095 方針の見直し
「目標は達成できましたか? フィエル。」
馬具を外し、水と餌を与えながら尋ねる。厩舎には担当の下人がいるが、馬を労ってやるのは必要なことだ。
「ああ、五百四十四はやってきたはずだ。そちらはどうだ?」
「私は、数え間違えていなければ五百六十です。」
フィエルも馬を下りると馬房に入れ、桶に水と餌を用意する。
今日の成果は私の方が十六多いが、それは大した問題ではない。明日以降もこの数を維持できるかの方がはるかに大きな問題だ。
「そちらの馬もかなり疲労しているようですね。」
「ああ。私も疲れたが、馬は、明日も動けるのか不安だな。」
「一日に回る畑の数を減らせないならば、人数を増やすしかないと思います。あと数人ずつ騎士を追加できないか、掛け合ってみましょう。」
私の騎士が提案してくるが、恐らくそれだと許可してくれない。
最善は、兄や姉も畑を回ることだ。そろそろ書類仕事が終わるはずだし、雷光の魔法を教える頃合のはずだ。
「上級貴族の子どもたちにも手伝わせるのはどうだろう? 騎士の子ならば、訓練にもなるといえば参加しやすいのではないか?」
「大人たちが雷光の魔法を習得してからならば、許可が下りやすいでしょうね。」
どうしても、身分による順番というのが足枷になる。種まきの時期は私たちの都合でずらすことはできない。なんとしてでも早急に魔物退治と魔力を撒きを終えてしまわなければならないのだ。
「包み隠さず、父上や兄上たちに相談しよう。私たちでは結論が出せぬ。」
私としてはできるだけ多くの人を巻き込みたいが、父や兄としては逆だろう。どこならば譲れるのかなど、聞いてみなければ分からない。
部屋に戻ると、急いで湯浴みを済ませて食堂に向かう。
私が入室したときには、家族全員が揃っていた。
「遅くなりました。」
「進みはどうだ?」
「芳しくありません。実は、馬の体力が持たないのです。こんなことになるとは考えてもみませんでした。」
父に進捗を聞かれ、私は椅子に座りながら答える。父の方から話を切り出してくれるなら、勿体ぶらずに正直に打ち明けてしまうべきだろう。
父や母たちにも想定外の回答だったらしく、一様に呆れたような目で見られてしまうが、私の考えが足りなかったのだから仕方がない。
「だから、この街の周辺の畑すべてというのが無理な話なのだ。どれくらいならできる? 半分か?」
「減らしたくはありません。人数を増やすことをお許しいただけないでしょうか。」
父は諦めろというが、私は諦めたくない。一番大変なのは種播きまでの期間だ。それを乗り越えれば、なんとかなると思う。
「ティアリッテは楽観的過ぎるのではないか?」
「そうかもしれません。ですが、諦めてしまうのはいつでもできることです。」
長兄にも窘められるが、今諦めてしまったら、後から取り戻すことはできない。倉の状況を考えても、見栄や体裁ばかりを言っているわけにはいかないはずだ。
「騎士をもう八人ほど……」
「残念ながらそれは無理だ。明後日から遠征に出る。連れていく騎士の数を減らすことはできぬ。明日は遠征準備のための時間だ、畑に連れて行かれると困る。」
魔物退治を後回しにするわけにもいかない。それはそれで、急ぎ行う必要がある。どうにかならないかと考えていたら閃いた。
「ラインザックお兄様、遠征には私かフィエルのどちらかを連れていっていただくことはできますか? 代わりに、騎士を十四名、畑に回してください。」
私はとても現実的な案だと思うのだが、兄は大きく嘆息して頭を降る。
「ティアリッテ、其方は自分が騎士十四人に相当するとでもいうつもりか?」
「攻撃力だけならば。」
私がきっぱりと断言すると、ラインザックは狼狽えたように視線を泳がせる。雷光の魔法の威力は今更比べるまでもないことだし、魔力を感知できる距離も伸びてきている。
畑に残る方は大変だが、魔力を撒くのを騎士に任せて魔物を退治することに集中すれば今日と同程度の数はこなせると思う。
「私もそれは一つの手段ではあると思います。兄上に雷光の魔法をお教えする時間は必要かと思いますが、遠征と同時にできるなら、効率も良いのではないかと思います。」
フィエルもそう言うが、ラインザックは悩んだ末に首を横に振った。
「考える時間が足りなさすぎるし、其方らにどの程度の働きができるかも把握できていない。今回は無理だ。」
畑の作業を急ぎたいが、魔物退治も可能な限り急ぎたいのだ。隊列や作戦を今から組み直していたのでは遅くなってしまう。
そのような兄の説明に私も頷かざるをえない。
「文官で手が空きそうな方は……、いませんよね。」
