雫のアイスボックス・ミントクッキー
雫視点です
椎奈さんと別れる前に、最後にクッキーを作った。
台所にあったのは新しいオーブンレンジ。
『雫ちゃんと一緒にクッキーを作りたくて、交換しちゃった』
どう? って目を輝かせる椎奈さんはとってもかわいかった。
王宮に向かう馬車の中で、椎奈さんと一緒に作ったクッキーが入ったガラス瓶を見る。
まんまるのクッキーの中央はミントグリーン色の雫の形。
これはミントリキュールの入ったクッキーなのだ。
私は知らなかったけれど、クッキーにはいろんな作り方があって、これはアイスボックスクッキーというものだった。
ミントリキュールの入った雫の形の棒の周りに、バタークッキーの生地をつけて、丸い棒状のものを作る。
それを凍らせて、包丁でスライスしていけば、断面に雫の形が出来上がっていて――
『これ金太郎飴みたいだよね』
『楽しい、です』
二人で笑いながら作ったのが、ついさっきのように思い出せる。
私がスライスしたんだけど、下手だから厚さはバラバラだし、せっかくの雫の形がちょっと潰れちゃったりもした。
でも、できあがったクッキーは宝物みたい。
『雫ちゃんの好きな色で雫ちゃんの形だよ』
って、優しく笑う椎奈さんがいたから。
クッキーを見る度に、その笑顔を思い出せるから――
「着いたようですね」
胸がずっとざわついている。
それを必死で抑えていると、眼鏡の人が呟いた。
そして、その言葉を合図に馬車が動きを止める。
三日間、休みなく走り続けた馬車がようやく王宮に着いたのだ。
時刻は、もう夜。
久しぶりの王宮に懐かしさなんてないけれど、王宮はいつもとは違っていた。
「慌ただしいですね。……なにがあった?」
「結界が壊れたと報告が! 結界の魔具も作動していません!」
眼鏡の人に聞かれて、答えた兵士の声は悲鳴のようで……。
その言葉に特務隊の人たちがざわついたのもわかった。
「結界の魔具が作動しておらず、原因を究明しているうちに、一報が竜騎士のゼズグラッド様から入りました。結界がない、と。消えた、と。魔獣と戦闘したことがある警備兵数名を連れて、北の森へ戻りました」
「レリィは?」
「レリィグラン様ですか? なにも聞いていませんが……」
「ちっ」
眼鏡の人が大きく舌打ちをする。
けれど、すぐに表情を戻した。
「対応を決める。関係者を集めろ」
「はっ」
眼鏡の人はそう言うと、足早に去っていく。
最後に私をチラリと見たが、なにも言うことはなかった。
「聖女様」
特務隊の人の心配そうな声が届く。
私はそれに小さな声で答えた。
「……結界を張ります。魔具の部屋へ」
「はい」
結界の魔具が置いてある部屋へ急ぐ。
ちゃんと歩いているつもりだけど、なんだか自分がおかしい。
結界が壊れた、と聞いてから、視界がぐにゃりと歪んで見える。
どうやって進んでいるのか、自分でもわからない。
ただ、右手に持った、クッキーの入りのガラス瓶の存在だけが強く感じられた。
……そうして、気づけばそこは魔具の置いてある部屋。
床にはなにかの紋様が描かれ、中央に大きな真っ赤な石。
その石を支える台は金属でできていて、たくさんの細工が施されていた。
地下にあるこの部屋はしんと静まり返っていて……。
特務隊の人も中には入ってこなかった。
「……こんな世界、知らない」
天井や壁、どこもかしこもなにかが書き込まれている。
……こんな文字、こんな模様。
全部、私に関係ない。
「……こんな国、どうでもいい」
この気持ちは最初から変わっていなかった。
やっぱり、今もどうなってもいいし、この国を守りたいなんて全然思えない。
でも……。
「あなたを守りたい」
――私が聖女なら。
――私が本当に神に愛されているのなら。
「力を下さい。あの人を守る力を」
ガラス瓶を開け、中からクッキーを取り出す。
パクッと口に入れれば、最初にバターの香りがして……。
甘くって、ごくんと飲みこめば、口の中にはミントの爽やかさだけが残った。
「……おいしいな」
サクサクの食感も。
ちょっとだけ歪んだ雫の形も。
『絶対に助ける』
椎奈さんはそう言ってくれた。
それが、どれだけ私を救ってくれただろう。
「だから、私も……」
……あなたが大好きだから。
「――絶対に助けます」
大きな真っ赤な石。
その前に両膝をつき、胸の前で両手を組んだ。そして、目を閉じる。
方法なんて知らないけれど、こうするんだって、心が言うから。
「神様……神様……神様……」
大好きなあの笑顔が消えない力をください。
「――『聖魔法』」
私が唱えた瞬間、魔具から光があふれた。
「……っ」
苦しい。
体からなにかが抜けていく感覚がする。
でも、負けない。
私には一滴も残らなくていいから。
込められる力を全部―――
「……わた、し……」
体を支えきれなくなって、その場にどさっと倒れる。
頬に触れた床は冷たい。
目を開ければ、さっきまであった光は消え、その代わりに部屋に描かれた紋様や文字が輝いているように見えた。
「うまく……できた?」
体がうまく動かせない。
なんとか確認しようと身じろぎすると、バタンと部屋の扉が開いた。
そして、何人かの足音や声が聞こえて――
気づけば、体をだれかに起こされていた。
「おめでとうございます。結界が再構築されました」
ああ、この声は眼鏡の人だ。
口調は丁寧なのに、どこか人を馬鹿にした感じがするあの声。
「やはり――あなたが聖女だ」
ふふっと笑う声と同時に、体を持ち上げられる。
きっとこのまま部屋に運ばれるんだろう。
この世界に来てからずっと使っていた部屋。
広くて、きれいで豪華な、聖女様の部屋。
「椎奈、さん……」
動かせない体で、暗い世界で、でもその言葉だけを頼りに。
――やっぱり私が聖女だった。
――この世界に呼ばれたのは私だった。
「ごめ……なさい……」
あなたを巻き込んだのは私で。
あのとき、私にぶつからなければ、こんな世界に来ることなんてなくて……。
「ごめんなさい……」
どうしようもない事実が。
「……ごめん、なさい」
本人もいないのに、口から出てくる言葉が止まらなくて……。
――聖女でよかった。
あなたを守ることができたから。
――聖女じゃなかったらよかった。
……あなたと。
一緒にいたかったから。






