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1異世界の霊能者1

「あなたはこの中に入っていなさい!」


「母さん! 母さんはどうするの!」


「……私が入るには少し狭すぎるから」


 その日はひどく曇っていて、黒くて重たい雲が手を伸ばせば届きそうなほどに空を覆っていた。

 ただ気分は良かった。


 仕事が忙しく、あまり帰ってこない父親が家にいたからだ。

 たとえ曇天でも、父が家にいるだけで気分は晴れ渡っていた。

 

 親からは、大きな愛を受け取っていた。

 俺も両親のことが好きだった。

 

 いや、今でも好きで、これからもその気持ちは変わらない。

 母が俺のことを褒め、父がそれに喜んでさらに褒めてくれる。

 

 頭を撫でてもらい、俺はくすぐったそうに笑顔を浮かべる。

 なんてことはない。

 

 日常の一コマである。

 だが、そんな穏やかな日常は一瞬で炎に包まれたのだ。

 

 両親の寝室の床下にあった隠しスペースに俺は押し込められた。

 そんな場所があるのだと初めて知ったことよりも、最後に見た母の悲しげな顔がまぶたに焼きついたように忘れられない。

 

 母が隠しスペースのドアを閉じて、暗闇の中にただ聞き耳を立てるしかなかった無力さも忘れられない。

 その日から俺の目標は変わった。

 

 これまでは平和に穏やかに平凡な人生を暮らしていくことが俺の目標だった。


「なぜこんなことをするの!」


「お前らは悪魔に手を貸した! もはや言い逃れはできないぞ!」


 ドタドタと多くの人がなだれ込んでくる音が聞こえる。


「私たちが? そんなことするはずないじゃない!」


「息子はどこだ!」


「話を聞くつもりもないのね……」


「まあどこに隠れていてもいい。どうせこの家は浄化されるのだからな」


「そうはさせないわよ!」


「抵抗するか!」


「気をつけろ! そいつは魔力を使うぞ!」


 剣のぶつかる大きな音、悲鳴、人が倒れる音が途切れることなく響いてくる。

 耳を塞いでいても何かが燃えるバチバチとした音が聞こえて、ドアが熱くて、俺は奥に丸くなるようにしてただ耐えていた。


 全てが終わり、ただ静寂のみの中で雨の音が聞こえ始めた。

 体を使ってドアを押し上げて外に出ると、家は燃えてなくなっていた。


 黒く焼け焦げた死体が二つ。

 誰なのかも判別が難しかったけれど、わずかな装飾品が焼死体は両親だと俺に悲しい確信を与えた。


「どうして……こんな……」


 ただ平和に暮らすことが目標だったのに、俺は忘れられぬ心の傷を負った。

 犯人への燃えたぎるような黒い感情は、平凡な人生では消えることがない。

 