母に聞くまでもない。文官たちも大忙しで走り回っているのは私も知っている。
「上級貴族の子どもたちを使ってはいけませんか? 十人ほど学生にいたはずです。」
「子どもに仕事をさせるのか⁉︎」
「年齢を問題にするなら私たちより年上なら良いのでしょうか?」
フィエルの質問に父は困ったように顎に手を当てて唸る。未成年に仕事を命じるというのはほとんど例がなく、扱いが難しいのだという。
「まず、一人ずつになさい。一度に何人も連れて行っては統率も取れないでしょう。ただし、私たちから命じることはしません。自分で声をおかけなさい。」
母はやれるだけやってみよと言う。だがそれは逆にいえば、説得して人を集めることもできなければ諦めろと言うことでもある。
「ありがとうございます、お母様。」
私は母に頭を下げて、次にフィエルに向かう。彼が誰に声を掛けるのかは確認しておかねばならない。
「私はワイトェピア、エルシノア、ミックジョティに声をかけてみようと思います。フィエルは誰になさいます?」
「そうだな。バッツァグーンかドレアミヴァが候補だな。」
私もフィエルも四年生から名前を挙げる。そして、私は女の子から、フィエルは男の子から選んでいる。ずっと同性ばかりというわけにはいかないが、人数が少ないうちは同性だけの方がやりやすい。
食事を終えると、ワイトェピアとその親に宛てて手紙を書き、文官に預けてからベッドに入る。今の私には寝て体力や魔力を回復させることも大切なのだ。
翌日は、朝から畑へと向かう。農民の子どもたちは集まってくるだろうし、行かないというわけにはいかない。馬は兄たちに借りることにした。色々とお小言は言われたが、昼までという期限つきで貸してくれた。
「今日は森の手前まで行きます。危険なので、みなさんは私たちよりも森の方に近づかないでくださいね。」
森近くの畑に魔力を撒けば、森から魔物が山ほど出てくることは容易に想像がつく。今日はそれを徹底的に狩り尽くすつもりである。
フィエルとは二区画あけて、全四区画に魔力を撒く。
子どもたちは一区画私たちよりも街側の区画で固まって待機だ。何かあったときのために私とフィエルの騎士を一人ずつつけてある。
畑に魔力を撒き、森の方にもいくつかの魔力の塊を投げ込んでやると、木々が騒めきだし、獣の声がいくつも重なって聞こえてくる。
街のすぐ近くでは強い魔物はいないはずだが、相当な数がいそうだ。茂みに水の槍を撃ち込んでやると、何匹かが驚いて飛び出してくる。
暗い灰色の獣はギィギィ鳴きながら姿を見せるが、こちらにやってくることはなく、キョロキョロと周囲を見回したかと思うと、再び藪の中に潜り込んでいった。
「随分と慎重な獣ですね……」
「臆病な種類の獣も多いですからね。襲いかかってこないなら危険性も低いですし、放っておいても良いのではありませんか?」
騎士はそう言うが、魔物ならば退治してしまいたい。人に害がなくても作物を荒らすかもしれないし、魔物はいるだけで作物の成長を阻む。ただ、あれはただの獣で魔物ではない可能性もある。これだけ周囲に大量の魔物の気配があると、どれがそうなのか区別がつかない。
「もう少し魔力を撒いてみましょう。」
魔物があまり分散しても困るので、フィエルとの間の区画へと魔力の玉をほうってやる。フィエルの方も同じようなことを考えているのだろうか、赤い光が小さく見えた。
森の魔物は相変わらず姿を見せないが、地中に潜んでいた魔虫は魔力に群がって涌いて出てきている。ウネウネ、ウジャウジャと気色悪いし、先に片付けてしまう。
私が畑に向けて雷光の魔法を放つと、それを合図にしたかのように、一斉に魔物たちが森から飛び出してきた。
「こいつら、まさか魔法を撃ったあとの隙を狙っていたのか⁉︎」
騎士は声を上げるが、別に焦る必要はない。二回目の雷光の魔法は十分に間に合う。
魔物たちに馬ほどの大きさでもあれば、私も慌てただろう。全速力で突進してきていれば、雷光に撃たれて死んだとしてもその勢いが消えるわけではない。勢いよく転がってくる魔物の死体に押し潰されてしまうこともあるだろう。
だが、いくら鋭い牙や爪を持っていても、私の膝程度までの大きさしかない小型の魔獣ならば問題はない。すぐ隣に立つ騎士が槍で突いて止めてしまえばいいだけだ。
一度動き出した魔物たちは、先頭の集団が倒れたところで止まりはしなかった。私たちを襲おうとしているのか、目の前にある魔物の死体に食らいつこうとしているのかは分からないが、続々と茂みを揺らしながら出てくる。
私はとにかくその魔物の集団に向かって雷光を放ち続けるだけだ。フィエルの方も始まっているようで、視界の端の方で雷光と思しき光が見えた。




