083 白くて強いもふもふ
岩の魔物が雪の魔獣を喰らっているうちに、私たちは距離を稼ぎ、体力と魔力の回復に努める。
だが、それでもできるのは時間稼ぎだけだ。数百歩ほどの距離まで引き離していても、全く安心などできない。
雪と氷に覆われた川原を歩いていれば、再び背後から地響きとしか言いようがない足音が聞こえてくる。
「魔力はどれくらい残っていますか?」
「爆炎一発撃てれば良い方です。」
「私も似たようなものだ。」
「僕はまだ少し余裕がある。」
魔力飽和攻撃に参加していないザクスネロは、まだまだ普通に元気だ。だが、彼が魔力を投げても、それであの魔物を倒せるとは思えない。
正直言って、王宮の騎士団が応援に来ても、あれには勝てないのではないかとすら思える。それくらい、魔法が全く効いているようには見えないのだ。爆炎魔法や水の槍が効かない相手に槍や剣で切りかかっても、効果なんて期待できるはずもない。
「距離を取りながら、攻撃を! ほんの少しでも足止めになれば何でも構いません!」
騎士たちは立て続けに爆炎や水の槍を放ち、轟音が響き渡るが魔物の歩みは止まる様子がない。地響きを立てながら、確実にこちらに向かってきている。
そして、私たちと魔物の距離は段々縮まっていく。雪を踏み潰し、岩を蹴散らして進む魔物の方が明らかに早いのだ。
「ジノ、ティア、フィエル。意識を失う寸前まで魔力を絞り出してください。」
「僕は⁉」
「ザックは挨拶程度の……、いえ、もう一度雷光を。急いでお願いします。」
言われて、ザクスネロは再び見境の無い強さの雷光を放つ。
強烈な閃光が消え、私が再び目を開けると、岩の魔物の向こう側に白い影が走るのが見えたような気がした。
「これで最後です!」
ハネシテゼが魔力の塊を投げ、私たちもそれに続く。
そして、横手から幾つもの巨大な魔力の塊が岩の魔物を直撃した。
ギャリギャリと酷く耳障りな音に私は思わず身を竦ませるが、岩の魔物は体の向きを右に大きく変える。その先にいたのは白狐だ。
輝くような尾を振り、幾つもの魔力の玉を生み出して、岩の魔物にさらに叩きつける。
その白狐に向かって魔物は足を踏み出すが、前触れもなく四歩目でその動きが止まる。
それとともに耳障りな音も消えた。
「やっと、終わりましたか。」
魔物の巨体がぐらりと傾き、地響きを立ててその場に倒れ込む。と、そこへ白狐が大きく跳び上がり、思い切り後ろ足で蹴りつける。
「何を?」
「魔力が⁉」
ジョノミディスやザクスネロはそれを見るのが初めてだ。白狐は今の一発で、魔物に蓄積された魔力をぜんぶ森の方に撒き散らしたのだ。
「話は後で良いですか? わたしは休みたいです。」
珍しくハネシテゼがぐったりとしている。とはいえ、わたしも休憩にしたい。だが、ここは休憩場所としては不適切だろう。
「先ほどの村の方に戻りましょう。今、別の魔物に襲われたら、対応できません。」
頭がふらふらするが、我慢するしかない。何とか馬にしがみつき、沢を下っていく。ふと、横を見ると、白狐も私たちの横をついてくる。挨拶もしていないのにどうしたことだろう?
