10 水も滴るいい女装男子
猛スピードで駆け抜けていくバイク。
別にぶつかられかけたとか、そこまでの大惨事ではない。
だが俺たちの横を無遠慮に走っていったバイクは、先ほどの雨で出来た水溜まりの水を、盛大にバシャン! と跳ねさせていった。
俺は雨宮さんのか細い手首を引いて、俺の体で水が被らないようにガードする。
おかげで俺は、大袈裟ではなく背中側が全面的にびしょ濡れだ。
あのバイク野郎め。
「は、ははははは晴間くん! 大丈夫!?」
俺の腕の中にいる雨宮さんは、真っ青な顔で俺を見上げてくる。よかった、雨宮さんには水滴ひとつかかっていないようだ。
こうしていると、やはり生物学上、雨宮さんは女の子で俺は男だ。
『可愛い』が売りの女装男子としては小柄な体型はありがたいが、そんな俺よりも雨宮さんは小さく、服越しに触れる肌はどこも柔らかいし、なんかいい匂いもする。
あれだ、柔軟剤の匂いだ。
ドラッグストアとかで一番安く買えるやつ。
だけどそれがなんとも雨宮さんらしくて、素朴な香りが可愛いくて癒される。
至近距離でかち合う瞳も、やはり綺麗でって、あれ……?
「あ、雨宮さん、眼鏡! 眼鏡がない! どこだ!?」
俺が引っ張った衝撃で眼鏡が飛ばされたのか。
しかも今の俺はもしかしなくとも、雨宮さんを抱き締めている状況か!?
冷静になってようやくことの重大さを理解する。
「ご、ごめん! 雨宮さん!」
俺はバッと、雨宮さんから距離を取る。
それでも手の中に雨宮さんを抱き締めた感触が残っていて、気まずいことこの上ない。
不慮な事故とはいえ、セクハラで嫌われたくないんだよ!
しかも眼鏡は俺の足元に落ちていた。
若干だがツルが歪んでいる。これなら眼鏡屋で簡単に直してもらえそうだが、すぐに掛けることは無理だろう。
うああ、余計なことしなきゃよかった。
でも俺が動かなきゃ雨宮さんが濡れていたし……!
「悪い、俺のせいで眼鏡が……」
「そ、そんなの後回しだよ!」
「雨宮さん?」
俺は眼鏡を拾って、項垂れながら雨宮さんに差し出したが、雨宮さんは眼鏡なんて目もくれない。まあ、顔隠しのためだと聞いているので、裸眼でも視力に問題はないからだろうが。
離れたはずの距離を勢いよく詰めて、雨宮さんは俺のTシャツの裾をムンズッと掴んで迫ってきた。
「服!」
「服?」
「服を早く着替えないと、晴間くんが風邪ひいちゃう!」
「あー、いや、別にこれくらい……」
確かに背中の方は水が滴るほどで、肌に布がぴっとり張り付いて気持ち悪いっちゃ悪いけどさ。
雨宮さんを家まで送って、さっさと走って帰って風呂にでも入れば問題ないだろう。幸い、正面側は無事だし。
だが雨宮さんは頑なで「ダメだよ、ダメ!」と首をブンブン横に振る。
「私の家、もう角を曲がったらすぐ近くだから! 私の家で着替えよう? 上の弟の服、晴間くんならサイズ的に着れると思うから!」
「え。いやいや、そんな悪いし……」
「あ、わ、私の服でもいいよ!」
「そこじゃない!」
テンパっていつになく押しの強い雨宮さんに、素でツッコミを入れてしまった。
hikariになって雨宮さんの服を着るだけでもなんとなくアウトなのに、ただの俺が雨宮さんの服を着るとかレッドカードで即退場だろう。
変態になってしまう。勘弁してくれ。
「お願い、晴間くん……ちゃんと着替えてください。私のせいで、晴間くんが風邪ひくなんて嫌だよ……」
「う」
雨宮さんに真摯に見つめられながら『お願い』なんて言われたら、断れる俺はもはや俺じゃない。
ただでさえ、分厚い眼鏡も、伊達眼鏡すらもない、顔を隠すものがなにもない雨宮さんの上目遣いは、hikariの必殺技に匹敵する威力なのだ。
いや、もうhikari以上だ!
『必ず殺す』と書いて必殺技! オーバーキル!
「…………じゃ、じゃあ、お言葉に甘えて、お邪魔させて頂こうかな」
「うん!」
ただ雨宮さんを家に送っていく予定だったのに……どうしてこうなった?
俺は雨宮さん宅を一目見て帰るどころか、雨宮さん宅に上がることになってしまったのだった。





