雄が増えるとゲームがぐっと楽になるから、こういう機会はちゃんと引くようにしてる。凛ちゃんとの話題にもなって、嬉しいし。
「ひ、日ぞくせいURけーやく獣の、るりのしんおうかな」
「そう。二まい。ふーん。そう。つぐみといっしょに暮らせば、運がうつったりしない?」
「さ、さぁ?」
凛ちゃんはそう、どこか怪しい目つきでスマートフォンを置き、両手を挙げる。これは、ちょっと、まずいかも……なんて逃げようとしたときには時既に遅く、凛ちゃんはわたしに抱きついた。
「つぐみから運をきゅーしゅーする!」
「あわわわ、できない、できないよりんちゃん!?」
「ホントに?」
「しょーめーは、できないけど……」
「ぎゅー!」
どうしよう、引き剥がす訳にもいかないよね。仕方ないからぎゅーと抱きしめ返すと、凛ちゃんはくすぐったかったのか笑い声を零し始める。凛ちゃんは負けないぞ、と、手をわきわきと動かし始めたので、わたしも負けじと応戦――しようとして。
「あー! エミリを差し置いてイチャイチャしないでよ!」
「ああっ、お待ちください、エミリちゃん!」
「良いから、くさつも行くの!」
金髪メッシュに柄物シャツ。デニムショートスカートと、ストライプのニーハイソックス。きらきらと装飾の付いた運動靴。
いつだったか。トッキーのCM出演権を賭けて演技勝負をしたエミリちゃんが、細目のマネージャーさんを引き連れてやってきた。
「ほらほら、離れた離れた。もしくはエミリも混ぜなさい」
「むぅ。つぐみはわたさない」
「アンタ、凛だっけ? ふふん、このつぐみファンクラブ百番のカイインショーが見えないわけ」
「ん」
何故かわたしのファンクラブの会員証を掲げて胸を張るエミリちゃん。そんなエミリちゃんに凛ちゃんは、すっと自分の会員証を取り出した。なんで入ってるの、凛ちゃん……。
「いちばん」
「はぇ? ……ええええっ、すごい、一番じゃない! やるわね! 気に入ったわ!」
「ふふん」
胸を張る凛ちゃん。そんな凛ちゃんを秒で気に入るエミリちゃん。エミリちゃんのすごいところは、本当に、こういうところだと思う。CM撮影の時も思ったけど、いがみ合ってた相手でも直ぐに打ち解けられる。
もうわたしも引っ張り込んで三人で撮影し、SNSにあげているようだった。凛ちゃんは凛ちゃんで、誰かの本質とか、根っこを見抜く力はわたしなんかよりずっと強い。エミリちゃんと直ぐ仲良くなれるのも、納得だよね。
……ちょっと、寂しくないと言えば嘘になるけれど。
珠里阿ちゃんと美海ちゃんにも、会いたくなってきた。学校に通い始めても、学年違うしなぁ。
(なんて……違うよね。きっと、わたしが今、本当に寂しく思っているのはきっと――あなたが、どこにもいないから)
わたしらしくもなく、センチメンタルに落ち込んでいると、勢いよく会議室の扉が開かれて思わず顔を上げる。相手は――エマさんだ。演者さんよりも早く来るあたり、楽しみにしていたのかも。
「やぁやぁ! 元気そうでなによりだ」
真夏なのにきっちりとしたパンツスーツ。手には手袋までしているという徹底ぶりな男装の麗人。エマさんはにこにこと笑みを携えながら、会議室の上座に座り、わたしたちを見回した。
「おはようございます、エマさん」
「ああ、おはよう、つぐみ」
わたしが挨拶をしたことを皮切りに、凛ちゃんとエミリちゃんも慌てて挨拶をしている。とはいえ、エミリちゃんは「おはよー!」と、なんとも元気なものだったけれど……エミリちゃんのマネージャーの草津さんが、エミリちゃんの気軽な態度に少しだけあわあわと慌てていたのが印象的だった。
「おはようございます……あら、エマさん。お待たせしてしまいましたか?」
「ああいや。私が早すぎただけさ。気にしないで欲しい――桜架さん」
次いで、にこにこと柔らかい笑顔でやってきたのは桜架さんだった。凛ちゃんがぱっと顔を上げて、「おししょー」と声をかけている。
「おはようございます、おうかさん!」
わたしも、凛ちゃんに倣って頭を下げる。桜架さんを見ると、どうしても思い出してしまうのだけれど、態度には出さない。だって、本当に、どこに行っちゃったんだろう、って、思っちゃうから。
桜架さんが来ると、予定時間の三十分は前だというのに、次々と人が集まり始めた。柿沼さん、柿沼さんと並んで来た海さん、見城さんに始まり、明るい茶髪にポニーテールの女の子、がっしりとした体格の男の人……といった、わたしの知らない役者さん。
さらに後ろからやってきたのは、記録に比べて皺が増え、ほうれい線が浮き出てもなお背筋をピンと伸ばした綺麗な人、当時の紗椰の親友、咲惠の友人役を務めた須崎仁衣奈さん。
慌ててプロデューサーさんやディレクターの方も到着すると、広い会議室がずいぶんと賑わってきた。
