566 ブェレンザッハにて
「ティアリッテ様! お帰りなさいませ。」
「ハネシテゼ陛下も戻ったとお伝えください。」
城門に着くと、驚きの声とともに迎えられた。急いで本館に連絡が走り、私たちはのんびりと二足鹿を厩に預ける。
荷を下ろし鞍を外してやってから軽く撫でてやり、これまでを労う。私はこの二頭の二足鹿とはお別れだ。
正面入口が開けられると、大急ぎでやってきたのだろうブェレンザッハ公爵と夫人に出迎えられた。
「ハネシテゼ陛下、護衛をおいて一人で行ってしまったと聞かされた時には肝を冷やしましたよ。」
公爵の言葉は小言から始まった。ハネシテゼもまさか挨拶より前に小言を言われるとは思ってもなかったらしく、小さくなって「済みませんでした」と謝る。
「ともあれ、無事に戻って何よりだ。ティアリッテもご苦労である。して、他の護衛は?」
「……おりません。」
私もまた小言を言われるだろうと思ったが、公爵は一度呑み込んで応接に向かうことになった。
「何があったのか、説明してくれますかな?」
お茶を飲んで一息つくと、ブェレンザッハ公爵は重苦しい声で言う。質問系の形を取ってはいるが、国王であっても拒否することは許さないという気迫だ。
表情には全く出さないが、ブェレンザッハ公爵はたいそうにご立腹の様子だ。国王が護衛を置いてまで急がなければならない事態というのは想像が難しいのも確かだ。
「結論から申し上げますと、ハネシテゼ陛下が形振り構わぬ方法で駆けつけてくれていただけなかったならば、全てが手遅れになっていたと断言できるでしょう。」
「手遅れとはどのような事態だ? もう少し具体的に説明せよ。」
「私は戦いで命を落とし、西国ネゼキュイアより岩の魔物や赤空龍などの手の付けられない強大な魔物が押し寄せる事態です。」
「それは真の話なのか?」
そのような話は想定していなかったのだろう。ブェレンザッハ公爵の表情が険しくなる。岩の魔物の脅威はブェレンザッハ公爵もその目で見ているし、赤空龍の恐ろしさもジョノミディスと私で強く訴えたものだ。
「少なくとも、私たちは岩の魔物と赤空龍を一体ずつ撃破してまいりました。ハネシテゼ陛下の危惧した通り、ネゼキュイアはウンガス王国への侵攻に際して形振り構わない形で戦力を得ようとしたようです。」
その戦力については神代の戦争を引き合いに出して説明するが、ブェレンザッハ公爵も夫人も、やはり信じられないといった表情で頭を振る。
「そんなことが、本当に起こり得るのか? それで、ネゼキュイアという国はどうなったのだ? 魔物の驚異は本当になくなったのか?」
「落ち着いてくださいませ。一度に問われても困ります。」
これだけの言葉では状況を想像することもできないのは分かるが、説明をするにも順を要する。まず、もっとも重要な結論から述べていけば良いだろう。
「魔物の脅威に関しては、確たる根拠を示すことはできませんが魔力の気配から大丈夫だろうと判断しました。」
「ネゼキュイア国王および直系王族は、バランキル国王として看過できない凶行であると判断しまして、それを廃してきました。自ら呼び出した魔物によって王城が瓦礫と化したこともありますし、あの国が立ち直るにはしばらく時間がかかるでしょう。」
端的に説明すると、ブェレンザッハ公爵は二度大きく溜息を吐く。
さらに赤獅子などの力を借りて魔物を退治したことなども説明する。やはりブェレンザッハ公爵らも赤獅子の名は聞いたことが無いようだったが、白狐や銀狼よりも黄豹に近い生き物だといえば何となくは伝わる。
「まあ良い、分かった。正直なところ、信憑性を疑いたくなるが、最善を尽くし良い結果を得られたのだと理解しておこう。」
「ありがとうございます。」
「それは良いとして、ティアリッテ。ウンガスの様子はどうだ?」
ブェレンザッハ公爵は唐突に話題を変える。ウンガスの様子などと言うが、本音のところは気になるのは息子のジョノミディスのことだろう。
「報告は送られているかと思いますけれど、ウンガス王国自体は非常に面倒なことになっています。こちらに戻れるのはどんなに頑張っても来年の秋より早まることはないかと思います。」
