528 非常識な国王
翌日は陽が少し昇ってから出発した。各部隊の指揮官が一時的に抜けるため、引き継ぎや調整が必要だったのと二足鹿が足りない問題に対応していたのが遅れた原因だ。
「ティアリッテ、あなたもわたしと一緒に空を行きましょう。」
ハネシテゼがそんなことを言い出したときには頭を抱えてしまった。
南側の部隊への対処に当たって、考えられる作戦の方向性は大きく分けて二つある。
一つは全力で当たりネゼキュイア軍を完全に粉砕することで、もう一つはモディノゴムに上手く立ち回ってもらい撤退させることだ。
被害を最低限に抑えるには戦わない方が良いのは間違いない。第三王子にそう強く主張されれば個人的な気分で嫌だとは言えない。
それに当たっての最大の問題が、モディノゴム用の二足鹿がないということだった。こんなことならば、もう少しネゼキュイアの二足鹿を奪っておけば良かったと思う。
その解決法として、私が二足鹿を第三王子に譲ってハネシテゼとともに空を翔けていけば良いというのだが、それは少々どころかかなり無理があるのではないかと思う。
「まず、第一段階は浮き上がることです。お手本をお見せしますね。」
そう言って見せてくれるのは良いのだが、まさか足で魔法を扱うとは思いもしなかった。聞いてみると左足で浮遊を、右足で姿勢の制御を、そして左手で加速を扱うのだという。
「足で魔法を扱うなんてできませんよ! 杖も腕輪もなしにどうするのです?」
「あら、杖ならそこに余っているではありませんか。」
ネゼキュイア騎士の遺体から回収した杖は何十本もある。そのうちの二本をブーツに挿しておけば良いというのだが、その時点でもはや私にできる気がしない。
「どうしても足で扱う必要があるのでしょうか? 練習に数日かけている時間はないのですけれど。」
「そうですね。まずは浮き上がることだけに集中して、わたしや二足鹿に引かれて移動するようにした方が良いかもしれません。」
一時間や二時間ですべてを修得することは不可能だと主張すればそれを認めはくれたのだが、だからといってブーツに杖を挿すことまでは覆してくれはしないのがハネシテゼだ。
そんな気はしていたのだが、あまりにも常識から外れすぎるハネシテゼの考えには私でもついていけないことがある。
結果的には、一時間頑張れば浮遊できるようになったのだが、それは従来通りに手で魔法を扱ったものだ。今まで試したこともないのに、いきなり足で魔法を扱えるようにはならない。
一度できてしまえば、思ったよりも魔力消費が少ないことも分かる。ハネシテゼによれば加速が最も魔力と体力を使うということなので、浮くだけに集中して二足鹿に引かれていけば力は節約できるだしい。
私が諦めて紐を用意していると第三王子が同情するような眼を向けてきたが、もしかしてハネシテゼはバランキルの王宮でもこのような無茶を押し通しているのではあるまいか。もしもそうならば、臣下として諫めなければならないところである。
各地から集まった騎士は、負傷者を中心に半数ほどにはここで帰路についてもらう。北側の大隊を壊滅させただけでも十分な功績であるし、怪我人を戦地まで連れて行っても騎士にとっても領地にとっても大きな負担になるだけだ。
残る者には周辺小領主と協力して残敵掃討をしてもらう。少なくとも数十のネゼキュイア騎士が逃げているのだ。今は必死に隠れていても、食料が尽きれば周辺の村を襲うなんてことは目に見えた事態だ。
全ての指示を出し終えてから私たちも出発した。できるだけ急ぎたいところであるが、二足鹿に不慣れな者が多いうえに私も浮遊して引かれるなんて初めてである。
速度は二足鹿に任せ進路だけ南へ向けることにしておくのが最も騎乗者に負担が少ない。私も最初はハネシテゼに横から支えてもらえばなんとかなる想定だ。
