scene8
――8――
『本日は当オーディションにお越しいただきありがとうございます。とはいえ、皆様はただ観客として、最後までお楽しみいただければ――』
意気揚々としたアナウンスが聞こえる。誰がアナウンスをするのだろうと思っていたら、最前列に座るエマさんが声を上げていた。うん、まぁ、そうだよね。
わたしは控え室から出て、二階部分の舞台を見渡せる部屋で観覧だ。二階席、ではなくて、鴨浜中央学園で先生方が指導の際に扱う観覧スペースらしく、座席は取り付けられていない代わりに、様々な機械や舞台装置が置いてあった。演出に関する操作がここでできる、ということは、演出に関する授業を舞台を見ながら行うってことなのかも。斬新。
なんて、一人で腕を組んで頷いていると、後ろに誰かの気配を感じる。
「Hello」
英語。鶫は英語が得意では無かったけれど、わたしはハーフだからね。さすがに気後れすることはない。かけられた言葉に振り向くと、金髪に緑色の瞳の少女がにっこりと微笑んでいた。
年の頃は、十を数えるか数えないか、たぶんそのくらい。凛ちゃんよりも少し年上くらいに見えるけれど……海外の方って、わたしくらいの年齢でもずっと大人びているからわからないんだよね。
「I'm Alicia, the assistant director. If you have any requests, please let me know.」
ええっと、ディレクター……じゃなくて、演出に携わっているから、希望があったら言ってね? というところかな。アリシアちゃんって言うのか。肩までのふわっとした髪。前髪は額の上でパイナップルみたいに結んでいる。快活そうな女の子だなぁ。
「ええっと……Thank you. When I have something to ask for, I'll be counting on you.」
「You're welcome. I have high hopes for you. See you later, Tsugumi.」
わたしがお礼を言うと、アリシアちゃんは「私はあなたのことを期待している。またあとで、つぐみ」と言い残し、手を振って歩き去る。あれ、わたし、名乗ってはいなかったと思うんだけど……いやでも、演出に携わっているんなら、演者のことは知っているのかな。
気を取り直して舞台を見下ろす。オペラグラスなんか必要ないのは、ハイスペックボディ様々だ。きっと、ダディやマミィの血のおかげなんだろうなぁ。
「つぐみ様、椅子をどうぞ」
「ありがとう、こはるさん」
あんまり目立つような椅子はイヤだなぁと思っていたら、ちゃんとパイプ椅子を用意してくれていた。以心伝心かな。
ただ、材質や座り心地から見ると確実に“パイプ椅子に似せて作られた高級椅子”なんだけれど、うん、まぁ、それはいいか。
『それではまずベースとなる劇を、リメイク版紗椰の勅使河原尚通役の柿沼宗像さんと、麻生沙希役の夜旗凛ちゃんに演じて貰いましょう!』
エマさんの進行と共に幕が上がる。舞台は簡素なものだ。木製のベンチに腰掛ける柿沼さんが、読書をしている。まだ凛ちゃんの姿は見えない。
『タイトルは“年の差の恋”――それでは、公演スタートです!』
エマさんのかけ声と同時に、ざわついていた観客席が静まりかえった。同時に、舞台袖から歩き出すのは、凛ちゃんの姿だ。柿沼さんの姿を見つけると、頬を綻ばせ、うつむき、深呼吸。それから意を決して歩き出す姿。
ベーシック、かつ、この台本に求められているであろう役割を忠実に演じている、といったところかな。さすが凛ちゃんだ。
「また来たのかい」
凛ちゃんが声をかける前に、柿沼さんは静かにそう告げた。優しく語りかける大人の男性、といったスタイル。まさしく、小さな女の子の憧れる“優しげな中年男性”を演じている、んだよね。
……やっぱりわたしも、四条玲貴相手ではなくて、柿沼さんが良かったなー、なんて、ちょっと思わなくもなかったり。
「うん。だめ?」
声をかけられる前に気がつかれたことで、肩を震わせる凛ちゃん。けれど、それすらも嬉しそうに頬を染めて、後ろ手を組んで軽やかに近づいた。
かわいい。恋する女の子だ。わたしにあれって出せるかなぁ。なんだか前よりもレベルアップして見えるのは、桜架さんの指導の賜物……なのかな。
「はぁ……好きにしたら良いよ」
「よしっ――今日はね、お花を持ってきたの」
「そうなんだ。それで……?」
「あげる」
しょうがないな、と、本を閉じる柿沼さん。そんな柿沼さんに、後ろに回されていた手を柿沼さんに差し出す凛ちゃん。
これは観客に「アリ」と「ナシ」の境界を見せているんだと思う。小道具はありだけれど、なくてもいいということ。アドリブはナシだから台本に忠実だけれど、「よし」という一言。これくらいなら許される、ということ。
ちゃんと劇に全力で取り組みながらも、次の人が演じやすいように、あとに続く人が困らないように練られている。たぶん、柿沼さんも凛ちゃんと話し合って作り上げたんだろうなぁ。このあたり、すごく“柿沼さん”らしい。
「はぁ……わかった、受け取るよ。これで良いか?」
「ありがとう」
「さて、もう用はないね? 僕のようなおじさんに構っていないで、遊んできたらどうだ?」
「ここにいたい。だめ?」
可愛らしく首をかしげる凛ちゃんに、肩をすくめて苦笑する柿沼さん。少女の初恋を理解していながらも、付き合ってあげる大人の対応。
「友達は? 知らない大人の男と遊んでいたら、親が心配するよ」
「あなたの方が良い。友達よりも、お父さんよりも、お母さんよりも、あなたがいい」
あ、困ってる。柿沼さんは、凛ちゃんの勢いに、少しだけ身体を引かせた。
観客席から零れる“くすくす”という声を抑えた笑い声。これってもしかして、この演者が“紗椰”に出演しますって言う宣伝も兼ねてたりしないかな?
