239.だんだん広がる、野ボールの輪
俺の答えにホールド兄さんは脱力したかのようになった。彼の目線が俺ではなく、紅茶に注がれている。
「誰が来るんだ?」
「ステラとマルシス、ナナ……それにディア」
ディアにとっては初めて村の外に出ることになる。
しかし、大丈夫だろう。村の外を知ってもいい頃合いだ。
「どのみちステラがいない間は、俺はこの村に居た方がいい。ホールド兄さんも領地を丸ごと空けることはしないだろう?」
「まぁな……。もちろん信頼できる人間は残しておくが……」
それでもホールド兄さんは納得しかねているようだった。気持ちはわかる。
だけど、これは俺の意地だ。
父からは領地を出るな……と言われている。
別に出たところで、お咎めはないのかもしれない。
スルーされて何も起こらないかもしれない。
だけどここまで来たら、破りたくはなかった。
それだけの話だ。
「ふぅ……どうやらそれなりの考えはあるようだな。エルトも一人前の領主だ。これ以上は口を挟まない」
「ありがとう、ホールド兄さん」
そう言うと、ホールド兄さんはびっくりしたように顔を上げた。
「礼を言うのはこちらの方だ。遅くなったが……クラリッサの件、本当に助かった」
ホールド兄さんが頭を下げる。
それも深々と。
今度は俺がびっくりする番だった。
ホールド兄さんはまだ頭を上げない。
恐らく貴族としては、ここまで頭を下げることはめったにないだろう。
それほどの下げっぷりだ。
「いや、あれは俺がというより……」
「だが根本的にはエルトのおかげだ。そのおかげで英雄ステラが蘇り、燕が討伐できた。そうでなかったら……」
そこでホールド兄さんは言葉を切る。
「クラリッサを失っていたかもしれない。彼女は、俺達にとっても大切な人だ」
その言葉に俺も救われた気がした。
俺はつとめて優しく、ホールド兄さんに言った。
「顔を上げてよ、兄さん」
「…………ああ」
ややあってホールド兄さんが顔を上げる。
そこにはいつもの、ちょっと自信ありそうなホールド兄さんの顔があった。
いかにも酷薄で貴族らしい顔付きと言える。
少なくとも、この村にいる冒険者や薬師、商人とは全く違う。
でも今なら、なんとなくわかる。
それは仮面のようなものだ。
子どもの頃から付けて、容易に取れなくなった仮面なのだ。
その仮面の下のホールド兄さんは……学生時代の好きな女性に愛を貫き、芸術に身を捧げ、娘の親友に心を砕ける人なのだ。
「それじゃ、出展物の話をしよう。そのために来たんでしょ?」
俺がそう言うと、ちょび髭を触りながらホールド兄さんが頷く。
「ああ、おおよその出展物はわかったが……あの服については少し聞かせてもらいたい」
やはりそうか。
まぁ、この世界ではまだユニフォームという概念がないからな。
ちゃんと知らないと説明にも困るのだろうし。
俺は考えてあった説明をし始めた。
といっても、野ボールの説明になるんだが……。
◇
明晰な頭脳を持つホールド兄さんは、一回でユニフォームの必然性を理解したようだ。
説明を聞きながらしきりに頷いていた。
「ああ、なるほど……その『野ボール』なるスポーツに必要なわけだな。ゴルフは個人戦だからな、そういう発想には至らなかったか」
「そういうわけだ。……ホールド兄さんはゴルフをやっているの?」
「ん? 近頃はやってないな。王都の近くでないと良いコースもないし、どうにも忙しくてな」
ふむふむ。
ちょいちょい色んなスポーツがあるとは聞いていたが。
俺の知る範囲だと、アーチェリーやゴルフは貴族にも人気のスポーツらしい。
テニスや野球、バスケ、サッカーみたいな競技はまだ存在しないみたいだが。
まぁ、ボールがあれば蹴ったりする人はいるだろうが……。
ホールド兄さんがちょび髭を触りながら、
「ゴルフはコースを作るのが手間過ぎてな。国によっては土地も少ない。大陸北部は山と雪が多いし、南部は砂漠だらけ。庶民が気軽に出来るスポーツではないしな……」
この世界はひとつの巨大な大陸からなる。
北は寒冷、南は灼熱、中部はその中間……そして人口の大半が中部だ。
「それに比べると、その野ボールという競技は手軽に出来そうだな。本当に必要なのは……バットやボールくらいなんだろう?」
「よく知ってるね」
「ウチに戻ってきたクラリッサが、しょっちゅうやってるぞ」
「…………」
なるほど。
俺はそっと目をそらした。
それについては、ステラの熱心な――とても熱心な布教のおかげでもある。
「どうやらクラリッサの国では、周辺国に対しても『野ボール』を広めようとしているらしいが……」
「な、なるほど……」
凄いハマり方だな。
「エルフは金属をあまり好まん。それに森をゴルフ場にする気もない……。しかし木製バットで、森を切り開かなくてもできる野ボールは需要に合致しているようだな。見事な洞察だ」
うんうんとホールド兄さんが嬉しそうにしている。
ごめん。
そこまで考えてない。
ステラの故郷だから、もしかしたらちょっとノッてくれるかな?
くらいのつもりだった。
意外な広がり方である。
「今回の芸術祭で、この領地の名声もまた高まるだろう。いや、立派なもんだ……」
そしてホールド兄さんがじっと俺を見つめた。
「……あのユニフォームとドールハウス、もし商売にするなら先に売ってくれないか?」
「ん? それは全然構わないが……。むしろユニフォームは試作品なら何枚もあるし、今日持って帰る?」
「ああ、それはありがたい……。オードリーとクラリッサへのお土産にちょうどいい」
そこでホールド兄さんが目を閉じて、ちょび髭を触る。どことなくバツが悪そうに。
「あと成人男性用のバットはどこに売ってるんだ?」
「…………」
ホールド兄さん……。
あんたもハマったのか。
お読みいただき、ありがとうございます。







