scene2
――2――
夕日テレビ、というテレビ局がある。わたしはまだ日ノ本テレビのドラマにしか出演したことはないけれど、夕日テレビといえば有名特撮番組がもう何年も続いていたりと私の時代から耳にする機会が多い。まぁホラー女優は子供向け番組とは真逆の存在だから、縁はなかったみたいなんだけれどね。
トッキーのCM打ち合わせが有意義に終わり、わたしと小春さんは社用車で六本木に向かっている。その道すがら、スマホで色々と調べておこうと思ったのだけれど――凛ちゃんからのメッセージが来てたので、そちらを優先することにした。
『つぐみ、海に行きたい』
なにに影響を受けたのだろうか。一言、そう綴られたメッセージに苦笑する。オーディションが八月十五日。ここまでそう日はないから、オーディションのあとが良いかな。凛ちゃんの夏休みが八月三十一日までだから、それまでに一度、時間を作りたいな。
「こはるさん、こはるさん、オーディションのあとなんですけど……」
「はい?」
小春さんにスマホの画面を見せると、小春さんは数秒固まる。それから、なるほど、と頷いてノートパソコンを開き、予定の確認をしてくれた。
「承知いたしました。どこかで時間が抽出できるよう、日立マネージャーにも確認してみましょう」
「ありがとう、こはるさん!」
笑顔でお礼をすると、小春さんは微かに笑みを浮かべて頷いてくれる。
「いいえ。――あとは海ではしゃぐつぐみ様の姿に私が無事で済むかどうか」
「ん? いまなんて?」
続いて呟かれた言葉はよくわからなかったけれど。
「いいえ、いいえ、なんでもありません」
「そう?」
まぁ、小春さんがそう言うのなら別に良いか。それよりも、返事をうずうずと待ってくれているであろう凛ちゃんに、返信をする。
『調整してくれるって!』
『やった! お師匠も誘っていい?』
『もちろん! 珠里阿ちゃんと美海ちゃんにも声をかけてみよう!』
『よし来た。そっちは私から、稲穂さん経由で二人のマネージャーに聞いてみる』
稲穂さん。凛ちゃんのマネージャーさんの、日立稲穂さん。確か、虹君のマネージャーの、黄金さんの妹なんだよね。兄妹かぁ。いいなぁ。わたしも弟か妹が欲しい、かも。
『兄につぐみの水着を見せるのは惜しいがどうする?』
『べつに、減るものでもないから良いけど……』
『一応、兄にも声をかけてみる。つぐみの優しさに、兄は感謝すべき』
五歳児の水着なんて、つるーん、すとーんだしね……。もしかしたら桜架さんの水着の方が、虹君の目に毒なのではないだろうか。桜架さん綺麗だからね。小春さんだって綺麗だけれど、水着、着てくれるかわからないし。
『つぐみ、今度一緒に水着買いに行こう?』
『いいよ!』
『やった!』
楽しそうにスマホに文字を打ち込んでいる凛ちゃんの姿が、目に浮かぶようだった。凛ちゃんが楽しそうにしてくれていると、わたしも嬉しい。
「つぐみ様、そろそろ到着です」
「あ、はい!」
小春さんに言われて、ポーチにスマホをしまう。運転手の眞壁さんに、テレビ局の前に車を停めて貰うと、正門前で堂々と仁王立ちするルルの姿が目に入った。周囲の視線などなんのその、何にも怯むことのない姿はさすがの一言だ。
小春さんに目配せをして、苦笑する彼女と並んで歩く。ルルは直ぐにわたしたちに気がついてくれたので、手を振ると、彼女は妙に格好良いサングラスを外してわたしたちに合流した。
「待ってたわ。さ、行きましょう」
「えっと、ルル、どこへ?」
「……地下に移動したみたいね」
許可証がないため、車で乗り入れることはできない。けれどルル自身は顔が利くのか、風を切って進む彼女について、徒歩で地下駐車場へ向かう、と、いうことみたいだ。
ずんずん進む彼女の後ろ。なんだろう、なんとなく、胸の奥が竦む。なんでだろう? 直感? ないとは言わないけれど――あとは、情報。
例えば、ルルが素直に言うことを聞く相手。
例えば、そのルルの相手に関わり合いのあるひと。
例えば、その、関わりのあるひとから――一向に、連絡が来ないこと。
すべてのピースが、かちかちと合わさっていく。そういえば、『紗椰』は、夕日テレビ系列の制作だったような、なんて。
「つぐみ、居たわ」
ルルが足を止めたので、わたしも立ち止まる。ルルが指差す先に佇むのは、わたしの想定となにひとつ違わず、ルルのお兄さん――“ロロ”さんの姿があった。
