559 凱旋
重要度や緊急度の高い話を終えたら、一旦会議を終えて夕食を摂る。その後は第三王子の顔色がすぐれないということで、ゆっくり休むことになった。
ベッドで一晩ぐっすり眠り翌日は朝食後から再び会議だ。
私たちからの話は済んでおり、今すぐにでも動いた方が良いことは既にモジュギオ公爵が指示を出している。廊下や窓の外を見ると、文官も騎士も忙しなく動いている。
そんな中で話す内容は、逃げたネゼキュイアの残党の処理や王宮に持ち帰らなければならない支援要請についてなどだ。
最も大きな被害を受けているのはミラリヨム男爵領だが、モッテズジュ伯爵やムスシク伯爵、メレレシア子爵も少なからず被害があるし、モジュギオでも村がいくつか略奪被害に遭っている。
それらを取りまとめた書類の束は見るのも嫌になってしまうが、嫌だからと放りだすわけにもいかない。
「とりあえず、持ち帰らせてもらう。」
一通り説明を受けると、第三王子がウンガス王宮は支援を惜しまないことを約束する。
「バランキル王国からの支援は必要ですか?」
「今のところは考えていません。今のところの情報では、国内だけで賄えると考えています。」
ハネシテゼからの申し出は私の方から断っておく。南の火山のその後については情報がないが、北の領地に頑張って貰えば何とかなるだろうと思う。
何より、バランキル王国に頼るよりも北側の領地に手柄を立てさせる方が先だ。最初からバランキルからの支援ありきで考えるわけにはいかない。
「ところで、わたしの方から大事なお話があるのですけれど。」
一通りの話が終わったところでハネシテゼが切り出した。モジュギオ公爵に対してハネシテゼが直接する話なんて何もないとないと思っていただけに首を傾げてしまう。
「何かございましたか?」
「わたくし、二足鹿が欲しいのです。」
そういえば、その話を忘れていた。ネゼキュイアへは赤獅子や馬王に乗って行ったため、私とハネシテゼが乗る二足鹿がないのだ。
王宮に帰れば、一頭をハネシテゼのために用意することはできるだろうが、そこまでの移動手段が問題だ。
「私の分と合わせて二頭出していただけると助かる。」
「あれを二頭か……」
モジュギオ公爵は難しい顔をして腕を組む。たしか、今モジュギオにいる二足鹿は七頭のはずだ。昨年まではいもしなかったのだから、二頭くらいならば問題なく出せるだろうと思っていたのだが、渋りたいような表情を見せる。
「つい先日までは、今まで馬の運用で別段不都合があったことはないと思っていたのだが、実際に運用してみるとあれはとても便利であるな。」
一日に走れる距離が馬の二倍から三倍もあれば、便利に決まっている。だから、私の帰る足に欲しいし、ハネシテゼも自分の分を求めるのだ。
「二頭は、私が王宮に帰りましたらお返ししましょう。」
そう言っても、モジュギオ公爵の表情は変わらない。
冷静に考えれば、悩むのも分かる。公爵が各地への連絡を密に取りたいのは今なのだ。一、二か月もしたならば少しは落ち着くのだろうが、それまでは一頭も手放したくないのが本音だろう。
ハネシテゼがいくらバランキル王国の国王であるといっても、ウンガスの中でも西の端に近いモジュギオでは今後の関係は非常に薄いだろうと言わざるを得ない。
東のザッガルドやピユデヘセン辺りならば、バランキル王国との関係は考慮する価値があると考えるだろうが、モジュギオでは遠すぎる。
「仕方ないですね。帰りも空を行くとしましょう。ティアリッテやスメキニア様もいらっしゃれば、野営をしなくて済む分だけ楽でしょう。」
「わ、私も空を行くのですか?」
「かなり上達しているではありませんか。もう少しでティアリッテも自在に空を翔けられるようになりますよ。」
笑顔でそう言われるが、あまり嬉しくない。というか、それで王宮まで帰った場合、ジョノミディスやフィエルナズサに何と言われるか。考えただけで頭が痛くなってくる。
しかし、私としても馬で帰るという選択肢はないし、取れる手段は騎士二人に馬でゆっくり帰ってもらうくらいだろう。
「そんなに悩むことなのですか?」