 黒い感情の名前は復讐。

 これが俺の人生の目標となった。


「悪魔……」


 会話の中で何度も聞こえていた言葉がこびりついている。

 その言葉が俺の口から漏れた。


 復讐の相手は、悪魔だ。


 ーーーーー


「エリシオ、起きろよ。もう朝だよ」


「もうちょっと寝てたいんだけどな」


 体をゆすられて俺は目を覚ました。

 硬いベッドと薄い肌掛けでは快適な睡眠は難しい。


 せめて寝る時間ぐらい長く欲しいものだが、見習い聖職者にのんびりしているような時間はない。

 寝ぼけ眼で俺は起き上がる。


「ほら、水だよ」


 同部屋の見習い聖職者のクーデンドが薄汚れたコップに水を入れて差し出す。

 俺はコップを受け取って、水に映り込む自分の姿を眺める。


 夜空を写したような艶やかな黒髪の青年が、水面に揺れている。

 顔立ちは悪くないが、寝癖が少し跳ねている。


 やや気だるげな目をしていて、その奥に潜む復讐心は俺自身にしか分からないだろう。


「ぬるいよな……」


 水を一口飲むと、室温と同じぬるい水が乾いた喉を潤してくれる。

 欲を言うなら冷たい水がいい。


 氷でも入ったキンキンのやつ。


「なら汲んでくるか……氷属性の魔法でも使えるようになったらいい」


「そうするか……」


 クーデンドは呆れたように答える。

 俺も分かっている。


 冷たい水を飲みたいというのも簡単なことではないと。

 冷蔵庫もないのだから、せいぜい汲みたてのちょっと冷たい水ぐらいが現実なのだった。


 夢は見ていられない。

 今日も、今日を生きていかねばならない。


 俺は着替えて、クーデンドの後を追って部屋を出る。

 クーデンドはメガネにやや暗い金髪、あまり目立たない容姿をした真面目な見習い聖職者だ。

 

 おおらかな性格をしていて、下級の司祭として二人一部屋の状況でも気をつかわずに過ごせるいいルームメイトなので俺は割とクーデンドのことを好ましく思っている。

 ここは教会。

 

 向かったのは聖堂。

 掃除当番なので、面倒でも参拝者が来る前に掃除をする。


 掃除が終わればお祈りの時間だ。

 そして祈りの時間を終えると、教会の扉が開かれる。


 一般の参拝者が来て、思い思いに神に祈りを捧げる。


「大司教様!」


 参拝に訪れた男が背の高い神官服の男性に声をかける。


「どうなさいましたか?」


「この間は妻の治療をありがとうございました! おかげで今は外を出歩けるようにもなりました!」


「それはよかった。お大事になさってください」


「ありがとうございます!」

 

 俺は知っている。

 大司教の後ろには四体の生霊がついていることを。


「大司教様!」


「またいつでも教会に来てください」


 大司教は笑顔で手を振りかえす。

 一般の人々の生活を見て周り、民と交わり神のお言葉を糧になるように伝えることもまた聖職者の立派な仕事だ。

 

 教会の中で高位役職である大司教もまた、時に教会を出て一般の人々と交流を持つ。

 聖堂に出てきて、不意に誰かに声をかけたりすることもある。

 

 柔らかな笑顔、穏やかな人柄、手を振ればみんなも笑顔で手を振りかえすような様を見ていれば、大司教のことを王様のようだとすら感じる時がある。

 ただしそんな大司教の後ろには生霊がいるのだ。

 

 一体だけではなく、四体もだ。

 恋愛感情、嫉妬、怒り、悲しみとドロドロとした負のエネルギーが渦巻いていて、近寄りたくない雰囲気がある。

 

 けれども一般の人は生霊の存在なんてみえず、大司教に見た目通りの高潔さしか感じない。

 人型の生霊はややモヤついて見えている。


 集中すればもっとちゃんと見えるのだろうが、教会内の複雑な人間関係に首を突っ込みたくなくてあまりよく見たことはない。

 見ない、というのも一つの処世術なのだ。


「何してるの? 授業始まるよ?」


 大司教を見つめる俺を見て、クーデンドが不思議そうにしている。

 当然ながらクーデンドには、生霊なんて見えていない。


「今行くよ」


 朝のお勤めを終えた俺とクーデンドは場所を移動する。

 広い部屋には机が並べられている。


 少し早めにお勤めが終わったのでまだ空席は多い。

 俺とクーデンドはたまたま空いていた後ろの隅の席に着いた。


 平穏で平凡な日常。

 欲しかったものではあるが、重たい黒い復讐の炎は胸にくすぶったままだった。


 ため息でもつきながら窓の外を眺めていると、頭のてっぺんが禿げ上がった中年の聖職者が入ってきた。


「そろそろ君たちも見習いという枕詞が取れるころだ。聖職者になれば本格的に活動を始めることになる。どの道に進むのか……よく考えておくことだ」


 一般的な算術や世界の常識など色々なことを授業では教えてもらえた。

 暇な算術なんかはともかく、色々な知識はありがたい。


 なぜなら、俺は異世界からの転生者だったからだ。

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