「もしかして、昨年、挨拶した白狐でしょうか。」
ハネシテゼに言われて気付いたが、その程度も思いつかないほど頭が動いていない。うつらうつらとして馬から落ちそうになったところを、白狐に支えられて座り直す。
森を抜け、沢から少し離れたところで休憩にする。とてもではないが、これ以上馬に乗って移動するなど無理だ。いつ落馬してしまうかもわからない。
フィエルやジョノミディスもかなり辛そうだ。なんとか桶に水を注ぎ馬に与えることができたがそれまでだった。
一刻も早く休みたい。腰を下ろして、一度眠りたい。
どこか良い場所がないかときょろきょろとしていると、白狐が私たちのすぐそばで寝そべる。
「この白狐も休みたいのでしょうか?」
「相当な量の魔力を放っていましたからね。疲れていないと言うことも無いと思いますよ。」
言いながらハネシテゼは白狐の前足にもたれながら、その毛皮に埋まる。私もハネシテゼのすぐ横で同じようにもたれかかると、ふわふわもこもこの毛はとても長くて柔らかくて暖かくとても気持ちが良い。
白狐の方も嫌がる様子もなく、そのまま寝ているし、甘えさせてもらうことにした。
もぞもぞと動く白狐に揺り起こされ、私は眠い目を擦る。
空を見上げると、太陽は随分と西へと移動していて、結構な時間が経っていることが分かる。周囲を見回してみると、二箇所に焚火が起こされていて、騎士たちも見張りの数名を残して火を囲んで休憩している。
「変わりはありませんか?」
「ええ、静かなものです。小動物はいくつか見かけましたがそれくらいですね。」
近くの騎士に声を掛けてみるが、特に何も起きていないと答えが返ってくる。周囲が荒れた形跡も見当たらないし、本当に何ごともなかったのだろう。
「今日はここで野営なのでしょうか?」
本来は今頃はまだ魔物退治をしているはずだった。予定の変更に関して尋ねてくる。
「今回の魔物退治で、この一帯以外に行くところはなかったはずですから、このまま野営で良いのではないでしょうか。それとも、退治した魔物の数が少なすぎるから、寝ている暇はないということでしょうか?」
「そのようなつもりで尋ねたわけではございません。」
騎士たちの当初の想定では、八十ほどの雪の魔獣の退治を考えていたらしい。私たちが倒した数は七十一とそれよりも少ないが、遠征の成果としては問題ないということだ。
むしろ問題は想定外の化物との遭遇したことの方なのだが、それを倒すことに成功しているのだから、学生の積むべき実績の域を超えていると半ば呆れたように言われてしまった。
だが、そうは言っても岩の魔物を倒したのは白狐だ。私たちだけではどうすることもできなかったと表現した方が正しいはずだ。
私が疑問を口にすると、騎士は真面目な顔をして体ごと私の方を向く。休憩時の雑談、というも雰囲気ではない。
「他者の協力を取り付けるのも実力ですし、それによって得た結果は実績となります。結果を見れば、我々は無傷で勝利しているのです。もし、騎士だけで相手をしたら、いえ、例年通り五年生の演習であれと遭遇していたら、どれだけの犠牲者を出したか分かりません。体力や魔力を想定外に消耗してはいても、そんなことは些細な問題です。」
確かに言われてみれば、本来ならばここへは五年生が来るはずだった。いくら数が多いとはいえ、実力的には雪の魔獣に苦戦する程度の者だ。それが何十人いようと、あの岩の魔物の前では意味を為さないだろう。
一歩歩くだけで地響きを上げるような巨大な化物に戦い挑むとは思えないが、戦ったとしても魔法も刃も通じないのだ。蹴散らされ踏み潰されるだけだろう。全力で逃げて、一体何人が逃げ切れるか分かったものでもない。
「あんな化物が、万が一人里に下りてきたら、壊滅的な被害を出していたでしょう。その白狐も……」
騎士は言いかけて、少し困ったように目を逸らす。
「白狐に強い憎しみを抱いている者は少なくない。」
騎士は一度大きく深呼吸し、再び私をまっすぐに見て言葉を続けた。
「敵対すれば、被害は計り知れないものとなるでしょう。そんなことは、過去の戦いが証明しています。ですが、白狐を前にしながら我々は傷一つ負うことなく、こうして休息することすらできているのです。」
思うところは色々とあるようだが、一人も犠牲を出さず全員が無事でいることを特に重視することで、皆思いを飲み込んでいるのだという。
正直言って、私にはその思いは分からない。
彼らに何と言葉を掛ければ良いのだろう? 父のときは反発するしかできなかった。彼らに同じような態度を取るわけにはいかない。
「済まないが、私たちは白狐や黄豹によって失ったものがない。其方たちの思いに寄り添った言葉をかけることはできぬ。」
いつの間に起きたのか、フィエルが私のすぐ後ろにきていた。
「だから、その、あれは白狐ではない別の生き物だと思うことはできないだろうか?」
フィエルの脈絡のない苦し紛れの言葉に、騎士は声を上げて笑った。