私も困っていると、第三王子が気楽なことを言う。
「殿下にも空を翔ける練習をしていただきましょうか。」
「ま、待ってください。モジュギオ公、本当に二足鹿は譲れぬか?」
こうなったらと、できるだけ巻き込んでやろうとすると第三王子も慌ててモジュギオ公爵に頼み込もうとする。
「冬に向けた食料の確保は、僅かな遅れが死活問題になりかねません。一日でも早く動きたいのです。」
そう言うモジュギオ公爵の気持ちも分かる。あちこち被害を受けていて食料生産の体制も万全には程遠く、周辺領地含めて気にかけることはとても多いのだろう。
万が一、冬に向けての食料備蓄が足りないとなれば、大規模な暴動が発生する可能性もある。
せっかく前を向いて産業の発展を進め始めていたのに、今更後戻りなどしたくはないだろう。
「仕方がないですね。二足鹿は諦めましょう。」
あまり無理強いするものでもない。モジュギオ公爵には戦災復興に尽力してもらった方が良いだろう。極論すれば、私とハネシテゼには二足鹿がなくても移動手段はあるのだ。
もう一晩ゆっくり休ませてもらい、王都に向けての出発は翌朝となる。私も随分と疲れが溜まっている。全て済んだわけではないが、少しくらいゆっくり休んでも、怒られることはないだろう。
三日かけてオードニアムに入り、公爵に戦争は片付いたことを報告してさらに三日後に王都に到着する。往路は速度を限界まで振り絞って四日で王都からモジュギオ領都まで進んだが、あれは二足鹿にも乗り手にも負担が大きい。
特に第三王子は二足鹿にもそれほど慣れておらず、遠距離の強行移動は苦しいだろう。
「見えてきましたね。あれが王都のはずです。」
「あれなら日没には十分に間に合いますね。」
ネブジ川のあたりまでくると、遠く東に大きな町が見えてくる。といっても、地上を歩く二足鹿や船の上からでは見えない。少し高いところを進む私とハネシテゼだからこそ見えるのだ。
その辺りまでやってくると、周囲からは魔物の気配がほとんど感じられなくなる。騎士も平民も、見つけ次第魔物を退治していることがよく分かる。
道の両側は比較的背の高い草が続き、空からみると鹿や野羊の群れが確認できる。以前はウサギが大繁殖してしまうということもあったが、今はこの辺りの草原は平和なようだ。
ここまできたら、道を無視して草原を突っ切ることもしない。騎士に言って先触れに走ってもらい、私たちは敢えて少しゆっくりと進む。
それでも馬で一時間の距離は十分もかからずに進んでしまうのが二足鹿だ。すぐに草原を抜けて豊かな畑が視界の前方を占めるようになってくる。
農民が忙しなく収穫作業を進めているのは夏紫菜か赤丸豆だろうか。馬車や荷車も、ひっきりなしに畑と街を往復している。
「ほう。さすが王都の畑ですね。」
「正直言って、オードニアムと然程変わらないと思いますけれど。」
「畑そのものはそうかもしれませんけれど、収穫物を運ぶ馬車の動きは明らかに違いますよ。あれは、メイキヒューセの功績でしょうかね。」
ハネシテゼは本当に細かいところまでよく見ている。
王都の門から出てきた馬車は、他の馬車や荷車とすれ違うこともなく最短で目的の畑に着き、荷物を積むと最短で街へと戻っていく。
これは単にやれと命じたところで実現しない。文官が直接現場に出ていってそれぞれの馬車に対して「あちらへいけ」「こちらの道を使え」と指示をして初めて実現できることだ。
それを何年か繰り返したことで、文官がいなくても馬車が円滑に動けるようになったのだろう。
街門では止められもせずそのまま進み、賑やかな街を通り過ぎていく。既に二足鹿は見慣れたものになっているらしく、珍しそうな顔をされることもない。
城門に着いてみると、ジョノミディスとフィエルナズサが既に出迎えに来ていた。
「よく戻った、ティアリッテ。それと、ハネシテゼ様は何故こちらに?」
「何ですか! 来てほしくなかったような顔をしないでくださいませ!」
とても嫌そうなフィエルナズサにハネシテゼが不愉快を露わにする。
あ、と思った時には既に遅く、周囲の騎士や第三王子が引き攣った顔で固まっていた。




