576 夫婦らしく
「待っている間は、着地の練習をしていてください。」
「着地?」
「何も考えずに降りると、地面に叩きつけられることになりかねません。」
ジョノミディスに加速の指導をしている間、ただ、黙って見ているだけというのも時間の無駄だ。浮遊の訓練は室内で行っているため、みんな着地の危険度も分かっていないだろう。まずは着地はまず手本を見せる必要がある。軽く地を蹴ると同時に浮遊の魔法を使い、人の身長ほどの高さで止まるように調節する。
その状態から浮遊の魔法をいきなりやめてしまえば、着地の際の衝撃はかなり大きい。怪我をするほどではないが、痛い思いをするのは間違いない。
「浮遊を弱めてゆっくり降りるのが基本です。着地する場所だけではなく、危険がないか周囲に気を配ることも大切です。慣れないうちは、怪我をせずに着地できる高さにとどめておいた方が良いですね。」
「注意事項が多いな。」
「少し失敗しただけで大怪我をしてしまいますからね。水の玉が的に届かないのとはわけが違います。」
他の魔法とは危険の方向性が違う。自由自在に魔法を使いこなすことはもちろん、周囲に気を配れないようでは怪我をする。そう考えると、幼い子どもには教えない方が良いのかもしれない。
「ではジョノミディス様、始めましょうか。まずは跳び上がってください。」
言われるまま軽く地を蹴って浮かび上がったジョノミディスの背後にまわり、脇に手を差し込んで持ち上げる。後ろから抱き着くような格好になるが、体格差を考えるとこうでもしないと支えられないだろう。
「ちょっと待て、ティアリッテ。まさか、ずっとこうしているのか?」
「そうですよ。ですから、他の男性にはできません。」
慌てたようにジョノミディスは言うが、腕を掴む程度で済むならばフィエルナズサを引っ張って空を翔けても構わないだろうと思う。親族でもない第三王子はともかく、実の弟の腕を掴んで咎められることもない。
単に移動するだけならば腕を掴んでいれば十分だろうけれど、それで加速の魔法を教えるのは難しい。その理由は、口で説明するよりも、実際にやってみた方が早い。
「このように私が支えますので、ジョノミディス様は姿勢制御も使わなくて結構ですよ。」
「いや、しかし、それでは……。ティアリッテ、人目を考えてくれ。」
人前で強く抱き着かれることにジョノミディスは慌てふためくが、二人とももこもこに着込んでいるし、これくらいは羞恥するほどでもないと思う。新年の宴で舞踊の方がよほど密着している。
「余計なことを考えずに、集中してくださいませ。」
「そなたは平気なのか、ティアリッテ?」
「毛布を抱えているのと大差ないと思います。」
「どうしてそう思えるのかが分からぬ!」
ジョノミディスはばたばたと手足を動かすが、そんなことをしても宙を移動することはできない。加速の魔法を習得していないジョノミディスが私の腕から逃れるには、浮遊を解除して地に下りる以外の方法はないだろう。
しかし、すでに背の三倍ほどの高さにまで上っている。この高さから落ちれば怪我をする可能性もあるだろう。
「ほかに方法は無いのか?」
「全く使わずに魔法を教えることはできませんよ?」
怪我をせず、安全に教えるには空中で指導するのが一番だろう。そもそもとして、地に立った状態で加速を使うのはかなり難易度が高いのだ。ほんの少し向きを誤れば地面に叩きつけられるし、うまく横方向に加速できても着地に失敗して転倒すれば怪我をする。
そんなことは既に説明済みなのに往生際が悪いものである。
「はじめますよ。」
しっかりと掴んだまま全身で押すように前へと進む。ゆっくりと加速しても、五秒ほどで馬の駈歩ほどの速さになる。ジョノミディスを抱えていてもこれだけ加速してしまうのだ。一人でやれば、二秒ほどで達する速度である。
「加速をやめても、速度はしばらく維持されます。進む方向を変える場合は、先に体の向きを変えます。」
あまりもたもたしていると、壁にぶつかってしまう。その前に姿勢制御をしてくるりと真横に体の向きを変える。その状態で前方に向けて加速すれば、大きく円を描くように移動することになる。