だとしたら、エマさん、ちょっとすごすぎるよね。どこまで想定して組んでいることやら。閏宇さんの教育の賜物……だったりするんだろうか?
胸の奥で鶫を思い浮かべれば、彼女は気まずげに目をそらした。閏宇さんとの記憶を発掘したい衝動に駆られるけれど、さすがに後回し、だよね。
「そんなこと、君の親は許してくれないよ」
「許さなくても良いもん! あなたが許してくれたら……それで、いいの」
「僕はつまらない大人だよ。君のような子供は、子供らしく遊ぶのが一番だ」
「子供らしいって何? 私らしくってなに?」
優しく諭す柿沼さんに、意固地になる凛ちゃん。
むくれる凛ちゃんに、やれやれとため息を吐く柿沼さん。
「屁理屈、かな?」
「そんなよくわかんないものよりも、私は、あなたがいいの」
「わからないな」
「わかってよぅ。……私は、あなたが好き! お父さんやお母さん、友達とも違うの」
「不幸になるかも――」
「――幸せだもん」
「……はぁ」
なんとか諭そうとする柿沼さんに、かみつくように言葉を続ける凛ちゃん。少しだけ台詞が重なる部分。柿沼さんの言葉を遮ってまで想いを伝えたいという意思。
健気だ。凛ちゃん、すごく健気だ。健気だから、その想いに打たれるところもあるのだろう。柿沼さんのため息は、困惑と苦笑の中にも、僅かなむずがゆさのあるような、そんな演技を表情から読み取れる。
「いつか、それが夢だとわかる。でも、目が覚めるまでなら……ここにいてもいいよ」
「やった! 言ったね。目なんか覚めないよ。だって、夢は叶えるものだから!」
「いつかは覚めるさ。うん、でも、夢を見るのは自由だからね。好きにしたら良いさ」
「うん!」
最後の一言まで、優しい大人の男性という像を崩さず物語を締めくくる。徹頭徹尾、コンセプトを崩さなかった。これを基礎に色々とアレンジを加えます、と言われたら、否応なしに観客は楽しみに思うんじゃないかな。わたしだって、どう展開するのか楽しみになってきた。
きっと、柿沼さんなりの、最後の順番になってしまったわたしへ興味が続くように、という気遣いの一環、なんだと思う。その気遣いが嬉しくて、胸がぽかぽかと温かくなった。
『では、二人の演者に拍手を!』
一幕の終わりを合図するエマさんの言葉に、大きな拍手がもたらされる。この直後に演じるのは、普通の子だったらひたすらプレッシャーに感じるんじゃないかな。もう、凛ちゃんも子役の枠にいて良いのかわからないくらい。
……そういえば、万真さんもすごかったし、虹君は言わずもがな。夜旗家ってすごい。
『では続いて、オーディションに移行します』
きた。
『今回は相手役にかの大俳優、四条玲貴さんにお越しいただきました!』
大きな拍手。柿沼さんと入れ替わるように舞台に登る、一人の男性。すらりと高い背、くすんだ金髪。碧眼。舞台の中央で足を止め、観客に向き直る美丈夫。かつてよりも落ち着いた仕草と笑み。完璧な仮面の内側に秘められた――狂気。そのどろどろとした意思の色は、わかるひとにしかわからないだろう。
柿沼さんが腰掛けていたベンチに座り、足を組み、やはり柿沼さんと同じように本を手に取る姿は――柿沼さんとは、一八〇度違う。もっと厳しく、頑なな大人の態度だ。
『では早速始めて参りましょう。エントリーナンバー一番、yo!tuberからテレビの世界に飛び込んだ異端児! ツナギ!!』
プロレスラーみたいな煽り文と同時に、舞台袖から登場するツナギ。格好は、黒褐色のワンピースで、手には赤い花。黒い髪をなびかせて、表情を乏しく歩く。
ツナギ……ツナギ、あなたはその仮面の奥で、なにを思っているの? 悲しい? 寂しい? 辛い?
