081 雪の遠征(2)
小さな天幕の中、眠っているところを揺り起こされた。顔を上げてみても周囲は真っ暗である。
「もう交代の時間ですか。」
「ああ、済まんが頼む。」
そう言うザクスネロの声は眠そうだ。私はもぞもぞと天幕から出ていくと、空には星が出ていた。
「寒くなければ綺麗で良いのですけれどね。」
「この時期に無茶を言うな。」
独り言を言っただけのつもりだったが、フィエルから言葉が返される。夜番というのは暇だし眠いし、喋りながらでもなければ気持ちが続かない。
二人で歴史の問題を出し合っていれば、東の空が微かに白んでくる。ここからが一番気を付けなければならない時間帯だが、フィエルは交代の時間である。
天幕からハネシテゼが這い出てくると、入れ替わりでフィエルが潜り込んでいく。
夜番といっても、基本的には何も起きない。危険が少なさそうな場所を選んで野営しているのだから当然だ。だからといって、魔法の訓練に勤しむわけにもいかない。魔力や体力は温存しなければならないのだ。
星たちが薄く空に溶けていくころ、あちらこちらの天幕から騎士たちが起き出てくる。日の出前には朝食を済ませ、山に向けて出発する予定だ。
私たちも天幕を畳み、鍋に湯を沸かして朝食の準備を始める。麦や乾燥野菜や芋、さらに刻んだベーコンをどんどん入れて、軽く煮込めば朝食の粥は完成だ。
学院で貸し出された鍋は結構大きい。全員分の粥は一度に作れるくらいだ。私たちが声を掛けると、天幕を畳み馬の面倒を見ていた騎士たちも手が空いた者から椀を片手に集まってくる。
粥は美味しいと言えるものではないが、野営の食事なんてそんなものだ。ベーコンの塩味が効いている分だけ食べやすい。
「これは鹿肉ベーコンですか? 用意にはなかったと思うのですが。」
「わたしが用意いたしました。ベーコンも入っていない粥なんて、わたしは食べたくありません。」
麦や芋は他の人が用意しているだろうと、ハネシテゼが用意した食べ物はベーコンだけらしい。随分と思いきったことをするが、数日間なら麦だけ、芋だけよりもベーコンだけの方が良いような気がしてくる。
手早く食事を終え、鍋や椀を洗って後片付けを済ませたら早速山に向かって出発だ。
二時間ほども行けば起伏が大きくなってくる。途中で小さな村を通り過ぎ、魔物を見かけていないかを確認する。
「北の沢の向こう側に見かけた者がいるらしい。」
冬でも採れる森の恵みというものがあるらしく、天気が良ければ村人たちは森へと出かけて行くらしい。その際に、魔物の痕跡を見つけたら家に閉じこもって退治に来るのを待つしかないらしいが。
村の者に言われた場所は、畑を越えてすぐのところだった。こんなところに危険な魔物がでてくるというならば、確かに平民ならば家から出られないだろう。
「止まってください。」
「右後方、何か来ています。」
ハネシテゼが声を上げるのと、私がそれに気づいたのはほぼ同時だった。
「後ろだと? 前じゃないのか?」
「いや、後ろだ。戻ってそちらを叩く。挟み撃ちにされると面倒だ。」
騎士たちは戸惑いを見せるが、ジョノミディスやザクスネロは迅速に動く。もちろん、フィエルもすぐに戦闘態勢に入って他の敵がいないか周囲に目を向けている。
「行きますよ!」
ハネシテゼが馬を駆り、私たちはそれに続く。木々の向こう側に大きな影が動き回っているのが見えている。そこに向かってハネシテゼは小さな魔力の玉を放り投げる。
さらにフィエルが水の玉を生み出し、そこに私が魔力を詰め込む。昨年、幾度となくやってきたことだ。赤く輝く水の玉が森の手前に炸裂し、飛沫を撒き散らすと、森の中の魔物も一斉に動き出した。
「気を付けろ、雪の魔獣だ!」
騎士が声を上げるが、私のやる事は一つだ。
「ティア、爆炎を。一度押し戻してください。」
「分かってます。」
「フィエルは雷光で中央を。ジノ、ザックは撃ち漏らしを処理してください。」
雪原を駆けてくる魔物に向かって私たちは揃って杖を構える。そして、森と私たちの中間あたりまで差し掛かってきたところで、爆炎を放ち先頭集団を森の方へと吹き飛ばす。
とはいっても、魔物の躰は結構大きい。馬ほどとまではいかないが、大きさだけなら人が乗ることができそうなくらいだ。爆風に煽られて後ろに少々転がる程度だが、それでも走る勢いを殺がれれば、後ろからくる魔物と一塊りになる。
そして、魔物たちが大きく咆哮したところでフィエルの雷光が中央を来る七匹ほどを仕留める。