「酷い天災があったとも聞いている。 そんなに早く片付くのか?」
「私としては王子次第かと思っております。ハネシテゼ様は彼らの力をどう見ていますか?」
私は二人のウンガス王子の能力を知らない。二年間、彼らを教育していたハネシテゼの方が人柄も含めて彼らのことを知っているだろう。説明の際には私やジョノミディスと、あるいは王配と較べて評価すれば分かりやすいだろうと思う。
特に、第三王子の方は年齢も性別も同じだし比較しやすいはずだ。
「そうですね。二人とも事務的な書類仕事では、ティアリッテやジョノミディスにも劣らないと思います。いくらウンガスの教育に難があるといっても、数表を読んで理解するなどは最初から問題ありませんでした。」
報告を聞いて理解できないような実務能力では、王族としての仕事が務まらない。その面で言えば王配と比較して何の遜色もないとのことだ。
性格としては二人とも真面目で向上心があり、第三王子は騎士、第四王子は文官の統率の方が得意であるということだ。
「スメキニア様は、どちらかというと騎士側のセプクギオ様とはよく張り合っていらっしゃいましたよ。」
ハネシテゼは笑ってそう言うが、王配が騎士寄りということの方が驚きだ。私はてっきり、彼は文官よりなのだとばかり思っていた。
だが、それを口に漏らしてしまったのは失敗だった。
「其方を基準にすれば、誰だって文官寄りに見えるだろう。」
「そうですよ。わたしの知る限りティアリッテの文官能力は他者に劣っているとは全く思いませんけれど、あなたと同等の力を持つ騎士など他にいませんよ?」
既に無二と言える力を持っているのだと自覚せよ、とハネシテゼに言われるとは思わなかった。
魔法の届く距離に関しては以前より自覚していたし自信もがあったことだ。それに加えて、この数日で空を自在に翔けることができるようになったことで、他の騎士とは一線を画する存在になっているとハネシテゼは言う。
「彼らに最も欠けていたのは現場の知識や考え方なのですが、それもこの二年でずいぶん改善しました。調整能力などもセプクギオ様と比較すると経験が足りないのは否めませんが、逆に言えば、あとは経験さえ積めば十分に王族として務まるでしょう。」
「ハネシテゼ様のその評価をお聞きし、とても安心いたしました。」
その評価ならば、引継ぎは問題なく進めていけるだろう。これから冬を経験すれば課題も明白になるだろうし、春までには今後のウンガスの体制もある程度決められると思う。
その後は、個人的な話が主となる。慣れない土地で体調を崩したりしていないかなどは既にその段階を過ぎているとはいえ、敵に囲まれているともいえる環境では、このブェレンザッハの城と同じようには生活はできない。
暗殺の心配は常につきまとっているし、心労が絶えることもない。信頼できる少人数の騎士のみを伴って外を走り回っている私の方が、忍び寄る危険を心配しなくて良い分だけ気楽ともいえる。
「暗殺の心配はまだあるのか?」
「表立って反発する貴族はいなくなりましたけれど、やはりバランキルの貴族というだけで敵意を持っている者はいますね。」
「なるほど、先の戦争で身内に犠牲を出したような者たちか。」
すぐに心当たりが浮かびブェレンザッハ公爵は呆れたように言うが、自分勝手な考えをする者はどこにでもいるものだ。それを一々処分していたのでは、本当にきりがない。他の貴族の目にも余るような者は当主の交代を命じたりもしているが、逆にそれで恨みを買ったりもしているだろう。
「そのような中にいるのでしたら、ジョノミディスも逞しくなっているのでしょうね。帰ってくるのが楽しみですわ。」
「そうですね。私から見ても立派に王権代行者を努めていらっしゃいます。」
「それは頼もしいですけれど、少々困りますね。帰ってきてからブェレンザッハは狭すぎるなどと言わなければ良いのですけれど。」
公爵夫人の心配は杞憂だろう。話をしていれば、ジョノミディスが故郷を愛しているのはよく分かる。より大きな仕事をしたことがあるからと、領地を見下すようなことはしないだろう。