(ツナギ――どうか、あなたの声を聞かせて?)
この場所なら。
演技の場所なら、きっと。
そう、願わずにはいられなかった。
『さぁ、幕開けだ!』
エマさんの声。
同時に、歩き出す、ツナギの姿。もしも、鶫だったらどんな演技をするだろう? 直前に行われたのは、優しく健気な少女の舞台だった。
なら、たぶん。
「また来たのか」
「ええ。だめだった?」
低く告げられた言葉。
嫌そう、だとか、嬉しそう、だとか。そういった感情の方向性を求めない抑揚のない玲貴の言葉に、ツナギは短く返す。
「好きにすれば良い」
「そう。今日は、花を持ってきたのよ」
「そうか。それで?」
「あげる」
ツナギは愛おしげに花を撫で、それからそれを玲貴に差し出した。玲貴の好きな花ではなくて、ツナギの好きな花を差し出したんだろう。差し出された花を、玲貴は、一度は無視をする。けれどツナギは動じない。花を突き出したまま動かない。まるで、ワンシーン付け足したような場面調整だ。ここまではきっと、彼らの日常、ということなのかな。
いつもこんなやりとりをしていて、折れるまで押しつけている。胸の奥に湧き上がる“懐かしさ”の感情。きっと、鶫と玲貴も、こんなやりとりをしていたんだろう。
「はぁ……わかった、受け取るよ。これで良いか?」
やがて折れて受け取り、どこか嫌そうに花を眺め、それを隣に置く玲貴。そんな玲貴を見るツナギの頬が僅かに緩む。決してツナギを見ない玲貴だから、その表情に気がつくことはない。すれ違いの表現……?
少しだけ。違和感。もしも鶫なら、やれやれと肩をすくめて見せるだろう。あからさまに年の差がある設定だとしても、鶫として演じるなら、むしろ背伸びをした子供を演じる、と、思う。こんな風に照れるなら、最初からそうしているはずだから。
(考えすぎ、かな)
内心で首をかしげながらも、舞台から目をそらさない。
「ふふ、ありがとう」
「では、もうここに用はないな? 俺のような中年に構っていないで、友達と遊んできたらどうだ」
笑うツナギをぶっきらぼうに突き放す玲貴。面倒がっているように見える。柿沼さんと真逆の態度。
「ここにいたいのよ。いいでしょ?」
「友達はいないのか? 知人でもない大人の男といたら、親が心配するぞ」
「あなたの方が良い」
言い切る言葉。
ブレス。区切ることで、より強調された言葉。その意味することは、間違いない。切り替えだ。今、ツナギは意識のギアを一つ、切り替えた。演技の最中でどんどんギアが上がっていく、鶫の特技の一つ。
「友達より」
ツナギが一歩近づく。
「父さんより」
俯いて。
「母さんよりも」
玲貴の手首を掴み。
「あなたがいい」
顔を、上げた。
情愛に焦がれた目。思わず息を呑むほどの、激情。アドリブではなく、台本に忠実のまま。ただ、区切ることで感情の変動を彩った演技。それに、玲貴は僅かに身じろぎする。
「そんなこと、君の親は許してくれない」
「許さなくても良い。あなたが許してくれたらそれでいい」
動揺で震える声を、ツナギはただ一蹴する。さっきまでとは立場が逆転している。自分の感情に呑み込む演技。鶫が、何より得意とする演技。
「俺はつまらない男だ。子供らしく遊べば良い。君のような、子供は」
「子供らしいって何? 私らしくってなに?」
らしく、という単語が特別に強調される。否応なしに引き込まれる。観客だってもう、わかっているんだ。この物語が悲恋だって。だって、こうまで感情をむき出しにする何かが、きっと、ツナギの内側にあるから。
「屁理屈か?」
「そんなよくわかんないものよりも、私は……っ。私は、あなたがいい」
「わからないな」
玲貴は本当にわからない、といった風に首を振る。でも、僅かに伏せられた目が意味するものは、きっと、“ごまかし”だ。玲貴の中には思い至る節があって、でも、それは、言うべきでは無いことなんだ。
子供を相手にしているようには見えない。でも、子供として扱わなければならない。玲貴の葛藤が、にじみ出てくるような表情。
(うまい)
悔しいけれど、玲貴もまた大俳優に名を連ねるような人間なんだ。そう、思い知らされるようだった。
膝の上に置いた手を握りしめる。じっとりと濡れた手。引き込まれている。
「わかって」
ツナギの言葉は強い。
「私は、あなたが好き。父さんや母さん、友達とも違うの」
「不幸になるぞ」
「幸せよ」
言い切る言葉。
交わる視線。
「……はぁ。いつか、それが夢だとわかる。目が覚めるまでなら――いい」
やがて、折れたのは玲貴だった。
――それはきっと、いつかのように。
「言ったね。覚めないよ。夢は叶えるものだから」
「覚めるさ。ああ、だが、夢を見るのは自由、だ。はぁ……好きにしろ」
玲貴の言葉。
ツナギは、なんと返すのだろう?
