雫のアイスボックス・ミントクッキー2
本日は二話更新しています。
まだ読んでない方は前話からお願いします
引き続き、雫視点です
聖女になるのがいやだった。
だって、私が聖女だから、もう元の世界に帰れない。
父にも母にも会えないし、ずっとこの世界で暮らすしかないって思ったから。
だから、スキルが使えなくて良かった。
使おうとも思わなかった。
「また……この部屋」
体が動かせなくなって運ばれたのは、やっぱり私が前に使っていた部屋だった。
広くてきれいで、豪華な家具が置かれた部屋。
私はその部屋のベッドで横になっていた。
時間はどれぐらい経っただろう。
……きっともう深夜か。もしかしたら朝も近いかもしれない。
「……体が、動かせる」
全部の力を使ったと思ったけれど、少し休めば、すぐに回復した。
これが魔力∞の効果なのかな……。
もう眠れる気はしないので、ベッドから起き上がり、ふぅと溜息を吐いた。
体に触れるのは質の良いさらさらのシーツ。
ベッドは豪奢な天蓋がついていて、意匠の凝った細工が施されていた。
「……全部、いらないのに」
聖女様って持て囃されたいわけじゃない。
贅沢な暮らしを送りたいわけじゃない。
最初はただ、元の世界に帰りたいだけだった。
でも、今欲しいのは。
今、会いたいのは――
「……椎奈さん」
大丈夫だよって手を握って欲しい。
一緒に食べようって声をかけて欲しい。
『雫ちゃん』
って、名前を呼んで。
笑いかけて欲しい。
「でも……そんなの……」
無理に決まってる。
「……私のせい、なんだから」
ベッドから下り、窓際へと歩く。
窓は大きなテラス窓で、バルコニーへと続いていた。
そこから外へ視線を向ければ、空は真っ暗で、星も見えない。
なにかが横切ったような気もしたけど、その暗闇が自分の心みたいで、見ていられなくて、顔を伏せた。
――私のせいで椎奈さんはこの世界に来てしまった。
そんな私が椎奈さんと一緒にいたい、なんて。
巻き込んだ私が言っていいことじゃない。
「椎奈さんなら……きっと……」
私のこんな気持ちにびっくりして、そんなことないよってすぐに答えてくれると思う。
……椎奈さんは優しいから。
私のせいだなんて、絶対に言わない。
でも、その優しさに甘えていいって思えないから……。
優しい椎奈さんが好き。
笑顔がかわいい椎奈さんが好き。
だからこそ――
「私は……もう、椎奈さんに会っちゃいけないから……」
ぼそりと呟けば、なぜかガタリと窓が鳴った。
「え、会っちゃダメだった?」
――そこにいたのは。
「うそ……」
一番、聞きたかった声。
その声に顔を上げれば、そこにいるのは一番、会いたかった人で――
「雫ちゃんのおかげで結界ができたから、とにかくそばにいかなきゃ、と思ったんだけど……」
窓越しに聞こえる声はくぐもっている。
だから、余計に本当とは思えない。
……これは全部夢で。
私の願望が見せた幻なんじゃないかって……。
そう思うけれど、急いで窓を開ける。
観音開きの窓を開ければ、風が一気に部屋に入ってきて、カーテンがはためいた。
「雫ちゃん、やったね」
窓を開けるために避けてくれていたその人が部屋に入ってくる。
そして、ぎゅうっと私の手を握った。
「世界、救っちゃったね」
……夢なんかじゃないって、その手のあたたかさでわかる。
それに、その人の姿を見れば、絶対に夢じゃないってわかる。
「……っ、しい、なさん……っ」
だって、その人の顔は真っ青で……。
今にも崩れ落ちそうな膝で、それでも必死に立っていて……。
優しい笑顔はいつも通りだけど、きっとそれだって必死で作っていて……。
「椎奈さんっ……」
どれだけ無理をしたかわかるから。
今も私のために、無理をしているんだってわかるから。
――目が勝手に熱くなって。
困らせるつもりなんてないのに、あふれるものが止められなくて――
「わ、どうしたの雫ちゃん、ごめん、びっくりした? ちょっとボロボロすぎたかな」
椎奈さんが慌てて、私の頬を拭う。
その手も疲れからか、ちょっと震えていた。
「……っ、椎奈さん、どうやって、来たんですか?」
「ギャブッシュでね、びゅーんって」
「で、もっ……ドラゴンは苦手だって……二度と乗らないって」
絶対にドラゴンには乗らないって言ってたのに……。
