黒豚のロースカツ
――とんかつ。
――それは豚肉をおいしく食べる魔法。
みんなに作業を指示し、ちょっと見回ったあと、私と雫ちゃんとで台所へと移動した。
そして、液晶パネルに移動し、必要なものをポイント交換!
「雫ちゃんには、私と一緒に食材を持ち出して欲しいんだ」
「昨日の温泉卵を作ったときみたいにですか?」
「うん、今日も昨日と同じように卵。あと、キャベツを持っていきたくて」
そう。とんかつにはキャベツの千切り!
にんまり笑いながら答えると、雫ちゃんもふわっと笑った。
「キャベツ大事ですよね」
「うん。キャベツ大事」
それに北の騎士団のある土地では葉物があまり育たないということで、なかなか生の葉野菜を食べる機会がない。
せっかくだから、たっぷり食べたいしね。
液晶を操作して、キャベツを4玉。あとは卵をポイント交換した。
いつも通り、白い光が輝き、調理台の上に現れるキャベツと卵。ありがたいことにカゴ入りで……。
「いつもありがとう……」
すりすり。台所すりすり。
台所8撫でぐらいして、雫ちゃんと調理台の上の物を分け合って持つ。
雫ちゃんには卵を持ってもらって、私はキャベツを。
キャベツも4玉あるとなかなか重い。しっかりと巻き、詰まっているからだ。
その重さにキャベツの良品質を感じ、またにんまりと笑ってしまう。
「じゃあ、戻るね。――『できあがり』」
雫ちゃんと手を繋ぎ、調理場へと戻る。
すると、肉を切り終わっていたらしいハストさんがすぐに来てくれた。
「シーナ様、そちらは私が」
そう言って、重たいキャベツを私から受け取り、木の机へと運んでくれる。
「雫ちゃん、卵は大丈夫?」
「はい。これは私が椎奈さんに頼まれたものなので、私が運びます」
「うん。それじゃあお願いします」
「はい!」
手持無沙汰になってしまった私は雫ちゃんの卵を受け取ろうかと思ったけれど、雫ちゃんは大丈夫、と頷いた。
その口ぶりから雫ちゃんの真面目な人柄が感じられて、思わず目を細めてしまう。
だから、任せた! と笑うと、雫ちゃんはうれしそうに笑った。
そうして、空いていた木の机にキャベツと卵を置いたところで、次の作業!
「ハストさん、もう一つ、物を運ぶお願いをしていいですか?」
「はい、もちろん」
雫ちゃんと私では運ぶのが無理そうなものがある。
ハストさんにそれを示せば、すぐに頷いてくれた。
運ぶようにお願いしたのは、パングラタンを作ったときにも見た大きなミルク缶。
ふふんラッシュが運んでくれるやつだが、今日入っているのは牛乳ではない。
そのミルク缶を、レリィ君やゼズグラッドさんが作業をしている机のそばまで移動してもらった。
「少し傾けてもらってもいいですか?」
「わかりました」
私はおたまを手にし、ハストさんにミルク缶を傾けてもらう。
そして、注ぎ口におたまを入れ、出てきたものは――
「これ、ヨーグルトですか?」
「そう!」
不思議そうに作業を見ていた雫ちゃんが、あ! と声を上げる。
レリィ君とゼズグラッドさんが筋切りをし、大きな金属のバッドに並べてくれていたものにとろっと注いだ。
「ヨーグルトってここにもあるんですね」
「うん。この辺りは酪農が盛んならしくて、乳製品は困らないんだ。ヨーグルトも作ってるみたい」
牛乳やチーズと一緒にヨーグルトもあったのだ。
たっぷりと使えるので、今回はヨーグルトを下処理に使っていく。
すると、筋切りの作業をしていたゼズグラッドさんが眉をひそめた。
「あ? なんで豚肉にかけてんだよ」
「ヨーグルトがお肉を柔らかくするんです」
ヨーグルトは当たり前だが乳酸菌たっぷりの酸性。
なんかその辺りのいろいろで、お肉がジューシーになる。
必殺・ヨーグルト漬け。
「……お前がなにを作りたいのか全然わかんねぇな」
