いつやるの
鳥じゃない。
だってあんなに大きな動物は空を飛べない。
飛行機じゃない。
だってこの世界には空を飛ぶ機械なんてない。
だから、レリィ君の呟いた『魔獣』という言葉をすんなりと受け入れられた。
そうか。あれが魔獣か……。
……でかいな。
遠くに見えていた影はどんどん大きくなって、一直線に王宮に向かっているようだ。
「シーナさん。移動します」
半ば身を乗り出すようにして空を見ていたレリィ君は体を馬車へと戻し、真剣な目で私を見た。
「鳥型の魔獣です。今、見えた数は二十。後方にもう少し続いているかもしれない」
「……結界が無くなっちゃたの?」
北の森には魔獣がいる。それは聞いていた。
でも、今はまだ結界があるはずで。魔獣は結界の外へは出られないはずで……。
「結界の維持、管理をする魔具は王宮にあります。結界が消えたのなら、もっと早くわかったはずです」
「うん」
「あくまで僕の予想ですが、結界に弱い部分があった。そして、その部分は地上ではなく上空で、今見えている魔獣の群れが偶然、外に出てしまったのではないか、と」
なるほど。
じゃあ結界が無くなって魔獣が大氾濫! ってことにはなってないのかな……。
「僕の希望も入っているかもしれません。……結界が残っていて欲しい、という」
レリィ君は少しだけ眉尻を下げ、ぎゅっと唇を噛んだ。
そんなレリィ君に私は頷くことしかできなくて……。
結界を張れるのは聖女様だけ。
けれど、いまだ、聖女様である女子高生はスキルを使えていない。
そんな中で結界が無くなってしまえば、待っているのは人間と魔獣の直接対決だ。
……あんな大きなものと。
ハストさんはコツを掴めば一撃で屠れると言っていたが、普通の人には絶対に無理だ。
「魔獣はまっすぐこちらに向かっているようです。だから、報告が来るよりも先に、魔獣が王都に入ってしまった。きっとその目的は……」
レリィ君が窓の外へ視線を向ける。
そこにあるのは、この世界に来てからずっと住んでいた場所。
「王宮です」
そしてまた、レリィ君の若葉色の目が私へと戻った。
「魔獣は本能で王宮にある魔具、あるいは聖女様を狙っている。だから、このまま王都にいるよりも、ここを離れるべきです」
しっかりとしたレリィ君の状況判断。まだ何もわからない中で、魔獣の数や進路を見ただけでそれを導き出せるのはすごいと思う。
ハストさんがレリィ君に任せると言ったのはその力を信頼しているからだろう。
レリィ君は私にそれだけ告げると、馬車から立ち上がり、御者のいる方角の窓を開けようとする。
きっと、御者に行き先を指示するのだろう。
だけど、私はそんなレリィ君に近づくと、窓を開けようとしていた手をぎゅっと掴んだ。
「――待って」
レリィ君はきっと間違っていない。
今はまだ魔獣は王宮に着いていないが、それも時間の問題だ。何も遮るもののない空を渡ってきた魔獣はあっという間にたどり着く。
その時に本当に王宮だけが目的かはわからないのだ。
馬車は王宮から離れているとはいえ、空を飛ぶ魔獣がその気になればすぐに追い付かれる。
だから一刻も早く離れたほうがいい。
……わかってる。
でも……。
「王宮の人は?」
そう。王宮にはたくさんの人が勤めている。
今日だって戦いとは無縁そうな女性や男性、文官のような人もたくさんいた。
そんな私の言葉にレリィ君は安心させるように頷く。
「大丈夫。魔獣よりヴォルさんのほうが早かった。今日は兄さんも王宮に居たし、ヴォルさんの勘が当たることはわかってるから、今頃は避難が始まっているはず」
つまり、王宮は突然襲われるわけではない。
魔獣が王宮にたどり着くのは時間の問題だし、急なことだけど、少しは備えができる。
ハストさんやスラストさんがいればなんとかなるのかもしれない。
でも、まだ不安はあって……。
「今日、ハストさんはまだ私の料理を食べてない」
そう。今日は市場でたくさん買い物をして、その後でごはんを作ろうと思っていた。
だから、朝食は王宮で出してもらっているものにしたのだ。
今のハストさんは私のごはんの恩恵を受けていない。スキルが強くなったり、身体が強くなったりはしていない状態なわけで……。
「大丈夫。ヴォルさんは今までもたくさんの魔獣と戦ってきた。絶対に負けない」
「……うん」
レリィ君の強い目。
絶大な信頼がそこにあって、私もそれに励まされるように頷いた。
王宮の人たちはきっと避難できる。
ハストさんも絶対に負けない。
あとは……。
「……警備兵の人たちは?」
K Biheiブラザーズ。
今朝も一緒に訓練をした。
少しずつ打ち解けて、今では軽口を言い合ったりもできる。
彼らは?