もしも、鶫だったら、きっと――
「――うん」
――あ、れ?
か細く頷く声。ほんの僅かにはにかんで見せた表情。やっぱり、やっぱりそう。鶫と違う。だってもし、鶫だったら、最後のシーンでは歪に笑うはずだ。糸にかかった獲物を絡め取る、女郎蜘蛛のように。
(ねぇ、鶫)
きっと。
ううん、希望に過ぎないよ。
でも、思う。
ツナギも――抗ってるんだっ、て。
(許せないとか、許さないとかじゃなくて)
わたしは、ツナギを、助けたい。
「つぐみ様、ご準備を」
「はい、こはるさん」
小春さんを伴って、舞台袖まで歩く。耳に響くのは、覚めやらぬ歓声だ。ああも違う、けれど呑み込まれそうな“感情の演技”を終えて、観客もそれに引き摺られている。うん、でも、それくらいでないとね。
わたしの格好は白いワンピース。小道具には、赤い花を用意した。ツナギと同じだから借りても良いかもしれない。
(鶫)
胸の奥で声をかけながら、舞台袖まで歩く。玲貴は継続だけれど、一度、舞台袖まで戻ってきていた。その傍らに立つツナギの、姿。
「ツナギ」
「つぐみ、よね? がんばって」
「うん。だから、みてて」
「え、ええ。もちろん」
小春さんに目配せをすると、小春さんはその場からかき消えた。
「えっ、き、消え、えっ?」
動揺するツナギの元へ、再び立つ小春さん。せっかくだからツナギには最前列で見て欲しい。そんな希望をエマさんに伝えて貰ったんだけれど……こんなに早く帰ってきたということは、二つ返事だったんだろうなぁ。
「さ、ツナギ様。こちらに席がご用意してあります」
「え、ええ、ありがとう???」
連れて行かれるツナギの後ろ姿。小春さんが消えた動揺で紛れていたけれど、確かに、ツナギの瞳には迷いがあった。あのとき、地下駐車場でであったときとは違う。
なら、きっと、あとちょっとだ、
(鶫、わたしは)
一歩踏み出す。
こうしてわたしが直接対峙するのは、初めてだ。
「やぁ、君がつぐみちゃんだね。今日はよろしく」
「はい。よろしくおねがいします、しじょうさん」
四条玲貴。
子供に対して柔らかく振る舞っているけれど、わかる。
「さ、どんな演技をする? 希望があれば、なんでも言うと良い」
「なら、ひとつだけ」
「一つ?」
玲貴の顔を、まっすぐ見る。
「わたしに合わせてください」
玲貴は僅かに面食らったように瞬きをすると、気を取り直して頷いた。プライドの高い彼のことだ。きっと、こう言われたら完璧に合わせることだろう。それこそ、わたしを食べてしまうような、大人げない心持ちで。
(鶫)
目を閉じる。
身体の中。白と黒に区切られた空間。
(わたしは、ツナギを助けたい)
『私も、ツナギを助けたいよ』
(でも、って、言わないの?)
『ふふ、そうね。戸惑いがなかったと言われたら、きっと、嘘になる。でも』
うつむき、目元の見えなかった鶫。
彼女が顔を上げて、わたしを見る。
『それが、演技を凶器に使って、誰かを傷つけて良い理由にはならないわ』
わたしの大好きな。
鶫の、まっすぐで力強くて、温かい目。
『さ、自分の罪深さを思い知らせてやるわよ、わたし』
(うん! わたしと鶫なら、きっと、できないことなんてないよ、私!)
並び立つ。
目を開ければ、玲貴は既にベンチに腰掛けていた。
観客は既に、気が抜けた表情で手元を見たり、おしゃべりをしたりしている。
「ふふ――上等」
四条玲貴。
あなたは、誰かをねじ曲げられるような、超常的な存在なんかじゃない。
そのことを――思い知らせて、あげる。




