535 集うもふもふ
話し合うまでもなく、森山羊は連れていけないという結論になった。
鋭い爪や牙を持たないこの獣は、どう見ても戦いに向いていない。大きな魔獣を退治するのではなく、主に魔草を食べている種類の〝守り手〟という認識だ。
最も重要な問題は、二足鹿の足についていけるようには見えないことである。体の大きさから考えても、馬より長く早く走れることはないだろう。
挨拶をした後に私たちの目的を説明したら再び天幕に潜り込む。どこまで意思が通じているかは分からないが、森山羊も座り込んで休みだしたのできっと大丈夫だろう。
朝方になって表れたのは二頭の馬王だった。その名の通り馬によく似た体躯で森山羊と同じく牙や鋭い爪を持たないが、黄豹よりも背の高いこの獣は巨体そのものが強力な武器だ。中型程度の魔物であれば易々と踏みつぶしてしまえるだろう。
挨拶を交わせば大人しく座り込んでくれたのは良いのだが、この獣にどうやって乗れば良いのかが分からない。体が大きすぎて、座った状態ですら馬王の背に登ることが困難なのだ。
「わたしは空から乗れますけれど、ティアリッテは一人で乗り降りできないですよね。」
「ええ。私には少々難しいですね。」
「いや、できるほうがおかしい。そもそも、馬具はどうするのだ?」
「この大きさだと逆に要りませんよ。」
そんなことを言っていると、南東の方から別の獣の気配が近づいてきた。その速度は二足鹿にも劣らない。
「何か来るぞ!」
「こちらに通してください!」
あっという間に騎士が視認できる距離に入ってくる。その獣が魔物ではないことは、馬王の反応からも明らかだ。頭を動かして一瞥しただけで立ち上がろうともしないのだから警戒の必要すらないということだろう。
さらに近づいてくれば、待っていた〝守り手〟であることが分かる。
「あれが赤獅子ですか。」
「ええ、美しいでしょう?」
決して馬王が醜いという意味ではない。顔を出したばかりの朝日を浴びながら赤い鬣を靡かせて疾走する姿は実に美しい。
私たちの前にやってきた赤獅子は五頭の群れだ。最も大きい一頭の後ろに四頭が並ぶ。
「代表で挨拶をするならハネシテゼ様でしょうか。」
貴族の都合からすると第三王子を代表とした方が良いのだが、実力が劣る者を前に出すことに対して獣がどのような反応をするのかが不安だ。万が一、侮辱と受け取られて機嫌を損ねてしまっては仕方がない。
そう思ったのだが、ハネシテゼは上を指さして首を横に振る。
「いえ、ティアリッテ。あれを下ろして挨拶に使えばいいではありませんか。」
「確かにあれはもう不要ですね。」
赤獅子と馬王が合計七頭も揃った以上、これ以上〝守り手〟をここで集める必要は無い。
腕を上に伸ばして上空に放ってある魔力を手元に戻して赤獅子に投げると、機嫌を損ねた様子もなく受け止めて投げ返してくる。かなり強い魔力の塊だが、いとも易々と扱う姿に第三王子らからも息が漏れる。
軽く唸り声をあげて投げてきた魔力の塊はさらに強力なものだった。挨拶でそこまで強い魔力を投るものかと思ったが、私が前にでてくるならばこの程度は扱ってみせよということなのだろう。
ばちばちと音の鳴るほど強力な魔力は、子どものころであれば受け止めきれなかっただろう。だが、今の私ならば全力を出せばこれくらいは自ら放出できる。それを扱えないはずがないのだ。
左手で受けるとステップを踏んで一回転し、魔力の塊を頭上に留める。それを右手で押して投げ返してやると赤獅子は満足げに顎を上げて近づいてくると私たちの前に座り込んだ。
「大丈夫そうですね。」
ハネシテゼと頷きあい、近づいて撫でようとすると「危険だ、近寄るな」とモジュギオ公爵が大きな声を出した。
そんなことはない、と反論しようと思ったのだったが、モジュギオ公爵の言っていた意味は全く違った。
ばん、という大きな音は赤獅子の尻尾が馬王の尻に叩きつけられたものだった。お返しにとばかりに馬王も尻尾を振るが、これは彼らにとってはじゃれあっている程度なのだろうか。