それでも、来てくれた。
きっと、結界ができてからすぐに飛び乗ってきてくれたんだと思う。
それを思えば、あふれたものを止めることなんてできなくて――
「うん。でも、雫ちゃんを一人にしないって決めたから。結界を張るなんてすごいことしたんだから、一緒にいないと」
ね? と椎奈さんが笑う。
そして、少しだけ眉を寄せた。
「あと、ちょっと心配もしてて。……スラスターさんが余計なこと言ってない?」
「眼鏡の人、ですか?」
「うん。雫ちゃんが考えすぎていないといいなって」
椎奈さんは、全然大丈夫だから、と頷いた。
「ハストさんはすっごく強いから安心できるし、レリィ君に頼めば、スラスターさん経由でなんでも叶う。ゼズグラッドさんとギャブッシュに頼めば、どこにでも連れて行ってくれるし。……アッシュさんは歌がうまいらしいし」
「歌が……うまい?」
「うん。鳴き真似もうまい」
アッシュさんがだれかは知らない。
でも、椎奈さんが真剣な顔で言うから……。
あんなに苦しかった心が軽くなっていって――
「雫ちゃんがこんな風に泣かなきゃいけないなら、私が雫ちゃんをさらっていくから」
心配することなんて、なにひとつないんだよって。
雫ちゃん、泣かないでって。
――何度も頬を拭う手が伝えてくれる。
「雫ちゃんは台所へ行けるからさ、こうやって忍び込んで、雫ちゃんには台所にいてもらう。それで、私だけここに帰ってくれば、だれも雫ちゃんがどこにいるかわからない。そうしたら、私だけ何食わぬ顔でここから離れれば――完全犯罪」
ちょっと悪い顔で笑う椎奈さんもとってもかわいい。
そんな椎奈さんに、やっぱり言わなきゃいけないって思う。
言うのは怖いけれど……。
「……椎奈さん、私が結界を張りました。きっと、この世界に呼ばれたのは私で……。椎奈さんを巻き込んだのは私で……」
だから、ごめんなさい、と謝らないといけない。
何回謝っても足りない。
許すとか許さないとかじゃない。
ただ、椎奈さんにたくさんたくさん、謝りたかった。
でも――
「うん。本当に雫ちゃん一人だけじゃなくてよかった」
椎奈さんは巻き込まれてよかったって、笑った。
「私、あんまり役に立てないけど、雫ちゃんがこうやって一人で泣いてるって考えたら、ちょっと胸が痛い。だから、雫ちゃんと一緒にこの世界に来れてよかった」
その笑顔に嘘はなくて――
「あと、台所はまだまだ進化中だからさ、雫ちゃんにいっぱい自慢したい。あとごはんもいっぱい食べてもらいたい。食べてもらっただけポイントがたまるしね。雫ちゃんが食べると、なんと一万ポイント」
その笑顔に釣られて、私も泣いてるのに、勝手に笑みがこぼれてきちゃう。
もう、いろいろなこと、考えなくていいかなって思えてきちゃう。
「……そうですよね。私が食べたら一万ポイントなんですよね」
「うん。今のところ、雫ちゃんのポイントが一番高いんだ」
「……じゃあ、一緒にいないと、ですね」
「うん! 一緒にいて欲しい」
……椎奈さんはすごい。
私の悩みとか不安とか苦しさとか。
全部、全部。
すぐに溶かしちゃうから。
「雫ちゃんの笑顔が見れて安心した……」
椎奈さんはそう言って、その場にへたり込んでしまった。
「……っ椎奈さん」
「ごめん……ちょっとだけ休んでいい?」
たぶん、椎奈さんの体力も気力も本当に限界で……。
急いで椎奈さんに手を貸して、一緒にベッドに行く。
二人でベッドに潜りこめば、椎奈さんは、そっと私を抱きしめてくれた。
「私は最初から雫ちゃんはすごい子だって思ったよ……かわいかったし……」
涙腺がおかしくなってしまったのか、涙の止まらない私をあやすように、トントンと背中を叩いてくれる。
「黒い髪はつやつやで……黒い目はうるうるしてて……」
でも、そのトントンもだんだん遅くなって……。
言葉もなくなって、そのあとは椎奈さんのスースーという寝息だけが聞こえた。
椎奈さんが寝たのを確認して、ぎゅっと抱きつく。
「……あったかいな」
――私の大好きな人。
「あなたがいたから……私は……」
――そう。全部全部、椎奈さんがいたから。
『聖魔法』のスキルがあるのは私だった。
結界を張ったのも私。
この国の人から見れば、聖女は私なんだろう。
でも――
「……椎奈さんが聖女、です」
――世界を救ったのは、あなただから。