「ここから一番近い町までどれくらいかかるのでしょう?」
「西に行けば一時間もかからずに町に着きますけれど、今日はそちらには向かいません。」
昨夜から何も食べていないためお腹は減ってはいるものの、南へ急ぐ方が大事だ。それでも昼頃には町に入れるだろうと思う。地図を見る限り、南へ走っていれば昼にはナルハルという町の近くに着くはずだ。
「こんな速さで走り続けていて大丈夫なのか? 倒れてしまったりはしないだろうな?」
「心配ございません。この速さでならば、数時間は走っていられますよ。」
馬との速度が違いすぎるためだろう、不安そうに第三王子が聞いてくるが全く問題はない。
馬でいう駈歩に近い速さで走っているが、これは二足鹿にとっては速歩程度でしかない。昨夜まで戦闘などの高負荷にあったとはいえ、餌も水も与えているのだから半日走ったくらいで倒れてしまうことはない。
実際のところは、連続して半日も走る必要はなかった。二時間程度で遠く右前方に町の影が見え、それからさらに一時間後には小領主の邸に到着した。
「もう着いてしまったのか。信じられぬ速さだな。」
「ティアリッテ様が重用するわけだ。」
予定していたよりも早く着いてしまい、第三王子らは呆れたように言う。ハネシテゼも自分の分を寄越せと言わんばかりに視線を送ってくるが、私が乗る二足鹿すらないのに、ハネシテゼの分なんてどうにかできるはずがない。
ナルハルの小領主には北に陣取っていたネゼキュイア部隊は撃滅した旨を伝えておく。まだ敗残者がそこらにいる可能性が高いため警戒を完全に解いてしまうわけにはいかないが、終息が目前であることは間違いない。
少し早めの昼食だけ提供してもらい、またすぐに出発する。ナルハルからは南西へ進み、夕方ごろにはテックファンに入る予定だ。
草原をひた走るだけでは町を見つけるのは難しいのだが、ハネシテゼと一緒に宙高く舞い上がってみると実に遠くまで見渡せる。さすがに戦場までは二足鹿でも一日以上あるはずの戦場までは見えないが、徒歩で数時間の距離ならば簡単に探すことができるのはとても便利だ。
「ティアリッテも空を翔けられるようになりたくなってきたでしょう?」
「とても便利なのは認めますけれど、そんな簡単に覚えられるものはないではありませんか。」
ハネシテゼは気軽に言うが、そんな簡単に願望と結果が一致するものではない。ハネシテゼだって身に着けるまで相当苦労しているはずなのに、人のことは随分軽く言うものである。
空を翔けるには、最低でも三つの魔法を同時に制御しなければならない。その時点で常識的には人間に扱える魔法ではないのだ。私は左右両手に杖を持っているが、その時点ですでに常識から外れてしまっているのだ。それを、ブーツにも杖を挿して魔法を使えなどと非常識も甚だしい。
ザウェニアレらは少し離れて苦笑いしているしかない。この一行の中で両手で別の魔法を扱えるのは私とハネシテゼを除けばソルニウォレだけだ。第三王子もハネシテゼの近くにいたと思うのだが、そのような訓練はしていなかったようで話を振られれば目を逸らすのみだ。
テックファンに着くと、小領主には敵の主力を倒したことを報告し、捕虜にしたモディノゴムはある程度大事に扱うように言っておく。彼にはネゼキュイア部隊を率いて撤退するという重要な役割があるのだ、こんなところで動けなくなってしまっては困る。
「ミラリヨムを滅ぼした者たちなど殺してしまいたいのですがね。」
「済まぬが我慢してくれ。今後の被害を抑えるために必要なのだ。」
小領主テックファンにはミラリヨムに親類縁者もいたらしく、個人的な怒りや恨みは大きなものであると想像できる。だが、モジュギオの被害を最小限にし、早期の解決のためにはモディノゴムを利用した方が効率が良いと諭せば不承不承といった様子ではあったが頷いてはくれた。