「でも、シーナさんの作るものなんだから絶対おいしいってわかる!」
おたまからスプーンに持ち替え、肉の表面にヨーグルトを伸ばしていく私にゼズグラッドさんが、ぼそっと呟く。
まあ、たしかにヨーグルト味の肉って考えると、想像がつきにくいかもしれない。
でも、レリィ君は全然問題ない、と明るく笑ってくれた。
「しばらくしたらこのヨーグルトは取るので、ヨーグルト味になるってわけではないんです。……お楽しみに」
きっと、ゼズグラッドさんにもレリィ君にも想像できないおいしいものができるはず。
私がにんまりと笑うと、ハストさんが水色の目をきらきらと輝かせた。
「それは楽しみです」
その目を見ると、私の胸はいつだってふわっとあたたかくなって――
「変な顔になってんぞ」
勝手に笑顔が漏れてしまいそうで、口をいーっと横に伸ばしていると、それをゼズグラッドさんに指摘された。
自覚があるので、それに反論はせず、こほんっと一つ咳ばらいを。
そして、レリィ君に視線を向ける。
「じゃあ、レリィ君は引き続き筋切りをしてもらっていいかな?」
「うん!」
引き続き作業をお願いすれば、レリィ君は任せて! と明るく頷いてくれる。
レリィ君とゼズグラッドさんが筋切りをした豚肉は30枚ぐらい。
あと少しだから、残りはレリィ君だけで大丈夫だろう。
なので、ゼズグラッドさんには違う作業をお願いする。
「ゼズグラッドさんにはハストさんと変わってもらって、ヨーグルトの缶を支えてもらっていいですか?」
「……おう」
「雫ちゃんはこのヨーグルトをかける感じで」
「はいっ」
ちょうど今、ハストさんがやっている作業をゼズグラッドさん、私の作業を雫ちゃんへと託す。
とくに難しい作業ではないし、ゼズグラッドさんと雫ちゃんが楽しく会話をする光景は想像できないが、ゼズグラッドさんは雫ちゃんを妹のように思っている(自称)ということなので、険悪になることはないだろう。
雫ちゃんは私以外ではレリィ君と一番打ち解けているようだから、近くにレリィ君がいてくれれば安心だし。
「それじゃあここはお願いします。雫ちゃん、また困ったことがあったら呼んでね」
「聖女様、僕はここにいるから、ゼズさんが怖かったり、嫌なことしたらすぐに言ってね!」
「……嫌なことはしねぇ」
それぞれが雫ちゃんに声をかけると、雫ちゃんは、はい、と頷いた。
そして、さっそく作業を開始する。
レリィ君が豚肉を金属のバットに並べ、雫ちゃんのほうへ渡す。
一枚のバットには5枚のお肉が入っており、ゼズさんが重いミルク缶を傾けて、ヨーグルトを出しやすくして、雫ちゃんがおたまですくって、豚肉へかけた。
「うん。大丈夫そう」
「はい、椎奈さんが見せてくれたので、その通りにできそうです」
「ばっちりだね!」
雫ちゃんがふんわり笑って、レリィ君が明るく声を上げる。
……ゼズグラッドさんと雫ちゃんは一切話していないが、まあそれでいいんだろうな。まーくんは恥ずかしがりやだからね。うん。わかってるよ、まーくん。
「……その目。わかってるからな」
そんな私をまーくん……ゼズグラッドさんがギンッと睨む。
私はそれにうんうんと優しく頷いて返してあげた。
そして、ハストさんへと声をかける。
「ハストさんには違う作業をお願いしたいです」
「はい」
「何度も移動させて申し訳ないんですが、さっきのキャベツのところで……。それじゃあ、ここはよろしくお願いします」
三人に別れを告げ、もう一度キャベツの元へ。
そこでの作業は――
「キャベツの千切りを作りたくて」
「なるほど。このキャベツは新鮮で生で食べられそうですね」
「はい。今回の料理には欠かせないものなんです」
4玉のキャベツの千切りはちょっとめんどくさいだろう。