ゆっくりと声を出す。
すると、レリィ君は今までと違い、少しだけ眉尻を下げた。
その表情におなかの辺りが急にスッと冷たくなる。
……レリィ君は大丈夫だって言わなかった。
「私――王宮に行きたい」
だから、その言葉は自然と出た。
レリィ君の手を握り、若葉色の目をまっすぐに見返す。
すると、その若葉色の目は迷うかのようにゆらゆらと揺れた。
「それは……っダメです。危険すぎる」
「……レリィ君は私の力知ってるよね」
私の力。
食べると強くなる。
食べると元気になる。
「知ってます……でもっ」
「前線に立つのは……一番被害を受けるのは警備兵なんだよね?」
私の質問にレリィ君は一度目を閉じ、小さく頷いた。
「……近衛騎士は身分の高い者を守り、避難の手伝いをしている。特務隊は聖女様と魔具を。だから、何者かから襲撃を受けたとき。駆けつけるのは警備兵です」
「うん」
「ハストさんだけですべての魔獣の相手ができれば問題ない。でもきっとそういうわけには……」
「……うん」
そうだよね。王宮を守るのが警備兵の仕事だ。
こんな時のために彼らはいる。
なにかあれば駆けつけ、襲撃者と対峙し、可能ならば倒し、無理でも、みなが避難するためにできるだけ時間を稼ぐ。
こんな時には一番危険な仕事だ。
「――力を使いたい」
レリィ君の手を握る指にぎゅっと力を入れる。
「私の身の安全のことなら気にしなくていい。ひとこと唱えるだけで別空間にいけるんだよ? しかもそこには水もあるし、食料もある。きっとこの王都で一番安全なのが私だから」
そう。危ないと思えば台所に避難すればいい。
誰よりも安全な場所に私はいる。
「レリィ君」
じっと若葉色の目を見る。
するとレリィ君は泣きそうな顔で笑った。
「本当は止めたい。シーナさんを守りたいんだ。……でも。――僕はそんな優しさに救われたから」
ぎゅうっとレリィ君が抱きつく。
その勢いで、ぼすっと馬車の椅子へと体を戻された。
「……僕には止められない」
レリィ君が私に抱きついたまま顔を上げる。
その目はもう揺れていなかった。
「危なくなったら、必ずスキルを使って。しっかりと時間をとって安全を確保して」
「うん。任せといて」
最後まで私を心配するレリィ君に右親指を上げて答える。
そんな私にレリィ君は仕方なさそうに笑ってから、御者に声をかけた。
――行き先は王宮。
きっと馬車よりも魔獣のほうが早い。
だから、行けるところまで馬車で行って、残りの道は走った。
魔獣の空からの攻撃に王宮の石壁が崩れ、石がごろごろと落ちてくる。
それを避けながら王宮の建物に入れば、いつもの活気はなく代わりにホールには怪我人が集まっているようだった。
「シーナさん、僕はヴォルさんの元へ行きます。……シーナさんが僕を救ってくれた。きっとこのスキルが役に立つはずだから」
「うん。私は大丈夫。レリィ君も気を付けて」
「……はい!」
レリィ君が駆けていく。
そして、私もホールの中にいた見知った顔である警備兵の一人に声をかけた。
「大丈夫ですか?」
「イサライさん? どうして……」
「怪我人はここにいるだけ?」
「はい。ハストさんのおかげで避難はうまく行ってたんですけど、誘導してる最中に石壁が崩れてきて……。とにかく室内に入ったところです」
周りを見渡せば、そこには警備兵が十人ほど。
そして、奥には見覚えのある金茶の髪。
高級そうな茶色の絨毯の上に寝かせられている。なぜか彼の周りの絨毯だけ他より濃い色になっていた。
弾かれるようにそちらへ向かえば、自分も怪我をしているだろうに、二人の警備兵が代わる代わる声を掛け続けていた。
「……これは」
「っイサライさん! 今、医者を呼んでいます!」
悲鳴のような声。
それをどこか遠くに聞きながら、じっと目の前の彼を見つめる。
いつだってうるさいくらいに響く高笑いは聞こえなくて、耳に入るのは不規則な弱い息だけ。
左肩から右の腰にかけて、強く布が巻き付けられていた。
その布は白かったようだけど、びっくりするほど赤く染まっていた。……ここだけ絨毯の色が濃い理由。それは……。
「侍女が逃げ遅れて……っ。それを庇って、魔獣の鉤爪に……」
もう一人が必死に声をかけながらも、私に現状を説明してくれる。
それを聞きながら、そっとその枕元に膝をついた。
……そっか。
いつも後ろから指示を飛ばすだけで。
サボってるだけだと思ってたよ。
「……仕事してるね」
いつも自慢していた金茶の髪。
サラサラの手触りのそれをよしよしと撫でた。
「今から私、消えますけど気にしないで下さい。すぐに戻ります」
本当は……。
もっと色々考えたほうがいいのかもしれない。
やっぱりスキルのことは隠したほうがいいのかもしれない。
こんなにたくさんの目がある場所でスキルを使うなんて、もってのほかだ。
……でも。
今はただ、目の前のことを。
――助けたい。
――助けよう。
私のスキルはすごいから。
「『台所召喚』!」