ロロさんは黒いベンツの横に立っていて、その後部座席から二人の人影が降りてくる。一人は辻口さんだ。義足を感じさせない動きでまっすぐに歩く……その隣。
「ツナギ……」
黒い髪をかき分けて、辻口さんにお礼を言う姿。その仕草に――妙な、既視感を覚えた。
「行くわよ」
「あ、っ、うん」
ルルに付き添ってまっすぐ歩く。最初にロロさんが気がついて、それから辻口さん。彼らがわたしたちに注目したことでやっと、ツナギもわたしを見た。
「来たわよ、ロロ」
「待ってたわ、ルル。……ほら、ツナギ、最近連絡の一つも取れなかったでしょ? 偶然近くに来ていたみたいだから、声をかけてあげたわよ」
どきどき、どくどくと、胸が早鐘を打つ。思わず両手を胸の前で合わせて、落ち着こうと思っても、うまくいかなかった。だって……だって。
「あ、えっと……ごめん、諭君、誰だっけ?」
「ツナギの親友ですよ――名はあなたと同じです、鶫さん」
「ええーっ、ロロったらもう、ど、どうしよう」
呼び方。
声のトーン。
表情の変化。
ツナギ、なら、ツナギならわたしのスペックを知っているから、この程度の小声のやりとり、全部聞かれることは想定してしかるべきだ。でも、まだ距離もあるし、囁くように喋ることで聞かせないようにしている、ということがわかる。わかってしまう。
わたしのことがわからない。ううん、それだけじゃない。辻口さんは、辻口さんは今、ツナギのことをなんて呼んだ?
「えー――」
ツナギがそう口にする。一拍。この時間は、意識を切り替えるときに使う、演技をするときに使う鶫の癖。
「――ひさしぶり、つぐみ」
ツナギの、演技をしている。
きっと誰にも気がつかれないだろう。前のツナギのすべてを演じている。
声のトーンも、仕草も、なにもかも。
でも、わたしはツナギを見間違えない。
そして――私は鶫を見間違えない。
「あなたは、だれ?」
「!」
「ツナギは、ツナギは、どこへ行っちゃったの?」
「い、いやぁ、参ったな」
演技が剥がれて、困ったように笑う表情。わたしも、意識の奥底で見たことのある表情だ。ツナギの演技が剥がれて、鶫になるってどういうこと?
なんで。誰が。どうして。ツナギは。わたしは。私は。わたしたちは。胸が痛い。じくじく、じくじくと疼くように痛む。唇は震えて、肩は竦み、崖の上に立っているかのような――ああ。
(これは、“恐怖”だ)
日常を失う恐怖。
友達を喪う恐怖。
うしなう、恐怖。
「ごめんね、つぐみ、あなたを泣かせたかったわけじゃないの――絶対、ツナギはあなたに返すから。ただ、その、いつになるかわからないけれど……ごめんね」
立ちすくむわたしに微笑みかけて、ツナギは背を向ける。とっさに手を伸ばして、何を言えば良いかもわからず、声を出すこともできず。
鶫が、わたし以外にも転生していた? そんなはずはない、なんて言い切れない。でも胸の奥、意識の底から燃え上がるような怒りと違和感が湧き上がる。わたしとは、明確に違う感情。こんなことも初めてで、それに、戸惑ってさえいた。
「つぐみ様、つぐみ様?」
「ちょっとつぐみ、大丈夫? その、ごめんなさい」
ルルが謝るなんて珍しい。そんな、素っ頓狂な感想を浮かべてしまうほど、わたしは私の感情に困惑していた。
でも、だんだんと、わかってくる。もしも誰かがツナギをあんな風に歪めたのだとしたら、それは。
「こはるさん」
「はい、いかがなさいましたか?」
「りんどうだいふぞくに、アポイントメントってとれますか? むりそうなら、こーくんに聞いてみます」
竜胆大付属。本当は、ツナギと一緒に行くはずだった場所。
早急に、やらなければならないことができた。少しでも多く、一歩でも前に。いつか? いつか、ツナギに身体を返す? そんな悠長なことを言っている間に、ツナギはどうなるの?
だいたい、本当に彼女が鶫なのだとしたら、あんな状態のツナギの友達が現れて、あんな態度が取れるものか。
(誰だか知らないけれど、わたしの友達と、わたしの鶫を馬鹿にするのもいい加減にして)
ほの暗く決意を固めるわたしから、小春さんとルルが一歩引く。もう、相手がどんな大物でも小物でも関係ない。
思い知らせてやるから、首を洗って待ってなさい――!