さらにジョノミディスとザクスネロの雷光が奔り、左右に残った魔物も一瞬で雪原に転がる。
「一瞬で、だと……?」
「気を付けてください。前方、北側にいたやつらが来ます。」
騎士たちは驚きの表情を見せるが、ハネシテゼは冷静だ。魔法の爆音に加え、同種の魔物が吼えたりしていれば当然気付くだろう。
目の前の魔物に生き残りがいないことを確認して、隊の向きを再び変える。そちらを見れば、誰の目にも十ほどの魔物が迫ってきているのは明らかだ。
だが、ハネシテゼが右手を振れば爆炎で魔物は吹き飛び、さらに左手の杖を振り下ろして放たれた雷光に撃たれて一気に命を刈り取られる。
「雪の魔獣というのは意外といっぱいいるものなのですね。」
「ここで誘き出してみた方が良いのではないか?」
「誘き出すのはもうちょっと奥まで行ってからの方が良いかもしれません。先ほど撒いた魔力に反応が無さすぎですから。」
魔獣十匹しか出てきていないのだ。もっと魔物が多いところでやった方が効率が良いだろう。
「なるほど。では、直ぐにでも焼き払ってしまおう。」
フィエルは頷くと直ぐに動き出す。騎士を二手に分けて魔物の死体を集めて火を放つ。
雪の魔獣は図体が大きいものの、数が少ないため集める作業はすぐに終わった。
「思った以上に焼けないですね。」
「ああ、だから、戦いの際は火の魔法は目くらまし程度にしか効果がないんだ。」
爆炎で足止めをすることはできたが、足止め程度にしかなっていなかったということか。ならば、去年まではかなり倒すのに苦労していたのではないだろうか。
「あれは、魔物の操る吹雪を風魔法で抑え、火で足止めをしてと連携を取りながらでなければ仕留められる相手ではない。そもそも通例では、五年生では攻撃力が足りないことが多く、正騎士の攻撃力がなければ倒せないことも多いのだ。」
それを私たちがあっという間に倒してしまったのならば、驚きもするだろう。だが、ハネシテゼが何度も強調しているように、雷光の魔法は当たれば死ぬのだ。
そして、いくら炎が効きづらいとはいえ、私たちが五人そろって杖を使って見境のない威力で炎の帯の魔法を放てば、鱗の隙間から煙が上がってくる。
もうもうと煙が立ち上る魔物の死体にハネシテゼが雪の玉を投げ込むと、バンと大きな音を立てて鱗が弾け飛ぶ。
「何をしたのですか?」
「熱くなった石や鱗に水をかけると弾けるものです。ご存知無いですか?」
そんなこときいたことがない。だが、ハネシテゼが雪玉をもう一つ放ってやると、派手な音ともに鱗が弾ける。その衝撃はかなり大きいようで、魔物の死体は大きく抉れ、周辺の鱗はなくなってしまっている。
そうやって何度か雪玉を投げ込んで鱗を弾いてやれば、肉や内臓が露出し見る間に炭と化していく。
「随分と頑丈な鱗なのですね。」
魔物の死体が灰となっても、鱗はその原型を留めていた。さすがに何の影響もないとは行かないようで、騎士が槍で突くと粉々になりはするが、私が踏んだ程度ではびくともしないのだ。
「学生がこんなのを倒せるのですか?」
「弱点はあります。背や肩の辺りはどうしようもないですが、足の付け根や下あごの辺りは比較的刃が通りやすいのです。」
時間をかけて体力を奪い、機会を作って攻撃していけば倒せない相手ではないらしい。というか、その程度ができなければ騎士としてはやっていけないということだ。
魔物の死体の大部分が炭と化したら、それ以上手をかけて焼く必要はない。周囲は雪に覆われているし、延焼する心配もない。
私たちは沢の手前から山の方へと向かっていく。
冬の山道はとても歩みが遅い。
足下は滑りやすいし、雪の下のどこに危険が潜んでいるかもわからない。一歩一歩探るように進んでいくしかないのだ。
周囲の森は、比較的静かだ。聞こえる音は川の流れに私たちの足音、そして、枝の上の雪が落ちてくる音ばかりだ。
時折、なんの動物か虫かは分からないが鳴き声が聞こえてくるが、長続きはしない。
だが。
「何かいます。」
「ああ、この気配は魔物だろう。」
首筋をざらざらと擦られるような変な違和感があったのは私だけではなかったようだ。フィエルと確認し合うとハネシテゼも頷く。
「ティアリッテも分かるのか? 僕には分からないぞ。」
「沢の向こう側です。先ほどとは比べ物にならない数です。」
ハネシテゼが指した先には、あからさまに茂みがわさわさと動いていた。