ジョノミディスからすると、後ろから押されているのに真横へと進んでいることになる。馬や二足鹿にはない感覚だが、これにも慣れる必要がある。
そのまま訓練場を大きくひと回りすると一度止まり、逆回りで一周し元の場所に戻ってくる。
「できそうですか?」
「概ね分かったと思うが、もう一度頼んでも良いか?」
「もちろんです。」
加速のために必要な魔力の制御はそれほど難しくはないのだが、習得の難易度はかなり高い。
第一の要因として、強めに使って見せることができないことがある。もしそんなことをすれば、体が捩じ切れてしまうだろう。安全のためには、とにかく弱く魔力を抑えて使わなければならないのだ。
第二に、教える側も教えられる側も別の魔法を使い続ける必要がある。ジョノミディスの全体重を支えながら加速だけで空を翔けるのは無謀と言えるだろう。間違いなく墜落する自信がある。
ジョノミディスが一分程度では読み取れないのは仕方がない。私だってハネシテゼに教わった際、魔力の流れを正確に読み取るのに時間を要しているのだ。
と、思っていたのだが、一つ忘れていたことがある。
「ジョノミディス様、腕を出していただけませんか?」
「腕を? どうするのだ?」
「従来の一般的な魔法の教え方を試したいと思います。」
ジョノミディスの腕を通じて魔法を使ってやれば良いのだ。加速は雷光ほどに複雑なわけではないし、今の私ならば問題なくできるだろう。難点があるとすれば、腕を露出させるため寒いことだ。右手をジョノミディスの体にまわし、左手は彼の右腕に添える。
「待つんだ、ティアリッテ。これはその、人目が……」
「魔法を使う主体はジョノミディス様になるのですから、後ろからでは支えられません。」
先ほどまでは背中の側から抱えていたのだが、前に回る必要がある。フィエルナズサらにこのような体勢で教えたくはないという気持ちは分からなくもないが、私とは夫婦なのだから嫌がることはないだろうと思う。
有無を言わさず魔力を流し始めると、ジョノミディスも諦めたように私の肩を抱く。そうされると確かに照れ臭いのは分かるが、あのように嫌がるのは納得いかない。まるで私が悪臭を放っているようではないか。
今度は体勢を変えつつ、力の向きも少しだけ変える。ジョノミディスから見て正面方向へ加速していたのを、少しだけ上向きにするのだ。大きく向きを変えると腕力で支えられなくなってしまう。
「分かった、ティアリッテ。もう十分だ。」
「では、やってみてください。少しだけですよ。」
自分の腕を通されれば魔力の動きを掴むのは容易いことだ。十数秒もすればジョノミディスは自信ありげに言う。一度向きを変えてから使ってみれば、問題なく加速していく。
「一番難しいのは着地です。瞬間的に後ろ向きに使って減速していきます。」
十分に速度を落とさなければ地面に激突してしまう。広いところで減速し、少しずつ下りていく。
「では、ジョノミディス様は一人で軽く練習してからフィエルナズサに教えてください。女性の方は」
「ギュネスイエ殿下ですね。」
メイキヒューセはそう言って一歩下がる。効率を考えるとメイキヒューセが先の方が良いのだが、大した差ではないので王子の方が優先でも構わない。
先にと言われた第四王子は戸惑った様子を見せるが、さっさと始めてしまうと諦めたように跳びあがる。彼女に教えるにもそれほど時間が掛かるわけでもない。私は魔力の動きを読み取るのに数時間を要したが、腕を通して使えば数十秒もあれば足りるのだ。
第四王子もメイキヒューセも何分もかかりはしない。その次はフィエルナズサだ。
「姉弟とはいえ、あの体勢はまずいだろう。」
「ですから、支えるのはメイキヒューセ様ですよ?」
「私がですか?」
フィエルナズサばかりかメイキヒューセまで狼狽えるが、二人は結婚はしていないが婚約者だし訓練で体を支えるくらいならば外聞も問題ないだろう。
第三王子に関しても、ジョノミディスと第四王子で同じように二人で支えながら教えれば良いと思う。