ハストさんの包丁力を見込んでの作業分担だけど、作業量も多い。
なので、申し訳ないな、と思っていると、ハストさんは、わかりましたとすぐに頷いてくれた。
「葉物野菜を生で食べる機会は少ないので、団員も喜ぶと思います。これぐらいの量ならすぐに終わるかと」
そう言って、さっそくキャベツに包丁を入れて――
「……千切りってこんなスピードでできていくんですね」
早い。早すぎる。動画投稿したらバズるぐらいの千切りスピード。
私がスライサーを使ってももっとかかるだろうっていう量を、手切りで簡単に作っていく……。なんだろ、このキャベツ一玉がシュンッて感じで千切りになる感じ……。
ハストさん、やっぱりスキル持ってるよね。ミートスライサー(電動)と野菜スライサー(調理器具)ね。間違いない。
「ハストさんに任せたら、なんでもできるからびっくりします」
「今はシーナ様の前なので、はりきっているのもあるか、と」
「え」
すごく無表情だけど。
神のごとき千切りスピードを眉一つ動かさずやってるけど。
はりきってたの?
「素敵な女性の前では、いいところを見せたい」
「……っう゛う゛……っ!?」
ちょっと待って! 変な声、変な声出た……!!
突然の言葉に胸がおかしな挙動になって、気づけば声が出てたけど……!
そんな私を見て、水色の目は優しく細まって――
「シーナ様に頼られると、うれしい」
はい来た。はい来た。久しぶりの氷漬け。
なんかもう、ぜんぜん動けなくなったよ。
――低くて落ち着いた声がまっすぐで。
――水色の目がちょっと熱くて。
もうどうしようもないよね。無理無理。
「……私、ちょっと……あっちに……行ってきます……」
凍った体をギギギギと動かして、必死にハストさんから離れる。
どこに行くかは決まってないけど……。
あ、そうだ。一班のみんなのところへ行こう。パン粉ちゃんと作れたか見に行こう……。
「はい。では作業を続けます」
ハストさんは私を見て、柔らかく笑って。
私の胸はもうずっとおかしくて――
「……こわい。後半の記憶がない。こわい」
――気づいたら、とんかつができていた。
……なんだろうね。どういうことか、自分でもちょっとよくわからない。
ヨーグルトに漬けたあと、それを拭きとり、しっかり塩で下味。さらにパン粉にはドライハーブを混ぜて風味を上げた。そして、小麦粉、卵、パン粉の衣をつけて、低温のラードできつね色に揚げれば、お肉はジューシー、衣はパリッとした完璧なとんかつのできあがりだ。
とんかつの横にはたっぷりのみずみずしい千切りキャベツ。細く、大きさの揃えられたそれは口に入ればシャキシャキでキャベツの甘みも感じられるだろう。
ソースはケチャップとウスターソースといりごまを混ぜたものを台所で作った。
……作ったはずなのだ。たぶん。
目の前においしそうなそれがあるということは、絶対に私が作業をお願いして、自分自身でも作業をしたはず。
――しかし、自分がやったという確証が持てない。
こわい。
「すっげーうまそう!」
「あの豚がこれか!!」
「やばい。匂いがもうやばい!」
『早く食いてぇ!!!』
食堂に集まった騎士団のみんなが、完璧なとんかつを見て、早く! 早く! とそのときを待っている。
ごはんの説明を、とパングラタンのときのように壇上に上がった私はそこでようやく我に返った。つまり今までは我を忘れていた。
「作ったものは、とんかつです」
ソースをつけるのか、そのまま食べるのかとか、キャベツとの相性とか。
伝えられることはたくさんある。
でも、私も我を忘れたいたので、上手に説明できる気がしないし、みんなの耳にも入らないだろう。
なので……!
「説明はなしで!」
――黒豚のロースカツ。
「めしあがれ!」






