intermission
――intermission――
夜。四条邸を一望できる高台の上、一台の車がその広大な敷地を見下ろしている。古いモデルの、黒塗りのベンツ。運転席には表情の乏しい男性が乗っていて、車の外側にはカラフルな衣装に身を包んだ大柄の男性――ロロが立っていた。
ロロはブルートゥースのイヤホンマイクを耳に差し、スマートフォンで何者かと会話をしていた。
「見たわよ」
『そうですか』
「……ねぇ、あれ、本当にアタシたちの知っているツナギなワケ?」
『そうですね――少なくとも、彼以外の何者でもないでしょう』
電話の相手――辻口諭は、相変わらず無機質で平坦な声色だった。今も普段と変わらない仕事ぶりをこなすことで、四条玲貴からの信頼を勝ち得ている。
諭は、意図的にそうしているのか、最初に“あのツナギ”を見てから連絡をしてきたときに比べて冷静さが増していた。
ロロはその、諭の精神力に内心で舌を巻く。また、同時に、諭が冷静で居てくれなかったら、四条玲貴を力の限り殴っていたかも知れない、とも。
「ねぇ、諭。本当に大丈夫なの?」
『断言はいたしかねます』
「それって」
『ですが』
強く、止められる言葉。
『認めてやるつもりもありません』
冷徹に、けれど情熱的な言葉。それを耳にしたロロは楽しそうに笑うと、冗談めかして声を上げる。
「ここのところ、ホント頼もしいわねアナタ。ね、おねえさんと一度、火遊びしてみない?」
『間に合ってます』
「……もう、乙女心がわからないわね」
諭の返答に、けれどロロは気分を害した様子は見せない。くつくつと笑う彼の表情はむしろ、獲物を狩る肉食獣のように鋭かった。諭に対しての気持ちではない。ただ、状況が変わろうとしていることを感じ取ったのだろう。
獰猛に笑う彼は、四条邸を睨み付ける。現段階で、四条玲貴が何故このような悪辣な手段に手を染めたのかはわかっていない。だが、動機などどうでも良いのだ。ロロは、己の執着を我が子に課す玲貴の自慰行為に付き合う気など、毛頭ないのだから。
「……いつ、行動に移すの?」
『まだ、ですね。親権が彼にある以上、明確な証拠がなければ動けません』
「それはまだってことね」
『間に合わなければ――そのときは、頼みましたよ、ロロ』
諭の言葉に込められた“覚悟”。その意味がわからないロロではない。だからこそロロはあえて、おちゃらけたように口を開く。
「ええ。アタシと二郎の胸を貸してあげる」
『あとで謝っておくように』
「二郎は心が広いから、気にしないわよ、やぁねぇ」
切り札なんか、切らなくて済むのならそれに越したことはない。本当は、ツナギがゆっくりと立ち直って、そのあとでも良いのだ。それでも、状況は許してくれない。
ロロは目を閉じて、男の子として着飾ったツナギの姿を思い出す。自分が男か女かもわからないなどと言っていたが、そんなものは嘘だ。その道において何年も足掻いてきたロロだからこそ、わかる。
(つぐみちゃんのコトを話すときのあなたは――オトコのコにしか見えなかったわよ、ツナギ)
通話を終え、イヤホンをポケットにしまったロロは、後部座席に乗り込んでスマートフォンの画面を眺める。もう、四条玲貴の画策するそのときまで、さほど時間はない。だからこそ。
「もしもし、アタシよ」
『――』
「やぁねぇ! 元気元気、もう最高……って、そうじゃなくて」
『――』
どこかに通話をかけたロロは軽快にそう返事をし、直ぐに声を低くして気を取り直す。この通話相手と話すときにだけしか見られない、彼の素だった。
ロロはわざとらしい咳払いのあと、なんでもなかったかのように話を戻す。
「あのね、アナタの専属についてなのだけれど、一つ、頼まれてくれないかしら」
『――』
「いいえ、そうじゃないわ。そうじゃないのだけれど」
『――』