二頭の獣は平然とした顔をしているが、振り回す尻尾が騎士に当たれば大怪我は免れないだろう。
「赤獅子と馬王は仲が悪いのでしょうか?」
「立ち上がって争わないところを見ると、本当にじゃれているだけではないでしょうか。」
「騎士が拳を合わせるようなものなのか? 獣の常識は分からぬ。」
私にも彼らの力加減がまったく分からない。暴れだすのでなければ話を進めてしまおうということで、赤獅子と馬王に魔物の襲来を止めるために西へ行くことを伝える。
ただし、その前に南の問題を片づける必要がある。野営を片づけると、私は赤獅子の背に登る。後ろ足の辺りから登れそうだ近づくと、尻尾で掴まれて背の上に運ばれた。
「だ、大丈夫なのですか?」
「平気ですよ。第三王子殿下も後ろの赤獅子に乗せてもらってはいかがでしょう?」
馬王の方はハネシテゼ以外に乗れそうにないし、第三王子が乗るならば赤獅子の方だろう。
少しだけ迷ってから、第三王子が近寄っていくと尻尾で掴みあげられる。そして背に運ばれるのを見て、ソルニウォレも覚悟を決めたように赤獅子に近づいていった。
「二人分の二足鹿が空きましたね。これならば、モジュギオ公爵も南へ行けますよ。」
「そのようだな。メリレフィン、一緒に来い。」
二足鹿に乗るには、特段の覚悟は必要ない。問題は戦地に向かうことだが、昨日まで先頭に立って戦っていた公爵にとっては今更と言えよう。
出発してみると、赤獅子も馬王も歩みが実に速い。二足鹿は問題なくついてきているが、頑張って追ってこようとしたモジュギオの騎士は早々に引き離されていった。
「この速さで大丈夫なのか?」
あまりの速さにモジュギオ公爵は不安そうに確認してくるし、私も二足鹿にとっては速度過剰であるように思う。しかし、ハネシテゼは問題ないと断言した。
「そこまで長続きしないから大丈夫です。」
赤獅子も馬王も息が荒くなっているとのことで、近いうちに休憩が必要となるのは間違いないらしい。少々呆れてしまうが、互いに意地を張って足を速めているのだろう。この二種の獣を一緒にしたのは間違いだったかと思うが、今さら馬王に帰れとも言いづらい。
二時間ほど走り、一度休憩を取った後は通常と言える速さに落ち着いた。二足鹿を指して「もう少しゆっくり歩け」と言えば、双方の誇りに傷はつくまい。
一日進んでいると、南にいくつかの煙がたなびいているのが見えてくる。ほぼ間違いなく、戦いによるものだ。町が日常的に吐き出す煙は遠くから見て細く昇るものではないし、野営の煙など小さすぎて遠くからは見えないものだ。
「前方の煙は見えますか?」
「煙? そんなものが見えるのか?」
休憩時に聞いてみるも、二足鹿からは全く気付かなかったという答えだった。ハネシテゼと第三王子は同様に気付いているが、モジュギオ公爵らは全く認識していなかったという。
「やはり高さというのは重要ですね。見える距離が全然違います。」
「それは認めるが、あの上で長時間座ってるのも大変ではないか?」
モジュギオ公爵は鞍もない獣の背に座るのは大変だろうというが、実のところそんなことはない。赤獅子の背中はふかふかとした毛で覆われており、大変座り心地が良い。艶のある毛は手触りも滑らかで、黄豹にも劣らない上等な毛皮と言えるだろう。
「しかし、煙か。戦いの場が近いとなると、ここで野営を張っている場合ではないな。距離は分かりますか?」
「このまま進めば五、六分ほどでしょうか。」
「なるほど。それならば、行って敵を蹴散らした方が良さそうですな。」
陽は傾いてきているが、沈んでしまう前に現地に到着できるはずだ。モジュギオ公爵の意見に頷き作戦について軽く話し合うと、休憩を早々に切り上げると出発する。二足鹿はもちろん赤獅子や馬王にも疲労の色はほとんどない。一日戦って疲労している者が相手ならば、奇襲は有効にはたらくだろう。