これで、主要メンバーが勢揃い、だ。
「少し早いけれど、集まったみたいだから始めましょう」
エマさんは機嫌の良さそうな笑みを浮かべたまま、立ち上がってホワイトボードの前に立つ。マーカーペンを手に取って書き綴るのは、今回のリメイク映画のタイトルだ。
「『SAYA ~紗椰~』というタイトルに正式決定致しました。大筋は変わりませんが、このリメイクでは皆様も既にご存知のように、新しい登場人物が増えます。それが“紗代”。率直に、紗椰の代弁者、という意味を持つキャラクターです。今回、オーディションによる厳正な審査の結果、この新しい登場人物を空星つぐみに演じて貰うことになりました」
仰々しい語り口。
演技じみた身振り。
エマさんはお気に入りの舞台を解説するナレーターのような口ぶりで、新しい紗椰について説明をしてくれた。
「紗代は、言わば紗椰がより効率的な復讐のために切り離した良心であり、旧作にあった子供に対して僅かに躊躇うようなシーンはなく、より恐ろしい悪霊として紗椰を演じて貰います。代わりに、紗椰に対峙して無関係な人間を守ろうとするのが、紗代ということです。ナニカ質問は?」
説明が徐々にヒートアップしていくエマさん。そんなエマさんの様子を意識した様子も無く、静かに手を上げたのは、桜架さんだ。
「復讐鬼であった紗椰の代弁者が紗代であるのなら、犠牲者を守るのは矛盾が生じるのでは?」
「ああ、それについてはご心配なく。作中で紗代が関心を抱くのは、咲惠を襲った事件の加害者の妹でしかない沙希と、その両親。そして警察だけです。加害者に対しては、紗代とて、温情はかけない」
なるほど……。つまりわたしは、“親友である咲惠が望まない”だろうから、一般人は傷つけさせない。けれど、当然、報いはあってしかるべきだから――加害者が呪いに囚われるということに、協力をするかのように動けば良い、ということなのかな。
でも、もう少し手を加えられそうだよね。本読みの段階で、わたしなりに“紗代”というキャラクターを呑み込めたらそれで良いのかな。
「さて、では早速本読みをしておこう」
手元に流れてきた台本を手に取る。まずはさっと目を通して、それから実際に台本を手に読み合ってみる……という、言わば、キャラクターを把握する時間だ。
「ね、ね、つぐみ、これはなんて読むの?」
「えっとね、りんちゃん。これはせいさんだよ」
「つぐみつぐみ、エミリにも教えて? これは?」
「んーと、ざんぎゃくだね」
わたしたち子供にはさほど難しい台詞は無いけれど、他人と一緒に演じる以上、周囲の台詞もある程度把握しておく必要がある。わたしは一度読めば台詞は全部覚えることができるけれど、鶫の記録を参照する限り、一般的なことじゃないみたいなんだよね。
そうしてわたしが二人に漢字を教えていると、不意に、覗き込むような気配を感じる。明るい茶髪のポニーテール。確か、アイドルグループの女の子だという、えっと、そう、常磐姫芽さんだ。
「つぐみちゃん、って言ったっけ?」
「はい、ときわさん」
「ひめ、でいーよ」
アイドル、というとやっぱり、きらびやかで飛び抜けた明るさがあるようなイメージがある。でも、わたしにこうして話しかけてくれる常盤――姫芽さんは、どこかアンニュイでクールな印象が強かった。
「わかりました! ひめさん!」
頷いて頭を下げると、姫芽さんは少しだけ口元を綻ばせる。子供好き、なのかも。
「まだ小さいのに、難しい漢字が読めて偉いのね?」
「えへへ。いえで、みんながおしえてくれるんです」
なんて言おうかと思ったけれど、言葉の裏に僅かな逡巡を押し殺して、みんな、と応えた。ダディにマミィ、春名さんや小春さん。みんな大事な家族で先生だ。でも、一番、わたしの道を照らして知識をくれたのは、他でもない――鶫、だから。
「そうなんだ? ふぅん。まぁ良いわ。私は演技は素人だけど、あなたたちよりは少しだけ大人よ。なにかわからないことがあれば、声をかけてちょーだい」
「はい! ありがとうございます!」
凛ちゃんとエミリちゃんも、わたしに続いて気楽な挨拶をしてくれる。そんな二人を尻目に、わたしは、どこか照れくさそうにしている姫芽さんを見た。
どんな方だろうなんてはらはらしていた面がなかったと言われたら嘘になる。でも、こうして見れば、姫芽さんの根の真面目さは直ぐ見えた。わたしたちが困っていないか気にして声をかけたのであろう、どこか面倒見の良い年上の女性。
(だから、かな)
余計、思い出しちゃうよ。
胸を押さえて息を吐く。周囲に心配はかけないように、ゆっくりと。
(あなたは今、どこにいるの? 本当に消えちゃったの? ねぇ、お願い、応えて)
声は戻らない。
沈んだ気配はとうに立ち消え。
虚しさだけが、ぽっかりと、空いていた。