ロロの声に込められた、深く沈むような感情。それに、相手は思うところがあったのか、調子を変えたようだ。
「ありがとう。……頼みって言うのはね、あの子を三日後、テレビ局に連れてきて欲しいの」
『――』
「ええ。あの子のためにもなるわ。きっと、知らせない方が怒られるかも知れない」
『――』
「ふふ、ありがとう。じゃ、頼んだわよ――ルル」
通話相手――己の妹、ルルとの会話を終えたロロは、スマートフォンをしまって車窓から空を眺める。
「こんなに空は晴れて、月はキレイなのに……ままならないわね、二郎」
「さて。私は運搬をするだけですから」
「んふふふ。ストイックなオトコのヒトって素敵よ。魅力的なヒトばっかりで困っちゃうわ」
「光栄です」
軽さの一切ない返事に、ロロは無言で目を細め、運転席を見る。けれど返ってくるのは沈黙ばかり。諭といい二郎といい、反応が少なすぎることがロロの密かな悩みだった。
「まぁいいわ――いざとなったらよろしくね」
「心得ました」
もうすぐ、すべての役者が出そろい舞台の幕が上がる。そのとき、最後に立っているのは誰なのか。ロロはただ祈ることしかできない自分に苛立った。
――/――
月明かりに照らされた部屋。蝋燭の明かりを頼りに、男装の麗人――エマは、器用に万年筆を滑らせる。機嫌良く奏でる鼻歌は、PopにJazz、Rockと節操がない。年代もバラバラで、嫌味なほど上手い。
エマは原稿用紙に書き綴っては丸めて捨て、捨てた紙を広げては読み直し、捨て、破り、燃やし、新しく書いてくつくつと笑い声を零す。
「んんー、良い出来になってきた」
躊躇わず呟かれる独り言。話し相手は気分で水をやっている、造花のサボテンだけだ。水の入っていない水槽には、蓋の上からヒモでぶら下がる金魚の玩具。天井でぎちぎちと動く、意味のない歯車。コーヒーには砂糖が一つ半、神経質に定規で測って分けられた角砂糖の片割れを、エマは、ひっつかんで口に入れる。
「やっぱりやめた」
そうして、満足げに眺めていたはずの原稿用紙を放り捨てて、直接、一枚板のテーブルに筆を当て始めた。
「ん、ん、ん、いいね、こうでないと。ははは、これでボツだったら机を捨てるところだったよ」
飲みかけのコーヒーを造花のサボテンにかけると、エマは席を立って机に書かれた台本をカメラに収める。
「思惑、執着、怨嗟、愛情、狂気、混濁、憎悪、絶望、希望、幸福。全部、全部、全部、込めるだけ込めて演じきれば、きっとデウス・エクス・マキナだって役目を放り投げることだろう」
唄う。
謳う。
歌う。
謡う。
己に酔うように。
才能に陶酔するように。
演技に、酩酊しているかのように。
「私は心底、画にしか興味がないんだ。最高の舞台を作り上げるためなら、なんだって利用してみせる。だから」
時価にすれば五桁はくだらない万年筆を、一枚の名刺に突き立てる。零れ出た青いインクが、血のように名刺を濡らした。
「一人だけ高みの見物なんてさせないよ。君も、私の、ボクの舞台で踊るんだ――四条玲貴」
――もしも、四条玲貴に誤算があったとするのなら、それは彼女の熱意を図り違えていたことだろう。
金銭にも、友愛にも、地位にも名誉にも彼女は一切の興味を示さない。元大女優にして天才女性監督、閏宇が見出した鬼才。
「ああ、楽しみだ、楽しみだよ。どうかまたボクを楽しませておくれ――」
今までの彼女には“ピース”が足りなかった。だがもう、そんな些細なことを気にする必要はない。期待もしていなかった場所で、思いがけない役者を見つけることができたのだ。自重もリミットもかなぐり捨てて、常識を踏みにじって焼き尽くして、撮影し尽くすことができる。それはエマに秘められた激情を引き出すのに十分な“ピース”だったのだ。
「――つぐみ」
今、映画の怪物は、恍惚とした表情で産声を上げる。
すべての運命の集約地点に、イレギュラーが割り込んだ。




